嘘つきな彼 8

前中にとって思わず口をついた言葉。
それは紛れもない本心だった。

「何となく、気になるんです」

そう表現するほか、前中の気持ちを言いかえる言葉は見つからない。


御木が他の男に連れて行かれそうになるのを見てからの行動、その全てが前中自身戸惑っていた。



前中は運転しながらも、助手席に座っている御木を窺う。

さっきの出来事は御木にとっても衝撃的だったのだろう。
車に乗っていても、鞄を持っている手は少し震えているようにも見えた。

ところが、急に話し出した御木の言葉には前中の方が驚かされた。


”どうして私はこの人を助けてしまったのか・・・そもそも食事に誘ってしまったのか・・・”


簡単に思えた答えだが、前中の口からなかなか言葉が出てこない。
そして、今分かっていることだけを言葉にした。
それしか前中にはできなかった。

その言葉をどんな気持ちで御木が受け止めるかは関係なかった。


前中が御木の方を見れば、御木も同じように前中のことを見ていた。


”恋をしているみたいに”


思わず出た言葉が前中の本心に一番近いと言える。

”いや、でも・・・私がこんなのを・・・”

その前中の気持ちも正直なものだった。

今までの前中が仮にも付き合ったと言える人間は、眉目秀麗というような人物ばかり。
決して御木のように陰湿で、仕事もできないような人間ではなかった。

しかし、そんな御木にもどこか人を惹きつける何かがあるのではないかと思い直す。
言いかえれば、そんな人間でないと前中自身が納得できないということだ。

信号が赤なのを利用し、前中は助手席の御木を見る。

髪は黒、特徴があるわけでもない。
髪質は柔らかいのか、硬いのかは分からない。
目は二重で、普段は俯いてばかりでその大きさは分かりにくいが、細すぎるわけではない。
鼻も豚鼻ということもないが、だからといってスッと綺麗な曲線を描いているわけでもない。

唇は、少しぽってりしている方だろう。
見た感じでは少し乾燥しているようにも見える。

顎のラインに沿って見ても、あまり髭は濃くないようだ。
無いわけではないが、男性ホルモンの分泌が人より少ないのかもしれない、薄いようだ。

そこまで見ていれば御木も視線に気づいたようで、前中の方を見る。

「あの・・・」

「何ですか?」

「信号が、青です」

「え・・・」

前中が御木の言葉で反射的に信号を見れば、すでに信号は変わっていた。

「本当だ」

あと少し遅ければもしかしてクラクションを鳴らされていたかもしれない。

「ありがとうございます」

前中はそれだけを言うと、再びアクセルを踏み込む。

「いえ・・」

御木もそれだけを言うと、再び俯いた。
前中はそんな御木を横目で見ながら、

「今日だけじゃなく、また誘います」

「え?」

「どうして気になるのか、私も知りたいので、また誘います」


それは単なる口実にしかならない。
前中はどうして御木を食事に誘いたいのか、御木を助けようとしたのか、何となく分かっている。

しかし、それを認めることができないだけだった。










前中が選んだ店はビルとビルの間に挟まれた小さな店。
看板も控えめに出されているだけで、あまり人の目を引かない。

味は美味しいらしいが、客の入りはいまいちのようだった。

近くのパーキングへと車を停めると、前中が御木を先導する形で歩き始める。


「いらっしゃいませ」


着物を着た女性が出迎え、2人を奥へと案内する。
部屋はほとんど個室で、奥にカウンターが数席設けられているだけだ。

2人が通された部屋も個室で、こじんまりとしていた。
掘りごたつ形式の座敷であるため、正座をする必要もない。
前中としてはその方が御木を緊張させないだろうとの気遣いだった。

