2.

俺がゴミ溜めの中に見つけたのは、よく見かける猫じゃなかった。

布切れと言った方がいい程ボロボロになったシャツを肌に引っかけた人間。
ボロボロなのは所々切られているからで、その間から少し乾きかかかった血が見えた。


「あーぁ、可哀想に」


時々この辺で見かける光景に、俺の言葉に本当の意味での感情は込められてない。
まあ、心のどっかで”自業自得”って思ってるからね。

だからって俺も鬼じゃないから、見かけたら一応は声をかける。


「ねえ、大丈夫?」


ってね。

「・・・」

でも、さすがに返事は返ってこなかった。

今まで俺が見てきた中でも1番酷くやられてる。

見た感じ、顔はそんなに殴られてないみたいだけど、身体は相当痛めつけられてる。
服はボロボロで、辺りを見れば所々に血の跡がある。
ズボンは穿いてるけど、それも埃やいろんな物の汚れでドロドロ。

もしかしなくても、この人は相手に反撃なんかしちゃったんだろうな。
案外何もしない方が最小限の暴力で済んでしまうものなのに。

それがこんなになるまでってことは・・・この辺で仕事をしてる人間は大体想像できる。


「お兄さん、ちょっと・・・」

「・・・」


意識のない人間の性別は、顔を見なくても体型からして男性だって分かる。
シャツの間から見える筋肉質な腕や、節張った手の感じ。
女性にしては太い首と、その中心にある大きな喉仏を見れば間違えることはない。


