嘘つきな彼 11

携帯電話をどうしてマナーモードに設定していなかったんだろう。

今更ながらに後悔するけれど、普段からそんなことをしないのだから仕方ないとすぐに諦める。



すぐに携帯を奪われ、今私の携帯は彼が手にしている。



彼が電話で何を話しているのかは分からない。
電話の相手が誰なのかは分かっている。
たぶん、前中さんだろう。

ただ私はひたすら祈ることしかできなかった。

異変に前中さんが気づき、通報してくれるなり何かしてくれることを・・・

でも、今の状況は前の時とは違う。

それも頭で理解しているはずだった。
あの時は前中さんもいる前で起こったこと。

今の私は車に乗せられ、どこへ向かっているのか分からない。

それでも私は祈ることを止められなかった。


自分で逃げようと、いくらドアを開けようとしてもできない。
窓も開かない。
外に向かって窓を叩いてみるけれど、スモークが貼られているから誰も気づいてはくれない。


彼が話しているのを横目に、いろいろとしてみるが成功することはなかった。

そして、パキッという音に驚いて前を向く。

すると、それまで携帯で話していたはずの彼が私の携帯を折っていた。

私の携帯電話。

彼の手に握られた、残骸と化してしまった携帯を呆然と見ているしかなかった。


”もう前中さん連絡を取り合うことができない”


そう考えると、自分が予想していた以上にショックは大きかった。


「私は、どうなるんでしょうか・・・」


逃げることも出来ず、唯一の助けを呼ぶ道具まで失くしてしまった。

全てを諦めてしまえば、気持ちはいくらか穏やかなものになった。


しかし、そんな私とは反対に


「うるせーな、あんたは黙ってればいいだんよ!」


と運転を再開させた彼は興奮している。

そう言われてしまえば私は口を閉ざすしかない。
窓の外を見ても、もう今どこを走っているのか分からない。

ぼんやりと外を見ていると、再び携帯の着信音が車内に響き渡る。

それは彼の携帯のようで、彼は慌てた様子で電話に出た。
そして、興奮状態のまま

「兄貴、やったぜ。捕まえた」

半分叫びながら会話を進めていく。

興奮したまま話し続ける彼の声が私の耳に届いても、相手の声までは聞こえない。

「分かった。もう少しでそっちに着く」

ほんの少しのやり取りで、彼は通話を終えた。


彼の言葉からもうすぐ目的地に到着するのだということだけは分かった。
でも、分かったからと言ってそれが何になるんだろう。

私は捕われたまま。
全く状況は好転する気配はない。





それから15分、急に車は止まった。





窓から外を見る限り、変な場所ではないようだった。
住宅街ではないらしいが、だからといってドラマで見るような工場地帯でもない。

運転席の彼がまず車を降りる。

私はそれを確認して、助手席に放置されたままの・・・携帯の残骸を手にした。


”これは使えないんだな・・・”


携帯が壊されただけだというのに涙が出てきそうになる。

私は急いでそれらをポケットに入れる。
それと同時に、後部座席のドアが開いた。


「降りろ」


彼は私の腕を乱暴に掴むと、私は半ば引きずるように車から降ろされた。


「帰してください」


無駄なことだと分かっていたけれど、試しに言ってみる。

私の声がいくら小さくても聞こえているはずなのに、彼は黙ったまま。
腕を引っ張られ、私は足を前へと出すしかない。

数メートル先には何の違和感もない、ただの2階建てアパートが見えた。

彼はそこへと向かっているようだった。


1階、一番奥の部屋。


何の表札もない、木製の扉を彼が開ける。

そこは思ったよりも広い空間になっていた。
まるで2つの部屋を合体させたみたいな広さ。

そして、部屋の中には怖そうな顔をした人間が4人いた。

目が合いそうになり、私は慌てて俯く。

もしかして本当は部屋の中にもっと人間がいるのかもしれないが、俯いた私には彼らの足しか見えなかった。
私の視界で見える範囲では足の数は8本。

他の人間がいるかどうか、それを確認する勇気は当然だが・・・ない。


「兄貴、連れてきました」


背中をドンと押され、私は前のめりの態勢になりながらも辛うじてつまずくことはなかった。


「久しぶりだね、御木さん」


私にはその声に聞き覚えがあった。
俯いてばかりの顔を少しばかり上げれば、そこには富田の上司と名乗った顔があった。


”名前・・・・名前はなんだった”


「あの・・・」

「何だ、驚いて声が出ないの?それとも怖いのか?」

「え・・・」

「御木さん、あんたも困った人だね。あれから何度も誘ったのに応えてくれない」

「そ・・・」

「おまけにメールや電話にも出てくれないんじゃ、こういう手を使うしかないんだよね」


私は捲し立てるように言う男の言葉に何も返せなかった。
男の顔を見るのも嫌で、俯くことしかできなかった。


「それに、前中社長とどんな仲なんだ?」

「ど、どんな・・・・って」


前中さんの名前につい反応してしまい、一瞬顔を上げてしまう。
そこで男の顔を見ることになったけれど、その薄ら笑いに嫌悪を感じた。


「まあ、どんな仲でもいいや。きっと社長は社長で何か考えがあったんだろうが・・・」

「か・・・んがえ」

「俺達はあんたに知られたくないことを知られてるってことには変わりはないわけだ」

「それは・・・」

「あんたは気づいてないみたいだが、いずれ気づくかもしれない。
そんなことがないように、保険を掛けておく必要があるわけだ」

「私には何のことを言われているのか・・・」

「あんたの携帯、貸してもらおうか」


私の言葉は相手に通じないのだろうか。
どれだけ私が話をしても会話が成立していないように感じた。

ただ私に理解できたのは、目の前にいる男が私の携帯を奪おうとしていることだ。


壊れてしまった携帯。


それにどれほどの価値があるわけでもない。


それでも私はとっさに


”渡したくはない。渡せない”

