「もうすぐだから」


先頭にたって歩く彼女の後ろ姿を見ながら、自分がどうして3人に付いて行くのか芳は疑問に感じていた。

嫌ならそのまま回れ右をして帰ればいいだけ。

そんな決意を口にする前には店の近くに来ていたため、芳は結局言葉を発する機会がなかった。


「ここ、ここ」


彼女はまるで宝物を人に自慢するかのように、誇らしげな顔をしている。

マキとトモ君はそれを素直に受け取っている様子で、

「すごい、いい感じ〜」

「ホント、ホント」

と彼女の自尊心をくすぐるような言葉を並べる。


「こんないい店、予約しないとダメなんじゃないの?」


マキが少し心配気に言うが、彼女の方は強気だった。


「大丈夫だって、この間来たばっかりだし」


”その根拠のない自信はどこから湧いてくるんだ”


思わず芳は心の中で突っ込んでいた。

ただ芳自身もこの数週間の間に何度も同じ店に通うことになるとは思ってもいなかった。


「ちょっと芳。ボーっとしてないで、行くよ」


店の前来た時と変わらない風変わりな外観を眺めていた芳は、彼女に腕を引っ張られるままに店内へと入って行く。


「中もいい感じー」


マキ達は店内の装飾に感激しているようで、キョロキョロと辺りを見ては装飾物に触れたりしていた。


ところが、

「いらっしゃいませ」

急に声が聞こえると、マキ達は驚いて装飾物に伸ばしていた手を引っ込める。


店内の音楽に混じり、店員がすぐ傍まで来ていたことに気づかなかった。


「本日ご予約の方は・・・」


この日対応に出てきたのは芳は会ったことがない男性店員だった。


柔らかい微笑みを口元に浮かべながら、予約の有無を尋ねる。

そこで芳を含め、4人の中から一歩前に出たのは彼女だった。


「今日は予約してないんだけど。
でもついこの間ここで食べて、すごく美味しくって・・・

で、今日も近くまで来たから空いてたらと思って来たんですけど」


芳は店員の表情が少しだけ強張ってきていることを見逃さなかった。
ただ店員は表情を崩さず、微笑んだままだ。


「当店は基本的に予約制とさせていただいているんですが・・・」

「でも、せっかくここまで来たのに・・・」

「お客様、すみませんが・・・」


店員は彼女の主張を却下しようと口を開きかける。


「いらっしゃいませ、藤野様」


急に聞こえた声に驚かされたのは芳達だけではなかった。
それまで応対してくれていた店員も芳達と同様に驚いた様子で、それまで完璧と言える程だった笑顔が消えた。

目の前に突然現れたのは、狂慈との醜態を知っている女性店員だった。


店員はこの間と寸分違わない微笑みで、芳のことを見ていた。


そして、さっきまで対応していた店員は一礼を残し去って行く。
立場は目の前の店員が上だということだろう。


「あの・・・」


芳が戸惑いながらも言葉を発するが、それを遮るかのように店員は話す。


「すぐに席をご用意させていただきます」


そう言っている間にもまた他の店員が近づいてくる。

その店員は女性店員に何かを伝える。
一つ頷き再び芳達の方を振り返ると

「準備が整ったようですので、ご案内させていただきます」

と言い、女性店員は先頭になって歩き始めた。



店員の後に続きながらも、芳は戸惑っていた。


たしかに狂慈と共にこの店を利用したが、芳は自分の名前を名乗ることはしなかったはずだ。


しかし、そんな芳以上に戸惑っている人物がいた。


「ちょっと、芳どういうことなの。 なんで店員が芳の名前を知ってたり、予約もしてないのにすんなり席を用意してくれるわけ!?」


” それは俺が聞きたいぐらいだ”

