(2016年1月8日)
1.運動量と力積
日本ハムの大谷翔平投手はマウンドから捕手のグラブに向けてボールを時速162kmで投げたことがある。プロ野球の投手でも時速150km以上のボールを投げることができる選手は少ない。普通の人が投げたら80kmか90kmぐらいであろう。秒速に直すと、大谷選手が45m/s、普通の人が投げるボールの速さは25m/s程度ということになる。
このボールの速さの違いはキャッチミットでボールを受けた時にその違いを痛いほど感じる。普通の人では大谷投手の速球を受け止めることは出来ないであろう。幸い受け止めることが出来たとしてもキャッチミットの中の手は痛くてたまらないだろう。同じボールを投げてもこの違いを表すために便利な運動量という概念がある。
ボールの運動量とはボールの質量にボールの速さを乗じた量である。ボールの質量をm、ボールの速さをv、運動量をpで表すと、運動量pはp=mvで定義された量である。大谷投手の投げたボールは普通の人の投げたボールより運動量が大きいということである。
投げられたボールをキャッチミットで受け止めるということはボールの速度をゼロにするということである。このとき短い時間であるが手からボールに力が加えられる。力を出した意識はなくてもボールの勢いに負けないように手は瞬間的に力をボールに与えているのである。手からボールに加える力をFとし、Fの力が掛った短い時間をΔtとする。これらを乗じた量FΔtを力積と称する。この間に速さの変化をΔvとすると、力Fが加わった短い時間に運動量の変化をΔpとするとΔp=mΔvである。
力積は運動量の変化に等しい。これは経験則である。
FΔt=Δp=mΔv
FΔt=mΔv ・・・
(1)
(1)式の両辺をΔtで除し、αを加速度とし、Δt → 0
の極限値を取ると、
F=mΔv/Δt
F=mα
・・・ (2)
(2)式はニュートンの運動方程式に他ならない。ニュートンが表したプリンピキアでは運動量の変化が力に等しいという表現で書かれている。つまり、(1)式からF=Δp/Δtであるとの表現である。
ボールはキャッチミットで受け止められた時に速さがゼロになるので運動量はゼロになる。ボールを受け止めた時間tの間に一定の力Fが加わっていたと仮定すると、近似的に(3)式が得られる。
Ft=mv ・・・ (3)
(3)式から、同じ運動量のボールを止めるにしても、なるべく止める時間tを大きくした方がFは小さくて済むということである。上手な捕手は瞬間的に手を引いてFを小さくすることが出来る。この身についた技で手に感じる痛みは少ないというのが物理の説明である。
地球上は空気で満たされており野球のフィールドも例外ではない。ボールに回転を加えると空気との相乗作用で横方向の力が発生し、ボールはカーブする。また、地球の重力により投手の手を離れたボールは捕手のキャッチミットに届くまでに少し落ちる。これら空気と重力をを無視すると上述の(1)から(3)までは正しい。実際、大谷投手がストレートを投げたとき、後ろから見るとボールは直線的に飛んでキャッチミットに入るように見える。普通の人が投げたボールはどうしても山なりになる。
以上は一般的な力学のどの教科書にも同様に述べられている説明である。
2.運動量は概念量
ここで投げたボールには小さな虫が住んでいたとしょう。虫では何も判断ができないかもしれないので映画「ミクロの決死圏」に出てくるようなミクロ人が住んでいたとしょう。このミクロ人は自分が住んでいる世界のボールが、空中を飛んでいる時点において、大谷投手が投げたのか普通の人が投げたのかを知ることは出来ない。投げられた後では運動量を検知する方法が全くないのである。
大きな運動量なのか小さな運動量なのかは、キャッチミットで止められたときに始めて判る。運動量は次元[m・kg・s^-1]を持つ完全な物理量ではあるが、私たち人間が頭の中で考えるだけの概念量であり、実体は何もない。
定量的に量として表しているものには物理量と心理量に分けて考えるべきであるということは別に説明した。価値、確率、リスクは心理量であった。
