嘘つきな彼 6
横井達からの報告は部下を通じて聞いていた。
その芳しくない状況に、前中は密かに苛立っていた。
御木という男は思っていた以上に前中の計画通りに動いてくれない。
横井達からの誘いを断るというのは、前中としても同性の立場として理解できる。
しかし、女性からの誘いも御木は断っている。
それが前中には理解できなかった。
その疑問をすっきりさせる意味もあり、前中は車を走らせた。
予定では定時に仕事を終えた御木が夕方には実家に帰って来るはずだった。
ところが、今日に限って御木は帰ってはこなかった。
車の中で待つこと数時間。
帰ってしまうこともできた状況で、前中はどうしても帰ることができなかった。
「・・・あれか?」
ようやく御木らしい人物が駅から歩いてくるのが見えた。
ゆっくりと車を走らせながら、近づいて行く。
歩いてくる人物は前中が数時間粘って会おうと思っていた御木だった。
御木は何か手に下げている様子で、それが前中を数時間もの間待たせた原因だと分かる。
「よりによって今日?」
誰も車にいないこともあり、前中の口調は砕けていた。
そしてピッタリと御木の横へと車をつけると、
「こんばんは」
わざとらしいと前中自身も感じながら、御木へと声を掛けた。
それからの御木との会話は時間にすればそう長いものではなかった。
ただ前中は車を運転しながら自分の行動をどう説明すればいいのか分からずにいた。
最初の予定では御木を食事に誘うだけで、もし断られれば引き下がるつもりだった。
あまりにしつこく誘えば不信感を与えてしまう。
そんなことは前中にも分かっていた。
それなのに、前中は自分でも不思議に思えるほどに御木に食い下がっていた。
その時の御木の表情は明らかに戸惑っていた。
それは前中にも分かっていたのだが、意地になっている部分もあったかもしれない。
前中が誘って断るような人間は今までいなかったと言っていい。
ただ、反対のパターンは数多くあった。
気分次第でその日にキャンセルすることもあるのだ。
”横井達やキャバクラの女が誘いを断られたとしても自分が誘って断られるわけがない”
そうどこかで前中は考えている節があった。
そのため、約束を取り付けたということだけで前中に十分な満足感を与えることとなった。
しかも、
「ありがとうございます」
と言った時の御木の表情が前中には新鮮だった。
いつも俯いてばかりの御木が前中の方を向いただけ。
それだけだったのだが、次の言葉がすぐに出てこなかった。
その後、すぐに御木はいつもと同じように顔を避けるように俯いたのだが、それは気にならなかった。
ぎこちない笑顔が御木にはお似合いとしか表現できない。
前中は思わぬ収穫に気持ちが高ぶっているとも気づかないまま、自宅へと帰った。
当日までの数日は、前中が思っていたよりも案外早く過ぎてしまった。
御木との約束を取り付けた翌日、出社した前中に部下は
「何か、楽しいことでもありましたか?」
と聞くほどだった。
自覚はしていなかったが、前中は機嫌がいいオーラでも放っていたようだった。
「別に・・・」
前中は御木とのことを話すことを躊躇い、言葉を濁した。
部下の方もそれ以上は詮索することはない。
別に御木とのことを話してもいいと思う反面、話さなくてもいいだろうという気持ちがあった。
その割には
「来週の月曜日、夕方からの予定は全てキャンセルで」
と部下を困らせるような命令を下す。
「失礼ですが、その日は本山組の組長との会食が予定に入っていたと・・・」
「ああ、組長とだったら会おうと思えばいつでも会えますね。組長には風邪を引いたとでも言っておいてください」
「え・・・っ」
明らかに戸惑っている様子の部下だったが、前中もそこを譲る気持ちは全くなく、
「何なら私が直接電話してもいいですよ」
「いえ、組長には私から電話を差し上げておきます」
その部下の言葉に前中は微笑みを浮かべると、満足したように
「じゃあ、お願いします」
とだけ言った。
それからの前中は仕事の合間を使い、御木とどこに食べに行くのかリサーチを開始した。
資料からあまり好き嫌いはなさそうだと判断していた前中だったが、だからといってどんな料理が好きなのか記載はない。
女性とならば流行のイタリアンやフレンチレストランに誘えば良い。
そして、接待ならば料亭での懐石が定石だ。
