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OB・OGなんでも投稿(特別号2)

宮田俊一郎先生寄稿

  宮田俊一郎先生が、ご生前 『鳳友』、『マンクラタイムス』、『弦想』、『プログ
  ラム』などに寄稿されたものです。
  宮田俊一郎先生が本当に日本大学マンドリンクラブを愛して下さっていた
  事がとてもよく分かります。当時の日本大学マンドリンクラブの雰囲気が見
  えるばかりでなく、先生のお話は現在にも通じる事柄も多く出てきます。

2007年1月25日
【この8年間を想い出すままに】

機関誌『弦想』1968年(昭和43)の発行。
第6号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                   1968年(昭和43)
                                    宮田俊一郎

 今年も弦想の季節になりましたね。今年は例年より少し遅いけど、例年弦想の依
頼される時は早春3月頃であり、冬眠からさめて、これからの意気上る日大マンク
ラの活動が開始されたことを、その依頼状と共に知らされたものである。
 今年も第8期の卒業生を送り出し、豊田主将を中心に今年の活躍が大いに期待
されるわけだが、最近は秋の定演の外に、春のスプリングコンサート、それに演奏
旅行と、演奏会も多くなり、自己の技術を磨き、そしてプレクトラム音楽を楽しみ研
究する余裕が于く、新しい曲等も充分に練習して内容を知るまでに至らずに、演奏
会になってしまうことが多く、又、なんといっても練習場が思うにまかせず、週3回確
保、何曜日と何曜日にどこでやると定めて出来ず、執行部の方々の苦労も充分察
せられるものである。又、練習場思うように行かないことは、ひいては合宿にもひび
いて、春・夏の合宿も自ら演奏旅行に比重がかかり、定演用は又別にするという形
をとらざるを得ない状態にある。
 だが、負けずに頑張ろう。これからもいろいろときびしいことも多いだろうが、1人
1人がしっかりした気持をもって、努力・ファイト・和の精神を生かし、全員一丸とな
ってクラブ員としてやって行く以上、早・慶・明・中央に負けないよう頑張って貰いた
いものである。

まず
@基礎に忠実にあれ
 唯弾くだけでなくダウン・アップは強弱・アクセントに通じ、ダウンが多い場合はア
クセント・強弱には充分注意して演奏して頂きたい。平凡にダウンばかり多く使うと、
音はききづらく、荒く、きたなくなる。従って内容が著しく悪くなる。私もダウンを多く
使いが、その場合は結構神経をつかっている。ダウン・アップの割合は普通7対3
位である。

A手首から先を充分振る。
 最近腕の力を利用して弾いている人が多くなってきた。ボリュームを気にしすぎる
余り、音を強くすることにこだわる結果、腕の動きが多くなる。この場合、アップの演
奏は非常に骨が折れるし、トレモロも荒くなり、三連音符は全く弾き難くなり、内容
が悪い。手首から先を充分に振ると、ボリュームを出すことはできる。

Bフレーズ・スラー・アクセントに充分気を付けること。
 曲を生かすも殺すも、演奏者の注意一つにかかっている。パート練習の時などに
不明な所は充分納得のゆくように聞いておく。

C三連音符の弾き方は必ずマスターしておかなけらばならない。
 〔ダウン・アップ・ダウン〕、〔ダウン・アップ・ダウン〕の形はアレグレットまで、
 〔ダウン・アップ・ダウン〕、〔アップ・ダウン・アップ〕の形はアレグロ以上。

Cシンコペーションに注意。
 テンポがとり難いが、練習する時によく数をかぞえながらやるようにすれば、完全
にマスターできる。

E〔ダウン・ダウン・アップ〕のような型に注意。
 いつも普通は〔ダウン・ダウン・アップ〕になる。〔ダウン・ダウン・ダウン〕はまだし
も、〔ダウン・アップ・ダウン〕は絶対にいけない。

F姿勢よく演奏する。
 去年の全マンの共立マンドリンクラブとの合同演奏の折、観客席から見て姿勢が
悪いという印象を受けた。一見して姿勢のよいのが共立、悪いのが日大マンクラ(
オーバーかな)と思って良い位、でも最近、大分注意しているようで良くなってきた。
姿勢が悪いと演奏までまずそうに見えるので注意して貰いたい。

