嘘つきな彼 3


毎日同じリズムで送る生活は苦痛ではない。
というか、それが苦痛なのかどうかが分からないという方が正しい。

そんな毎日に今日は違うスケジュールが入った。

私にとってはそんなのは夏・冬と行われるイベントなどを除けば珍しいことだった。



数日前に間違って送られてきたメール。
それが今日、私が非日常的なスケジュールとしてここにいる原因となった。


送信先を間違っていることを知らせたメールは、私が考えていたよりも役立ったらしい。

相手は大切な交渉のメールだったと、私のお陰で改めて相手先に知らせることができた。
そして、その取引が失敗に終わらなくてすんだということだった。

そんな丁寧に返事を送ってくれるとは思っていなかったのだが、
さらに感謝とともにそのお礼にぜひ食事を御馳走したいとメールが送られてきた時は驚いた。

一人の人間として当たり前の行動をしただけだと、最初は断っていたが相手はぜひにと引かなかった。
どうしたものかと悩んだが、もし私が同じ立場だったらやはりお礼をと考えるだろうかと了承することにした。


”食べて帰ればいいだけだ。それに、それだけ良い行いをしたってことじゃないか”

そう思うことにして・・・




母親にもその日のうちに話をした。

「大切なお仕事だったなら、お礼をしたいという気持ちも分かるわ」

そう言って、いいことをしたんだからありがたくその申し出を受けなさいということだった。


母親からの言葉もあり、相手の好意を受け入れることに対して心が軽くなった。








そして、今日。
メール相手と会うことになった。


待ち合わせ場所は新宿駅東口。
時間は19時。


ところが、新宿駅といった人の多い所に普段行かない私は、あまりの人の多さにどこにいればいいのか分からなかった。
どこにいれば相手が見つけやすいのか分からず、切符の券売機の近くに立つ。

自分の立ち位置が決まれば次に気になってくるのは相手のことだ。
目の前を通り過ぎていく人を目で追いながら、待ち合わせの相手なのかそうでないのかを考える。


”メールの内容から何か取引をしているというのだから、貿易業?サラリーマンか?スーツを着ているのか?”


そう考えるとスーツを着ている人間ばかりが気になり、目で追う頻度も多くなる。

ただ私もそうだが、改札から出てくる人や目の前を通り過ぎていく人の大半はスーツを着ていた。


”これからこの人達は家に帰るのか、それとも私と同じように誰かと待ち合わせをして食事に行くのか”


そんなことを考えていると、待ち合わせの時間が気になってくるものだ。

さっきからも何度も時計を確認しているのだが、こうやって人を待っているとなぜか時間が過ぎるのが遅い錯覚に陥る。
時間の流れが変わることはないといいうのに、変なものだ。


腕時計を見ると、そろそろ19時になろうかという頃だった。


もうすぐだと思えばさらに人を見る目も真剣になってくるというものだ。


そして視線を彷徨わせていると、握りしめていた携帯が鳴る。
無機質な着信音。


駅に着いてからというもの、いつ連絡が入っても分かるようにと携帯を手にしていた。
鞄に入れていて、万が一着信音が聞こえなかったりしたらという不安からだ。

メールの受信を確認すると、相手も到着したとのことだった。
メールには電話番号も記載されており、電話して欲しいと・・・


相手も私がどんな人間なのか知らないのだということに気づき、急いで電話をかける。


「も、もしもし」

『もしもし』


お互い駅にいるのだから、周りの雑音が携帯を通して激しく聞こえてきた。
耳に携帯を思い切り当てながら、片方の耳を指で押さえるようにしてようやく聞こえてくる声。


『御木さん、ですよね?』

「あ、はい」


携帯を通して聞こえてきた声は私よりも多少若い印象がした。

私の名前は事前に教えていたし、相手の名前も聞いていた。


「富田(とみた)さんですか?」

『そうです。今、どこにいますか?』

「えっと・・・発券機のそばに」


そこまで言うと、相手にも伝わったのか


『あー、分かりました』


そういうと、プツンと通話が切れた。
相手には私が分かったのかもしれないが、私にはさっぱりだった。

再び視線を彷徨わせていると、

「御木さんですよね」

といくらも経たない間に声を掛けられた。





振り返れば、やはり私よりも若いスーツ姿の男が立っていた。







「先日は、本当にありがとうございました。
改めて自己紹介させていただきますが、私 ゴールド トレーディング オフィス の富田と申します」


そう言うと、彼は一枚の名刺を出してきた。


若そうに見えて、その話しぶりや態度は私よりも遥かに優れているように見える 。

私も名刺を出さなければと、慌ててポケットに入れてある財布を出す。
が、あまりに慌てていたために財布に挟まっていたレシートが数枚こぼれ落ちた。


私としては、そのことよりもほとんど人に渡す機会がない名刺を出すことで必死だった。


「遅れまして、私は・・・」


次に言う言葉が見つからなかった。

目の前で彼は親切にも私が落としてしまったレシートを拾ってくれていた。


”み、見られた”

