2.


吉見の言葉に、さすがの前中も一瞬驚いた表情を見せたが、次の瞬間には

「くっくっ・・・」

堪えきれないといった風に笑いを浮かべた。


「冗談にしても悪い冗談ですね」

「冗談じゃ・・・ない。組長が、娘さんをぜひ前中さんにと・・・」

「あのじゃじゃ馬をですか?」


吉見は苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、

「組長は前中さんのことを見込んで・・・」

と言葉を続けた。

そんな吉見に対して前中は

「それなら吉見さんが貰ってあげたらどうなんですか?
せっかく若頭なんて大層な役割を得られたんですから、ね」

悪意に満ちた言葉を投げかけられれば、吉見は唇をグッと噛みしめて耐えるしかない。

前中に指摘されるまでもなく、吉見は若頭となった自分こそが組長の娘とくっつくのが当然だと考えていた。




この見合い話は半月ほど前、組長である本山から呼び出されたことから始まった。

「吉見、俺はなぁ・・・あいつにそろそろ落ち着いてもらいたいと思ってる。
俺も今は元気だが、年を重ねてくると将来について考えちまうようになってきたんだぁなぁ。
こんな商売していて将来ってなぁ、笑っちまうが・・・だからといって、俺も人の子だったってことだなぁ」

一体どんな話かと思って身構えていた吉見だったが、その話の内容に心の中でほくそ笑んだ。

本山の言う”あいつ”が誰のことを指すのか、それはすぐにピンときた。

一人娘である、英華(ひでか)だ。

娘の英華(ひでか)は現在21歳で都内の私立女子大に通っている。
本妻の子ではないものの、唯一の子供であり、娘でもある英華を目に入れても痛くないほど可愛がっているというのは有名な話だった。

英華が欲しがれば高級マンションの一室を買い与える。
またクレジットカードを渡すことで、英華は浪費三昧の毎日だ。

密かに組の懐事情が火の車なのは、この英華のせいではないかと噂があるほどだったが、
横に侍らすに名前通り華やかで、最高だと言えた。

しかし、華やかといっても毒々しいという表現が合う華であり、裏では組員を使って質の悪い商売を勝手にしているというのも聞いたことがある。

そんな娘を嫁に貰うとなると、大変なことも多そうだったが、組内での地位が揺るがぬものになるということに間違いない。
本山に次期組長として認められたことになるのだから、断る理由もないだろう。

「組長、そんな将来だなんて、まだまだ現役顔負けじゃないっすか。
そんな気弱なことを言わないでください」

まずは本山の言葉を否定しながらも、

「ですが、英華お嬢さんのことは・・・よく分かります。
アッと言う間にお嬢さんも大学卒業なんてことになりますし、結婚は後でも婚約だけでもされておいたら・・・」

嬉々として本山の提案を支持した。

本山は吉見の言葉に満面の笑みを浮かべながら

「そうだろ、そうだろ、あいつにもチラッと話してみたんだが、案外乗り気でなぁ」

「そうなんですか、それは良かったです」

吉見の同意も得て、さらに満足げだった。

「で、だ。お前にはこの話をあいつに持っていってもらいたい」

「え、あいつ・・・ですか?」

「ああ、あいつ・・・前中にこの話を持って行ってくれ」

「え・・・まえなか・・・ですか」

吉見は自分が思っていたよりも動揺しているのか、声が微妙に震えてしまった。

「やっぱ、娘には幸せになってもらいたいからなぁ。あいつなら安心して任せられるぜ」

「そ、それは・・・」

吉見が放つ言葉の機微に気づいているのか、それとも気づかぬ振りをしているのか、
本山は吉見に追い打ちをかけるように言葉を重ねていく。

「まあ、お前の言う通り、結婚は卒業してからとしても、婚約は早くしておくべきだろうな。
うん、結納の日取りは前中に合わせるとしてだな・・・お前からあいつに話を持っていってくれ」

「あの、組長・・・」

「そうだな。
まずは顔合わせからとして・・・場所はTホテルのレストランでどうだ。
あそこの料理は英華も気に入ってたしな。
もしその後、二人が良い雰囲気になったらのことを考えて、部屋もキープしとくか?」

