音は大きかったものの、虎城を狙ったわりには玉は大きく逸れ壁にめり込んでいた。
その上、撃った人間は堂々と会場の中心で銃を構えた状態で立っていた。
誰もがその人物に視線を奪われている中、手にナイフを持った男が虎城の方へと向かっていた。
「あ、あ、ああああ」
密の目にどんな風に映っているのかは分からないが、ただ危険が迫っていることは虎城の服をギュッと握りしめる仕草からも分かる。
いつの間にか鳴っていたはずの音楽も消え、
「はーい、そこまで」
一際大きな声が会場内に響きわたった。
密が虎城の身体の隙間から顔を覗かせると、さっきまで虎城と話していた男が別の男の腕を逆手に取っているのが見えた。
「はい、みんな動かないでー。
そうそう、これからここにいる全ての人間の持ち物検査をしまーす」
「な、お前に何の権限が・・・」
そう反論する人間もいたが、
「権限は十分にあるんだな。俺は警察庁組織犯罪係、今月から係長に任命された沓山(くつやま)でーす。以後よろしくー」
男の自己紹介に誰もが黙り込んでしまった。
「じゃあ、警察の皆さんドンドン入ってきちゃってぇ」
その声を合図に、何人もの私服警察官が会場になだれ込んできた。
「抵抗する人間は全員公務執行妨害で検挙していいからねー」
暢気な声に、招待客の怒号が重なり、華やかなパーティーは一転し阿鼻叫喚の惨状と化した。
「お嬢さん、これはどういうことですか!?」
「そんな、私は何も知らないわよ」
貴美子の周りにいた人間達も漏れなく対象となり、怒りの矛先を貴美子に向ける。
「触るんじゃねぇよ」
「はい、そこー。公務執行妨害ね」
「冗談じゃねぇ」
「冗談じゃないよー」
そんな騒々しい中にいても、虎城は虎城のままだった。
虎城は密を抱えたままでゆっくりと立ち上がると、
「密。俺を助けようとしてくれたのか?」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら、暢気に密に話しかける。
密は虎城の腕の中、ギュッとしがみついたままで、それが答えのように虎城の目に映った。
「あー、あー、見せつけてくれちゃって」
「はは、羨ましいだろ」
「ふん別に・・・で、面白いもんってこれだったわけか」
「面白い上に、昇進祝いのプレゼント付きだ。ありがとうの一言ぐらいあってもいいんじゃねぇのか?」
密の耳にはそんな馬鹿げた話をする声が入ってくるが、その声をBGMに密は夢の中へと旅立った。
密が目を覚ました時、そこは虎城に与えられたマンションの寝室だった。
身体を起こし、横を見ればそこには虎城が眠っていた。
虎城か八嶋か、どちらかの手によってパジャマに着替えられてはいた。
そんなことより、密は久しぶりに虎城と一緒に寝ていることに、
「ふふ」
と小さく笑うと、もう一度布団の中に戻ることの方が重要だった。
さらに密は虎城の腕にしがみつく形で眠りについた。
しかし、次に密が目覚めた時には掴まえていたはずの虎城の姿はそこになかった。
「ううぅぅうう」
密はベッドの上で一人唸ることで自分の気持ちを表現していた。
不機嫌なままゆっくりとベッドから下りるが、そんな密の耳にテレビの音声が聞こえてきた。
密は急いで寝室から飛び出すと、リビングに向かった。
「お、密。やぁっと起きたか」
リビングでは虎城がソファに座り、テレビを見ている所だった。
蜜はパタパタと走ると、虎城の首に飛びついた。
「ううぅぅうう」
「なんだ、起きた時に俺がいなくて寂しかったのか?」
虎城は密を膝に抱え直しながら話す。
密はそんな意地悪な虎城に応えるように、ギュウギュウとさらに虎城の首を締め付ける。
この時、密の身体からは虎城がいることの嬉しさを表現する甘い香りと、先に起きていたことへの怒りを表現するような酸味が混じった香りが発せられていた。
