PHOTO GALLERY 6-16  京都37 洛北あたり        Top に戻る  
37光悦寺   鷹峯 京都1目録に  36源光庵に戻る  38貴船神社に続く

江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦の死後、寺(日蓮宗)
となった。境内には、大虚庵など7つの茶室がある。竹を斜めに組んだ垣根は光悦垣と呼ばれる。
『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没
する物騒な土地であったという。この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術の集落となった。光悦の死後に屋敷は寺となり、境内には光悦の
墓碑がある。

光悦寺入り口の参道



本阿弥光悦の墓所

光悦垣という独特な垣根

光悦垣

茶室 三巴亭

茶室 大虚庵

鐘楼