本山は下卑た笑いを浮かべているが、吉見は一緒に笑うことはできなかった。

「組長・・・あの、前中には、その・・・恋人が・・・」

色々考えを巡らせた上で、ようやく思いついた言葉がそれだった。

しばらく前からあの前中に恋人ができたというのは噂になっていた。
しかも、かなりご執心だという。
まさか本山がそれを知らないとは思わなかったが、一応確認してみたのだが、

「それは聞いてる」

「なら・・・」

「でも恋人っつっても、男だろ?
男の恋人なんて、遊びに決まってんだろうが。
そんなもん、目の前に綺麗な女がいて、どうぞと言われりゃ断るような男はいねぇだろ。
しかも、そこらの女じゃねぇ。俺の娘だぞ。
どっちを選ぶと言われれば、そりゃ・・・決まってんだろ」

自信満々に並べられる言葉に吉見は反論することができなかった。

本山は前中のことを知っているようで、知らない。
恐らく吉見や他の人間の方がいくらか知っているのではないだろうか。

だからこそ、吉見は聞くしかなかった。

「組長。もし・・・もし、万が一、前中がこの縁談を断ったら・・・」

「そんなことあるわけ・・・」

「いえ、万が一にもそんなことがあれば・・・」

「そりゃ、お前・・・この世で生きることを放棄したってことだろ」

当然だという風に本山は言ったものの、吉見は本当に前中がこの縁談を受けるのか疑問だった。

本山は吉見のそんな不安を表情から感じ取ったのか、

「もちろん、前中だけじゃねぇ。お前にも責任を取ってもらうからな」

「え・・・」

「当たり前だろ。
親でもある俺の指示を実行できなかったんだからな、罰を受けるのは当然だろ?」

そう言うと、

「じゃあ、くれぐれも前中によろしくな」

吉見の肩をポンポンと軽く叩いた。




かくして吉見は前中に縁談話を持ってきたということだが、、

「私には唯一無二の恋人がいますので、その縁談は丁重にお断りさせていただきます」

とすげなく断られてしまった。

予想していた通りだったが、だからといって吉見も「はい、分かりました」というわけにはいかない。

「恋人がいることは十分承知しているし、組長もご存知だ。
ただ、組長の娘を嫁に貰うというのは全く悪い話じゃないと思う」

「そう言うなら、吉見さんが嫁にもらってやればいいじゃないですか。
なんて言っても、若頭なんですから、ねぇ」

前中の言葉に「できるならそうしてるっ」と言いたくなったが、それを口に出すほどバカではなかった。

「組長は、前中さん、あんたを指名したんだ。組長といえば親も同然だ。
親が決めた縁談、まさか蹴るわけないよな」

自分が組長に言われたことをそのまま伝えるが、当の前中はどこ吹く風といった感じで

「何度でも言いますが、私は彼以外の人とどうこうなるつもりはありませんから。
それは親でもある組長に言われようと変わりません。
まあ、本当の親なら子供の幸せを一番に考えてそんなことを言いだすわけないと思いますが」

