虎城が密を連れて行ったのは都心にあるブランドショップだった。
本来ならVIPルームに通される虎城だったが、「服ぐらい自分で見る」と言っては店内を一通り見ることが多く、この日も一度はVIPルームに通された。
虎城は密を抱いたまま入店し、用意されたソファに座る時も密を膝から下ろすことはなかった。
店員は
「可愛いお子さまですね」
とだけ話し、その性別を確かめることはなかった。
虎城は出されたコーヒーを、密はオレンジジュースを飲んでいたが、
「今日はこいつの服を買いたいんだ」
虎城がようやく本題に入った。
店員はすかさず
「すぐに何点かお持ちいたしましょう」
と言ったが、
「いや、フロアだけ教えてくれればいい。あとはこっちで適当に選ぶ」
「かしこまりました」
虎城の言葉に店員は頷くしかなかった。
フロアには他に数人の客がいたが、その中でも虎城は目立つ存在だった。
「ほら、どれがいい?」
虎城に抱かれたままの密は目の前に並ぶたくさんの服に驚いているのか、大きく目を見開いたままで言葉を発することはなかった。
虎城はゆっくりと密を抱いたままフロアを一周する。
フロアには男児用・女児用と半分ずつの割合で陳列されていた。
「あー」
その中で密が手を伸ばすようにしながら声を発したのは、裾が細かいビーズで刺繍が施されたスカートだった。
店内の照明の加減で刺繍部分がキラキラと輝いているように見えたのかもしれない。
「これか?」
虎城は躊躇うことなくそのスカートに手を伸ばした。
しかし、驚いたのは傍に控えていた店員だった。
「あの、こちらは・・・」
この時の密は八嶋が早急に用意したTシャツと短パンという出で立ちだった。
その出で立ちからも店員は密を男児だと判断していた。
「サイズは・・・あとで試着してからだな」
虎城はそんな店員の動揺に気にする様子もなく、手に取ったスカートを
「まずはこれ」
と手渡した。
店員は短パンを穿いているだけで、本当は女児なのかという考えで自分を納得させながら商品を受け取る。
その後も密が手を伸ばす商品はどれも女児用の物ばかりだった。
薄い生地が何枚も折り重なるようになったスカートや、光の具合で様々な光沢を見せるワンピース。
虎城も密が選ぶ合間を縫うように、自分が気に入った服を何点か選んでいた。
ある程度見終わると、再びVIPルームに戻ると試着会となった。
壁には虎城達が選んだ洋服が並べられ、密はそれらを見ているだけで顔に柔らかい笑みを浮かべていた。
「ほら、密。見てるだけじゃなくて着るんだ」
虎城がそう言うと、店員が介助のために傍にやってくる。
ここでようやく密が虎城の手から離れることになったが、その表情は不安そうに歪められた。
店員は馴れているのか、
「大丈夫ですよ。お父様はここで待っててくださいますから」
と密の手を取る。
そして、ゆっくりとソファから立たせようとするが
「え・・・」
店員が驚くのも当然で、密は数歩も歩かないうちに床に座り込んでしまった。
「あー」
密自身はキョトンとした表情のままだったが、ゆっくりと虎城の方を向くと、顔を歪め手を伸ばした。
「あの・・・」
その場にいた店員は一人だけではなく、他にも二人の人間が控えていたが、その誰もが今の状況に驚き固まっていた。
「みーつ」
ところが、そんな店員達を余所に虎城は笑いながら密を再び抱き上げると
「服を持ってきてくれ」
店員にそう言うと、試着室に入っていく。
虎城に抱かれた密は、また独特の笑みを浮かべると小さな指を虎城の唇に触れる。
「なんだ、俺に食わせてくれるっていうのか?」
虎城は言いながら、その指を口に含む。
店員はまるで見てはいけないものを見てしまった気分になり、視線を別の所に向けあえて見ないようにしていた。
そして虎城と密、店員の3人が試着室に入る。
試着室と言えど、そこで暮らせることができそうな広さだった。
そこにもソファがあり、虎城はそこに密を座らせると服を脱がせていく。
店員は試着する服の用意をするため、虎城達に背を向けていたが、
「よろしいでしょうか?」
と振り向けば、そこにはブリーフ姿の密がいた。
一瞬にして店員は言葉を無くすが、虎城は気にとめることもなく、
「密、これからだ」
店員の手から洋服を受け取ると、密に着せていく。
ただ、密の髪がある程度長いため、スカートや女児用のブラウスを着ても違和感はなかった。
「少し大きいな」
さらに虎城は店員以上に甲斐甲斐しく密の世話をし、店員は黙ったまま虎城の指示に従い、次々に密に合ったサイズを提供すべく走り回る。
忙しく走り回ることでつい浮かんでくる気持ちを誤魔化そうとしている節があった。
虎城は着せかえ人形のように密を着飾っていく。
密は綺麗な服を着るごとに喜びの奇声を発し、そして虎城にしがみついていた。
結局、虎城は10着近くの服を買うことになったが、そのどれもが女児用だった。
