(2011年4月26日) 4月3日、東京電力の勝俣恒久会長は福島第一原子力発電所の事故の経過の記者発表で、第1〜第4原子炉の廃炉は避けられないと語ったものの、第5と第6原子炉については質問に答えて、今後検討するとして含みを持たせた。すると、福島県民からは勝俣会長に対して非難の声が上がった。 福島県民の心情は十分に察することができるが、会長のこの回答に関する限り非難するに当たらない。それは、原子炉の処置自体はもはや東電の意思だけで処置を決めるべきものではないからである。発電能力があるのに、廃炉にしてしまえば、関東地方で東電から受電している人や企業、全体の電力料金に跳ね返ってくるからである。 昔から反原子力論者は日本にある全ての原子炉は安全が確保できないから止めるべきだと言って来た。そして原子力推進者は原子炉の安全は十分確保されてきたと言い、福島第一原子力発電所の事故で未だに放射能の漏れを止めることが出来ず、今後ずっと対策に追われることが判っていながら、それでも安全対策を見直して原子力発電は継続すべきだと主張している。今回の事故で後者の人は少しは前者に意見を変えた人もいると思われるが、大多数は推進派に止まっているようである。 反原発論者は「原子炉は安全でない」といい、原発推進論者は「原子炉は安全である」という。つまり、原子炉の安全に関して真っ二つに意見が対立している訳である。二つの意見が対立したままでは不幸なことである。従って、これらの意見を一つにするために、原子炉は安全か否かを決める必要がある。 問題を具体的にするため、福島第一原子力発電所に残された第5,6原子炉は廃炉にすべきか否かを、合理的に決める方法は次のようにすれば良い。プロジェクトは「第5,6原子炉を存続させる」ということにする。ここでの見積もり数字は直感であり、フェルミ推定ではあるが、実際の決定には専門家の検討が必要である。 まず、「安全」とは「リスクが許容できるほど小さい状態を言う」のである。許容できるか、否かはプロジェクトの価値による相対的なものである。そこで、まずこの二つの原子炉をこれから運転して発電できる寿命を後20年とする。この間、1基で100万KWを発電できるが、運転できるのは1年間300日とする。すると総発電量は、次の通りである。 次に総コストを見積もる。もう原子炉は存在するので、運用費と廃炉の費用である。運用費は資材やもろもろの諸経費も含めて、1台あたり年収1000万円の作業員が1000人必要であるとする。 損害の大きさは今回の事故により既に福島第一原発から30Km以内には人が住まなくなったとして良いだろう。今回の事故の損害が合計で100兆円として、その半分の50兆円で済むだろう。 プロジェクトを進めることに対して、リスクは許容できるかの判定基準は次式による。 P(利益)>C(コスト)+R(リスク)である。 6兆円は8千億円+5兆円より2千億円大きいから、進めて良いという判定である。 (追加)(4月26日) コストは原子炉の廃炉の費用+代替火力発電所の建設および運用費となる。しかし、リスクは原子炉の場合より1/100ぐらいに小さくはなるだろう。するとP>>(C+R)となって、代替策を取る方が適切な決定ということになる。 表現を変えると、代替策がある場合は、原子炉を続ける差分の利益は小さく、既存原子炉を使うことによるコスト増を防げる代わりに、大きなリスクをそのまま背負い込むことにより、P<(C+R)になってしまうということである。 (了)
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