嘘つきな彼 10

「もう一度、お願いします・・・」

前中は今さっき聞いた部下からの報告に耳を疑った。
共に食事をした翌日から、前中は監視役という意味で部下を2人御木に付けることにした。

部下と言っても、経営している会社の中から選んではいない。
それなりの事情を知っている人間である。





御木と別れた後、前中が向かった先は自分が住んでいるマンションではない。
だからと言って会社に戻ったわけでもない。

前中が向かったのは、会社近くにある3階建ての雑居ビル。
何も看板は出ていないし、テナントが入っている様子はない。

しかし、その日はビルの最上階に明かりが灯っていた。

普段、いろいろ周りを注意しながら歩いている人間ならその光景が不審だということに気づいたかもしれない。
ただこの都会において、そんなことに注意を向けている人間は皆無に等しい。


前中がビルの前でブレーキを踏む。
すると、タイミングを見計らったかのように車のドアが外から開けられる。

「中に」

男はいつも前中に仕えている人間だった。
同じ人間だが、黒いスーツに黒いネクタイと全身黒で纏めているところがいつもとは違った。

一礼したまま前中に一言だけ告げる。

前中は何も返答することなく、車から降りるとビルの中へと入って行った。

ビルの中はシンと静まり返っており、前中の靴音だけがやけに響いている。
エレベーターに乗ると、最上階のボタンを迷わずに押す。

古い型のエレベーターだからなのか、それとも普段は稼働していないからなのか、やけに音が煩くて振動も強い。

エレベーターが目的階に到着する時も、ある程度の振動を前中は感じる。
そして懐かしい程の”チン”という音と共にエレベーターの扉が開く。

エレベーターを降りればそこにはドアが1枚しかなく、そのドアの隙間から光が漏れていた。
前中は迷うことなく、そのドアを2回ノックする。

「はい」

中から低い声が聞こえる。
それも、相手を威嚇するような声音だ。

「私です」

前中はそれだけ言う。

すると、中から慌てたように数人の足音が聞こえてきた。
その足音の1つがドアの前までやってきたのが分かる。

「お待ちしておりました」

前中の前にあった扉が開かれた。

扉の向こう側は何もなかった。
机も、椅子も、電話も・・・普通、あるものが存在しない。
そして、あるはずもないものが存在していた。

後ろ手に固定され、その両手と足をガムテープで拘束された人間。
性別は男。

その男は床に転がされ、目からは涙を止めどなく流していた。
恐怖で失禁したのか、穿いているズボンには大きなシミができている。


「助けて・・・助けてください」


男は自分よりも鍛えられた、黒いスーツの男達3人に上から見下ろされる形になっていた。
ただでさえ手足の自由を奪われるということで恐怖を感じているだろう。
その上、黒づくめの屈強な男達に何をされるでもなく見下ろされれば、いかに自分が弱い立場にいるのかが分かるだろう。

