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OB・OGなんでも投稿(特別号1)
宮田俊一郎先生寄稿
宮田俊一郎先生が、ご生前 『鳳友』、『マンクラタイムス』、『弦想』、『プログ
ラム』などに寄稿されたものです。
宮田俊一郎先生が本当に日本大学マンドリンクラブを愛して下さっていた
事がとてもよく分かります。当時の日本大学マンドリンクラブの雰囲気が見
えるばかりでなく、先生のお話は現在にも通じる事柄も多く出てきます。
2006年9月28日
【巻頭記】
『マンクラタイムス』1968年(昭和43)5月の発行。
第4号への寄稿から。
(
『マンクラタイムス』の資料はここをクリック
)
1968年(昭和43) 5月17日
宮田俊一郎
今年の春以来各大学とも学園内の騒動が絶えず、そでぞれ事情はあれども、そ
の例にもれず、此の所、各学部ともてんやわんやの騒ぎである。未だにその解決
のきざしは見えず、むしろ、次第に拡大されそうな気配さえ見える。
しかし、日大マンドリンクラブでは今月の29日(土)に9期春の演奏会が予定され
ており、あと12日に迫った今日此の頃(書いている現在は17日)普通ならば、練習
たけなわの追い込みで目いっぱいというところであるが、今回はその学園内の騒
動故に此の三週間の余り、練習らしい練習も出来ず折角の八王子の合宿も不参
加者が多く、練習不足はおおい難く、四年生諸君の苦労もさこそと察せられる。
此の学園内の騒動もとやかく言えるものでなく、また止むを得ないとしても、日大
マンドリンクラブとしては演奏会を直前に控えているだけに、その痛手は大きい。
だが「ぜに」をとってやる演奏会である以上、そんな泣言ばかりも並べてはいられ
ないし、又 同情ばかりもしていられない。現在の時点に於いては演奏会で立派な
納得の行く演奏は望むべくもなく、又、その自信も全くない。
とにかく立派な演奏を聴かせるべく全員一丸となって、なんとか練習場を探して
努力しなければならない。これからの12日間歯をくいしばって頑張り抜き、なんと
かOB・OG諸君に喜んで貰える演奏会にしたいと思っている。
又、春の演奏会に来られたOB・OG諸君には是非 気が付いた点等、アンケート
に御記入願いたく、それが今後のクラブの発展に資する所大であると思う故、よろ
しくお願い申し上げる次第である。
2006年9月27日
【中年肥り】
『マンクラタイムス』1967年(昭和42)11月の発行。
第3号への寄稿から。
(
『マンクラタイムス』の資料はここをクリック
)
1967年(昭和42) 11月
宮田俊一郎
"中年肥り" 嫌なひびきの言葉だが、私もその仲間の一人らしい。昨年春、たま
たま胃を悪くして胃潰瘍となり、そのためにタバコをやめたり、食事療法に精を出
し全快、その当時60Kg位だったのが、肥る肥ると思っているうちに、一年後、今春
にはなんと78Kgとなり、マンドリン、ギターの演奏にもこと欠く有様、その上、医者
からもこんなに肥ると心臓に圧迫を加えることになり、血圧にも悪影響と脅かされ、
それ以後は専ら減食に減食を重ね、現在やっと70Kg(中年肥りも楽ではないです)
だが、現在でも足を組んで演奏するのが辛く、もう少し減量したいと一生懸命。
朝晩は御飯一膳、御数や御飯類は一切とらず、苦心しては居るが、なかなか思う
ようには行かない。
よく "貫禄充分で結構ですね" 等々とけなされているのか、ほめられているのか
分からないような事を言われるが、貫禄もなにもギター、マンドリンの演奏に支障を
来たすようでは飯が食えなくなり、重大なことである。身体にも悪いし、日大マンクラ
の為にも、子供達の為にも、今後共いつまでも元気で、張り切ってやらなければな
らない故、今後とも減食を重ね、やせるべく努力をつづけ、いつまでも元気で、張り
切って躍進する日大マンドリンクラブと一緒に進んで行くつもりである。
2006年9月26日
【ちょぃと云わせてね】
『マンクラタイムス』1967年(昭和42)4月20日の発行。
第2号への寄稿から。
(
『マンクラタイムス』の資料はここをクリック
)
1967年(昭和42) 4月20日
宮田俊一郎
昨年マンクラタイムス第1号が発行され、OB相互の近況紹介・連絡はもとより、
現役部員の動静・交流を兼ねささやかな小誌と言えどもOB間で大変好評を博し
ました。
今回はいよいよ第2号が発行される由、今から楽しみにして居ります。
本日(4月20日)たまたまOB会がある由、NHKの仕事が終り次第、出掛けるつも
りでいますが、どんな顔ぶれが出席しているか楽しみです。でも聞く所によると、総
会は勿論、例会に出席する方はいつも殆ど決まった方ばかりとか、早くいえば常連
ばかりと言った所だそうです。場所は皆さん御存知の三崎町 白十字、日時も月の
「第何」の「何曜日」と定まっている由、地方の方は出席したくとも出来ないで残念
がっている方も居るようですが、東京に居る方で全く出席しない方が沢山いるのは
大変残念です。又、総会の委任状は往復葉書で返信が来たのはなんとたった一通
とか・・・私や現役の部員達がなんとかよいOB会にしたいと念願していますが、OB
諸先輩の方々頑張って下さいよ
!