「お兄さん」


俺は全く起きる気配がない男を目の前に思案する。

このまま放っておくか否か。

別に放っておいたからって誰からも責められることもないのは分かってる。
でも、なんとなくこのまま放置しておくのもしっくりこない。


「アキさん?」


俺がどうしようか迷ってると、後ろから声を掛けられた。

「えー?」

振り返れば、明るい光をバックに後輩2人が俺のことを訝しげに見ていた。


「どうしました?」

「んー、なんか落ちてて」


だからって俺も何て答えればいいのか迷う状況だけど、正直に話してみる。

「「え?」」

2人は同時に驚いた顔をして見せてくれた。
で、俺の肩越しにゴミ溜めに落ちてる物を見つければ、

「あー」

「アキさん、知り合いなんですか?」

俺の端的に言った言葉の内容もすぐに伝わった。


「全然違う。知らない人ー」

「そうなんっすか」

「そうなんです」

「まあ、喧嘩でしょうね」

「だと思う」


俺は目を覚まさない男の腕をチョンと指でつつきながら、


「どうしようかな」

「どうしようって・・・」


後輩達は俺の言葉を信じられないって感じの口調だった。

まあ、こんな状況で普通とる行動としては、見なかったことにして立ち去るってこと。
俺だって普段だったらそうするんだよ。


「もう放っておいて行きましょうよ」

「そうですよ、関わんない方がいいですよ」


だから、その後輩達の言葉はいたって普通の言葉。

でもさ、そんなこと言われると余計に気になってくるわけ。
もう俺って天の邪鬼な性格だからね。


「アキさん?」


俺は後輩の声をバックに聞きながら、倒れたままの男の腕を肩に担ぐ。
たぶんスーツに血が付きそうだったけど、今はそれも全然気にならない。


「ぅ・・・しょっ」

「「アキさんっ!」」


人を担ぐって大変なんだよね。
しかも意識がないから、ずっしり肩に体重がかかってくる。

普通だったらその重さに耐えられずに倒れるだろうけど、だてに体を鍛えているわけじゃない。
でも、男の足がちょっと引きずる形になるのはしょうがない。

ただ俺の行動にビックリした後輩達は、バタバタと近寄って来てくれた。

「「手伝います」」

別に俺1人でもなんとかなったんだけど、手伝ってくれるって言うんだから断る必要もないでしょ。


「ありがとー」


俺は素直にお礼を言って、後輩達はもう片方の腕をその肩に担ぐ。


「で、どこに?」

「んー。とりあえず、店?」


俺の言葉に後輩達は無言だった。
でも俺はそんなの気にしない。

逆に鼻歌でも歌いたいぐらいに気分が良いくらい。

体力のない後輩達は、ほんの数メートル歩くだけでもう息切れ寸前な感じ。
交代で男を担いでくれているけど、きっと心の中では後悔してるだろうなぁ。

ついでに言えばボロボロに傷ついた男を担いで歩いてる俺達はかなり目立ってる。
何にも声は掛けられないけど、たくさんの人が俺達を振り返りながら通り過ぎていった。

幸いというか、男を拾ったのは店の近くでそう時間は掛からなかった。
ただ、悪いことに店はもう営業中で、


「どうしますか?」


このまま男を連れて中に入ることに後輩達が躊躇してるのが分かった。

この状況を見せれば確実にオーナーとかマネージャーに怒られる。
そのことを後輩達も予想してるだろうし、できれば回避したいと思ってるんだろう。

でも、


「どうもしないよ。扉開けて」

「あ、アキさん!?」

後輩達は当然焦った声を上げ、悲壮な表情で俺のことを見つめる。

「早くしてよ」

俺はそんな諸々のことを全部無視。

だって、怒られる時は反省してますって感じにすればいいし。
それが嫌なら連れてこないって。

店の前でなかなか扉を開けようとしない2人に、


「もう、はーやーく。俺の肩だっていい加減疲れてくるだろ」


ちょっと口調をきつくして言う。
後輩達が俺の言葉に嫌々って感じで扉を開ければ、照明が目に痛いぐらいだった。

店の壁は黒が基調なんだけど、それに反して照明は煌びやかなモノが配置されている。
ネオン街の中を歩いてきたからって、この照明がすぐ目に馴染むかと言えばそうじゃない。

