嘘つきな彼 7

彼と約束をしてからの数日。
私は常に迷っていた。


”彼は本気で私と食事に行くつもりなのか、からかわれているだけじゃないのか”


しかし、その度に彼の笑顔と押しの強さを思い出した。
私が承諾した時の笑顔。
あれは本当の笑顔だったはず。


いつも通り、定刻に仕事を終えると携帯を片手に持ちながら会社を後にする。

こんなに慌てて会社を後にするのは、新刊発売日以外にはないことだ。
それも、本屋へ行くために慌てているわけではなく人との待ち合わせ。

この間の富田達との食事とはまた違う。


駅へと向かい歩いていると、携帯電話が鳴り始める。
慌てて出ると、


『御木さん?』


と聞き覚えのある声が聞こえた。


「もしもし」

『富田ですけど』

「え・・・」


予想外の人物からの電話に驚いた。
待ち合わせをしている彼からも電話があるかもしれない今、私にとっては歓迎できないタイミングだった。


『御木さん、今日はもう仕事終わりましたか?』

「え・・・あ、はい」


ここ最近は富田達からのメールを無視していた。
メールが来ても返事を返さないことが増えていたのだが、そうなると電話が掛かって来るようになっていた。

しかし、私としては食事に誘われることが嫌だった。
そのため、留守番電話サービスに繋がるようにして電話には出なかった。

今日に限って出てしまったのが悔やまれる。


「あの・・・今日は・・・無理なので・・・」

『そうですか。じゃあ』


私は誘われてもいないうちから断りの言葉を口にした。
相手は何か言ってくるかと思っていたが、案外あっさりと引き下がってくれる。

富田はすぐに電話を切ってしまい、それは私が呆気にとられるぐらいだった。

あまりにも素っ気ない電話に、もしかして誘いの電話ではなかったのではないかと思い当たる。
それにも関わらず、私の言動。
自分で自分のことが恥ずかしくなってくるほどだった。

再び駅へと向かって歩き始めると、また着信音が聞こえてくる。
しかし、さっきのこともあり富田からの電話ではないかと不審に思えた。

着信番号を確認するが富田からではなかった。
しかし、名前の表示も出ないために出ることに躊躇いを感じる。

いたずら電話の類と区別するため、心の中でコール音の数を数える。

目安は10回。
10回鳴れば本当に私に用事がある人物だと判断できる。


”8回・・・9回・・・”


数え終わると同時に電話に出る。


「もしもし」

『御木さんですか?』


再び聞いたことのある声だったが、電話を通しての声ではそれが誰かという判断に自信が持てない。


『前中ですが』


その名前にはあまり聞き覚えがなかった。
富田の上司は横井。
前中という名前に・・・・

そこで今朝、母親に見せた名刺を思い出した。




「今日はこの名刺の人と食事をするんだ」

「へー。WSフィナンシャル・・・それも、代表取締役・・・えっと・・・これは何て読むのかしら」

「えっと・・・マエナカって読むんだよ。ほら、ここに漢字でも書いてる」

ローマ字で書かれた名前。
母親はその名前が読めなかった。




慌てて財布の中から名刺を取り出すと、名前をもう一度確認する。

そこには”Syun Maenaka”の表記があった。


『今日、一緒に食べに・・・』


相手にそこまで言わせてしまう自分自身に反省をしながら、電話越しに謝る。
こういう時は電話だということを忘れ、携帯を持ったままひたすら頭を下げてしまう。
それは私だけではないだろうが、周りの人間から見れば滑稽に映るだろう。

ただ、今の私はそんなことを気にしている余裕すらなかった。
きっと彼は驚いているはずだ。

もしかして、怒っているかもしれない。

だからといって「すみません」以外に言葉が見つからないのだ。


そんな私に彼は優しく声を掛けてくれた。
2言、3言話すと、会話を終える。

そこからは少し早歩きになる。

携帯はポケットに入れ、鞄を抱え直すと歩き始める。
足元ばかりを見ながら歩くため、何度か人にぶつかりそうになりながらもなんとか歩く。

少し顔を上げると駅の表示が見える。

いつもと違い、小走り程度になっていたために呼吸が乱れていた。
ポケットから再び携帯を取り出す。

もしかして私が彼を見つけるよりも早く、彼が私を見つけてくれた時に電話を再び掛けてくるかもしれないと思った。

携帯の表示と周囲の人間を交互に見ながら、彼がどこで待ってくれているのかを探す。


「あ、す、すみません」


彼を探し、視線を彷徨わせていると何人かの人間にぶつかる。
謝りながらでは、きちんと顔を上げられずにさらに人にぶつかってしまう。


「ちょっと」

「え・・・」


急に腕を引っ張られ、思わず身体がのけ反る。


「あんた、ちょっと来てよ」

「え・・・え・・・」


私は先ほどから何人もの人間にぶつかっていた。
その中の誰かがそのことで怒り、私のことをどこかへ連れて行こうとしているのだと思った。

しかし、それは今の私には困る。

彼と待ち合わせをしているところで、しかも彼を待たせているのだ。

私は俯いたままの顔を少し上げ、腕を持っている人間の方を見る。
それは声からも想像できたように若い男だった。

若い人間の中には肩がぶつかっただけでも、殴る蹴るの暴行を加える者もいるとニュースで見て知っている。
そういう類なのかどうか分からないが、今引きずられるようにしている私はとても危険だということは分かった。


