嘘つきな彼 12

前中はすでにアパート近くまで来ていた。
そして、御木が飛び出してくるのも車中から見届ける。

すぐに追いかけることはしなかった。
御木が戻って来ないことを確かめると、ようやく車から降りる。

御木が飛び出してきたのを見ていたお陰で、部屋を間違えることもない。


「あの青年が持っていた住所ともピッタリですね」


前中が車を降りるのと同時に、控えていた人間が前中へと近づく。
それを肌で感じながら、誰に言うともなく呟いた。

素人の人間を使い、御木を誘拐しようとしていた場所は部下によって特定されていた。

前中は、まさにその場に立っているということになる。


もしものことを想定し、前中は男達の中心に位置しながら歩く。


先頭になり歩いていた人間がアパートの扉をノックすることなく開く。

アパートの中では、中年の男が1人縛られた状態で床に転がされている。
そして、男を囲むように4人の人間が立っていた。

その4人でさえ入って来た集団を目にした途端、その男から離れた。


ただ1人を除いて。


「お待ちしてました」


その男、富田は前中に揉み手をしそうな勢いで近寄って来る。


「この通り、捕まえておきました」

「どうも」


前中は笑顔のままで、そんな前中の表情をどう捉えたのか富田も笑顔で話し続けた。


「これで俺は・・・」

「そうですね」

「へへ・・・」

「苦しむことなく、いかせてあげます」

「え・・・・?」


前中の言葉を聞いた富田は、喜んだ表情のまま固まってしまう。

それまで富田に賛同し、それまでの上司といえる人間を縛ったりした人間達も身動きひとつしない。
富田と同じく固まってしまったというのが正しいだろうか。


「さ、さっきと話が違う」

「話?私はそんな話をした覚えはないんですが」

「そんな・・・」


富田と前中のやり取りをそこにいる人間全てが固唾を飲んで見守っている。

誰に付けば一番有利なのか、判断しようという考えだ。


「私はただ、あの人を逃がしてくれれば嬉しいと言っただけだと記憶しているんですが」

「で、でも」

「その後あなたが勝手に自分の命を助けてくれるのか、自分を上に上げて欲しいと言っていたのを聞いていただけだったと思いますが」


富田は呆然と車の中での会話を反芻していた。


『あの、もしこいつを逃がしてやったら、お、俺の命は助けてもらえますか』

『さあ』

『そ、そうだ、兄貴も渡すんで・・・で、その後は俺を・・・』


言われてみれば、その後前中が言ったのは、


『いずれにせよ、私はあの人が無事に手元に戻ることを心から祈ってます』


ということだけ。

それが富田の言葉に対する答えかと言われれば、否としか言いようがない。

富田は前中と取引したつもりでいたが、それは自分の妄想のようなものだったと思い知らされる。


「さて、私はあなたにあの人について忠告したはずです」


前中はいまだに固まったままの富田から視線を外すと、床に転がされている男を見やる。


「だから、だから私達は社長の手を煩わせてはいけないと思い、必死であいつを・・・」

「はー、どうやら私とあなたとの間で認識の違いがあったみたいですね」

「認識?」

「私は前に言った筈です、もうあの人のには関わらないでくださいと」


そこまで言ったところで、富田が目に涙を浮かべながら前中に縋りついた。


「お、俺はあいつを逃がしてやったんだ。だから、殺さないでください」


前中はそんな富田に微笑み、見下ろしながら、


「あの人を逃がしてやったですか?別にあなたに逃がして貰わなくても、私が助け出しました。

いや、むしろその方があの人の意識に強烈に私といい存在を印象づけられたでしょうね」


そこで前中は一呼吸置くと、


「じゃあ、あなたは私の邪魔をしたことになりますね。やっぱり死んでください」


前中の容赦ない、そして決定的な言葉。
それを聞いた、富田は


「いや、嫌だ・・・た、助けてくれよ」


と周りの人間に助けを求め始める。

しかし、誰1人として富田を助けようとする人間はいなかった。

富田はその場から逃げようと窓へと走り出そうとするが、足が上手く前に進まず、絡まり、その場に転がる。


「逃げようなんて、甘いですよ」


前中がそう言うと、 控えていた人間が富田を確保する。


「離せ、離せよ!」


捕らえられた富田にはまだ暴れる気力は残っていたらしい。
そのまま前中の前に引きずり出される。


「私はあなたに1つだけ感謝しているんですよ」

「感謝?」

「あなたが無能だったからこそ、あの人に出会えました。

でも、そんなラッキーは奇跡に近いんですよ。

私はそんな奇跡に感謝していますが、無能な人間はいらないんです」


前中はもう言うことはないとでも言うように、富田を捕まえている人間に、


「処理はいつも通りでお願いしますね」


とだけ伝える。

もうその時には富田も抵抗することもなかった。


「さて、あなたの処分についてですが・・・どんなものが、お好みですか?」


前中は笑顔だった。
笑顔のまま、自分の死に方を選ばせようとしていた。

ただ、やはり少しでもヤクザとして修羅場を経験したことがある男の横井は、泣きもしなければ命乞いをすることもなかった。
ここで富田のように無様に命乞いをする人間だったなら、少しは楽に死ねたかもしれない。