G指揮を注意して見る。
 指揮を注意して見られるだけの余裕のある演奏をしてほしい。楽器だけにかじり
ついていては、良い演奏はできない。


 今後とも、より立派な演奏のできる日大マンドリンクラブの為、1人1人が充分注
意して、そして頑張って貰いたい。
 
2007年1月17日
【この8年間を想い出すままに】

機関誌『弦想』1967年(昭和42)の発行。
第5号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                   1967年(昭和42)
                                    宮田俊一郎

 昭和42年度、春の演奏会も間近、連休を返上して練習に余念がない今日此頃。
早いもので私が日大マンドリンクラブに指導を依頼されて通うようになって8年目、
小生も34才の若さ、部員諸君とも12〜13才しか違わず兄貴のようなつもりでし
たが、現在41才で部員と20才からの差が出来てしまい、ちょっとガッカリ(最も41
才でも現在26才位のつもりでやっていますから宜しく。)でも、これから益々張り切
ってやって行くつもりです。
 昭和34年の12月に日大マンドリンクラブ新館地下の会議室に顔を出し、主将
杉浦、副主将 松井、指揮 松橋等と会い、今後の打合せを行う。35年春、鎌倉合
宿、そして編曲もフローレンスの夜、真珠採りのタンゴ位が出来上がった所で、共
立講堂での秋の第1回演奏会決定、全員一丸となって猛練習、大物の曲とて無か
ったが内容は立派なもので、成功のうちに終了した。
こうして日大マンクラの基礎は確立され、第2期の人々にバトンタッチされた。
 第2期の人々は、主将 菊池、マネージャー 稲垣、会計 広瀬、指揮 佐々木、そ
れにギターの高瀬、とにかく4年生は5人だけ、合宿は中軽井沢の公民館を借り、
全員交代で自炊を挙行。不運なことに指揮の佐々木君が演奏会の1週間位前に
病気で倒れ、演奏会は不出場、残念だったことだろうと思う。
 第3期は、小川主将兼指揮者、車崎、正者、吉宇田とマンドリン三羽鳥が居り、
マネージャーは大沢、他に堀、水出、小林ら怱々たる連中、夏の軽井沢の合宿で
小生不覚にも堀君より貰った風邪薬を飲んだところ、胃ケイレンと蕁麻疹でひどい
目にあった。小生アレルギー異常体質なのにうっかり飲んだ為。
此の年は全員バロック音楽が好きで、定演にバッハの舞踊組曲をやり、好評だっ
たがバッハの難しさということがちょっぴりながらわかった。
 第4期は、日大マンクラ初めて1年生よりの部員で宮澤主将兼指揮者、上坂コン
マスの時代で、副主将 小野寺が顔を真赤にして怒鳴っていたっけ。上坂コンがカ
ルメンのアルゴネーズのオーボエの部分をマンドリンで弾き、そのトレモロが細かく
キレイだったのが今でも耳に残っている。
 第5期は、梶芳の指揮、岩井の主将・コンマスそして本郷のマネージャー等の時
代で此の年より尾瀬の合宿になった。合宿の帰りに部員の一人より駅で手紙を投
函するように頼まれたが、内容はラブレターの由、マンドリンの指導ばかりでなく、
その方迄頼まれたり中々忙しいですよ。
 第6期は、日大マンクラも益々充実、今迄4年生は第4期の14人が最高だった
のが、一躍倍に近く20数名になる。指揮は「モテマス」の三浦君で、コンマス成瀬、
細い体でよく頑張ったが高橋、荻間の援護のあったことも忘れられない。定演では、
スラブ行進曲をやったが中々難しかった。
 第7期は、工藤主将、林指揮、輿石のコンマスで春、記念演奏会をやり、日大マ
ンクラ史上新しい一頁を画した。秋にはベートベンの第3交響曲をやり、他のマンド
リンクラブをあっと云わせた。
今年は第8期、皆張り切ってはいるが空廻りに終らぬよう演奏が雑にならぬよう厳
にいましめて行きたい。
ある学生のクラブの人が「学生のクラブの実力はプロ級である。」と云ったとか、云
わなかったとか。云わないのならよいが、そう云ったとしたら問題である。困ったこ
とである。
お客様はあくまでも学生のマンドリンクラブと云うことで聴いているので、ボストンフ
ィル、ベルリンフィル又はNHK交響楽団と一緒に扱ってはいないのである。
学生だからアマチュアだからと甘い点をつけてくれるので高い料金で入場券を売っ
たり、はでに宣伝したり、その方はプロ級であるが技術、演奏ともプロ級とはどこを
標準にしていっているのであるか、情けないことだ、うぬぼれてはいけない。
努力あるのみである。そして、更に更に飛躍を遂げるべく一丸となって頑張ろう。
 
