嘘つきな彼 4


左隣には店のbPだという女性が座ってる。
前中はその女性と話すこともなく、出されたワインを煽っていた。

前中の右隣には部下が座っている。
その部下の隣にも女性が座っている状態だが、こちらも黙ったまま会話はない。

ただ部下の場合、前中と違いこちらはワインを飲むことはなく、持っているグラスに入っているのは水だった。


「前中さんは、社長さんなんですよね?」


キャバクラに来たにもかかわらず、ほとんど話さない。
そんな変な客に女の方も戸惑っていた。




店に入ってきた時から、その男性の雰囲気は普通とは違った。


「何人か横にいるだけで結構です。それと、飲み物も適当に持ってきてくださったらそれでいいです」


それだけを言うと、店全体が見れる席を指定してきた。
店長はその人間がどんな人物なのか知っているのか、やたらとお辞儀を繰り返している。
そして、「くれぐれも機嫌を損ねるな」と黒服や女の子達に伝達された。

「どんな人か分からないと話ができないんですけど」

決してサラリーマンには見えない前中。
特に店長の言葉に席に就くことを任された女性から声が上がる。

女がそう言うと、店長は「偉い社長さんだとしか言えないんだ」と言葉を濁した。

不審に感じながらも、女は男の隣に座るしかなかった。

「こんばんは」


挨拶そして2言、3言話しただけで相手は話す気持ちを無くしてしまったのか何を話しても


「そうですね」


という簡単な答えしか返ってこなくなった。
そんな客はここでは異質としか言いようがない。

キャバクラに男達が求めるのは、女性との接触や会話。
もしかして、運が良ければその女性と一夜を過ごせるかもしれないという期待。
男は少なからずそういう願望を抱きながらやって来る。

