日本刀の所持と登録証 |
日本刀を所持するのに免許とか警察の許可は必要ありません。ただし、日本刀には1本1本左図のような「登録証」が付いています。これは車の車検証のようなものです。従ってこれは刀に付くもので、人に発行される免許証などとは異なり、「登録証」には所有者の名前などの記載はありません。これが付いていない日本刀を所持していると、不法所持となり懲役、または罰金が科せられます。日本刀を購入する場合、必ずこの「登録証」が付いていることを確認して購入してください。
中古車を買った場合と同じように、日本刀を購入した場合、譲り受けた場合は名義変更をしなくてはいけません。「登録証」に名義が記載されていないのに名義変更?と思われるかもしれませんが、今現在この刀を誰が持っているのかを届け出る必要があります。届け出といっても、葉書に「登録証」に記載されている記載事項を転記し、自分の住所、氏名を記入捺印し、「名義変更」として「登録証」に記載の県の教育委員会宛てに投函するだけです。刀屋さんで購入した場合は、専用葉書が刀屋さんにありますので代わりに書いてもらっても良いでしょう。
このように、刀の登録は教育委員会が管轄しているのです。変更届を出す時、注意しないといけないのは送り先の教育委員会です。写真では「福岡」の教育委員会になっていますので、自分が東京に住んでいても福岡に送らないといけません。
「登録証」には何が記載してあるかと言いますと、種別(刀・脇差し・短刀など)、長さ(刃渡り)、反り、目釘穴の数、刀工の銘です。ちなみに、教育委員会からは登録変更完了等の返事は来ません。こちらから送るだけで完了です。なお、名義変更をしたからと言って、警察が見に来たりすることは一切ありませんので、必ず行って下さい。
登録証が無い日本刀を所持していると罰せられます。買ったり譲り受ける場合は必ず「登録証」のあるものにしてください。
ただ、代々続く旧家などの場合、整理していたら蔵の奥から「登録証」の無い刀が見つかることもあるかもしれません。この場合は、刀を持って警察署へ「発見届け」の手続きをしに出向いてください。派出所ではなく、所轄の警察署です。警察署までの道中、「登録証」なしで持ち歩くことになりますが、届け出に行くのですから問題ありません。保安課が担当ですので、刀が出てきたことを届け出ると、書類を何枚か書くことになります。何処から、どういう状況で出てきたのかが主になります。正直に記入しましょう。その刀が必要なければ任意提出で置いて帰ることも出来ます。
手続きが済むと、届け出済みの書類と刀を返してくれます。次に書類に書かれている日時に、指定場所(県庁など)に刀と登録済み証を持って行き、登録証発行の審査を受けます。登録証が発行されるには日本刀であることが条件です。伝統的な鍛錬を行い、焼き入れを施したもので、価値のあるものにのみ発行されます。価値とは値段のことではなく、日本刀として美術的に価値があるかどうかです。つまり表面的な錆(さび)であれば研ぎによって本来の姿を取り戻せますが、芯まで錆びているようでは登録証は発行されません。また鉄をただ打ち延ばして刃を付けただけのものや、戦時中に車のスプリングとして使用されていた板バネを加工したいわゆるスプリング刀や、一部の軍刀のように洋鉄を使って作られたようなものにも発行されない場合があります。
判別は専門の人たちが来て審査し判断します。ただ、この時「登録証」に記載される刀工銘は、実際に茎(なかご)に切られている銘をそのまま記載するので、イコール本物であるという証明では無いので、注意してください。合格すれば、その場で登録証が発行されます。なくさないよう大切に保管して下さい。なお、鞘に輪ゴムで巻き付けておいても構いませんが、できれば通帳と印鑑のように別々に保管することをお勧めします。
豊臣秀吉の時代に刀狩りが行われたことは歴史で習って知っている人は多いと思いますが、終戦後に刀狩りが行われたことを知っていますか?
ポツダム宣言によって日本は無条件降伏をしました。この中に日本軍の持っている武器全てを連合国側に引き渡すと言う一文がありました。その武器の中に日本刀も入っていたのです。日本刀に対して脅威を持っていたからです。また、軍の持っている日本刀だけでなく、民間人の持っているものも含まれていたのです。従って、日本刀は全て取り上げられてしまうことになったのです。進駐軍の指令により、警察は全力をあげて刀狩りを行ったのです。国宝とか重要美術品に指定された刀を疎開してあった所も根こそぎ持って行かれてしまいました。
当時進駐軍は日本を幾つかに分け、それぞれ別の分隊が管轄していました。一部の地域では集められた日本刀にガソリンを掛けて焼き払ってしまったりしたそうです。しかし日本刀は、昔から美術品としても扱われて来ました。刀剣を国宝とか、重要美術品に指定しているのは世界中で日本くらいです。また、戦時中においても美術的に価値のある刀は決して実戦には使わず、武器としての価値しかないものを使用していました。ですから美術的価値のある日本刀は、没収からはずして欲しいとある人たちが連合軍に嘆願しました。
その進駐軍の担当者がキャドウェル大佐という人物でした。彼は何度も足を運び嘆願する日本人の気持ちを理解し、刀を救ってやろうということになりました。しかし、管轄が幾つにも分かれているので、全てに統一した命令を出すのは困難であったので、どうしても没収や紛失されると困るというものを全国の博物館、美術館に集めることになりましたが、敗戦国の日本人には輸送手段もありませんでしたが、キャドウェル大佐が便宜を図り、協力してくれなんとか集めることが出来ました。
昭和20年には美術的、骨董的に価値のある刀は審査の上善意の日本人には返却されることになりました。しかし、この審査権はアメリカにあったので自分の欲しいものや都合のいいものを取り上げるということになりかねませんでした。そのため、日本政府が所持許可証を出し、審査も日本政府が選んだ専門家によって審査をするように嘆願しました。これが受け入れられ審査会が行われましたが、民間人にとっては審査に出せば取り上げられてしまうと先入観があり出さない人が多かったようです。
そこでPR不足もあったのでもう一度審査会をやることに決まりました。ただし、前回審査に出さなかった理由をはっきり書くという条件が付けられました。前回の審査に出さなかった理由を書くと言うのはきつい条件でした。その理由は進駐軍に取り上げられると思ったからだなどとは書けなかったからです。そこで、困った日本側はキャドウェル大佐に本当にやむを得ない理由として何が一番良いかと尋ねることにしました。すると、キャドウェル大佐は審査に出さなかった民間人の気持ちを察し、「忘れていたというのが一番不可抗力だ」という返事をくれました。しかし、2回目にも出さない人が多かったのです。それは敗戦直後の日本人は極端に貧乏だったので、遠くの審査会場へ刀を持って行くには、経済的、時間的にも無理だということになり、期限を切らずに発見したらいつでも届けを出し、審査を受けられるようにして欲しいと願いで、それが受け入れられ今日に至るわけです。
しかし、所持は認められるようになっても、売買は禁止されていました。そこで、日本の愛刀家が結束して組織を作り、刀を守っていくようにすればいいのではということになり、財団法人日本美術刀剣保存協会が設立されたのです。
日本刀は、このアメリカ人と熱心に嘆願した日本人によって救われました。ひょっとしたら、私達は日本刀を目にすることがなかったかもしれないのです。この日本刀を私達は次の世代に引き継いでいかなくてはいけません。何百年にも渡って受け継がれてきたこの日本刀を保存、引き継いでいくのは私達の義務だと私は思います。