”見られてしまった”


もう私の頭の中は半ばパニック状態だ。


「落としましたよ」


彼はそのレシートを私が開いたまま持っていた財布に置いてくれた。


”きっと彼はレシートに印字されている文字を見なかったのだろう”

”もしくは、その意味までは分からなかったんだ”


そう思うほか、私が平常心を取り戻すことはできなかった。
それに、彼が優しげに見える笑顔を保っていることが私の考えを肯定しているようなものだった。


”大丈夫、彼は分かっていない。
そうでなければ、普通に接してくれないはず・・・”


「ありがとう」


私はそれだけ言うと、レシートをあくまでもさりげなく財布にしまう。


そして改めて彼に名刺を渡す。


一通りの紹介が終われば、彼がリードを取ってくれた。


「御木さんはどこか行きたいお店とかありますか」

「いや、特に」

「じゃあ私達が決めた場所でいいですか」

そんな彼とのやり取りから、彼はきっと営業に向いているんだろうと考えてしまう。
こんな私にですら笑顔を崩すことなく接している、それがいい例だ。

それに、営業職では彼のように多少の強引さがあった方が成功するんだろう。

彼は私には持っていない才能を持っているようで・・・
社会で成功するのは彼のような人だろうと、つい卑屈になりそうになる。


と、私は彼の言動でふと疑問に感じたことを聞いてみた。


「あの、私達というのは?」

「あぁ、説明不足で申し訳ないです。実は私の上司もぜひ御木さんに一言お礼を ということで、失礼ながら先に店に・・・」

「そういうことですか、わざわざ・・・」

「いえ、本当に御木さんのお陰ですので。では、こちらです」


そうして案内されたのは駅から徒歩5分というところ、たしかこの先をもう少し歩けば有名な歌舞伎町へと続いていたかと思う。

テレビでしか見たことがない街。
今の私の生活スタイルから考えれば、おそらく決して足を踏み入れることがない歓楽街。

しかし、そのすぐ傍まで来ているというだけで何故か胸が騒ぐ。

そこに辿り着くまで、そこかしこでネオンが瞬き、夜空を彩る星の代わりのように、いやそれ以上の輝きを放、ち人々を誘っているからかもしれない。

私は富田に案内されるままにそのネオンの中をさ迷う。

ふと、このネオン街が私を受け入れてくれたのではないか、私もこのネオン街で他の人間と遜色なく存在しているのではないかと錯覚しそうだった。


「ここです」


そう案内されたのは全国的にもチェーン展開している有名な居酒屋だった。
私も会社の行事で年に数回は利用している。
この店の出し巻き卵が好きだったり・・・

私が店の前で立っている間にも彼は店の中へと進んでいく。


「あ・・・」


慌てて追いかけるように後をついて行けば、店員の元気な声が耳に飛び込んできた。

「「「いらっしゃいませー」」」

続けて富田が私を呼ぶ声が聞こえてくる。

「御木さん、こっちです」

「あ、はい」


富田が待つ席へと向かえば、そこには私よりも少し年配の男性が立っていた。
その年格好からも富田の上司だろうと分かる。


「富田、この方が?」

「はい、御木さんです」


富田が私のことを紹介している間、軽く会釈をするだけにとどめる。
そうしていると、富田が私の方を向き直り


「御木さん、上司の横井です」

「この度は本当にご迷惑をおかけいたしました」

「いえ、こちらこそ。今日はお呼ばれしていただいて・・・」


3人が3人とも立っている状態。
それを打ち破ったのはやはり、富田だった。


「堅苦しい挨拶はその辺で、座って注文しませんか?」






私はアルコールには免疫がないと言っていい。
そのため、富田が気を利かせて注文をしてくれたビールを1杯飲むだけで精いっぱいだった。

その分、料理を堪能したのだが・・・

富田とその上司の横井はアルコールが進む方らしい。

私が1杯飲む間にもすで空いているジョッキが3本ずつ、テーブルに並んでいる。

そして、アルコールが進めば話も弾んでいく。


「御木さん。この後、時間大丈夫ですか?」


横井がジョッキを片手に、私に問いかけてくる。
どう答えたものか迷うが、顔を真っ赤にしている横井に対して否と言えなかった。

「はぁ・・・」

富田はと言えば横井と同じような顔色で、「お姉ちゃんもう1杯〜」と叫んでいる。

この2人をそのままに、断ることもできないだろう。

「この後、いいとこ紹介しますから。期待して下さいよ!」

「はぁ・・・」

私の答えで横井はすでに良しと思ったのだろう、

「富田。お前、次行くぞ!」

