日本大学マンドリンクラブOB会
宮田信義の演奏会記録
東京マンドリンクラブのマークです。
ここに掲載している資料は、戦前(太平洋戦争)〜戦中までです。
東京マンドリンクラブ、東京マンドリン・クラブ、東京マンドリン倶楽部、
東京マンドリン合奏団、東京マンドリン宮田楽団と名前も年代によって
表記変わっています。ここでは、資料の表記に合わせています。
昭和8年春期演奏会での東京マンドリンクラブです。当時として
は、お洒落な服装です。写真左のマンドリントップが宮田信義。
東京マンドリン倶楽部の10周年記念演奏会の
プログラム挨拶文より
昭和2年(1927)11月6日
【拾周年に際し】
本会は去る大正六年に会長宮田信義氏により組織せられ、神田・キリスト教青
年会内に東京Y・M・C・Aマンドリン倶楽部として幼稚ながらも黎明期のわが国マ
ンドリン界にあってプレクトラム音楽の為の研究を続けて居りました。大震災の直
前東京Y・M・C・Aを分離の止むなきに至り、その後は赤坂宮田氏宅に、マンドリ
ン・ギター研究所として東京マンドリン協会を、並に所属合奏団東京マンドリン倶
楽部を置き、比較的地味な道程ではありましたが兎に角、今日に及び、常時の
方々で今は一流合奏団の指揮者或いは会長として同じプレクトラム音楽に孜々
たる方もあり、こうして我国プレクトラム音楽も黄金期に入った今、我々の小さな
運動も徒労でなかった事は欣快に耐えません。
今日拾周年に際し、皆様の御好意と部員の真摯な努力によりまして長らくステー
ジを離れて居りました我々が再び大方の御批判を仰ぐに至りました事を結びと致
します。
開会に当たりまして一言、御挨拶申し上げます。
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