「あ、あの・・・あ、謝りますから・・・許してください」


私は男に対して言うのだが、伝わらない様子で腕の力は緩むことはない。


「あの・・・私これから人と会う約束があるんです。だから・・・」

「奇遇だな。俺もこれから人と会うんだよ」

「え・・・あの、だったら・・・」


そう言いながらも、全く私のことを解放する様子もなく、私が今歩いてきた方へ戻ろうとしている。


「あの・・・あの・・・」


私はどうにか男の腕を振りほどこうとするも、男のくせに力のない私ではビクともしなかった。
今はちょうど帰宅ラッシュという時間帯で、同じく歩いている人間が多い。
しかし、私が視線をやっても家路を急いでいる人間の足が止まることはなかった。


このまま私は路地裏に連れて行かれ、暴行を受けるのだろうか。


それはどれ位の時間だろうか。


その後、私は彼に会える格好でいられるのだろうか・・・いや、会える状態でいるのか分からない。


せめて彼に連絡をしなければ、

”遅れます”

と。


私は震える手で、携帯のボタンを手探りする。
その時の私にはそんなことをしても通話ができないし、電話を掛けることさえ難しいということが分からなかった。


「御木さん」


優しい声が聞こえた。
まさかと思いながら振り返ると、そこには本当に信じられないが彼がいた。


「あ、あの・・・」

「こんばんは」

「こ、こんばんは」


それまで私の腕を離さなかった男の腕はすでにそこにはなかった。
前中が男の腕を掴んでいる、その事実に私は驚き彼のことを凝視してしまう。

男も突然現れた他人に驚いている。

その驚きが過ぎ去れば、唐突に腕の痛みを自覚したのかもしれない。


「い、いてぇー」


急に大声で叫び始めた。

男の声は歩いている人間が思わず振り返るほどだった。
しかし、さっき私がそうされたように振り返るだけで助けに入ろうとはせずに立ち去って行く。


「御木さん、和食はお好きですか?」

「え・・・」


私は言われた言葉と、今の状況があまりにも不似合いで返事が遅れてしまう。

彼はいつもと同じように笑顔で私に聞いてくれている。
一方で男の腕はあらぬ方向を向いたままだった。
男は苦痛に顔を歪め、顔色は少しずつ青くなってきている。

私はどちらを見ていいのか分からず、彼の方を見ると


「好きです」


とだけ伝える。

すると、次の瞬間彼は


「そうですか、良かった」


と男の腕をようやく解放した。

その途端、男は崩れ落ちるように地面へと倒れこむ。
それまで彼に掴まれていた腕は上がらないようでダランと下げ、空いている手で庇っている。

「てめぇ」

男は低い声でそう呟くと、彼の方を睨み上げる。
その目は痛さのためなのか、少し潤んでいるように見えた。

しかし、彼はそんな男を見ることもなく


「行きましょうか」


と私の腕を、さっきとはまるで違い優しい手つきでエスコートしてくれようとする。


「あ、はい」


私はそのまま彼と一緒に歩き始めたが、後ろからさらに男の声が聞こえてきた。

「おい、待てよ」

その声に振りかえったのは私だけで、彼は男の方を振り返らなかった。
ただ、

「御木さんのお知り合いですか?」

とだけ聞いてきた。


「い、いいえ」

「そうですか」


彼はそれだけ言うと、車まで私を連れて行ってくれる。


「どうぞ」

「あ、ありがとう」


車の種類は・・・・何だろう。
あまり詳しくないが、高級車なのは分かる。

シートは革で統一されているし、中は普通の車よりもゆったりとしていて乗り心地はがいい。

「ふー」

腰を下ろすと、今までの緊張が解ける。

彼がすぐに運転席に乗って来ると、途端にまた身体に緊張が走る。

膝に置いていた鞄をギュッと握りしめてしまう。


「お疲れ様です」

「お・・・・お疲れ様です」

「今日は行くお店なんですが、ここから20分程なんですよ」

「そうなんですか」

「何か嫌いな食べ物はありますか?」

「いえ、ありません」

「そうですか」


そこまで話すと、会話が途切れてしまった。
何か話さなければと思うが、どんなことを言えばいいのか分からない。

音楽が掛かっていれば良かったのかもしれないが、それはない。


”こんなことになるなら、もっと何を話すかシュミレーションをするべきだった”


後悔しても今更だ。
それに、食事に行った先でも何を話せばいいのか迷ってしまう。


”彼もこんな私と一緒でつまらないかもしれないし、誘ったことを後悔させてしまう”


私はそんなことを考えながら、チラッと彼の横顔を見つめる。

すると、そんな私の視線に気づいたのか


「車酔いとか、大丈夫ですか?」


と私の体調を気にしてくれる。


”どうして・・・・”


ふと、そんな気持ちになる。
どうしてこんな人が私なんかを誘ってくれたのか分からず、そして同時に不安に襲われた。


「あの・・・」

「はい?」

「どうしてですか?」

「え?」

「どうして、私を誘ってくれたんですか?」


私は彼のことを見れずに、俯いたまま思い切って話しかける。


それは彼にとっても唐突な質問だったのかもしれない。

「そうですね・・・」

彼はそう言うと、何も言わなくなってしまう。

その沈黙で私はそう深い意味もないまま、気軽な気持ちで人を食事に誘うこともあるのかもしれないと気付く。

そう考えれば、私の質問は彼を戸惑わせ、言葉を失わせるのに十分だろう。


「す、すみません。変な質問でした」

「いえ、そんなことないですよ」


車は信号待ちのためか、ゆっくりとスピードが緩む。


「そうですね。何となく、気になるんです」

「え・・・?」

「まるで、恋をしてるみたいに」


私は言われた意味を把握できないまま、それでも言われた言葉の衝撃に俯いていた顔を上げる。
そして彼の方を見ると、彼も同じように私の方を見ていた。


「変ですね、男同士なのに」


彼の笑顔に私はどんな表情を返せばいいのか分からないまま、同じ様に笑うしかなかった。




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