原子炉は何故都会に作らないか  

(2011年3月26日)


(原子炉は何故都会に作らないか)

 電力は送電線を通って送られてきますが、送電線によるロスがあります。このため、発電所は出来るだけ電力の消費地に近いところに作る必要があります。水力発電の場合は発電できるのがダムのある場所ですから、長い送電線を経由するのも仕方がありません。

 火力発電の場合は発電所に必要な冷却水の手配に便利な場所ということや燃料の重油の調達に便利な場所ということで、比較的都会に近い海岸に作られることが多いようです。

 原子力発電の場合も、電力の消費地である都会に近い場所に建設する方が、長い送電線が不要で良いのですが、原子炉が都会の近辺に建造されることはありません。これは何故でしょうか。

 昔は「原子炉は絶対安全です」という説明をしていたようですが、勿論、世の中に絶対はありません。原子炉も事故を起こすことがあります。原子炉がただ停止してしまって発電が出来ない程度の小さいな事故は、それなりに対処すれば良いので、重油を使う普通の火力発電所と変わりないでしょう。

 しかし、原子炉の場合は炉心のメルトダウンのような大きな災害を近辺にまで及ぼすことがあり得るだけでなく、実際に米国のスリーマイル・アイランドや旧ソ連のチェルノブイリで実証されてしまいました。

 原子炉は大きな災害をもたらす事故の可能性がゼロではないのです。従って、大事故の発生確率が極めて小さくとも、事故が起きた場合の被害の規模を想定する必要があります。もし、都会に近いところに原子炉を建造した場合、放射能をあびたりして損害を受ける人が10万人、100万人になり得ます。つまり、損失の期待値であるリスクが大きいのです。

 これに対して、過疎地に建造すれば、送電線が長くなるなどの不利な点は多いのですが、万一大事故が起きても、被害を蒙る人間は皆無とまでは行かなくても少なくて済みます。つまりリスクは小さくなります。

 同じ規模の原子炉を建造するに際し、過疎地につくることは原子炉を作ることによる恩恵(B:Benefit)を少し小さくします。コスト(C:Cost)も少し増えるでしょう。しかし、リスク(R:Risk)は大幅に小さくなるのです。

 プロジェクト遂行の正当化のための原則を原が提案しています。それによれば、原子炉建造場所の問題は、B-(C+R)が最大になる場所に建設することが正しい選択となります。下がって、原子炉を都会に作ることはあり得ません。

(追加) 故石原慎太郎が都知事をしていた2000年に原子炉を東京都に作ってよいと言ったようですが間違っています。


 (ロケットの発射場は何故都会に作らないか)

 JAXAのロケットの打ち上げ場は内之浦と種子島にあります。H-UAロケットは名古屋港の飛島で最終組み立てが行われますから、知多半島に射場があれば輸送コストも大幅に小さくなって打ち上げ要員の出張にも随分便利です。

 しかし、ロケットの打ち上げには射場での爆発事故が考えられますから、如何にその確率は小さいと言えても、国として許可されません。理由は原子炉を都会に作らないことと同じです。

 (P3研究所は何故都会に作ってはならないか)

 数年前から、神奈川県の藤沢市で武田薬品が周りを人家に囲まれた横浜工場の敷地内にP3研究所を作ろうとしているため、近所の住民との間で争いが起きています。原子炉の大事故と同じく、万一猛毒のビールスなどが近所に漏れた場合の被害は大きなものがあると想定できますから、P3研究所は過疎地に作らないとリスクが大きいものになります。

 それでも、武田薬品が建造を強行するのはBが大きいという算定である筈です。しかし、住民運動が起きているということは、万一漏れた場合の事故の大きさ(そして住民に対する補償など)の額を小さく見誤っているのかも知れません。

 プロジェクト遂行者は武田薬品ですから、このBは武田薬品に取ってのBであって良いのです。住民に対して、前もって心配料のようなものを配って賛成を得るのなら、それらの費用はCに含まれます。B、C、R 内容を武田薬品と住民の双方で共通認識を持つことによって解決の道が開けるでしょう。

 

(了)


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