ただ座った時に2人の足がぶつかる程の近さ。
それは御木を落ち着かなくさせた。


「お待たせしました」


と着物を着た女性が飲み物を運んでくる。
普段であれば帰りは部下を呼び、運転を任せる。
そのため、前中はアルコールを嗜むことが多い。

ただ、今日は御木を送って行くのも自分がと考えていたため、烏龍茶を頼んでいた。

一方で御木には運転をしなければならない理由もなく、アルコールを頼んでもいい立場である。
それなのに御木が頼んだのは烏龍茶。

店員が飲み物の注文を聞きに来た時、前中は御木が自分に合わせてアルコールを控えたのかと思った。

「御木さん、何かお酒でも・・・」

と勧めた前中だったが、

「いえ、これで」

と御木は注文を変えることはなかった。

横井達と御木が一緒にいたキャバクラ。
あの場で何を御木が飲んでいたのか、グラスに何が注がれていたのか前中は覚えていない。

もしかして、あの時も御木はアルコールを飲んでいなかったのではないかと前中は考えると、それ以上何も言わなかった。



そして料理が運ばれて来る中、前中は御木の表情をなんとなく追った。
いつもと変わらず俯き加減ではあるが、足と足がぶつかる程の近さが幸いし、比較的御木の表情を捕らえやすかった。

御木は一品ずつの料理をまずは興味深そうに見てから口に運んでいく。
食材を口に含むと、少し目を大きく見開き何度か無言で頷く仕草を見せる。


特に2人の間で会話をすることはなかった。

話をしなくても前中は御木の表情を見ているだけで退屈することはなく、むしろ気持ちが安らぐような気持ちにさえなっていた。


一通りの料理を食べ終わると不意に御木はが落ち着かない素振りを見せ始める。

前中の視線に気づいたのだろう、前中もそうと気づきながらも


「美味しかったですか?」


と御木の変化に気づいていないかのようにさり気なく声を掛ける。

御木は小さく頷くと

「美味しかったです」

と答えた。


「デザートもこの後ありますから」

「そうですか」

「甘いものはお好きですか?」

「まあ」


そこまで話していて、ふと前中はあることを思いついた。

本当にそれは前中の小さな悪戯でしかないこと。


相変わらず俯いたままの御木にはそんな前中の真意は分からないまま、


「え、え」


と焦った声が部屋に響く。


「ご飯粒、付いてましたよ」


そう言うと前中は御木の口元の少し横を掠めた指を口元へと運ぶ。
御木はそんな前中の行動を呆然と見ていたかと思えば、すぐに顔を真っ赤にさせ俯いてしまった。

ただ小さく

「ありがとうございます」

とお礼を言い忘れることはなかった。

そして、前中も

「どういたしまして」

答える。

ただ、その時の前中は笑いを堪えるのに必死だった。


実は御木の顔にご飯粒なんて付いてはいなかったのだから。


それにも関わらず、まるで少女のような反応を返す御木に好感が増す。

”あの驚いた顔、最近にはなくイイ感じだった”

人間のあらゆる表情の中でも、恐怖の表情が好きだと言って憚らない前中にとってはそんな感想を持つことが珍しい。
そして、同じ男性である御木のことを”イイ”と無意識にでも思っている。
ただ、そんな御木をどうして”イイ”と思っているのかという点を考えることはしなかった。


しかし、これで御木はますます下を向いたまま顔を上げなくなる。


前中のいたずらは成功した反面、御木の顔をすっかり見ることができなくなってしまった。

デザートが運ばれて来た時や、食べる時にも決して顔を上げることはなかった。

ただ、どんなに御木が俯いたとしても赤く染まった耳は隠せない。


”まあ、顔が見れないなら”


前中はそんな気持ちで再び御木へと手を伸ばす。


「耳、真っ赤になってますね。この部屋、暑すぎますか?」


手に触れた耳はしっとりと前中の手に馴染んだ。
耳朶の部分はふっくらとしていて、柔らかい。
まるで前中に触れられることを待っていたのかと錯覚しそうな程だった。


”この耳朶のところなんて、噛んだら美味しそう”


