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2026年2月 学習内容

2026年2月1日、今年最初の新潟シルバーバーチ読書会を神の愛の下で真摯に開催いたしました。

真冬の雪が降りしきる中を、いつものように同志が各地から集ってまいりました。
が、実はこれこそ私たちの内部に神の御心を知りたいという強い思いがあるからであり、一人一人が読書会への参加を希望した、すなわち、“真理を実践する道を自らの自由意志で選択した”ことを意味しています。
誰もがみな守護霊の導きによって真理に出会い、真理を手にした人は数多くいるにも関わらず、その真理を人生の指針にして摂理に適う生き方をしようと努力する人は、ほんの一握りしかいないからです。

真理を継続して学ぶ中で私たちは、学べば学ぶほど、また実践して叡智が増えれば増えるほど、自由意志の行使範囲は広がっていくのとは逆に、選択の余地は限りなく一つであることに気づくようになります。
その増えた叡智が、今生で果たすべき自らの役割を的確に示すようになるからです。
それだけ私たちには、摂理に適った生き方をするという大きな責任と義務があることになります。

神がなぜ人類にだけ自由意志を授けたのか、その意味を考え深く理解できるよう、また、選択肢の中のより高い選択ができるよう、霊界の方々からの援助をいただきながら真理を学びました。

学習は、プリント「摂理と創造」から、霊訓は『霊性進化の道しるべ』5章・6章より学びました。

 参加者の感想

■自由意志についての学びから学びました。
個々の霊的レベルの向上で自由意志の選択肢がふえる(行使範囲が広がる)ことは理解できたように思っています。
完全なる摂理の中での自由意志の発揮がチャンスになり霊性を少しでも高められるようになりたいと思いました。


■シルバーバーチがいう霊的成長すれば自由になれるというのが今まではよくわかりませんでしたが、選ぶ選ばないにかかわらず各々の段階までの選択肢が見えるため、確かに自由は増えると思いました。
しかし理想の選択肢がもし浮かんだとしても、それを選べるかどうかもその時の成長レベルで自動的に決まるため(=選べない)、霊的成長というのは簡単ではなく、やっぱり人間はどうあがいてもやりたい放題しているように見えても、神の法則、摂理の範囲内でしか生きられない存在だと思い知りました。
少しでも最善を選べるよう努力し普及に励みたいと思います。


■あの時何故あのような選択をしたのか後悔する時がある。
勿論、回避する考えもありましたが、結局、物的価値を選択したことは、その時点での霊性レベル範囲での選択と学ぶ。
仮にどのような合理的な選択をしたとしても、霊性レベルの階梯がその程度の位置であったと諦める。
だから後悔や自分を責めることをするより、これから先の人生を摂理的な実践をして、質の高い日々を送ることが賢明なことと考えるが、でも自由意志により摂理違反の選択したお陰で霊性に目覚めたということは、私の場合は自由意志の選択の間違いも霊性目覚めの為には必要であったと考える。


■今年になって寒かったせいか親戚の葬式が複数あり、その中でも義弟が66才の若さで突然死だったのが、実弟の死と酷似し、残された家族の悲しみがその時の自分と重なり慰めの言葉も見つかりませんでした。
そして「死」との向き合い方と「人間の正しい生き方」を改めて考えさせられました。
やはり霊訓を勉強していて分かったつもりでも現実に「死」と対峙すると、まだ「死」を喜びとして受け入れない自分がいます。
きっと「神の摂理に厳しく、自分にそわせていく努力」が足りないと感じました。


■霊性の成長度合いにより選択をしている。
その時は、その1つの選択しかなかった。
理想はあるけども 金銭的なこと時間的なこと気持ち的なこと 自由意志のもと いろんな出来ない理由をつけて選択していたと思っていました。
そして、それは少し怠けたような気にもなってました。
けれどその時の霊性では、その選択しかなかったと考えると仕方ないと安堵したりもします。
が、この先 その言葉に甘えて仕方ないからと逃げてしまうのではないだろうか?
またその逆に 何も考えず理想を突き進み、選んだということはその霊性にいるのだから大丈夫! と結論付けして、行動してしまわないだろうか?
そんなことを考えつつ、それもまた自分の霊性度合なのかとも。
捉え方が、ズレてきてしまったのか?
自由意志による選択というのが、少し分からなくなってしまいました。


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