しかし、そんな接触や会話を拒否する客が女の目の前に存在した。

何も話さず、ただ座っているというのは女には辛いものがあった。


普通なら女はbPとして他の席にも移ることがある。
ところが、今日は店長が操作しているのか1度も呼びに来ることはなかった。

回りを見ればすでに店内は満席近く埋まっている。
そこかしこから楽しげな会話や笑い声が聞こえてくる。

きっと会話が成立せず、重い空気が漂っているのはこのテーブルだけだろう。


いい加減、この空気に耐えられなくなっていた女は


「すみませんが・・・」


席を立とうとした。
その時、部下が何か耳打ちをしていた。

部下が離れると、男はあるテーブルに視線をやるのが分かった。

女は上げかけた腰をどうしようか迷っていた。
このまま席を離れることもできるが、男が何を見ているのかにも興味があった。

それまで会話もせず、ただワインを飲んでいた男の目的がそこにあるような気がしたのだ。

しばらくそのテーブルを見ていた男は、大きくため息をつく。

そしておもむろに立ち上がると、隣に座っている部下と共にそれまで見ていたテーブルへと向かっていった。






「横井さんじゃないですか?」


前中は隣に座っている女性の胸を弄り、口元が緩んでいる男を上から見下ろしながら声をかける。
あくまでも笑顔を崩すことはない。


しかし、声を掛けられた方はそうはいかなかった。


突然目の前に現れた前中に今まで笑っていた顔は途端に強張り、顔色は赤から青へと変化していく。
それは明らかに前中の存在がそうしたのだと、よく見ていれば分かった。

横井の隣に座っている女性も敏感にその空気を読み取り、今まで大声で話していた状況が嘘のように黙る。


「こ、これは・・・・あの」


まず声を発したのは横井だった。
酔っているためだけではない、明らかに口調がたどたどしい。

そんな横井の態度や口調に気づいていそうだが、前中は一切そのことには触れることはなかった。


「たまたま来てみたら、横井さんがいらしてるのを拝見したので挨拶だけでもと・・・」

「そ、そうなんですか」


前中に横井と呼ばれた男はすぐに女性の胸から手を離す。
そして膝で握り拳を作るように置かれることになるが、その手が微かに震えている。

一緒に来ていた男はまだ気づいていないのか、隣にいる女性と戯れていた。


「部下の方と一緒なんですか?」


この一言で横井は何かに気づいたかのように、


「富田、遊びに来たんじゃないだろ」


と急に大声で怒鳴った。
その声に弾かれたように、富田と呼ばれた男は

「え・・・」

戸惑った声を上げると、上司の方を見る。
その上司の表情が明らかに違うことにようやく気付くと、女性から離れた。

そしてアルコールでぼんやりとしていた頭が前中の姿を確認すると、横井と同様に身体を強張らせる。

さっきとは違う雰囲気は女性陣にも伝わり、反射的に男から少し距離を開けることとなった。


「遊びに来たんじゃないんですか?」

「そ、そうです。今日は接待なんです」


横井はそう言うと、もう一人同じテーブルに座っている男の方に視線を向ける。


「そう、接待なんですか」


前中が富田の視線の先にいる男の方を見た。
そこには隣に座っている女性に迫られ、困った表情をしている男が一人。


前中はすでにその男が誰なのか知っていた。
写真でしか見たことがなかった男。

その写真の男がそこに存在している。


「こちらの方を?」


前中は分かっていたが、あえてそれを口にする。
すると、それまで自分は関係ないと思っていた男が突然話を振られたことに驚いたように前中を見た。


「はじめましてお目にかかります。私、こういうものです」


視線が合うと、さらに前中は笑みを深くしながら後ろに控えていた部下が差し出した名刺を受取り、それを男に渡す。


「代表・・・取締役・・・」


男は前中の手から名刺を受取ると、書かれている内容を口にした。

「すごい」

その後、ポツリと呟くが、それだけを言うと他は何も言葉を発することなく、ただ名刺を眺めている。
ぼんやりとしている男と対照的だったのは周りの女性陣だった。


「代表取締役っていったら社長さんってことじゃない?」

「そんなすごい人と知り合いなの?」


横井、富田の隣に座っていた女性陣はそれまでまで黙っていたのが嘘のように、前中の肩書きを聞くと騒ぎ始めた。
自分達をアピールするかのようにそれぞれが自分の名刺をバックから出してくる。

ところが、いつまで経っても名刺を眺めているだけで次の行動に移らない男に先に焦れたのは横井だった。


「御木さん、名刺ありますよね?」

「あぁ・・・はい」


そう言われて初めて御木は財布を取り出す。


「すみません。私、御木と言います」


前中は渡された御木と女性陣の名刺をチラッと見ると、すぐに部下に渡してしまう。


「私はこちらの会社とは懇意にさせていただいているんですよ」


御木は自分が渡した名刺の行方を視線で追いながらも、すぐに前中へと向き直る。
前中はそんな御木に対して、他の人間に対してもするように微笑みを返す。

すると、御木はすぐに下を向いてしまった。

まるで前中と顔を合わせたくないように・・・

今まで前中から人を拒絶することはあったとしても、人から拒絶されたことはなかった。
最初は好印象を与えておき、ジワジワと恐怖を与えていく。
それが前中のいつものパターンだった。

信頼していた人間に裏切られることが一番衝撃が大きく、人の心を崩していくことができる。
その瞬間の表情が前中は好きだった。

ところが、御木は他の人間が安心するような前中の笑顔を避けた。


「御木さん?」


思わず前中は御木の名前を呼ぶ。
呼ばれた御木は自分の名前に微かに身体を震わせる。

しかし、それだけで顔を上げることはない。

御木の隣に座っていた女が心配そうに状況を見ていた。
それほど御木の態度は変だった。

女の方は突然現れた前中の微笑みを疑っていない様子だった。


「御木さん、どうしたの?」

「いや・・・別に・・・」


女は御木の膝に手を置き、顔を覗き込むようにしている。

前中はそんな御木の態度に苛立ちを覚え、手を伸ばす。


「御木さん、具合でも悪いんですか?」


あくまでも心配しているんだという態度で、口元は頬笑みを崩さない。

しかし、肝心の御木の方といえば


「な、何もありません」


と明らかにおかしい態度で前中の手を避けるように腰をずらした。


そんな状況を見ていて、御木の態度を女以上に心配していた人物がいた。


「しゃ、社長・・・御木さんは急に社長のような凄い人に会って驚いているんですよ」


横井は必死に今の状況を前中に好意的に受け取ってもらおうと言葉を並べる。
そう言っても御木が顔を上げることはなかった。


「御木さん・・・?」


横井の言葉を無視するかのように、前中はもう一度御木に声を掛ける。
肩に手が触れると、御木はビクンと予想以上に反応を示す。

そして、急に立ち上がろうとした。


「キャッ」


その行動は誰にも予想できないことだった。

御木の膝が机にぶつかり、テーブルの上に置かれていた飲み物が倒れる。
グラスから零れた液体は御木だけではなく、隣に座っていた女性のドレスを濡らしてしまうことになった。