泣きも叫びもしない、そんな横井を見ていると前中は楽しみが半減するような気持ちになる。

人が嫌がることを強制する。

それこそが前中が良しとする行為だった。

「あなたには何がいいんでしょうね」

前中は暫く思案した後、


「そうだ、あなたにぴったりな仕事がありました」

「仕事ですか?」

「そうです。ちょうどある方から、1人、人間を見繕って欲しいという依頼があったんです。
まあその人に可愛がって貰ってください」

「可愛がってって・・・ど、どういう意味・・・」

「それは行ってからのお楽しみです。あなたに選択権はないんですよ。さあ、彼に目隠しを」


前中の言葉と共に、止まっていた時間が動き始める。


横井は目隠しをされた状態で運び出された。

そして、前中はその場に残された人間達に向かって、


「お邪魔しました」


とだけ言うと、アパートを後にした。



アパートを出ると、秘書が近くまでやって来る。


「社長」

「あれは丸井さんにリボンでも付けて贈ってあげてください」


秘書は前中の言葉に意見はしないものの、心の中では恐怖すら感じていた。

話に出てきた丸井という人物は嗜虐趣味の人間であり、それも人の体を実験的に改造していくのだ。
そのため、相手をする人間の精神が壊れるのが先か、身体が先かと言うほどだ。


丸井に捧げられた人間が社会に再び戻ってきたという話はない。


「まあ、上手く行けば暫くは生きていられるでしょうね」


前中は車に乗り込みながら楽しそうに話す。

秘書は運転席に乗り込むとゆっくりとアクセルに力を入れる。

これからの行き先は聞かずとも決まっていた。

そんなに走らせることなく、部下の報告通りに目的の人間は見つかった。

車を近づければ自分を追ってきた人間達だと勘違いしているのか、小走りに逃げようとする。


「停めてください」


前中が後部座席から声を掛ける。

すると、運転していた秘書は慌てて車を停める。

急なことだったのでいつもより乱暴な停め方になってしまったが、今の前中は何も言わない。

車が停まると同時にドアを開けると、


「御木さん」


と逃げる御木に声を掛ける。

「良隆さん」

聞こえないかもしれないと思った前中はその後も何度か名前を呼ぶ。


「良隆さん」

「良隆さん、待ってください」


ようやく前中の言葉が通じたのか、御木の足が止まった。

そしてゆっくりと振り返ると、


「ま、前中さん」


と呟く声が聞こえた。


「良隆さん、やっと見つけた」

「もしかして、私を探してくれてたんですか?」


前中は御木の声が震えていることに気づいた。


「そうです。電話した時知らない人間が出て、良隆さんに何かあったんだと思って」

「あ、携帯」

「携帯がどうしたんですか?」


前中は御木に近づきながらも会話を続ける。


「携帯が壊れてしまって・・・もう、前中さんと連絡が取れないと思ってました」


前中は御木の前までたどり着くと、


「携帯、見せてください」


と、手を差し出す。

すると、御木は声と同様に手も震わせながらポケットから携帯の残骸を差し出す。

受け取った前中はすぐに電源カバーを外し、中を確かめる。


「大丈夫ですよ」


前中は微笑みを浮かべると、


「見てください、この中にカード見えますよね。
たしか、これが生きていれば新しい携帯にデータを移せると思うんです」

「え。そうなんですか?」

「でも、確かじゃないですよ。
もしダメでも、また私が登録し直しますから」


前中の言葉を理解するのに時間が掛かった御木だが、


「また、電話してきてくれますか?」

「私の方こそまた電話させて貰ってもいいですか?」


前中の言葉に照れた顔を隠すように御木は俯く。
しかし、前中の言葉に答えるようにしっかりと頷いていた。


「それじゃ、お家まで送っていきます」

「え、そんな・・・」

「帰りながら色々話を聞かせてください」


御木は少し迷っていた感じもあるが、また襲われることを考えたのか、


「じゃあ、よろしくお願いします」


と素直に応じた。









「本当に、良隆さんが逃げ出せて良かったです」


車中、前中は御木に今日の出来事を聞き出した上でそんな感想を述べた。

それも、前中は御木と向かい合うように座り、さり気なく手を握りしめている。
御木は顔を真っ赤にしながら、喋ることよりも握られた手を見つめ続けていた。


「そうだ良隆さん、明日にでも一緒に携帯を買いに行きませんか?」

「あ、明日ですか?」

「週末よりは早くなりましたが、その後一緒に食べに行きましょう」


手を握り締めたまま、前中は御木が断ることがないと確信していた。

御木は前中の言葉に驚き、一瞬顔を上げた。
しかし、それよりも触れあった手が気になるようですぐに視線を戻す。


「社長、そろそろ」


タイミングがいいのか、悪いのか、車は御木の家にほどなく到着するところだった。

その声に前中よりも御木が反応示す。

前中の誘いに対しての返事をするのを忘れたまま、前中から自分の手を奪い返すような仕草を見せる。


「家まで送ってくれて、ありがとうございました。助かりました」


御木はそう言うと手だけではなく、前中から体を離そうとした。
まさかその行為が秘かに前中の機嫌を悪くしたなどとは考えもしない。


「良隆さん」



「え・・・・」




前中はそんな御木の身体を強引に引き寄せると、驚いた形のままで開いていた唇に自分のそれを重ね合わせた。





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