男は小さく、本当に小さく、そして何度も呟いていた。



足音を響かせ、前中が近づいて行く。
男の視線が前中の足、そしてゆっくりと前中の顔へと移動していく。


「あ、あ、・・・あ・・・」


男は前中の顔を見ると、驚いた表情で言葉にならない単語を並べるだけだった。

前中は男の顔を一瞥しただけで、何かを言うことはない。
黒スーツの男が前中の様子を見ながら、代わりに口を開く。

「3万で雇われたそうです。
写真を見せられ、この住所まで連れて来いと言われたそうで、相手の名前も聞いていないと」

「3万で・・・」

「これが、住所です」

前中が住所の書いた紙きれを受け取る。
しかし、紙切れに視線を落とすことはなく、そのまま後ろに控えている部下に渡す。

「調べます」

部下もそれだけを言うと、紙切れをポケットに入れる。

「まあ、だいたい見当はついてますけどね」

前中がポツリとこぼす。
その時の前中の表情は柔らかかった。
微笑んでいると言ってもおかしくはない表情をしていた。

普通なら人を安心させる表情も、前中がすれば周りの人間を凍りつかせることになる。

屈強な男達ですら、それは同じようで前中の表情を見て顔をひきつらせていた。

ところが、そんな雰囲気が飲み込めていないのか


「も、もう知ってることは全部話しただろ!これを取ってくれよ!!」


床に寝転がったままの男が、部屋中に響き渡る声を上げる。

シンと静まり返った室内。
それぞれが前中の次の言葉を待っていた。


「そうですね。ガムテープを外してあげましょうか」

「ほ、本当か!?」

「ええ。外してあげます」


男はその言葉にホッとしたのか、笑顔を見せていた。
しかし、周りの人間はまだ緊張した面持ちのままだった。

前中という男を知っているからこそ、男達は床に転がされている男のように単純には安心できないことを知っていた。


「ナイフを」


そう前中が言いながら右手を出すと、控えていた部下がスッと黒い革の手袋と果物ナイフをその手に渡す。

「早く、早くしてくれよ」

「まあ、そんなに焦らずに」

前中はニッコリと笑いながら、手袋を嵌める。
そしてナイフを手に持つと、男の後ろへと回る。

「じゃ、切りますね」

「ああ」

ただ、ただ男はガムテープを外してくれるものとばかり思い込んでいた。
次の瞬間、


「ぅわぁああああ」



部屋中に男の悲鳴が響き渡る。

男の周りを囲んでいた人間は、その光景に顔色を無くしている。


「いてぇ・・・いてぇよー」


男は恥ずかしげもなく、痛いと泣き叫んでいる。


「ほら、外れましたよ」


ガムテープは確かに外された。
しかし、前中の持っているガムテープは血で汚れていた。

前中は相変わらず笑顔を崩さないが、それが周りを恐怖に陥れていることを十分理解している。


「何、何したんだよぉ」

「何って・・・ガムテープを外しただけですよ」

「そんな・・・」

「まあ、私の手元が狂ってしまわないように腕を台代わりにさせてもらいましたが」


その言葉に男は顔色を無くす。
男に比べれば多少の違いはあるが、周りを囲んでいた人間達も顔色は優れてはいない。

前中の行動は誰の目にも狂気としか表現できずにいた。

男の背後に回った前中がしたのは、ただ男の腕を拘束しているガムテープを剥がしてやることではなかった。
果物ナイフを持った前中は、その刃先を肘のあたりに当てた。

そして、一気に手首まで一本の線を描くように下ろしていった。

傷口からは出血が絶えないが、それが致命的なものではないのは明らかだ。
ドクドクと傷口が心臓にとって代わったかのように鼓動する。
それと同時に痛みも自覚する。

いっそ気を失うぐらいのものであれば良かったはずだ。

しかし、そこまでの出血量はない。


「さあ、足のガムテープも」


前中がそう言うと、男はさっきの痛みを強烈に思いだしたようだった。


「や、やめろ!やめてくれよぉ!!」


男は前中から逃げるように、床を這いまわる。
床に男の逃げる様が真っ赤な血で描かれていく。

そんな男の様子を上から見下ろしながら、


「どうしてですか?足のガムテープも外さないと帰れませんよ?」


とあくまでも優しく声をかけてやる。


「いやだ、いやだ・・・・」


前中の声は男にとっては悪魔の声と変わらないものとなっている。
必死で前中という悪魔から離れようとする。

しかし、そんな男を悪魔は許してはくれなかった。


「人の親切は素直に受け取るべきですよ」


そう前中は言うと、逃げようとする男の腰部分に足を乗せる。
男はそこから一歩も動けない状態となった。

そして・・・


「ぅわああぁあああぁああ」


部屋に若い男の悲鳴がこだました。






前中は全てを処理した後、部下の運転で家路に就く途中

「よっぽどの馬鹿か、それとも自分をよっぽど出来ると思っている人間なら・・・・」

「2人、付けることにします」

「備えあれば憂いなし・・・ですね」

御木には2人付くことになったが、その2人から予期せぬ報告が前中に届いたのは翌日だった。

御木は会社を出た後、本屋に立ち寄った。
そこまでの話なら前中も気にすることはなかった。

しかし、その御木が普通では信じられないようなコーナーに立ち寄ったとなれば話は違う。

前中はすぐに御木に連絡を取った。
電話口での御木は隠さなくてもいいのに、本屋に行ったことを隠した。

前中も家にまだ帰りついていないことを知っていながら、あえて尋ねた。
そして、御木の答えを聞いた時点で前中の目的は達成されたことになる。
御木とはそれ以上何も話すことはなく、適当に話を切り上げる。

電話を終えると、前中は再び別の人間に電話を掛けた。

前中は御木がいたコーナーに並んであった本。
御木が手にしていたらしい本を買ってくるようにと、部下を通じて監視役に伝えるために。



翌日には前中の手元に本が数冊届けられた。


「これが・・・」

「いわゆるボーイズラブと言われている小説の類です」


部下は淡々と本の内容説明をしてくれた。

1冊は学園物と言われるものらしい。
教師と生徒の恋愛ものだが、その教師も生徒も男である。
もう1冊はサラリーマンの恋愛もの。
しかし、これも男同士だ。

中身を見てみれば、そこには男同士が裸で抱き合っている・・・いや、セックスしている絵が描かれている。


「あいつは・・・」

「男性を恋愛対象として見ているかという点では分かりません」

「そうか・・・」


そこまで聞くと前中は

”もしかして、初めて会った時の態度は俺が嫌で避けたわけじゃなく・・・その反対か?”

