2024年9月 学習内容
2024年9月1日、今月は台風により一時は開催が危ぶまれましたが、同志と共に神と霊界に意識を向ける貴重な時間を過ごせたことに深く感謝し、霊界の導きと援助の下で読書会を開催することができました。
さて、地上ではウクライナやガザでの戦闘が続く中でも、停戦協定が結ばれることなくオリンピック・パラリンピックが開催されています。
私たちも連日戦闘や戦争のニュースを目にする一方で、自国にもたらされるメダルの数を喜ぶという不条理さは、私たち人類が霊的存在であり、神を霊的親とする霊的一大家族であることを知らずにいるからです。
しかし、死後の世界・幽界について学ぶと、私たちは地上にあっても霊としては一つであり、互いにつながっていることを理解するようになります。
例えば、地上人が死の関門をくぐり抜けると霊界ではそれを瞬時に察知し、幽界への移動を手助けする霊たちが差し向けられます。それは、霊界全体が一つの意識であり、全てを知り尽くしているからです。
また、地上では経済的理由などから叶えられなかった夢や願望を、幽界において心ゆくまで体験することができるのは、霊の進化を促すための神の深い配慮です。
霊の進化は一蓮托生であり、皆で一緒に上がるというのが摂理だからです。
今回はそうした神の深い配慮・愛について学ぶことで、全ての者が完璧な愛の摂理によって守られ導かれていること、地上にいても私たち一人一人が宇宙機構の中の一部を占めている霊であることを理解し、自ら責任ある生き方ができるよう学習を進めました。
霊訓に入る前の学び
●プリント「思想Ⅰ 死後世界観」
地上界と霊界(幽界)の違いから地上の特殊性を知ることで、死後の霊界生活に備えてどう生きれば良いのかを考えました。また、幽界を用意した神の深い配慮に思いを馳せ、地上にも同じ神の愛が充満していることを実感できるよう学びました。
《地上界と幽界の違いは?》
・飲食や睡眠が不要。肉体の苦痛や病気がなくなる
・思っていることが現実化する思念の世界。欲しいものは、幽界の大気中に充満する素材からあっという間につくり出される
※ただし、始めから意念による創造力を発揮できるわけではない。地上での物的体験を通して、意志の力と集中力を身につけることが必要条件
・お金が必要ない
・やりたいことが何でもできる
《幽界生活の飽きとは?》
思うことが何でも実現する世界は、奮闘努力による充実感がないため、それが飽きとなる。
※霊には霊的成長に対する本能的欲求があるため、いつまでも幽界生活に満足していられず、新たに精神的なものを求めるようになる。自然な形で「霊的意識」が目覚め、地上的・物質的なものが心の中から拭い去られ、霊界へ行く準備が整う。
『霊性進化の道しるべ』 からの学び
●「第3章 わたしたちは決して見捨てません」P62 BL1~ P66 BL3
■霊界は決して見捨てないという事実
まず、真理が手引きするところならどこへでも行くという意思表示をすることが大切です。
その上で、人の役に立つためにはそれなりの準備をしなければなりません。決意が本物であることを霊界に示すことがより重要だからです。
「魂の琴線に触れる体験を積み、霊性を開発し、心霊的能力を可能なかぎり霊的レベルまで引き上げなければいけません(霊訓1/163)」
この魂の琴線に触れる体験とは、地上で困難に遭遇する中で、シルバーバーチの言葉がより身に沁みる体験であり、真理の理解が深まる体験であり、自分の間違い(摂理に反する思い・行為)に気づく体験であり、それによって内部に潜在する神性を開発し発揮できるようになることです。
■イエスの真の姿とは?
①イエスは神ではない
②イエスは進化せる高級霊の一人
③様々な仕事を指示するスピリチュアリズム運動の総指揮官
④世界中で貢献する人々を鼓舞している
※「(イエスは)一地域の子等の陳腐な願いごとだけに耳を傾けるようなことはなさりません(続霊訓/43)」とインペレーター霊が言うように、自分を忘れて人のために奉仕している人なら誰であろうと援助してくださいます。なぜなら、その力(霊力)は神が始原であり神から発せられるものだからです。
参加者の感想
■他界者の浄化プロセスを学び、まず幽界にて思念が現実化するという。
しかし思念だけで安易に欲が満たされ、次第に退屈になり嫌気がさし精神性に目覚め始めるという。地上でも同じと思われました。不必要な物的豊かさで心を満たす欲もある一方、物では満足せず空しさを感じることもあります。
今回、「霊には霊的成長をする本能的欲がある」と学びました。人には心の内部の霊的欲望を満したい願望が潜在的にあると思います。永遠に進化し続ける霊の一時の地上時間を物的欲で生きるか、霊的欲で生きるかが死後の結果となり、辛いけど肉体のある地上で霊性進化を少しでも果たす霊主の努力の実践に拍車を掛けたいと思います。死後の生活は、霊性向上は霊界より地上での努力が重要な感じと受け止めました。
■地上人生の出来ことは意志の力と集中力を身につけるために必要のひとつであると思うと何ひとつ無駄なことはなかったと思い救われる気がしました。
そして日々の霊界への祈りは自分にとっては、知らず知らずのうちに意志の力と集中力が身につくような気がし尚更、祈りは大切と感じました。
■ 「魂の琴線に触れる体験」について気づいたことがありました。
私にとって琴線に触れた体験は一度しかなくその時に真理に出会いましたが、それだけではなく、困難を神の摂理にそって乗り越え腑に落ちたことを魂に刻み込んでいくことをいうのだと理解しました。
神の御意志を道具として伝えていくには、困難を乗り越え腑に落ちた摂理の理解を積み重ねて、自分で成長していかないといけません。
そうすることでしか霊界から普及の道具として使ってもらえないし、また誰でも摂理にそう努力をしていくだけで道具となれるため頑張りたいと思います。