嘘つきな彼 14
前中は、オドオドとした態度の御木を不思議なほどに落ち着いて見ていた。
いや、微笑ましいとさえ感じていた。
今までの前中であるなら、怯えた表情以外には心動かされることはなかった。
さらに御木のとる態度に嫌悪感すら感じるような人間だっただろう。
”これも惚れた欲目というものでしょうか”
前中自身ですら不思議だと思う感情であったが、それを『惚れた欲目』の一言で片付けてしまう。
そして御木の態度を微笑みながら眺める。
ホテルというだけで緊張している様子の御木は、レストランに入るとさらにその緊張の度合いを増したようだ。
席へとエスコートされる途中、何かを話しかけられるが
「いえ・・・や、そうですね・・・・」
といった当たり障りのない返事をするだけに止まっている。
しかも、決して顔を上げようとしない。
ホテルのギャルソンはよく教育されているため、感情がそのまま表情に出ることはない。
が、もしその心の内を見られるのであれば、確実に御木は要注意人物としてブラックリストに挙げられていたことだろう。
そんな御木がましてや笑顔で迎えられ、声を掛けてもらえる。
ひとえに前中がそこに存在しているからだというのが、御木の少し前を歩く前中と支配人らしい人間が話している様子で分かる。
「かなりの人見知りなんです」
「さようでございますか」
支配人とギャルソンは前中の言葉にそれ以上余計なことは言わず、2人を個室へと案内する。
御木は前中のフォローに感謝をしながらも、どうしても顔を上げることができなかった。
前中はと言えば
”そうやって俯いていればいい。私以外に顔を見せる必要もないし、誰にでも尻尾を振られるよりはいい”
と御木の人が眉を顰めるような態度を反対に歓迎している節があった。
席に着くと、タイミング良くソムリエが席へとやって来た。
「前中様、お久しぶりです」
「どうも」
ソムリエはワインリストを前中、そして御木へという順番で渡す。
普通であればどんなワインがいいとアドバイスをすることもある立場であるが、前中の場合はそれを必要とはしなかった。
控えていたギャルソンもその点においては心得ており、
「本日は魚は真鯛、肉が子牛がメインの予定です」
と食材の説明だけを行う。
食事は事前に秘書が『シェフのお任せで』と予約していたため、その食材に合わせた飲み物を頼むだけで良かった。
「良隆さん、何がいいですか」
前中は渡されたワインリストを穴が開くほど真剣に見つめている御木を見つめる。
”そんなに必死になって・・・”
御木があまりアルコールをとらないのは前から知っている。
ただ、自分の置かれた状況にワインを飲まなくてはという使命感に駆られているのは誰の目にも明らかだった。
「えっと・・・ワイン、ワインを・・・」
どのワインを選べばいいのか分からないままに、御木はリストの1番上に乗っているワインの銘柄を指す。
ソムリエは御木の態度を笑顔で見守り、
「こちらでよろしいですか」
と恥をかかせない程度の受け答えをする。
その御木のなかば必死な態度を十分堪能した前中は
「良隆さん、無理にワインを頼む必要はないんですよ」
「え・・・」
「分かりにくいかもしれませんが、ソフトドリンクの欄もありますから」
前中はそう言うとメニューの最後の段を御木に見えるようにして示す。
普通の感覚ならば、もっと早く教えろと怒ってもいいような場面だ。
しかし、御木は前中の言葉を聞くと、明らかにホッとした表情を見せた。
雰囲気に飲まれていた御木は、前中の優しい言葉といつもと変わらない表情にやっと落ち着いたというところだろう。
「そうなんですか。私、何も知らなくて・・・すみません」
「いいんですよ。分かりにくいところに書いているから、気づかなくても仕方ないですよ」
御木はまた会釈程度に頭を下げる。
そんな御木の態度に前中は好感を抱きながら、
「じゃあ、改めて好きなものを選んでくださいね」
と言葉を掛ける。
「は、はい・・・」
よくメニューを見れば、御木でもなんとなく分かる英語が並んでいた。
「じゃあ、グレープフルーツジュースを・・・」
「私はラトゥールをお願いします」
「今日は1978年物が入っていますが」
「それで」
御木は前中が何を頼んだのか分からなかった。
ワインの名前も知らないまま、ただ淀みなく注文していく前中に見とれているばかり。
そんな御木の視線や、視線の意味に気づいている前中だったが
「興味があれば後で味見していいですよ」
と前中はにっこりと微笑みを浮かべながら、わざと違うことを話す。
「あ・・・いや・・・」
御木はそんな自分に顔を赤らめ、料理が運ばれてくるまで俯いたまま。
「こちら、本日の前菜でございます」
声と共に食事が運ばれてくると、ようやく御木は顔を上げる。
そして、色とりどりの料理たちに目を奪われた。
「綺麗・・・」
「良隆さん。見ていてもお腹は大きくなりませんよ」
「あ、はい」
前中に促されるようにして料理を口に含めば、それは御木の舌をも楽しませた。
料理も美味しければ、自然と会話も進み始める。
「良隆さん、今度は昼間に会いましょうね」
「はい・・・」
「もし見たい映画があれば一緒に見に行きましょう」
「映画・・・」
「もし映画じゃなく、買い物に行きたいというのでもお付き合いしますから」
「そんな、買い物なんて・・・」
御木はアルコールを飲んでいない状態にも関わらず、食事中ずっと顔が赤かった。
「良隆さん」
「はい」
食事はほとんど終わりを迎え、2人はコーヒーを飲んでいた。
「良隆さん、実は・・・」
「ま、前中さん」
前中の言葉を遮るように御木が言葉を挟む。
”今さら逃げようなんて考えている?”