と考えを改めるようになった。

御木の恋愛対象が同性なのかもしれない。
その事実は前中を驚かせたが、御木を軽蔑する気持ちは浮かんではこなかった。

それよりも

”好都合だな”

という気持ちが思い浮かんだ。


この事実が御木と初対面、いやそれ以前の段階で分かっていたのであれば前中の気持ちは今とは全く違っていたはずだった。


前中はそれからも御木を監視させた。
それと同時に、もし御木が本を手にしたり購入した場合には同じものを購入し、前中へと届けることになった。

それは数日で10冊近くになったが、前中はパラパラと中身を軽く読んでいた。

結果、前中の感想は
”・・・・結局、どれも同じようなものだ”
だった。

”女性が読む本というのもあるかもしれないが、恋愛に夢を抱きすぎじゃないか?
小中学生の子供が読む恋愛小説が、ちょっと男同士になった感じか?”

前中はそこまで考えると、

”まさか・・・”

ある一つの予測がたった。

御木とは何度か電話やメールでのやり取りも続けていた。


「御木さん、学生時代って何か部活はしていたんですか?」

『いえ、中学の時は必ずクラブに入らなくてはだめだったので、仕方なく科学クラブに入ってました。
でも高校の時は帰宅部で・・・』

「じゃあ、放課後は友達と遊びに行ったり?」

『あの・・・家に・・・』

「勉強熱心だったんですね」

『それほどでも・・・勉強しないと、どうしても他のみんなと同じになれなくて・・・』

「そんな謙遜しないでください。大学時代は、バイトとかされていたんですか?」

『・・・・別に』

「そうなんですか。でも、その真面目さで今の会社に就職できたんですね」


前中は御木がどこの高校、大学を出たのかを知っていた。
知っていたが、そんなことは欠片も漏らさない。

そして、御木が話していて気持ちよくなるような返答しかしない。

ただそんな御木と話していて、前中は時々心が癒されるような気持ちを抱いていた。
御木の答えは前中の予想していたものと変わりない。
それにもかかわらず、その答えが前中の気持ちを穏やかにさせる。


”思ったとおり、帰宅部。しかも、友人もほとんどいない、半引きこもり状態。
女との恋愛なんて、ゼロに近い。今時、珍しい天然記念物だ”


その天然記念物だからこそ、前中は惹かれてしまったのかもしれない。

今まで前中の周りにいた人間と言えば、前中の財力や権力に媚びへつらう人間。
または、前中の性格を知り恐怖に逃げ惑う人間。

しかし御木という人間は、人に媚びることをしたことがほとんどないのだろう。
そして、人間は自分よりも実力が下だと認識した相手に対して悪意を向けることはほとんどない。
なぜなら、自分よりも劣っているという時点で悪意を向ける価値すらないと思っているから。

御木は人との接触が少なかった分、社会人として本来備わっている処世術を身に付けていないといえた。

反対に前中はあらゆる種類の人間と対峙してきたために処世術に長けている。


”人間は自分にないものを求める・・・・というのは本当なのかもしれない”


前中はどうして御木に惹かれるのかという点で、自分の中でそう結論付けた。
幸いというべきなのか、同性であるという本当ならハンデになる事柄も大した障害にはならない。

そして、御木の態度からも全く前中に対して興味がないわけではないと確信もあった。

前中にとって、御木の前中に対する興味をどうすれば好意に変換させるのかが課題として残っているだけだった。


”まあ、それはゆっくりとでもいいですね。どうあがこうと、私が逃がしてあげませんから”


仕事の合間、前中がふと時計を見るとあと数時間でコール時間だった。

御木に自分という存在を心に刻み込ませるため、前中は電話をする時は同じ時間を心がけていた。
毎日電話をすれば、習慣的になってしまい逆に意識に残る確率が下がる。
そう考え、2日から3日おいて電話をすることにした。

今日は電話をするか迷っているところに部下が足音荒く、部屋に入って来た。


「あの方が・・・」


その言葉だけで前中には十分だった。


スッと心の中に冷たい風が吹いたような気がした。
次の瞬間、

”期待を裏切らない人達だ”

と心が躍るような気持ちになる。

それが表情にも出ていたのだろう、窓に映りこむ前中は微笑んでいた。

部下はその表情に顔を強張らせながら、直立不動で前中の次の指示を待っている。


「監視役は」

「はい、車で追っています」

「分かりました。そのまま追いつかない程度で」

「え・・・」


部下はすぐに車を止めるように指示が出ると思っていた。
しかし、前中にはまた別の意図があるらしい。

その旨を携帯を通じて監視役の2人に告げる。

部下が電話をしている途中、前中がどこかに電話をかけ始めた。
相手はまだ出ない様子だが、前中はそれを気にしている様子は見られない。

しばらくすると、


「もしもし」


ようやく相手が出たのか、前中が言葉を発した。


「その声は・・・前にキャバで会った人ですね?」


前中は落ち着いた声で尋ねている。
電話の相手は望んでいた相手なのかどうか、そこは控えている部下には分からないところだった。




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