言葉で表現できない分、その身体から発する香りが虎城に密の気持ちを知らせる。
「そんなことより、いつの間に走れるようになったんだ?」
「ぅうう」
「八嶋がドレスで走ってる密が綺麗だったって言ってたぞ。写真にでも撮っておけば良かったなぁ」
「ぅぅううう」
「でもな、密。もうあんなことはすんなよ」
虎城はさっきまでの揶揄するような口調とは違い、本気の声で密に諭すように話し始めた。
「密。俺は大丈夫だから助ける必要はないんだ。それよりも、あんな無茶なことをして、お前が怪我をする方が俺は辛いんだ。だから、二度とあんなことはするなよ」
密は分かっているのか、分かっていないのか、何のリアクションも虎城に示すことはなかった。
虎城としてはあの場で密が登場してきたのは予想外としか言いようがなかった。
実のところ、あのパーティーの出席者は虎城と対立していたり、虎城のことを煙たがっていたり、そして虎城が不必要だと判断した者達が一同に集められていた。
そんなパーティーに密を連れ出すのはどうかと思ったが、逆に連れていかないことの方が周囲に不審を抱かせるだろうという判断だった。
その代わり密には八嶋を張り付かせていた。
さらにもう一人のゲストである沓山の存在により今後虎城に対し安易に手を出してくる人間はさらに少なくなるだろう。
沓山という人間は虎城が大学時代、ゼミ生とそのOGとして知り合った。
すでに警察庁に入庁していた沓山は虎城がどんな立場の人間か分かっていたし、虎城もすぐに知ることとなった。
本来なら相反する立場の二人だったが、意外にも馬があったこともあり、時々連絡を取り合っていた。
ただ、そんな二人の繋がりを知る人間は限られている。
沓山は虎城によってある程度の成果を上げられ、虎城は虎城で邪魔者を堂々と処分でき、また都合良く物事を処理してもらっていた。
今回のこともパーティーを開催するとなった時点で「あんたの出世祝いパーティーでもしてやるよ。面白い余興も用意して待ってるから仲間を大勢連れてこいよ」とだけ言い、詳しいことは伝えていなかった。
虎城の計画は全てを通じ、概ね首尾良く事は進んだ。
沓山も嬉々として、会場にいた三分の二程度の人間を検挙した上で、
「ご祝儀、ありがとねぇ。またよろしくぅ」
と足取り軽く帰っていった。
ただ、そんな虎城の計画には密が虎城の危機を察知し助けに入るというのはなかった。
虎城は八嶋から密が歩けるようになったとは聞いていたが、走れるとは聞いていなかった。
それは八嶋も知らなかったらしいが、虎城はそんな密の行動に喜びを感じながらも、初めて恐怖を感じていた。
大切な者を危険に曝すという恐怖。
虎城は表面的には何もないというスタンスを取っていたが、もし密が怪我をしていたらと思うと知らなかったとはいえ、離れた所に置いておくよりも傍で守ってやるべきだったと後悔していた。
「みーつ。俺はもっともっと高みを目指すわ」
守りたい者がいると人は強くなれる、とはよく虎城も耳にする言葉だった。
ただ今までの虎城は妻や子供をその対象として考えることは出来ず、ただ面白いという気持ちだけで突っ走ってきた。
当然ながらそんな気持ちが長続きするわけもない。
結婚し、ある程度の地位が確約されると共に虎城は現状に満足する自分がいた。
そんな虎城の気持ちを再び高ぶらせたのは密という存在だった。
虎城は今よりも高みに上ることで、誰も虎城や密に手を出さない位にまでなろうと考えるまでになっていた。
「今回で邪魔な奴らはほとんどいなくなった。暫くは密とゆっくりできるぜ。
なぁ、密。たっぷり遊ぶか」
そんな高みを目指すならば忙しくなるのは当然だったが、今暫く虎城は密との穏やかな時間を大切にしたいと感じていた。