2007年1月8日
【頑張ろう、ファイトだよ、努力だよ】

機関誌『弦想』1966年(昭和41)の発行。
第4号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                   1966年(昭和41)
                                    宮田俊一郎

 春の合宿も終り、桜のたよりが聞こえる頃になると、クラブ活動も、新学期を迎え、
新たな決意に燃える活発なる活動を始める。
今年も和きあいあい、闘志と努力でこの一年、学問にプレクトラム音楽追求に、有
意義なる一年になるようお互いに頑張ろう。

 原稿を書いている"今日4月13日"は忘れもしない昭和20年4月13日 海軍衛
生兵として武山海兵団(注:横須賀にあった)に入隊した日である。
尤も20年も前のことではあるが、小生19才の時である。
毎朝5時半起きで1日のきびしい訓練開始、朝、顔を洗いながらソバにいるスズメ
が羨ましく、羽がありドコでも行けていいなあ! と思ったりした。
 生命を日本海軍に預け明日の生命もわからず、希望とてない毎日、そして終戦と
なる。
自宅に帰れば、家は勿論その辺一帯は焼け野原で焼け残った家の一間に父、母
が無事だっただけでも見つけもの。
 その後は食物がない、すべて配給でそれも充分でなく、闇市を歩いては米を、い
もを探して歩き、又 茨城、千葉、福島、岩手、静岡と知人をたずねては米をいもを
貰ったり、又 ドングリの粉を挽いて食べたり、鶏頭の葉っぱ、イモの茎と今ならとて
も食べられるシロモノではない。
従ってデイトどころの騒ぎではなく、食物屋はないし、物価はどんどん上がるし、そ
れはそれは現在とは比較にならない時代でした。
それに悪い事に父の病気、弟が結核で倒れ、悪いことばかり続いておりました。
でもNHKに昭和21年に就職するようになり、気持も多少落着き、とにかく貧乏でも
よい、自分の納得の行く何物かを掴んで、それだけは、どんな偉い人、大臣であろ
うが、金持ちであろうが絶対に負けないもの、マンドリンをがっちりやることだと思っ
た。
 現在でも貧乏ではあるが、マンドリンだけは自身を持って弾き 又 教えることが出
来ると思う。マンクラ部員諸君は恵まれた環境にあり、このような良き時代を迎え、
ほんに羨ましい、でも世の風はきびしい、いつも和、闘志、努力を忘れずにクラブに、
学問に、デイトに、悔いのない青春時代を送って貰いたい。
 
2006年12月23日
【弦想第3号に寄せて】

機関誌『弦想』1965年(昭和40)の発行。
第3号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                   1965年(昭和40)
                                    宮田俊一郎

 弦想も第3号が発行されることとなり、先ずは編集にたずさわった方々、ご苦労
さんでした。毎年1回の発行、号を追うごとに充実したものになり、あたかも日大マ
ンクラの発展を象徴するが如く、誠に嬉しく、又、楽しく拝見させて戴いています。

3号の3は巨人長島の背番号の3に通じ(失礼これは関係ありません)やり直し・・。
3号の3は日大マンドリンクラブの精神たる和・闘志・努力に通じ、今年も日大マン
クラ発展の為に、部員一同大いに自覚して頑張ろう。