だだ、御木のことを考えればイタリアンやフレンチに連れて行ったとして喜ぶどころか、マナーを気にして顔を引き攣らせる予感がする。
懐石では重々しい雰囲気に呑まれ、無駄に時間が過ぎて行く場景が浮かぶ。
一つのフロアに人が大勢いるような店では他の人間の声に負けてしまい、御木の声は聞こえないだろう。
「どうしてこんなに考えているんでしょうね」
ネットや店の資料を見ながら店選びをしている途中、ふと前中は自分のしている行為を振り返り、呟いてしまっていた。
たった一人の人間、それも自分の利益に決してなることのない人間に対してどうしてこんなに必死になっているのか。
前中は自分のしていることに、愕然としてしまう。
机の上には御木の資料と、そして連れて行く店の候補資料。
それも、普段なら店選びは部下に任せているところを前中自身がリサーチする徹底ぶり。
そんな自分の行動に気づいた前中は、机に広げていた資料を全てダストボックスへと放り込んだ。
「別に私がそこまでする必要はないですよね」
丸めて捨てられた資料を最後にチラッと見た前中は仕事へと戻る。
それから何事もなかったように仕事を再開させていた前中だったのだが、
「あ・・・」
部下がダストボックスが溜まっていることに気づき、持っていこうとするのを視界の端に捕らえると
「ちょっと・・・間違って捨ててしまった資料があったみたいです」
と思わず部下の手からダストボックスを取り上げ、その中から御木の資料を拾い上げた。
資料とともに挟まれていた写真は、前中が資料を丸めた際にできた皺ができていた。
写真の中の御木は笑っているわけでも、カメラを見ているわけでもなかった。
それなのに、前中は皺が寄った写真を手に久しぶりに後悔という気持ちを味わっていた。
「社長」
部下は自分が何か失敗をしてしまったのではないかと恐怖を感じながらも、声を掛けないわけにはいかなかった。
そんな部下の気持ちを理解しようともせず、前中は
「ああ、見つかりました。他のはそのまま廃棄してもらっていいですよ」
と再びダストボックスを部下へと渡す。
部下としてはホッと胸を撫で下ろすような出来事だったが、前中にとっても胸を騒がせるような出来事になったことは確かだった。
”まさか・・・”
前中はある可能性を思い浮かばせたが、それをすぐに無かったことと打ち消した。
そして月曜日。
前中は定刻よりも仕事を早く切り上げると、車を自ら運転し御木との約束場所へと向かう。
結局、御木との会食場所に選んだのは小さな和創作料理店だった。
店内は小さな個室がいくつかと、時には宴会にも使えるようにと座敷も用意されている。
料亭とは違い、堅苦しいイメージを与えることはないだろう。
そして母親と暮らしているということから、和食を選んだ。
前中としてはここまで一人の人間に配慮した店選びをしたことはないと言える。
ただ、それも横井達が不甲斐ないからだと自分に言い聞かせてきていた。
”私が・・・そんなことあるわけ・・・ない”
御木の会社が見えてくると同時に時計を見る。
”予定通りか”
御木の会社に着く頃にはちょうど仕事が終わっているだろう時間になりそうだった。
御木との約束は駅だった為、会社の前を通り過ぎると駅へと車を走らせる。
会社へ直接迎えに行くことも考えた前中だったが、そうなれば御木は頑なに断るのではないかという予感もあった。
御木にとって会社というのは自分のテリトリーであるのだろう。
そこに前中が赴くのを許すほど、前中と御木との間に信頼関係は築かれてはいない。
駅という他の人間がいるところで会うというのは、少なからず御木に安心感を与えるだろうと前中が考えた結果だった。
車はゆっくりと駅のコンコースへと入って行く。
何台か同じように待っている車と並び、駐車する。
そして、バックミラーを見ながら歩いてくる人を確認していたが、そこにはまだ御木の姿は見えてこない。
基本的に待つことを知らない前中は、ポケットに入れてあった御木の名刺を取り出すと迷わず電話を掛ける。
時刻を確かめたが、すでに仕事は終了しているはずだった。
2回、3回とコール音が聞こえる度に前中の気持ちも苛立ってくる。
10回目を心の中で唱えた時、ようやく御木が電話にでた。
『も、もしもし』
その声は小さく、怯えているという表現が当てはまるような印象を前中に与えた。
「もしもし、御木さんですか?」
前中は逆に、今までの苛立ちを隠すかのように穏やかに話しかける。