と思った。

もう使えなかったとしても、それがないと全てがなかったことになりそうで・・・悲しかった。


「携帯は・・・壊れました」

「壊れたぁ?」

「だから、もう使えないし・・・」


私の言葉を理解してくれているかは分からなかった。

壊した犯人でもある彼は何も言ってくれない。


「そうか、壊れたか・・・」

「だから・・・」

「壊れたならこっちも都合いい」

「それじゃあ・・・」

「その壊れた携帯を渡してもらおうか」

「え・・・ど、どうして」

「どうしてって・・・あのなぁ、尻拭いができたっていうちゃんとした証拠を見たいってもんだろ」

「で、でも・・・」


私はポケットの中に携帯が入っていることを悟られまいと、再び俯き表情を悟られないようにする。


「おい」


そんな私の抵抗はほとんど無意味で、男が命令する声が聞こえた。
男の傍で控えていた人間がその声を合図に動き始めるのが分かった。

逃げる間もなく、私の腕が両脇から拘束される。


「止めてください・・・」

「出すのが嫌なら、勝手に探させてもらう」


その言葉と共に、ポケットに男の手が入れられる。


「嫌、嫌です・・・・止めてください・・・・」


私の声は虚しく部屋にこだました。

携帯が入っているのは上着の内ポケット。


「ココだな」


外から触られると明らかにそこに何かあると知らせてしまう。


”盗られてしまう”


そう思った時だった。


「その手を離せ」


急に聞こえてきた声は、興奮しているのが分かる位に震えていた。


「お、お前」


今まさに私の上着に手を入れようとしていたはずの男の声が重なって聞こえる。

訳が分からないまま顔を上げる。
確かに私を攫ってきたはずの彼が、兄貴と呼んでいた男の首もとにナイフを当てていた。


「どういうことだ」


私にもどういうことか分からない。


「お前ら、今ここでそいつの腕から手を離せ」

「お、お前ら、この裏切り者をどうにかしろ」

「ふん。悪いが、俺は取引したんだ」

「取引だぁ!?
もとはお前が失敗したからこうなったんだろうが!」

「ふん、でもあの方は許してくれるってよ」

「な、なんだと」

「ただ、それには条件があるんだよ」

「まさか、それがこれか・・・」

「ああそうだ。もうすぐあの方も来る」

「な・・・」


彼は男の首にナイフを当てたまま、私を拘束している人間を見る。
その顔は明らかに高揚している。

兄貴と呼んでいたことからも、彼は男の下に位置していたんだろう。

それが今、立場が逆転したも同じだった。

その優越感もあるんだろう。


「お前等もどうすればいいか分かってるだろ」


彼が言い終わると、私の腕はすぐに解放された。


”今しかない”


考える余裕はなかった。


自由になったことを脳が理解する前に身体が反応を示す。
私は身体を翻すと、傍にあった扉に手を掛ける。


「あ、お前・・・」


そこにいた人間は私が逃げるのを止めることができなかった。

一触即発。

扉が閉まる前、

「格上げもしてくれるって、あの人が言ってくれてね」

「お前・・・」

そう言って笑う富田の声が聞こえた。

私はまたいつ追いかけられ、再び拘束されるか分からないという恐怖に包まれていた。

ひたすらアパートから離れることだけを目的に走る。
ただ、普段から運動をしていないからすぐに息切れしてしまう。

息が苦しくて歩いてしまう。

少し歩いても、呼吸が整えばまた走る。

その繰り返しを何回しただろう。


気がつけば大きな通りに出ていた。


周りを見れば、ポツポツとだが人が歩いている。
そして、車も通っていく。


”に、逃げられたんだろうか”


そこまできてようやく私は逃げてこれたんだと分かった。


”良かった・・・”


走っている時には何もなかったのに、助かったんだと分かった途端に足が震える。
立っていることもできず、私は歩道に座りこんでしまう。

上着の中には守り通した携帯の、残骸。

私は服の上から、それをギュッと握りしめる。


どれだけそうしていたのか分からない。

ただ、時計を見ればすっかり普段の帰宅時刻は過ぎていた。


「鞄・・・」


しかも私はあの車の中に鞄を忘れてきたことに今更気づいてしまう。

鞄の中には身分証明書や財布といった諸々の物が入っていた。


「まあ、それは諦めがつくか・・・」


私はそう考えると、ようやく震えの治まった足で立ち上がる。



そして、帰るために道路標識を見ながら歩き始めた。




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