”そんなこと・・・無駄な抵抗ですよ”
「この間のお話なんですが・・・」
「良隆さん、待ってください」
「え・・・」
「もう一度、きちんと私の気持ちを言わせてください」
”ここでもう一押し、真摯な態度で話をすることで・・・”
前中は自信があると思いながらも、1%の『もしも』の可能性に無意識ながら不安を覚えていた。
その不安を打ち消す為に前中は言葉を重ねていく。
「良隆さん」
「は、はい」
「いつからとはっきり言えません。
ただ、いつの間にかあなたのことを恋愛感情を含んだ気持ちで見ていました」
「ま、前中さん」
「最初は自分の気持ちに戸惑いました。同性である良隆さんをそういう対象として見ている自分に」
前中の言葉に御木が息を呑むのが分かる。
「でも、今まで良隆さん以上に気になった人はいないんです」
前中は御木の目を正面から捕らえたまま、ゆっくりとした口調で話した。
そして、御木は前中の言葉に何かを口にすることはなく、何度か唾を飲み込む仕草を見せた。
前中を見つめる目は少し赤みがかり、光の加減で潤んでいるようにも映る。
「良隆さん、もし私の気持ちを少しでも受け入れてくださるのなら」
そこまで前中が言うと、スッとテーブルに1枚のカードが置かれた。
「もし受け入れてくださるなら、このカードを受け取ってください」
「これは・・・」
何も書かれていないように見えるただの金色のカード。
御木の目はカードに釘付けになった。
”これを受け取った時点でゲームセット”
”もう私から逃げられませんし、逃がしません”
「このホテルのルームキーです」
「ルームキーって・・・」
「良隆さんが選んでください」
2人の間には沈黙が流れる。
御木はその間にも様々な表情を前中に見せた。
驚き、その中にも喜びの表情も垣間見えた。
そして、戸惑い。
前中は心の中ではその表情を楽しんでいた。
ただ、御木に見せる表情は違う。
御木の答えに不安がっているように、困った顔を見せる。
どれほどの時間そうしていたのか、2人にも分からなかったが、ついに御木が口を開く
「あの・・・」
「はい」
「あの、わ、私は前中さんに比べればおじさんです」
御木は言いながら、どんどん顔を下げていく。
「それでも・・・いいんですか」
「はい」
前中は微笑みを浮かべながら、テーブルの上で組まれた御木の手にそっと触れる。
御木は驚いたように手を震わせるが、前中の手を払いのけようとはしなかった。
「わ、私は前中さんみたいに会社を経営するような優れた人間ではないです。
いや、むしろ会社では窓際族一歩手前なぐらいです」
「はい」
「そ、それに、私は人付き合いが苦手です」
「私とだけ、親しくしてくれればいいです」
「え・・・。あ、あと根暗ですし、そんなに楽しい話もできません」
「じゃあ、私が良隆さんの分まで話してあげます」
それまでは穏やかに御木の話を聞いていた前中だったが、
「で、でも・・・すぐに前中さんは私のことを嫌いになるかもしれません」
そう御木が言った瞬間、
「良隆さん、それはないですよ」
と即答で否定をした。
「え・・・でも・・・」
「まだまだ知り合って短い時間ですが、私は良隆さんを嫌いにならない自信があります」
前中はそう言いながら、触れていただけの御木の手に力を込める。
そして、微笑みながら
「むしろ、良隆さんが私から逃げたいと思うようになると思います」
と話す。
すると
「そんなことない・・・です」
「え・・・」
今度は御木が前中の言葉を勢いよく否定する番だった。
御木自身はそんな自分に言葉を発した後で驚き、同時に恥ずかしくなった様子でせっかく上げた顔も再び下を向いてしまう。
ただ、御木は俯きながらも
「絶対に前中さんの方が・・・」
と小さく呟いていた。
そんな御木の様子に、前中は見られていないことが分かっていて、うっすらと人の悪い笑みを浮かべる。
御木に見られないように一瞬だけ。
当然、御木は前中のそんな表情を知らない。
「じゃあ、なおさら良隆さんにはこのルームキーを受け取ってもらいましょう」
前中はそう言うと、ルームキーを御木の手に握らせる。
驚いた御木は顔を上げる。
そして、笑顔を浮かべながらも欲望の目を隠そうとしない前中を見てしまう。
「前中さん・・・」
「部屋で証明してあげます」
「は・・・」
前中の言葉に御木は固まっている。
「それでお互いのことが嫌にならなければ・・・」
「ならなければ・・・」
そんな御木に前中は笑顔で、
「正式にお付き合いしてください」
と言った。
「・・・・」
当然ながら御木は何を言うでもなく固まったまま。
「良隆さん」
「え・・・、あ・・・・」
「良隆さん、いいですよね」
最後は押し切られる形で、御木は頷いてしまった。
それから、前中は御木に考える余裕を持たそうとはしなかった。
今の混乱状態のままに全てを進めていくつもりだった。
「さあ、良隆さん。行きましょうか」
前中は御木の手を取ると、席から立たせる。
「あ・・・あの・・・」
「気にしないでください、私がしたいだけですから」
「でも・・・」
御木が戸惑うことを分かっていながら、前中は腰に手を回す。
「ありがとうございました」
「美味しかったです。また・・・」
「それは良かったです。またのご来店をお待ちしております」
前中は何も気にした風もなく、ギャルソンに声を掛ける。
傍らにいる御木は顔も上げられない始末。
「ま、前中さん」
店を出てからも腰に腕を回したままの前中に、御木の方が焦る。
そんな御木とは対照的に飄々とした態度で前中は御木を離すことなく、エレベーターホールへと進んでいく。
”せっかく手に入れたものを見せびらかしたくなるなんて・・・・”
まるで子供のようだ、と前中は笑いをかみ殺していた。
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