俺はちょっと目を眇めながら、1歩を踏み出した。

すると客だと思ったマネージャーがフロアからやって来たけど、

「いらっしゃ・・・」

俺と俺が抱えてるものを見ると、途中で言葉を切るとすぐに奥へと消えてしまった。
オーナーを呼びに走ったのが引きつった顔からもすぐに分かった。


「とりあえず、奥に行こっか」


後輩達はもう諦めてくれたみたいで、無言のまま俺の言葉に従ってくれる。
開店前は気にならなかったけど、ホールがやけに明るいと事務所への廊下が逆に暗く感じる。

「気を付けてね」

足元にも注意を払っておかないと俺だって転びそうになる。
後輩達に声を掛けながら、従業員達の休憩所にでも連れて行こうかと思いながら歩いていれば、、


「アキっ!」


途中の廊下で、オーナーを連れたマネージャーと遭遇した。

で、俺の名前を悲壮なトーンで呼んだのはマネージャー。

たぶんその表情から大きな声を張り上げたいって感じ。
でも客がいるホールまで響くような声を出せるわけがないから辛そう。

逆にオーナーは今の状況に対して何にも言わない。
ただ俺が抱えてる荷物を見てる。


「オーナー、捨て・・・男?」

「捨て・・・」


俺の言葉にいち早く反応したのはマネージャーだった。

そんなマネージャーは俺に何を言っても無駄だってすぐに悟ったみたい。
怒りの矛先を俺じゃなく一緒にいる後輩達に移した。

後輩達はオーナーの登場とマネージャーの鋭い視線にすっかりビビッてしまった。
その場に固まって、視線も床の1点を見つめるばっかり。

ピンと張りつめた空気ってこんな感じかもね。

でも、そんな空気を別に俺は読む気はないわけ。
だから、


「捨て男以外にピッタリな表現ってある?」


俺はオーナーにごく自然な口調で聞いたはずだったのに、

「だからって、そんな、店に連れてくるなんて・・・」

俺の言葉に答えてくれたのは、オーナーではなくその斜め前に立ってるマネージャーだった。


「じゃあ、このまま家に連れて帰ればいい?」

「ちょっ、仕事は!?」

「だって店に連れて来るなってことは、家に連れて帰れってことでしょ」


俺はオーナーの顔から視線を離さず、言いたいことを言ってるマネージャーの言葉に答えてあげる。

そんな俺の態度にマネージャーは何を言っても無駄だって思ったみたいで、クルンとオーナーの方を向いた。
心境的に『オーナーからも何か言ってくださいよ』って感じ。

でも当のオーナーは何にも言わなかった。
で、そんなオーナーに痺れを切らしたのはマネージャーだった。

「オーナー!」

イライラした感じの声でオーナーのことを呼べば、やっと重い口を開いた。


「連れてこい」


そして出た一言がそれだった。

「お、オーナー!?」

たぶんその言葉に一番驚いたのはマネージャーだったろうね。

「はーい」


俺はへへって笑いながら、

「ってことで、オーナーの部屋まであとちょっとよろしく」

後輩達に頼んだ。

まあオーナーからの助け船もあって、後輩も

「「はいっ」」

だって。
さっきとは違ってめちゃくちゃ良い返事。

最後までマネージャーだけが口をパクパクさせながら廊下で立ってた。

そんなマネージャーを置き去りに、俺達は男をオーナールームまで連れて来ることに成功した。


「ソファは汚すなよ」


入ってすぐに天の一声が部屋に響き渡った。

俺は手が空いてた後輩にバスタオルを何枚か持ってきてもらうように伝えれば、
そいつはすぐに両手に5枚ぐらい抱えながら戻ってきた。

それをソファに敷き詰めると、俺はようやく肩に圧し掛かっていた荷物を下す。

「お疲れ、ありがとー」

形だけでも後輩にお礼を言うと、さらに天の声が響き渡った。

「お前らはフロアに戻れ」

「「はいっ」」

きっとここまで男を連れてきたことで身体は疲れてる。
それでもオーナールームにいるよりはって感じで、後輩2人は素早い動作で部屋から出て行ってしまった。

で、残されたのは俺とオーナーとソファに寝そべってる男。

なんか外とは違って、明るい部屋の中で見るとますます興味深い。

髪は短髪で、色もいじってないから黒一色。
眉は整えてないけど、ちゃんと髭は剃ってる。
年は・・・どうだろ、顔が腫れてるし傷もあったりで分かりにくいな。

出血は止まってる。
シャツを脱がすべきかなー。

「アキ」

ポケットを拝見しても、何にも入ってない。

というか、物取りだったら真っ先に取っていくか。


「アキ」


あとはどんな声で話すんだろう?
まさかソプラノ系の高い声ってわけじゃないよな。

理想は、低くってちょっとハスキーなぐらいがいい。


「おい」

「え・・・」


声がしたのと同時に、オーナーに腕を引っ張られた。


「見とれてる場合じゃないだろ。これ、どうする気だ」

「どうするって・・・」


オーナーに言われて、もう一回男を見直してみる。


「んー」


俺が黙ってると、オーナーがまたため息を吐いた。


「警察に連絡するか」

「えー」

「じゃあ、どうするんだ」

「じゃあ、家に連れて帰る」

「は?」

「しばらく飼ってみる」

「お前な・・・」


俺の言葉にオーナーは珍しくビックリしてますって顔をした。


「お前ね、これは人間で犬や猫じゃないのは分かってるだろうな」

「分かってるよ。
だって犬とか猫じゃあんまり構ってあげられないじゃん。

その点、人間なら自分でご飯も作れるし、散歩だって自分で行くし・・・」


なんか話してるうちに、普通のペットを飼うよりも俺にピッタリな気がしてきた。

しかも男っていうのがまたイイんだと思う。
女の子だったら面倒なことになりそうな気がするし。


「お前な・・・それ以前の問題だと思うぞ。
見たら分かるだろ、こんなに傷だらけなんだぞ」

「うーん」


俺はオーナーの言葉を聞きながら、でも納得してませんよって態度を貫いてみる。

長い付き合いのオーナーには俺が言いたいことは十分伝わってるはず。

「どうしようかなー」

口ではそんなことを言いながら、俺はそっと男の顔に触れてみた。

たぶん手入れなんてしていない肌は、少し乾燥気味で、頬や目の周囲は腫れて熱を持ってる感じがした。

そのまま指を唇にまで移動させる。
当然だけど唇もカサカサで、どこか場所は分からないけど切れてるみたいで黒く固まった血がこびり付いてた。

「おい」

オーナーが俺の足を軽く蹴ってきた。
結論を出せってことだろうけど、


「やっぱり連れて帰る」

「お前な・・・」

「いいじゃん、俺が連れて帰るって言ったら連れて帰る」


俺は言いながら、男の髪を撫でる。

ザラザラしてるし、手触りも最悪。
これは手入れのしがいがあるってもんでしょ。


「うぅぅ・・・」


オーナーと話してるうちに、男が顔をしかめて唸り始めた。


「あ、起きたのかも」


ひよこじゃないけど、なんかここで1番最初に男の目に映ったら親にでもなれるんじゃないかって思ってしまう。

だから、

「オーナーはちょっと黙ってて」

って牽制することも忘れない。

男は何度か寝返りを打つように左右に動かしたけど、


「ぃっ・・・つうぅ」


すぐに硬直してしまった。
痛くて動けないって感じだろう。

でもその痛みのお陰で男が目を覚ました。


「お兄さん、大丈夫?」

「いてぇ・・・」


目を覚ましたけど、身体を起こすことができないみたい。

俺が身体を支えてあげ、やっとソファに座る。
でも、支えていた手を離すとまた倒れそうになるから隣に座ってあげる。


「お兄さん」

「ここ、どこだ」


頭とか身体を手で押さえながら話す声は、想像していたよりも更に低い声だった。

今は威嚇するような声だから普段よりも数割増なのかもしれないけど。


「ここは俺の職場。お兄さんが道端で倒れてたから、保護してあげたの」

「道端・・・」

「そう。覚えてない?」

「いや・・・」


思いだそうとしてる仕草に、


「しょうがないよ。

もしかして、殴られたショックでその時のことが思い出せないのかも」

「そうか・・・」


俺は大丈夫だよと慰めるように背中をさすってあげる。
背中は更にひどい状態で、服はズタズタに切り裂かれていて、その下の皮膚も傷ついてる感じだった。

俺の手にザラザラとした感触と、ヌルっとした血の感触が伝わる。


「で、お兄さんの名前は何?」

「な、まえ」

「そう、名前」


俺の言葉に男は「名前、名前・・・」って呪文を唱えるように呟いていたかと思えば、初めて俺の方を見て


「・・・悪いが、俺の名前は何だ」

「え・・・」


本当に嘘みたいな話が転がっていた。


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