皆さん、それぞれ忙しい方々ばかり、とても出席出来ない、又、原稿など書いて
いられないと言う方々も是非葉書の片隅でも良いですから「忙しいから書けない残
念!」とか「忙しい
!
欠席」だけでもよいですから返事をくれるよう望みます。
家庭もあり、仕事もあり忙しくてやりきれないと言う方も居るでしょうが、その位は
OB会員としての義務があると思います。
忙しいのはお互い様。そしてより良いOB会にする為にもOBの皆さん一寸でも多く
の方のお知恵を拝借してより立派な、現役部員からも慕われるOB会にしたいと思
います。
さあ、早速次ぎの例会からでも出席して頂いて、希望・不平・不満なんでも結構、
気の付いたことで御投稿下さい。そして、ますます発展して行く日大マンクラと共に
ますます世界人類の増えて来る中、OB会をみんなの力で立派なものにするよう努
力しましょう。
2006年9月25日
【待望の会報『マンクラタイムス』の誕生おめでとう】
『マンクラタイムス』1966年(昭和41)11月頃の発行。
創刊号への寄稿から。
(
『マンクラタイムス』の資料はここをクリック
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1966年(昭和41) 11月
宮田俊一郎
日本大学マンドリンクラブも「努力とファイトと和」を精神として、着実に前進・発展
をみせて、茲に七年、現在まで多数の有能なる卒業生を世に送り出し、それぞれ社
会の第一線で活躍、又、更に優秀なる若い部員達を多数擁して、今後益々発展して
いく日大マンクラである。
OB会にも年々会員数が増加、来年ともなれば、百名を越える大所帯となる。大変
結構ではあるが、人数が多くなればなるほどOB会員相互の近況・消息交換、及び
OB現役間の交流など、いろいろの問題が目立ってくる。OB会員の中には、地方の
方もおり、OB会には出席できず、又、演奏会にも来られない方々もおり、日大マン
クラとも、だんだんと遠いものになってしまうような次第である。
私としては、OB部員も、前に一緒にやって来た連中だし、現役組も数年たてば、
やがてやっぱりOBになる訳で、いつまでもOB・現役が仲良くお互い助けあってや
って貰いたいのである。
という訳で、何か良い案はないかと四年生諸君 及びOB諸君と相談したところ、
四年生諸君の積極的なる熱意 及びOB諸氏の熱意ある協力により、今回このよう
な、ささやかながらOB・現役を結ぶ連絡紙を出すことが出来ました。大変嬉しいこ
とですが、これを機会に、今後ともいつまでもOB・現役共に力を合わせて、この小
誌をより良いものに育て上げて行くと同時に、日本大学マンドリンクラブが更に発展
するよう「努力・ファイト・和」の精神で一致団結邁進しよう。
2006年9月24日
【気のむくままに/日大マンクラと私】
『鳳友』1971年(昭和46)11月発行の創刊号への寄稿から。
(
『鳳友』の資料はここをクリック
)
1971年(昭和46)11月
宮田俊一郎
日大マンドリンクラブは第12回定演を目前に控え連日の称省に余念のない今
日此の頃、次期13期の執行部の連中の動きもまた活発になり、第12期の4年
生諸君の活躍も余すところ幾日と秒読みに入りました。
私が日大マンドリンクラブに出掛けるようになったのが昭和34年晩秋、私が34
才、部員達が19〜20才位ですから現在の第1・2期のOB諸氏と現役組の関係位
でした。
昔は兄貴のようなつもりでやっていられたのが、この頃では私が46才、部員はい
つまでたっても、19〜20位故、最近ではお父さん、その内にはおぢいちゃん、
あ
!
嫌んなっちゃった
!
OB・OGの皆さんは4年間で惜まれつつ卒業され、私だけ残っていつものの、な
んだか私1人だけ年をとっている見たいです。
現役部員の方々とは年の差もあり、また以前のように、酒も余りのめなくなり、い
つまでたっても馬鹿正直の真面目人間では、だんだんOB・OGのみなさん部員の
連中も話しづらくなるんぢゃないかといささか心配です。
でも気は至って若いですから心配なく、また気兼なく相談して下さい。
ユーヅーが気かないようでも話しはわかるつもり、現在まで現在まで仲介人を13
組もやって居り、その中10組は日大の方々のをやらせて貰って居ります。みんな
喜んで貰えて私も幸せもんですよ。
今までの定演合宿みんな覚えていますよ、みんな懐かしいですね。
定演何回やっても、その度毎に感謝し良いものですね、12期定演張切って頑張
りますよ。
OB・OGの皆さん出掛けて下さいね。
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