さらにその中の一つに着替えた状態で店を後にした。
それからの数日、虎城は密を抱きながらあらゆる場所に出向いた。
仕事場はもちろんのこと、接待の場面やパーティー等の公式の場にも密を連れ出した。
さらに付け加えるなら、密は外に出る時はスカートを穿かせ、パーティーに出る時にはパーティードレスを着せていた。
密もきらびやかな場に出ていくことを喜んでいる様子で、虎城がいつもは嫌がる場にも「密が喜ぶんじゃないですか?」と八嶋は密を理由に虎城を連れ出すことに成功していた。
そんな虎城の行動は瞬く間に噂になった。
人形のように着飾った美少女を連れ歩いている様子に、虎城の隠し子ではという話も出た。
虎城は特にそれに対してコメントをすることはなかったが、貴美子から報告を受けた桂樟会側が全面否定をすることで噂はすぐに消えることになった。
ただ、虎城と密を実際目の当たりにした人間は親子ではないことがすぐに分かっただろう。
二人の親密さを見れば、親子とは違う何かを感じ取るのは間違いなかった。
その親密さにあらぬ想像をする人間もいたが、さらに桂樟会側は密が男児であることを公表することでそんな噂も打ち消そうとした。
ところが、男児であるならばどうして女児の格好をさせているのかという疑念を周囲に抱かせ、虎城に対する噂を完全に打ち消すことは不可能な状態だった。
周囲が次々に出てくる噂話に翻弄されているというのに、虎城本人は一向に慌てる様子もなく、相変わらずだった。
密を引き取ってからも女性達とも今まで通りで、噂もそのうち下火になり、虎城のことだけに数か月で密のことにも興味がなくなってしまうのではないかと予想するようになった。
しかし、密という存在に周囲が想像している以上に危機感を抱いている人間が1人。
貴美子は虎城と密が何処かへ出かけたという話や虎城が密に何かを買い与えたという話を聞く度に、イライラした気持ちが雪のように積もっていくのを感じていた。
今までにも虎城は何人もの女性をマンションに囲い、愛人として手元に置いていた。
そしえ、その時に一番気に入っている女性をパーティーに連れて行くこともあった。
貴美子はそんな話を聞いても今のように心が揺さぶられることはなかったが、密との話を聞けば何かに八つ当たりをしたい程に心を乱されていた。
理由は分からなかったが、女性の本能が密が危険だと知らせているような気がしていた。
そんな噂や貴美子の思いなど知るわけがない密は、ゆったりとした毎日を送っていた。
部屋は2LDKと他の女性に与えている部屋に比べれば手狭のように思えたが、密が一人で住むには十分だと言えた。
他の女性達はそれだけで密の存在を軽く見ている部分もあったが、実際虎城は八嶋にセキュリティを重視するように伝えていたのは誰も知らない。
マンションはオートロック完備で、ロック解除はエントランスにロビー、そしてエレベーターと三カ所で必要となっており、監視カメラが何台も設置され逐一その行動が記録されていた。
さらにロック解除にひつようなパスワードを知っているのは虎城と八嶋の二人だけで、密本人でさえも一人では出入りすることができない状況だったが、普段の密は一日中マンションにいることが多く問題はなかった。
そんな密は主にリビングでテレビを見たり、八嶋が連れてきたお手伝いさんと玩具で遊んだり、または虎城によって外に出かけたりして大半を過ごしていた。
夜は虎城が居れば食事も入浴も一緒、そして一緒の布団で寝た。
虎城がいない場合は食事はお手伝いさんがセッティングしてくれているものを食べると、そのままリビングで寝ているのがほとんどだった。
ここ数日でも密はほとんど言葉を発することはなかったが、だからといって何もできない子供でもなかった。
食事もトイレも着替えも一通りのことは自分ですることはできたが、食べ散らかしたり、粗相をしてしまったり、はたまた時間が人よりも多く掛かったりという部分はあった。
それから、密は歩くということが極端に出来なかった。
普段は部屋の中を這うようにして過ごしたり、もしくは何かに掴まり立ちをすることが精一杯というところだった。
八嶋はそんな密を連れ病院を受診したものの、栄養失調を言い渡されただけで脳や身体的には問題はないという診断だった。
そして、密が歩いたり言葉を発せないのはそれまでの生活環境によるものだと言われた。
戸籍も出生届さえ出されていない密を、母親であるエミは隠したかったはずで、歩いたり言葉を話せばその存在がどこかからばれてしまうことを恐れ、歩くことも話すことも許さなかったのではないかと予想できた。
虎城は八嶋から医師の診断を聞いても驚かず、特に感情を表に出すことはなかった。
そんなことよりも
「みーつ」
名前を呼べば反応を示し、虎城の方へ向かってくる密の姿に今は満足していた。
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