【神田共立講堂】
共立講堂はその名の通り共立女子大学の講堂で、一般に神田共立講堂と呼ばれて
いました。
神田共立講堂は、1938年(昭和13)3月20日に落成しました。
外観は縦型の付け柱によるゴシック調にデザインされ、また屋根の形状は切妻型で、
当時としては大変モダンな意匠でした。規模・設備においても日比谷公会堂と並ぶ大
講堂でした。
1956年(昭和31)に内部を消失しましたが、翌1957年(昭和32)に再建しました。
再建には文化的ホールとして、音響および照明に充分な工夫がなされ、音響につい
ては、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者の渡辺氏の指導を受けたそうです。
客席数は1,500程度で、客席は2階まであります。
戦後はこのような大講堂が都内にも少なく、『日本の文化の殿堂』として音楽関係の
公演のメッカとなりました。クラシック、フォーク、ロック、海外アーティストの公演にも
しばしば使用されました。
日本大学マンドリンクラブでは、1960年(昭和35)に第1回定期演奏会をここで行
い、1967年頃までここで春と秋の演奏会に使用していました。
他大学のマンドリンクラブや全マン連の演奏会でも多く利用されていました。
その後、消防法改正や社会環境の変化にともない貸しホールとしての使用を終了し
ました。
現在は大学の入学式や卒業式そして学園祭などの催し物に使われるだけになってい
るそうです。
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