「え・・・俺、今頼んだばっか・・・」

「次のとこで飲めばいいだろ!」

「・・・うっす」

2人のやり取りを見ていると、まるで体育会系だと思う。
もともとが文科系の私には別世界のようだった。


すぐに横井は店員を呼び会計を済ませると、店を後にする。


2人が前を行く。

私はそんな2人の後姿を見ながら、これからどんな場所に行くのか全く想像つかなかった。


歩けば歩くほど周りはピンクやブルー、蛍光色の強いネオンが目に痛い。
店の前には看板を片手に持った若い男や、少し年配の男性が立っていて、道行く人を誘っている。
しかも、店は地下へと続いていることが多いのか誘われる人間が何人も階段を下っていくのが分かった。


「お兄さん、綺麗な子が多いよ」

「5000円ポッキリだよ」

「本物の女子高生が、イイことしてくれるよ」


様々な誘い文句で男を誘っているが、私にはそんな直接的な誘いは戸惑うばかりだ。

2人を見失わないように、追いかけると1軒のビルへと入って行くのが見えた。
彼らは私が付いてきているとか、変な客引きに捕まっていないか、という心配する気持ちを忘れているのかもしれない。
アルコールというのは普段からのの判断力を低下させるというのだから、2人の態度が仕方がないことだと納得できる。

2人が入って行ったビルは他の店と同じように地下へと続く階段があった。
キラキラと目に眩しい店の入り口、そして店内に入るまでの階段の壁には店の女の子の写真が所狭しと飾られている。

どの子も可愛いのかもしれないが、髪型も流行りのモノでメイクも似た感じで・・・本当に可愛い子がどの子なのか正直分からない。


「御木さーん、遅いじゃないですかー」

「す、すみません」


2人はようやく私が追いついたのを確認すると、店員に案内されるままに店内へと吸い込まれていく。

あんなに店の表部分はキラキラしているのに、店の中は想像していたよりもシックだった。
もっと目に眩しい装飾があるのかと思いきや、店内は薄暗いほどだった。

それが店内を歩いている女性をより一層華やかに見せる演出だとすぐに分かる。

女性はそれぞれに肌を露出させ、色とりどりのドレスを身にまとっている。


「こっちですよー」


呼ばれるままに2人のもとへ行けば、すでに女性が3人、席に座っていた。
いつの間に呼んだのか・・・それとも店のシステムがそういう風になっているのか・・・

女性はそれぞれ男性の間に座っている。

「御木さん、好みの子がいたらドンドン呼んじゃってくださいね」

「はぁ・・・・」


2人はここでもアルコールを好んで注文していた。
私はもうアルコールは遠慮したい気分だったので、どうしたものかと困っていた。


「アルコールは苦手?」


ふと、いい香りが左側から漂ってくる。
私の隣には黒い髪をアップにまとめ、胸を強調するように大きく開いたピンクのドレスを着た女性が座っていた。

「え・・・」

「ウーロン茶飲みます?」

「あ・・・はい」

彼女はニッコリと微笑むと、通りかかった店員に注文している。
その後は、私の膝に軽く手を置きながら

「サオリです。お名前聞いてもいいですか?」

と聞いてきた。


それからどれぐらい経ったのか・・・・
私はウーロン茶を2杯飲み、サオリという名前の女性と取り留めのない話をしていた。


私の名前に年齢、勤め先、家族と同居していることや、今日は富田達に誘われて来たこと。

彼女が本当に私のことに興味があるのかは分からないが、彼女に聞かれるままに話をした。


「へー、御木さんってこんなキャバに来るの初めてなんだ」

「・・・・そう」

「じゃ、私が御木さんの初体験を貰っちゃったんだね」

「え・・・・」


サオリは屈託のない笑顔で、私にその身体を摺り寄せてきていた。

私は視線をどこに向ければいいのか分からない。
富田達に助けを求めようと視線を移せば、富田達はそれぞれの女性のドレスの中に手を忍ばせていたりしていた。


「プラス1万円でお触りできるんだよ」


サオリは目の前の光景に驚いている私にこっそりと教えてくれた。

「あの・・・私は・・・」

すでに私のキャパを超えていた。
きっと、時刻はすでに深夜に近い時間だろう。

時計を確認する気持ちの余裕もないままに、私は居心地が悪くなってきた。


帰りたいという気持ちのまま、席を立ちかけたところで席に影ができた。
俯き加減だった私の視界に2人の人間の靴が入ってきた。




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