芳はそう言いたいが、店員やミキ達がいるため


「さあ」


この一言で片付けた。

彼女がその答えに満足するはずはなかったが、それを追求する前に個室へ到着する。


その部屋は初めて彼女と来た部屋とほとんど同じだった。


「こちらでよろしかったでしょうか?」


店員は芳達を部屋に通すと、芳に向って話しかける。


芳はただ頷くことしかできない。


「それでは、メニューが決まりましたらお呼びください」


再び店員が芳に声を掛けると、一礼して部屋を出て行く。



「妙(たえ)の彼氏ってすごいー」

「え、そ、そう?」

「そうだよー。いきなり来て、予約してないのに案内してもらえるって、すごいよー」


事情が全く分かっていないマキは単純で、芳とその彼女である妙を褒めそやす。
妙は複雑だったが、気分は悪くはなかった。


「ここ、すごい料理も美味しいんだよ」


妙はメニューをマキ達に見せながらも終始笑顔だった。








しばらくは何もなかった。


当たり障りのない会話と、美味しい料理。


あと少しでこのつまらない時間も終わりを告げると芳は感じていた。


「すみません」


そこに突然、異質な声が割って入る。
扉の外からの声。
その声と同時に軽く扉をノックする音も聞こえてくる。


「はーい、どうぞー」


答えたのは少しアルコールが入り、テンションが高くなったマキだった。


「失礼します」


扉を開けて姿を見せたのは、あの店員だった。


「お食事中に失礼します」


いつもの完璧な表情で、部屋の中に入って来る。


「あれー。まだ来てなかった料理なんてあったー?」


マキはメニューとテーブルの上に並んでいる料理を見比べている。
同じくらい酔っている妙も


「えー、もう全部来たと思うー」


とグラスを片手に言葉を続ける。


「いえ、お料理じゃないんです。実は、当店のオーナーが是非ご挨拶をさせていただきたいと・・・」


そう言って店員がスッと身体を横にずらすと、後ろからスーツ姿の男性が姿を現す。


「ようこそ、いらっしゃいました」


芳は店員の言葉に緊張していたが、その男性を見て身体の力を抜く。



”驚いた・・・あいつが出てくるのかと思った”


オーナーだと紹介された男は見た感じでは青年実業家という言葉がピッタリと当てはまるような人間だった。

スラリとした体躯に高そうな黒のスーツ。
髪はさりげないが、手入れが行き届いていると分かる程で色は濃い茶色。
メガネはメタルのハーフリムで、スーツとは対照的で冷たい印象を与える。