 今年のマンドリンパートの目標として、ダウン・アップの完全なる奏法の会得、こ
れは合宿中にも、しばしば注意したことではあるが、ダウン・アップはマンドリン奏
法、基本の第一歩であるが、これが案外おろそかになっている様である。ダウン奏
法の場合は必ず次の線で止めること。右腕に力が余分に入っている場合は、この
ダウン奏法すらそのまま演奏出来ない。他の線にひっかかったり、又、速い曲のダ
ウン・アップ奏法にムラが出来たり、いくら速く弾けても使いものにならない。アップ
奏法はその反動ですくい上げる。この場合一本の線を弾いているようでも、特に意
識して一本の線を弾く必要もないし、又、二本を完全に弾くことに意識して奏すれば、
必ずアクセントがつき過ぎてバックビートの感じになってしまうのでこれもいけない。
ダウンは普通強拍部に、アップは弱拍部に使用するのが常識である。三連音符の
場合は普通冂∨冂・冂∨冂であり、速い曲の時はこれが冂∨冂・∨冂∨となる。
他にも色々あるが、いずれも三連音符ということが分かるように三連音符の最初
の音にアクセントをつけることを忘れないように。又、八分と十六部音が続く時は、
八分音符をダウンで、十六部音符の最初をダウン、後の方はアップになるのが普
通である。又、附点音符の時も最初をダウン、後をアップで奏するのが普通です。
いずれも色々と変化もあるが、要するに音楽であり、リヤカーとか車をひいている
のではなく、アクセントに注意されたい。

尚、普通ダウン奏法は冂、アップ奏法は∨の記号を使用しているが、作曲家、マン
ドリン奏者により種々の記号が使用されているので注意されたい。

ダウン奏法の場合は、
@∧ A冂 B∨ C・ D| E− FG GD Hd

@マチョッキ、マルチェリー等がこれを使用。 Aはムニエル、ラ・スカラ等。 Bメッ
アカーポ他、 Cはブランゾリイ他、 Fカラーチェ他等が使用している。 @∧  A冂
の記号が主に使用されている。

アップ奏法の場合は、
@∨ A凵 B∧ C− D⌒ ES FU Gu

@マチョッキ、マルチェリー、アマディー、サルトリー他、 Aラ・スカラ、ムニエル、
メッアカーポ等、 Bドウニス他、 Cドウニス、 Eカラーチェ他、 Gマルチェリー他
が使用しているが、 @∨ A凵が一番多く使用されている。

一般に使用されているオデルマンドリン教則本は、ABの奏法が使用されている。
要するに見易いものを第一条件とし、紛らわしいものは敬遠されている。
 尚、ヴァイオリンの弓の場合、上行下行は完全に統一されているが、マンドリンの
場合は歴史も新しく、未だそこまではいっていない。
 
2007年2月8日
【さあ今年も頑張ろう】

機関誌『弦想』1964年(昭和39)3月の発行。
第2号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                   1964年(昭和39)
                                    宮田俊一郎

 恒例の春の合宿も終り、弦想の発行の時期と共に、日大マンクラの39年度の活
躍期に入った。今年も和気あい、あい。闘志と努力で頑張ろう。
 今年の定期演奏会の曲目も内定し、練習も始まったわけだが、ふと思いついて昨
年一年間に、他の大学又は社会人のマンドリンクラブではどんな曲を演奏している
か調べてみた。
 演奏団体の数も曲の数も非常に多くにのぼるので一応小生の処に送られて来た
社会人、学校団体の定期演奏会、及び学生マンドリンフェステバルに限った。
尚まだ多くの演奏会があったこととは思われるが、今回調べたものだけでも一応参
考になるだろう。
 先ず学校団体は日大・慶大・早大・京大・北大等の他フェステバル参加学校等38
校、社会人の団体は東京マンドリンミヤタ楽団始め25団体、以上63団体である。
曲の方はオリヂナル曲・クラシック曲のみに限定し、今回はポピュラーは割愛した。
総数約160曲、その中でよく演奏される曲のベスト・セブンを作ってみたら、

(カッコ内数字は演奏された回数) (但し38年度演奏会に演奏されたもの)

第一位 ミレーナ(10) マンドリニストの群(10)
第二位 バグダッドの太守(9)
第三位 ムーアのグラナダ
第四位 セヴィラの理髪師(7) 山嶽詩(7)
第五位 スペインの印象(6) 古戦場の秋(6)
第六位 序曲イ長調(5) 荒城の月幻想曲(5)
     西域より(5) レナータ(5)
     ギリシャ狂詩曲(5) カバレリア・ルスチカーナ(5)
     オラウィッチ・クラウィッチ兄弟(5)
第七位 海の組曲(4) となっている。