『・・・はい』
「あの、前中ですが」
『前中さん?』
御木の声音から推測して、電話の相手が誰なのか分かっていない様子だった。
その事実は前中にはある程度の衝撃を与えた。
御木は今日一緒に食べに行く約束をした人物を忘れているのかと前中は驚いた。
そして、自分という人間と前中という名前を覚えてくれていなかったことに少なからずショックを感じずにはいられない。
ただ、これまで何度も御木に裏切られている前中としては
”またか・・・”
と、立ち直ることも早い。
「今日、一緒に食べに・・・」
そこまで前中が説明すると、御木の方もようやく分かったようで
『あ・・・あ・・・あの・・・す、すみません』
電話口で焦っているのがよく分かる話し方だった。
「いえ、気にしないでください」
前中は口だけではなく、本心から怒ってはいなかった。
むしろ不謹慎にも、前中はいつも俯いてばかりいる御木がどんな風に電話をしているのかが気になった。
やはり、俯いたまま電話の応対をしているのか・・・それともきちんと正面を向いているのだろうか・・・
また今の焦った口調から、どんな表情をしているのか見てみたいという欲求に駆られた。
そんな諸々の感情を全て抑えつけ、
「もうお仕事は終わりましたか?」
と優しく語りかけてやる。
御木は前中の言葉に、何度か深呼吸をしているようだった。
電話口から吐息が聞こえていた。
『さっき、終わりました』
「そうですか。私の方は駅でお待ちしていますので」
『あ・・・はい』
「それでは、また後ほど」
『はい』
前中はそれで電話を切ると、再びバックミラーを確認する。
御木がどんな風にやって来るのか見たいという気持ちの表れだった。
前中が掛けた電話に焦りを感じ、走って来るかもしれない。
そんな気持ちと、また自分を裏切るように案外歩いてくるのではないだろうかという気持ち。
電話中にも人ごみにいることが分かるような雑音が電話口を通して聞こえていた。
そのことから考えると、そんなに離れたところにいるわけではないだろう。
ただ、駅へと向かう人間は御木だけではない。
”その中から御木の姿を見つけることは前中も無理だろう”
そう前中は思っていた。
電話を切ってから数分。
前中は人ごみの中、少し俯き加減で携帯を握りしめて歩いてくるサラリーマンを見つけてしまった。
なぜかそれが御木だと確信する。
前中は運転席から降りると、その姿を肉眼で追う。
御木は駅に着くと、ようやく顔を少し上げる。
その手に携帯を持ちながらも、キョロキョロと視線を彷徨わせ人を探している。
前中は御木が自分を探しているのだと分かっていた。
しかし、すぐに声を掛けてはやらない。
御木に自分を見つけてほしいとさえ思っている前中が存在する。
御木は携帯を使い、前中に電話をすることもできるのだがその発想は浮かばないようだ。
このままではいつまでも見つけてもらえないのではないかと前中は思いいたる。
そして、前中が人ごみの中、御木に近寄って行った時だった。
前中よりも先に御木の腕を掴む人間がいた。
それは前中には予想外だったが、御木の方も予想外の出来事だったのかその表情は強張っていた。
御木の腕を掴んだ人間は若い男だった。
何か怒っているのか、前中のいる場所まで声は聞こえてこないが御木の携帯を持っている手が微かに震えているように見えた。
そのまま男は御木をどこかへ連れて行こうというのか、腕を引っ張り、なかば引き摺るようにその場から離れさせようとしている。
御木も何か言っているようだが、相手は無視するように進んでいく。
御木は言っても無駄だと感じたのか、周りの人間に助けを求めるように視線を彷徨わせる。
しかしそれに応えるような人間はいなかった。
それぞれ御木の視線を避けるように、駅構内へと足早に歩いて行った。
御木の表情は困惑から、落胆、絶望へと変化していくようだった。
人間が希望を失い、絶望し、死んでいく時の表情、それは前中が最も好む表情の変化だった。
そして、前中の目の前で御木の表情は、まさにその変化を遂げようとしていた。
「御木さん」
それなのに、前中はそんな御木を助けるように、御木の腕を掴んでいる男の腕を逆に捻り上げていた。
声はあくまでも優しく。
そこにいつもの笑顔を顔に浮かべながら。
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