そこまで言うと、

「大切な話っていうのはこのことだったんですか?」

「あ、ああ」

「じゃあ、私はこれで失礼します」

持っていたカトラリーを置くと、早々に席を立ってしまった。
組長の言葉を出しても全く動じない前中に、吉見はそれ以上に引き留める言葉は見つからなかった。

「また今度は恋人と一緒に来ますから」

前中は給仕にそう伝えると、颯爽と帰っていった。

しかし、残された吉見は前中の言葉をそのまま組長に伝える訳にはいかなかった。

「どうする・・・どうする・・・」

吉見は前中を引き留めることもできず、だからといって自分が生き残るために、これからのことを考える必要があった。





その翌日、前中の機嫌は前日とは比べられないほどに良かった。

恋人である御木良隆と仕事終わりに待ち合わせをしている。
その待ち合わせ場所へと向かう車内は穏やかだった。

「おそらく今日の良隆さんは本屋に寄りたいはずです。
なので、池袋に行ってから夕食になるでしょうね」

「そうですね、報告書でも御木さんが昨日も本屋に立ち寄ったものの、今日は入荷予定だと言われそのまま家に帰ったとありました」

「じゃあ、それとなく聞いてみますか。いまだに良隆さんは自分の趣味について恥ずかしがっている傾向がありますから」



前中が愛して止まない恋人である良隆には、俗に”腐男子”と呼ばれる趣味があった。
最初は言葉の意味が分からなかった前中だったが、男同士の恋愛についてのマンガや小説を好んで読む男のことを指すのだと知った時には驚いた。
しかし、今はその趣味があるからこそこうして前中と恋愛関係に発展したのだと思っている。

趣味は趣味として、恥ずかしがることもないと思っている前中だったが、
良隆自体はそんな趣味を恥ずかしいと思っているようで、そんな恥ずかしがる良隆が前中は可愛くて仕方ないといったところだ。

という人間は一般的には中の中、または中の下とも言えそうな良隆の容姿だったが、なぜか前中は引きつけられて仕方がない。
特にその目に見つめられると、その目が自分だけしか見なければいいのにと、薄暗い欲望を募らせていた。

「今日は美味しいお刺身が食べたいですね」

携帯をいじりながら前中がそう言うと、秘書は

「分かりました。では、”あじくら”を予約しておきますので」

自分の中にストックしている前中お気に入りの和食料理店を思い浮かべる。

「そうしてください」

そして、待ち合わせ場所近くまで来ると車は一旦路肩に停車すると、前中が後部座席から運転席へと移る。

「社長。昨日の話ですが・・・」

そのほんのわずかな瞬間に秘書が声を掛けるが、

「昨日?さあ、何かありましたっけ?」

前中はそっけない言葉を残して車を発進させた。
秘書とさっきまで運転を任されていた部下は、後ろを付いてきていた別の車に乗り込んだ。

秘書は後部座席に腰を落ち着かせると、大きくため息をこぼした。

さっきの前中の言葉は確実に怒っている証だった。
大切な話だからと行った先で、まさかの縁談話。
恋人と別れろと言われ、前中が笑っている筈がなかった。



昨日の帰りの車の中、

「すみませんでした。まさか、そんな話だとは思っても・・・」

そう言ったものの、

「私も下に見られたものですよねぇ」

と言い、

「さっきのバカな男はまだ生きてますよね?」

「はい。死んではいません」

「良かった。頂いた玩具は十分遊ばないと、ねぇ」

その後、別室に移動させていた男を、さらにいたぶった末に生きたまま解体すると

「恐らく今回だけで諦めるなんてことはないと思いますが、私が話を聞くのは今回限りですから」

血しぶきで汚れたスーツを脱ぎ捨てながら、少しはスッキリとした笑顔でそう言った。
そこまで言われると、秘書も

「もちろんです」

としか答えようがなかった。

前中は秘書の言葉に満足したのか、

「じゃあ、この壊れた玩具は返してきてくださいね」

もう人間の形をしていない肉の塊を軽く踏みにじると、颯爽と帰っていった。

そして、残された人間は部屋中に立ちこめる臭いに吐き気を催しながら(実際何人かはトイレで吐いていた)なんとかそれを箱に詰めた上で、吉見の組事務所へと送り届けた。

目を閉じれば、昨日の惨劇が思い浮かんできて何度となく吐き気がこみ上げてきては逆流してきた物を飲み込むという行為を繰り返す。
そんな出来事は部下達の間でも広まっているのだろう、恋人と会えると喜んでいる前中以外の人間の顔は悲愴なものだった。

前中の車が停まり、運転席から前中が出てくるのをぼんやりと見ていると、そんな前中がまめまめしく御木の寒そうな首元にマフラーを巻いてやったり、背負っていたリュックを代わりに持ってやる姿が見えた。


「このまま何も起こらないでくれ」


前中の機嫌は実に恋人との関係に左右される。


秘書はひたすらに、二人の関係が平和であることをひたすらに願うばかりだった。



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