「あ・・・す、すみません」

「あー、やっちゃったー」


御木が謝る言葉は、横井の隣に座っていた女性の無神経な言葉にかき消されそうだった。


「かわいそう」


そして、富田の隣に座っていた女性は誰に対してなのか分からない同情の言葉を掛ける。
言葉を掛けるだけで誰も助けを出すことはない。

そんな状況で明らかに焦っている御木は視界に入ったお手拭きタオルを手するが、それを前中が制した。


「ダメですよ、濡れタオルで拭くとさらに被害が大きくなる」

「そ、そうか・・・えっと、じゃあ・・・」


御木はタオルを手に視線を泳がせている。
前中はそんな御木を尻目に、軽く手を上げると黒服を呼ぶ。


「飲み物をこぼしてしまったので、何か拭くものを」


黒服はテーブルの状況を見ると、一礼してその場を去っていく。
そして、すぐに乾いたタオルを2枚手に持って戻ってきた。


「ありがとう。さあ、これで少し叩くようにすればいいですよ」


前中は店員から受け取ったタオルを女性に渡す。

「ありがとうございます」

女性の方はそんな前中の態度に笑顔を見せる。
それは、さっきまで御木に対して浮かべていた笑顔とは少し意味合いが違うようだった。

「やさしー」

「ほんと、すごいスマートだよねー」

他の女性陣にも前中の対応は好印象を与えるものだった。
女性陣の言葉は、御木に対して嫌味を言っているようにも受け取れる。

御木は呆然と立ったまま、その状況を見ているしかなかった。


「社長、ありがとうございます」


そして、状況を把握し女性の次に声を掛けたのは横井だった。


「うわー、大人の対応って感じっすね」

「やっぱり、できる人はその対処も迅速ってことですね」

「すげー。俺もそんな風になりてー」


そんな横井の言葉に便乗する富田だったが、前中はそんな2人にはまったく視線を向けることはなかった。


「本当にすみません」


前中には小さく女性に謝る御木の声が聞こえた。
その言葉が女性に通じたかどうかは分からない。

ただ、


「たぶん、そんなに色があるような飲み物じゃなかったから大丈夫だと思いますよ」


と言った前中の声は確実に聞こえたようだった。


「良かったー。もうこれがきつい匂いのお酒だったら最悪だったー」

「ホント、良かったよねー」

「前中さんのおかげだよねー」


女性陣の言葉はある意味で御木を傷つける言葉だった。
さらに前中は御木との違いを見せつけるように、ポケットから財布を出す。
財布の中から数枚のお札を出すと、

「これでクリーニングをすれば色も、匂いも取れますよ」

そう言いながら女性に渡す。


「ありがとうございます」


女性はそのお札を喜んで受取る。
前中はそこまでした後、また御木の方を見た。

御木はただ前中のやり方を見ていただけだった。

そして、前中が御木を見ていると気付くとまた慌てて俯く。


”なぜ、私を見ない?”


前中は視線を逸らそうとする御木に苛立ちを覚えていた。
それに前中の行為は御木の為にもなったはずだった。

感謝こそされ、避けられることは前中にとってはあり得ない状況だった。


「御木・・・」


苛立つ心を無理に抑えつけながら、再び御木の名前を呼ぼうとした前中だった。


「すみません。今日はか、帰ります」


そんな前中の心を乱すように、御木はそう言うとソファに置いたままだった鞄を慌てて取ると


「あの、今日はありがとうございました。また機会があれば誘ってください」


と明らかな社交辞令の言葉を残し、店を後にした。







「しゃ、社長?」


御木がその場を去った後、前中はしばらく御木の出て行ったフロアを見ているしかなかった。

何も言葉を発しない御木に焦ったのはその場に残された横井と富田だった。


「あの・・・こんな展開になるとは思っていなくてですね」


横井は前中が怒っているのだと感じ、慌てて言い訳めいた言葉を口にする。
そして、横井と同じく富田も便乗するように言葉を並べ始める。


「またメールとかで呼び出しますよ。なんならこんな回りくどいやり方しないで、会社帰りに襲えばいいんだし」

「そう、それがいいですよ。確実に黙らせることができます。あんな奴の1人ぐらい・・・」

「善は急げと言うし、明日ぐらいにでも」

「そうだな、明日ぐらい・・・」


そこまで2人が話していると、前中がやっと2人の方を向く。


「あ、あの・・・」


誰が発した言葉だったのか分からない。

ただ、その時の前中の表情は見る者を凍らせるには十分な威力だった。
口元には相も変わらず笑みを浮かべているのに、それは明らかにさっきまでの雰囲気とは違っていた。


「あなた達の提案は悲しいぐらいに低レベルですね。これ以上、私を失望させないでください」


自分達2人がされたのが分かったが、何も言うことはできなかった。
その場に残っていた女性陣も前中の変化に驚いていたようだが、横井達と同じように何も言わなかった。


「今日はもう帰らせてもらいます」


そう前中が言うと、横井と富田も一斉に立ち上がるのだが


「見送りは結構ですよ」


とまた柔らかい微笑みを浮かべつつ、横井達に言葉を掛ける。


「私が勝手にお邪魔してしまったみたいなので、続きをどうぞ。好きなだけ遊んでくださいね」


前中はそれだけ言うと、あとは振り返らず店を後にしていった。
それから残された5人が心から楽しめたのかどうかは分からない。



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