物理量にはさらに2種類に分けることが必要に思われる。実体のある量と概念だけの量である。例えば、速さは物理量であり次元も[m・s^-1]であるが、座標を決めないと定まらない。ボールがどれだけの速さで飛んでいようと、そのボールに住むミクロ人には判らない。速さは概念量である。これに対してボールの質量は典型的な物理量で、次元は[kg]であり座標に依存するものではない。
大谷投手の投げたボールが早いというとき、それは地上に対しての速さであり、地上に対して大きく動かない投手や捕手に対しての速さである。意識しなくても座標はグラウンドに固定したものである。ミクロ人はボールに固定した座標の世界で生活しているから自分が動いているのか止っているのか判定できない。
座標に依存しない物理量を実体量、座標に依存する量を概念量として区別して、他の物理量を区分けしてみる。
実体量:長さ(距離)[m]、面積[m^2]、体積[m^3]、質量[kg]、時間[s]、温度[T]、力[N]、圧力[Pa]、熱エネルギー[J]、等。
概念量:速さ[m/s]、加速度[m/s^2]、運動量[mkg/s]、運動エネルギー[kg・m^2/s^2]、位置エネルギー[kg・m^2/s^2]、等。
時間は実体量とすることに議論がありそうであるが、物体は時間とともに必ず変化するので実体量として構わないであろう。同じエネルギーでも運動エネルギーも位置エネルギーも概念量である。熱エネルギーに変換されて始めて実体量になる。
ここで力は実体量であることに注意していただきたい。ボールに力が働くと座標に関係なくその物体には応力・歪が生じる。ボールに住むミクロ人は歪を見て力がどの程度かかったか判る。ボールに両側から力が作用してボールは動かない場合も、片側からのみ力が掛ってボールが加速度運動をしているときも、力が掛ればボールの動きに関係なくそのボールには応力・歪が生じる。
3.重力は概念量
(1)から(3)式は重力と空気の摩擦を無視したものであった。空気とボールの間に働く摩擦力は無視するとしても、重力まで無視するのは大胆に過ぎるかもしれない。地球表面での重力加速度gは9.8[m/s^2]ほどある。
手からそっと放したボールが地上に落ちて行く自然現象をGravityという。日本ではGravityを重力と訳している。訳語である前に重さを生ずる力ということから重力と名付けられたものかも知れない。
ニュートン力学では重力を力として取り扱う。ボールの質量がmであるとすると、ボールにかかる力WはW=mgの大きさであるとするのである。もう少し詳しく述べると次のようになる。
ボールを静かに離すとボールは加速度gの大きさで落下する。これを自由落下という。自由落下中にボールには重力と称する力Wが加わっているが、加速度gで落下しているため慣性力mgが発生している。重力Wは慣性力mgと釣り合っているのである。
ボールを離さずに手のひらで持っているとき、ボールには重力という力Wが加わっているが手のひらからの反力が同じWであり、力が釣り合っている。Wの大きさは重力加速度gを測定し、質量mを乗じたものとする。このことから重力Wを定義できる。
いずれにしても、このようにして定めた重力という力Wは力の次元[N]を持つ。N≡kg・m/s^2である。しかし、アインシュタインが自由落下中は重力が消えていることに気がついた。1907年のことである。自由落下中のボールに住むミクロ人は投手の手から離れたボールと同じ状況の世界(つまり無重力環境)に住んでいるのである。
重力は力であるとするならば、つまり上述のWであるとするならば、それは概念量である。重力は実際の力ではなく見かけの力として認識するしかない。重力として認識できるのは重力加速度だけである。ボールの外からボールの運動を観察することしか認識する方法はない。
以上により、重力を力として取り扱うことは適切でない。実体のある力と混同されるからである。ニュートン力学を見直す必要があるとする由縁である。
(参考1)英語では
Gravity is not a force. グーグルで検索すれば出てくる。
(参考2)相対性理論では座標の取り方に寄らない距離の概念は不変量という用語を使っている。
(了)
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