2025年7月 学習内容
2025年7月6日、新潟シルバーバーチ読書会を開催させていただきました。
今月より、私たちの真の親、唯一の霊の親である神について学びます。
私たちが地上で最初に関わる最も身近な存在は肉の親ですが、赤ちゃんが親の腕に抱かれて安心して眠ったり笑ったりするのは、親と一体であると感じているからです。子どもが小さければ小さいほど親は命そのものといっていいほど大切な存在であり、親に愛されたい、守られて一つにつながっていたい、親を知りたいという欲求を強く持っています。
やがて、肉体の成長、自我の発達に伴って親との一体感は薄れていき、肉の親は神の代理者としての役目を終えていきます。
それに代わって、本来ならば霊の親である神へと関心を移すようになるのですが、地上人の大半は、真の親である神についてはほとんど何も知らずに生きています。
ただ、それでもなお私たちの魂の深奥では、自らの始原である神とのつながりを深く求めているのであり、それが祈りや信仰となって世界中の至るところに宗教が存在している所以なのです。
私たちはこれまでも神について学んできましたが、その理解をさらに一歩進め、高級霊の神認識を見倣い、“神の意志を知り、それを実践しようとする”ことで、霊的自立を目指してまいりたいと思います。
神と霊界に意識を向けて、神観、および『霊性進化の道しるべ』より学びました。
霊訓に入る前の学び
●プリント「神観」
霊として正しく生きるためには、神について正しく知り、正しいイメージを持つことが大切です。地上人は肉体があるゆえに霊的直感が働かず、神を直接的に実感することができません。そのため、地上には数え切れないほどの神(神観)が存在し、宗教(神の名)の下で残酷・残虐な戦争が繰り返されています。
では、日本人の多くは無宗教である(と思っている)から良いかというと、決してそうではありません。社会の中に無意識のうちにしみ込んでいる神の概念(絶対的能力を持った存在が人間に禍福をもたらす)や、慣習から生活の中に定着した信仰的なもの(例えば、お盆や初詣、厄年等)は、科学が発達したからといってそう簡単に消えるわけではないからです。
スピリチュアリストは、自分が無意識のうちに抱いている神の間違ったイメージに気づき取り除くことが重要です。そして高級霊の神認識を見倣い、高い理想に向かって少しでも近づく努力をすることです。
《人間の本性は、なぜ常に神を求めるのか?》
・人間の魂には、絶対的なものにすがり安心を求める霊的本能がある。
・霊的本能には「大霊である神に近づきたい」という思いが内在する。
・大霊である神と分霊である人間は、“霊的絆”で結ばれている。
《信仰とは?祈りとは?》
信仰とは、自分だけでなく存在物のすべてを創造した偉大な親と一緒にいたい、そして安らぎたいと一心に願う営み。
祈りとは、信仰の中で心から神との一体化を自覚したくて行うもの。
《神の実感的認識は何によってなされるのか?》
脳ではなく霊的次元(霊的感性・霊的直感)でなされる。神は物質的存在ではないため、当然、五感では実感できない。
神を実感するのは霊体の能力であり、それには①祈り、②瞑想によって霊的エネルギーを取り入れ、霊主(+利他愛)にすることが重要。
『霊性進化の道しるべ』 からの学び
●「第5章 あなたが大霊なのです」 P106~P108 L1
■霊の力
ここにいる皆さんも、霊の力によって真理に出会い、霊に動かされ、叡智によって導かれて読書会に参加しています。それは大霊から大きな信任を託されたということなのです。
自分一人の栄光のためではなく、人のためという願望で心を満たしていれば、必ず霊界が道具として使ってくれます。
■地上の不協和音の正体とは?
人間は意識体であり、普段一人一人が意識している(考えている)ことや、社会の中に無意識にしみ込んでいる物質的・利己的思いが不協和音となり、地上の問題として現れています。
日本人は唯一の被爆国として二度と戦争をしてはならないと核廃絶を訴え、また日本人だけでなく世界の誰もが(戦争をしている国のリーダーでさえも)平和な世界を望んでいます。
しかしその一方で、誰もが自分と家族だけは豊かに安心して暮らしたい、自分や自国が損をするのは避けたい、社会保障の充実は良いが負担増は嫌だ、と心の中で思っています。
平和は願うだけでは決して得られません。シルバーバーチが「滅私の精神を通してのみ平和が訪れる」と言うように、一人一人が普段の意識を摂理に沿ったものにし、苦しむ人のために滅私で自分を役立てるようになって初めて平和は訪れます。
参加者の感想
■神について学びました。神を実感するというのはとても難しいですが、神のご意志である利他愛をすることでしか理解できないと改めて思いました。
自分の身体も周りにある物質も、全て神が形を変えて存在していることは真理によって知りましたが、物質に神を見出すのはあまり理解が深まりませんでした。
しかし他者へ何か利他愛をした時に感じるほわっとした暖かい気持ちが神なのだと理解できました。
利他愛をすればするほど少しずつ神を理解でき、調和が広がり、ひいては地上天国という楽園が地上人みずからつくり出せるということです。
そのためにも真理を一人でも多くの人に手渡せるよう普及に努めたいと思います。
■神観についての学びでした。
霊的本能で感じる神の存在について理解を深めるためには霊的意識を感じて高める必要があると思いますが、物的価値観を捨てさり霊的次元において認識できる神について理解するには、まだまだ時間がかかると思いました。
私は身の回りにある神の愛についても感じることは、頭の中だけで考えるだけではなく実際に行動することが神の摂理に沿っているか否かで少しだけ霊的直感力、ひらめきを得た時に実感を得るような気がしています。
祈り、信仰という実践にはまだ遠い道のりだと感じました。
■私が生まれた地域は昔、自然界のあらゆるものに神様が宿っていると信じられ火の神様、田の神様、川の神様等を毎年供物をしていた祖母達を思い出します。
スピリチュアリズムでは、それらすべてのものに神が宿っているという考え方は自然と受け入れる事が出来ました。
でもすべてを創造し支配する神がいることを知った時は、なんて自分はちっぽけな存在であることかを改めて知りました。
そして正しく神を知ることは、神に正しい祈り方をすること。また、大霊である神と分霊である人間の間に摂理があり、摂理に添った生き方しなければ神を実感できない。そのためにも「祈りと瞑想」の時間を大切にしなければならないと思いました。
■読書会では今直面している問題の学びとなることがある。
”道しるべ”より「皆さんにはとてつもなく大きな信任が委託されているという認識を新たにして頂きたい・・・」と学ぶ。
以前“真理の学びには相応の責任が生じる”ことは知ったつもりでいた。
今自力解決困難な問題があり、大霊がこの責任の任務を私に委託していることを何となく感じる。
物欲の多勢に対し一人非力の身であるが、大霊が愛で支え援護していることを学べば過酷な困難が生じても大霊を信じ切り、無心で対応すれば必ず解決できると希望と勇気が湧く。
大霊から信任され道具として使って貰えることが嬉しくてしょうがなく幸せ者と思う。