日本大学マンドリンクラブOB会
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懐かしの神田三崎町

思い出は人それぞれ違うもの。
それぞれが映画のシーンのように心に焼きついています。
これは私の個人的な思いの三崎町ですので、ご容赦下さい。
(写真:2005年12月4日撮影)
東京・水道橋には、日本大学の本部、法学部、経
済学部などがあります。
写真は、今も変わらないJR総武線水道橋駅ホー
ムです。
水道橋駅東口を出ると目の前が三崎町の白山通
りです。この三崎町の名前は、旧神田区と旧麹町
区が1967年に合併して神田の字が取れ、神田
三崎町から三崎町に変わりました。
ここから2〜3分の場所に本部・法学部・経済学部
などの学部の校舎が建っています

白山通りは変わっていました。通いなれたマージ
ャン屋、パチンコ屋はもうありません。
学生相手の食堂は洒落たレストランに・・。
現経済学部校舎。この校舎は1971年頃、学生運
動で破壊された校舎を建て替えたものです。

三崎町白山通りを歩くと、なぜか思い浮かぶ歌があります。日大の応援歌『日大節』で
す。最近の学生はこの歌をまったく知らないようですが、古い世代にとっては日大の第
ニの校歌または会合・宴会のテーマソングとも言うべき歌でした。唄い出すと中々終わ
らない長い歌です。歌の前には口上があります。

創立45周年記念演奏会後の懇親会(2004.12.25)では、8期氏家さんが久しぶりに日
大節を披露して下さいました。創立45周年記念演奏会もちろん参加者に大うけし、
全員が大声で歌いました。

現在、日大節は大学では禁止令がでているようです。ここでは、当時の思い出ということで掲載させていただいています。
【日大節】
○○の部分は"マンドリンクラブ"などを入れる)

日大節〜
東(ひんがし)に大利根の清流をそそぎ
西に霊峰富士をば仰ぐ
ここ大江戸神田三崎の杜に
巍然とそびえ立つは我が日本大学である。

青山(せいさん)桜花の元に馳せ参じ
明日の日本を背負い立つ
わが日本大学○○○のつわものどもが
ここに集いていざ日大節の一節を
声高らかに歌わんかな舞わんかな
いざ狂わんかなぁー

エッサコリャコリャこの俺は
まかり出ましたこの俺は
日大一の色男

エッサコリャコリャこの俺は
まかり出ましたこの俺は
日大一の強き者

エッサ見てくれこの身体
柔道で鍛えしこの身体
エッサ見てくれこのかいな
空手で鍛えしこのかいな

エッサコリャコリャ
前から来い 後ろから来い
前から来るやつはワンパンチ
後ろから来るやつは背負い投げ

エッサコリャコリャ日大の
日大名物数あれど、数々あれど数あれど
数ある中のその中の日大節は一拍子

印部分を次のようにする事もあるようです) 
皆がそろたら日大節だよ日大節は一拍子


ここは神田か東京の町か
東京の町なら大学は日本

大学日本の学生さんは
度胸一つの男伊達

度胸一つで神田の町を
歩いて行きます紋付袴

紋付袴は日大の育ち
ボロはおいらの旗印

ボロは纏えど心は錦
どんなものにも恐れはせぬぞ

どんなものにも恐れはせぬが
可愛いいあの娘にゃかなやせぬ

可愛いいあの娘がいつでも捨てる
母校のためなら命までも

命捨ててもその名は残る
大学日本のその名は残る
ついでにおいらのその名も残る
ついでに○○○のその名も残る
ついでに○○○のその名も残る

皆が揃うたら三度三度の七拍子

フレー、フレー、日大

フレッ、フレッ、日大
フレッ、フレッ、日大
 

マンドリンクラブの練習は経済学部や法学部、ま
たは商学部(世田谷砧)で多く行なわれました。
練習後の会合は、喫茶店「白十字」と決まってい
ました。店内にはクラシック音楽が流れ、2階の
窓ガラスは洒落たステンドグラスでした。
写真は「白十字」がある周辺です。
普通のコーヒーです。それがどうしたの・・と言わ
ずテーブルをご覧さい。
白い十字のマークがあります。
これだけでお判りの方は1期から20期位までの
方々でしょうか。
これで判った方だけこの緑文字をクリックして
下さい。
法学部の裏手には、「アドレ」という学生街の喫茶
店がありましたが、これも現在は写真のイタリアレ
ストラン風に変わっています。

練習の後や「白十字」の会合の後には、飲み会で
すね。
写真は法学部後ろにあった居酒屋「養老の瀧」の
後に出来たと思われるのラーメン店。
飲みすぎて支払いが出来ず学生証を置いてきた
ヤツもいた。
水道橋駅ガード下(三崎稲荷神社向い)にあった
居酒屋「後楽」も別の名前になっていましたが、同
じく居酒屋でした。

あれだけあった麻雀屋(南々荘、富士荘、東南
荘・・・)は、見かけなくなってしまいました。
『アイウエオ』等のパチンコ店も多分ないようで
す。

そうは言っても何か知っている店はないものか
と探索したところ、経済学部脇で、日本そば「満
留賀」を見つけました。
日本そば「満留賀」は、日大マンドリンクラブの
演奏会プログラムには必ずといってよいほど広
告を掲載していただきました。

"ど根性そば屋” 頑張れ
近くの方は食べに行って下さい

≪後日記≫
麻雀屋の『りゃんぴん』は、元気である事を後日確認。なんかう
れしいです
しかし、このHP掲載時あった『満留賀』は、2012年に気が付い
た時には閉店となっていました。
レストラン「サンライズ」、「キッチン熊」・・・・
思い出の店です。高橋さん(6期)の「みのり食
堂」(レストランみのり)も閉店してしまいました。
写真上は閉店した”みのり”。壁には薄っすらと
店名の文字後が残っていました。

写真下は天麩羅・とんかつの店「いもや」。
1970年頃から白山通り周辺でチェーン化し、
今も何軒か見かけました。牛丼「吉野家」に
初めて入ったのもこの白山通りでした。
初期の牛丼には糸こんにゃくと焼豆腐が入って
いたような気がする・・・
町の変わり様は、単に食生活が変わったという
より、大きな時代の流れだと感じました。

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