「料理の方はお口に合いましたか?」


オーナーは店員以上に完璧な笑顔だった。


「すっごく美味しかったです、ねー」


マキは突然現れたオーナーに向かって笑顔と愛想を振り撒いている。
それはマキだけではなかった。
妙もアルコールのせいだけではないだろう、頬をうっすら赤く染めながら


「私もお金があれば毎日でも通いたいくらいです。もう、残念ー」


と媚を売るような言葉を並べる。


「それはありがとうございます。ところで、藤野芳さん」

「はい」


突然話を振られた芳は驚くしかない。
しかも、オーナーは自分の名前を知っていた。


「お久しぶり・・・と言った方がいいですね」

「え・・・?」


芳はオーナーの言った言葉の意味が理解できなかった。
店に来たのは3回目だが、こうしてオーナーである彼と会うのは初めてのはずだった。


「覚えてないでしょうね。私が一方的に見掛けたというのが正しいですから」

「それって・・・」

「確か、あなたと彼は高校生でした」

「え・・・」



『あなたと彼』


それが自分と誰のことを指すのか。
芳には嫌というほど分かった。


しかし、なぜそれを目の前の人間が知っているのか・・・


数時間前に噛まれた小指が急に熱を持ったかのように感じ、疼く。
そして、同時に一人の男の顔が思い浮かんでくる。


「芳、彼って誰ー?」


無邪気に、無神経に彼女が触れてほしくない部分に触れようとしてくる。


「私が見掛けた時、あなた達は痴話喧嘩をしていました。
まさか、2人があの後別れることになるなんて・・・話を聞いた時は面白くて仕方ありませんでしたよ」


男は本当に嬉しそうに話していた。
芳はその男の話を止めたくても、止めることができなかった。


「まあ、そういう道を選ぶしかなかったのは彼もまだ子供だったってことですね」


「それって・・・どういう意味・・・」


「それじゃ、私はここで・・・」


男は芳の気持ちを掻き乱すだけ、掻き乱すと部屋に入ってきた時と同様に一礼すると出て行く。
いきなり入ってきては、また急に去っていく男の存在はまるで夢のようだった。


「なに、あのカッコよさ」

「それにこんな店のオーナーって・・・ヤバいよねー」


マキと妙は興奮した様子で今はいない人間のことを話し始める。
トモ君はそんな彼女に少しばかり腹を立てているようで、何も言わずに黙々とグラスを空けていく。

ただ、芳だけは違った。

去って行くオーナーを追いかけるように部屋を飛び出していく。


「ちょっと!」


アルコールも手伝い、思ったよりも大きい声が出た。


まだフロアに残っていたオーナーはことさらゆっくりと振り返る。
やはりその顔には笑顔が奇妙に浮かんでいる。


「何ですか?藤野芳君」


「あんた、何を知ってんだよ」


自分よりもきっと立場も、年齢も全て上の人間だと分かっていながらも芳は『あんた』と言うのを躊躇わなかった。
相手も気にならないのか、表情は変わらない。


「何を・・・そう、全て・・・でしょうか?」


そして、少し考えるふりをしながら言う。


「全てって・・・」


「そう、全てですよ。藤野君が知らないことも・・・全て」


その言葉に芳は愕然とする。


「教えて欲しいですか?」


「何・・・を」


「あなたが知らなくて、私が知っている全てを」


目の前にいるのは天使なのか、それとも悪魔なのか。


芳は確実に迷っていた。


”今さら知ったからってどうなるんだ。俺とあいつは・・・俺はもう解放されたんだ・・・”





「さあ、どうしますか?」





男が選択を迫る。







芳が言葉を発しようと口を開いた時、ふいに視界が暗くなった。
誰かが芳の眼を何かで覆った。

「ちょっ・・・」

驚いた芳がその何かを剥がそうとして、気づく。
そんなことをしているのが誰なのかを。




「狂・・・慈」




背中から伝わってくる体温と、体臭。

それは数時間前にも感じたものだった。



「見るな」



「え?」



芳は一瞬何を言われているのか分からなかった。


「見たらその魂まで持っていかれるぞ」


後ろにいる男は本気で言っているのか分からない。
ただ、


「そんな言い方は酷いですね」

「酷いか?俺はあんたがそうやって甘い声で人間を誑かして、地獄に誘っているのを何度も見てるぜ」

「でも、いくらの私でも視線では人を殺せませんよ」


声だけしか芳には聞こえなかったが、オーナーという仮面を付けた男は相変わらず笑っているようだった。


「何を言われた?」


後ろに立っている男が芳に声を掛けてくる。
視界を覆っている手はそのままだ。


「・・・・全て知ってるって」

「全て・・・ね」


そう言ったところで、またオーナーの声が重なる。


「そう、私は全てを知っていますよ。ねえ」

「ねぇって・・・全部お前がそうなるように仕向けただろうが」

「そんなことはないですよ」


芳は混乱していた。
真っ暗な闇しかないのに、声だけが聞こえてくる。

そしてその内容は芳を混乱させるばかりだ。


「私はそんなつもりじゃなかったんですよ」


「そんなつもりじゃないだ・・・こいつのことを知って、あんたはあの茶番を考えたんだろ?」


「さあ・・・そんなこと、もう今となっては覚えていないですね」


「あんたな・・・」


「私は謝りましたよ?」


「謝ったって・・・・あんたついこの間だろ。
で、これはその腹いせか・・・・」


「さあ?」


いい加減、芳も視界を塞がれていることに疲れてきた。
自分を差し置いて進められていく話に、頭が付いていけない。


「おい、狂慈。この手を離せよ」


「ダメだ」


「おい」


そうして狂慈と芳が他愛無い口論を始めた時、


「じゃあ、私じゃなく君が全て話してあげればいい。私は暇じゃないんでね」


と告げる声が聞こえた。


「おい、ちょっと・・・あんた」


慌てたのは芳だった。
何が真実なのか確かめたいと思ったにもかかわらず、その真実を知っている人間が立ち去ろうとしている様子だった。


「ま、待て!」


そう大声で叫ぶが、それは次の一言で思わず口を閉ざすことになる。


「止めとけ。たぶん、恋人からの呼び出しだ。それを止めようとするなら、地獄よりも恐ろしい体験をする覚悟をするんだな」


「え・・・・」







そしてようやく顔から手が退いた時、一番初めに眼に飛び込んできたのは、いつも人を馬鹿にしたように笑っている顔だった。




「よう、さっきは小指だけで軽くイキかけてたな」




その無神経な一言に、思わず芳は狂慈の頬を張った。




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