 演奏3回以上の曲は又更に多く、水車小屋の乙女・エカーヴの嘆き・小公女・序曲
ニ長調・魅惑島・蝶々の主題と変奏曲・山峡・スパニッシュワイゼンローラ・ソルレン
チン・麦祭り・セラルナ・金と銀・ペルシャの市場にて・ハンガリア舞曲・牧場の王様・
オモチャのシンホニー等になっている。
 これらはいずれも昨年度演奏された曲で、昨年3回の魅惑島・7回の山嶽詩等は
36・37年度にさかのぼれば10〜20回演奏されている曲です。

数回演奏されている曲は成る程と思われる良い曲が多いようです。
マンドリンオリヂナル曲も数多くあるにはあるが、大体が数人で弾き・楽しむ為に書
かれている曲が多く、現在の諸団体のように大規模のマンドリンクラブの為に書か
れた曲になると数がすくなく、従って同じ曲が多く演奏される結果になっています。

 今回は38年度に限定したが、37・36年度と遡ればなお一層その状態がはっきり
出て来るだろう。
いずれ又の機会にそれらのことも調べて見たいと思っています・・・・・。

 今年も大いに張り切って精神のこもった良い演奏をするよう努力しよう。
 頑張れ日大マンクラ
 
2006年11月20日
【弦想発行を祝して】

機関誌『弦想』1963年(昭和38)3月の発行。
第1号への寄稿から。
『弦想』は、現在の機関誌『鳳友』の前の『マンクラタイムス』のさらに前に発行され
ていた日本大学マンドリンクラブの機関誌です。

                                 1963年(昭和38) 3月
                                    宮田俊一郎

 汽車の中は暖房の為、30度に近い温度、少し暑すぎるようである。
それにひきかえ窓の外の空気は冷たく、朝日に映える雪山の山々がまばゆい程
に輝いている。まもなく「戸倉」である。38年春の日大マンドリンクラブの合宿は、
信州は「戸倉」である。
参加部員50名余名全員若さにみちあふれて、マンドリン、ギターの練習に余念が
ない。38年度日大マンドリンクラブのスタートである。・・・想い起こすこと3年、マン
クラ誕生最初の合宿は30名前後の部員が希望と情熱に燃えて鎌倉で春3月 第1
回の合宿を行った。その時に努力と闘志でマンクラを立派なものにすることを、杉
浦、松井、松橋諸氏他部員全員と誓いあった。
 早速教本の練習から始め、アリンサンブルの曲は、「日大校歌」、「NHKバス通り
裏のテーマ」、「真珠採りのタンゴ」、「フローレンスの夜」等より練習を開始した。
和気あいあいの中に夕食も終わり1日の日程は終了し、10時すぎに小生1人帰郷
した。
 この時の状態ではその年の秋に共立講堂で会が開けるとは想像も出来なかった。
4月になって新入部員が多数加入、大いに張切った甲斐あって優秀新人がゾクゾ
クと現れた、「努力と闘志」は遂にその年の秋に共立講堂で第1回演奏会を堂々と
立派にやりとげてしまった。夢中でふった指揮棒・・・全く感激であった。・・・等々・・・
戸倉の宿の温泉に入りながら、色々の想い出は走馬灯のように走り抜ける。
今後も、又前にもまして張切ってやるぞと思いながら風呂場を出た。

 合奏は部員全員の協和によって出来るもので、全員力を合わせて初めて良い演
奏が出来るのである。お互い先輩をうやまい、後輩に親切にそして助け合い、又健
康には充分注意して、学業の余暇を最高にいかし(いよいよ出ました)努力と闘志を
もって何事にも挫けず、1人々々が栄えある日大マンクラの部員であることを自覚し
て大いに練習に励んで頂きたい。
 又、此の小機関紙により上、下、タテ、ヨコの連絡を密にし、部員一同の親近感を
一層増すことにより、躍進日大マンクラの大いなる発展を約束するものとして期待し
たい。
 

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