ついそんな不謹慎なことを考えてしまう。


「あ、あの」

「はい」

「私の耳、何か変ですか」


いつまでも触っている前中に対してごく当たり前な質問だった。


「すみません。つい気持ち良くって」


前中は悪びれることなく答えたのだが、それに対して御木は過剰な反応を示した。


「き、き、気持ちいい?」


そんな御木を眺めながら、前中は更に笑みを深くしてしまう。


「ええ、気持ちいいですよ。御木さんは自分でしたことないですか」


前中は言いながらも、少し指に力を込める。
柔らかいだけではなく、そこにはある程度の弾力もあり前中は緩急をつけるように触れていく。

しかも前中が放った言葉はある意味、厭らしくも聞こえるだろう。

前中はそうと分かっていて、あえて口にしている節があった。

案の定、前中が手にしている耳が赤みを増す。


”まあ、今日はこれぐらいか・・・”


前中は御木の耳からようやく手を離す。
ただ、手を離したものの名残惜しさは消えない。


”男の耳はみんなこんなに気持ちいい触り心地なのか?それとも、女性ならもっと気持ちいいのか?”


普段の性交渉において、奉仕する方ではなくされる立場がほとんどの前中には比較する対象がなかった。
そのため、前中は初めての感触に喜びとそしてもっと触りたいという欲求、そして疑問を抱くこととなった。

そんな前中の気持ちを知るはずもない御木は、ようやく前中の手から解放されたことでホッとしているのが分かるほどだった。

相変わらず赤くなったままの耳を前中に見せつけながら、御木は少し震える手で食後のコーヒーを飲んでいる。


”別にこの男に対して特別な感情があるわけじゃない。興味があるだけだ”


前中は自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、

「御木さん、来週は何が食べたいですか?」

と聞いた。

「え」

前中の言葉が意外だったのだろう、赤い顔のまま、御木が少し顔を上げる。

その顔を見ると、なぜか前中は手を出したくなる衝動に駆られる。
さっきは耳に触れた手で、もっと他の場所に触れてみたくなった。

頬は、唇は、髪は・・・

ただ、前中はそんな気持ちのままに手を出すことはなかった。


”そんな気持ちになるわけがない。男で、しかも冴えない奴なんだから・・・

そう何度も繰り返す。
心の中で御木のことを批判しながら、前中は御木を誘う言葉を止めることはできなかった。


「さっきも言ったじゃないですが、御木さんが気になるんです。それがどうしてなのか分かるまで付き合ってください」


「そんな・・・」


「で、来週はどこに行きますか?」


前中は強引だと分かっていながらも、御木と次の約束をもぎ取った。

来週末の金曜日。
待ち合わせはまた今日と同じような時間、そして同じ場所。

それだけではなかった。

前中は御木の携帯アドレスを聞き出すことも忘れなかった。


「名刺には会社のメールアドレスしか載っていなかったみたいですから」

「え・・・でも・・・」

「それに、もし時間とか場所とか変更する時に電話より便利ですよね。私のアドレスを教えるので、送ってください」


「後で送る」という御木の言葉を無視し、「さあ」と促すことで無理やりメールを送らせる。
送られてきたメールを見れば、タイトルに”御木です”と書かれているだけで本文はない。

それでも前中は満足だった。




そのまま困惑している御木を連れだって店を後にすると、車で家まで送ってやる。

車内は相変わらず会話はなかった。
しかし店で感じたものと同じく、その沈黙は苦痛には感じられなかった。


家の前で御木を下ろす時、

「あの、ありがとうございました」

と小さく御木が呟くのが聞こえた。
その時の御木はやはり少し俯き加減で、耳まで赤くしていた。

”このまま泣き叫ぶまで恥ずかしいことをしてやりたい”

そんな気持ちが沸き起こるのを鎮めながら、


「また来週」


とあくまでも紳士な態度で車を発進させる。
ゆっくりと車を走らせがらも、ミラーで確認すれば御木は前中の車を玄関前に立って見送ってくれていた。

そして御木の姿が見えなくなった頃、前中は再び携帯を取り出す。


「もしもし」

『捕まえています』

「分かりました。あと30分ほどで到着すると思いますから」

『分かりました』


通話を手短に終えると、前中はアクセルに力を込める。


前中の気分はとても良かった。

御木との食事や、その時の御木の態度や表情。
それからこれから見れるだろう、人間の苦悶と恐怖や悲痛な表情の全てが前中を満足させてくれるのは間違いないからだった。




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