しかし虎城がそんな気持ちでいたとしても、密には全く伝わることはなく、
「くふぅ・・・」
今虎城と一緒にいられることを素直に喜んでいた。
虎城組は虎城勇生を組長に、勢力を拡大していった。
桂樟会が解散となり約一年、虎城の命を狙う人間は後を絶たなかった。
二年も経てばそんな人間も滅多に現れなくなり、さらにもう一年経つ頃には虎城に逆らう人間はいなくなった。
そして虎城組は関東でも指折りの組へと成長していった。
「密、帰ったぞぉ」
そして虎城は我が家同然に、密が住んでいるマンションへと帰り、マンションから組事務所へ向かう毎日だった。
三年前のパーティー以降、貴美子との夫婦関係は完全に形だけのものとなった。
子供である勇気とも月に一度会えるかどうか。
貴美子が会わそうとしないのもあるが、特に虎城もどうしても会いたいという気持ちはなかった。
この時の虎城にとって大切なのは
「こじょぉおお」
玄関を開けると、部屋の奥かから走って出迎えてくれる密だった。
密は髪を肩に付かない程度に切り揃えていることや、そのほっそりとした体型からも一目見ただけではその性別は分からない、中性的な存在へと成長していた。
最近では変声期を迎えているのか、少しハスキーな感はあるものの、男にしてはまだまだ柔らかい声音は逆に密の魅力になっていた。
三年の間に栄養も十分行き届き、身長も伸びたが、まだ同学年の子供の中に入れば小さい部類に入るだろう。
主治医の話では子供の頃に十分な栄養を取れていなかったため、食べても身体がその栄養を十分吸収できないかもしれないということだった。
普段マンションにいる時には、ホットパンツにTシャツという出立ちがほとんどだったが、虎城と公の場に出る時には相変わらずワンピースやドレスといった女性用の装いをしていた。
その様はまるでどこかのお姫様のようにも見え、パーティー会場では注目の的になるのもしばしば。
ただ、どんなに注目されようとも密は虎城にべったりで決して離れることはなかった。
虎城もそんな密をその手から離さず、未だに密を胸に抱いた状態で練り歩くこともあり、八嶋を呆れさせている。
「いい子にしてたか?ん?」
虎城はそう言いながら、やはり密を抱き上げるとその頬に唇を寄せる。
「ううぅうぅ」
しかし、密はそれでは納得した様子もなく、
「しょうがねぇな」
虎城は笑いながらもゆっくりと密の唇に自らの唇を添わせた。
「ん・・・んん・・・ふぅ・・・んん」
密の甘えた声が鼻から漏れ、玄関には淫靡な空気が漂う。
虎城は口づけを交わしながら、片方の手が密のさらりとした肌触りの内股を撫でていく。
密は少し身体をよじらせながらも、口づけを止めようとはせず、虎城もその体勢のままでリビングまで移動を始める。
ソファに到着すると、虎城は密を膝に乗せた状態でさらに口づけを深めていく。
「ぅ・・・ん、ん・・・」
密は虎城の後頭部に腕を回し、より深い快感を得ようとしているようにも見えた。
三年の間に密はすっかり虎城とのキスがお気に入りとなり、虎城が仕事から帰ってくると行う儀式のようになっていた。
密の内股に添えていた手にしっとりとした感触が伝わってくるが、虎城はそれ以上のことはしなかった。
頃合いを見計らい、虎城は密の身体を剥がす。
「虎城、もっとぉ」
「ダメだ、俺は腹が減った」
「ぅううぅ」
不満げな密をソファに残すと、虎城は冷蔵庫に作り置きされた酒の肴を手にする。
そして、ワインセラーから適当な一本を選ぶと再び密がいるソファに戻ってくる。
リビングのテレビには密のために用意されたアニメのDVDが流されていたが、虎城にとってはそんなアニメを密と並んで見るのが日常だった。
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