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2024年2月 学習内容

2024年2月4日、今年最初の新潟シルバーバーチ読書会を霊界の導きと援助の下で開催いたしました。
今年からスピリチュアリズムの知識を整理してまいりますが、その中でも特に重要なのは神と神の摂理です。
なぜなら人間の根源は神にあるからであり、私たち人間が安心して地上人生を生き、霊的成長を為すためには、神と神の摂理への理解が必要だからです。
なぜ自分はここにいて死後はどこに行くのか、何のために生きているのか、なぜ病気や障害、苦しみがあるのか。こうした人生におけるあらゆる疑問は、神を理解し、神の御心である摂理を理解して初めて、心からの納得が得られるものです。

スピリチュアリストは、今回のような大地震だけでなく日常生活で遭遇するすべての出来事の背後に、人類の進化という重大な目的があること、神の深遠な愛が隠れていることを常に意識していることが重要です。
今回は能登半島地震から神の摂理についての理解を深め、摂理の中に隠れている神の愛を少しでも実感できるよう学びを進めました。

霊訓に入る前の学び

●神の絶対摂理について“能登半島地震より”

・地震や噴火等は人間から見れば災害でも、霊的に見れば地球(物質界)の進化の過程で起きていること
・地上の苦難は、“この人にこれだけのものを負わせよう”等として神があてがうものではない
・摂理の裏側には別の次元の摂理が存在し、複雑に絡み合いながら数学的正確さで働く
・神の絶対的な摂理の働きにより、その人がその時点(過去生を含む)までに犯した摂理違反に対して、きっちりと同じ重さの荷を背負う
・生き残った者が幸運で、死者が不運なのでは決してない(霊的に見れば逆)
・すべては進化を促すための神の配慮であり、神の深い愛である
・死者を迎える霊界の体制は万全である(以下参照)

「霊界全体が一つの意識となって、全てを知り尽くしております。地上と霊界との間の親和力の作用によって、今どこそこで誰が死の玄関を通り抜けたかが察知され、ただちに迎えの者が差し向けられます」
『シルバーバーチの霊訓3/17』



●プリント「スピリチュアリズムを整理する」

霊的真理(霊的知識)の中で最も大切なのは、「神」と「神の摂理」に関する知識です。 シルバーバーチの祈りの言葉には神への讃美と畏敬の念が溢れており、高級霊たちは神のために生き、神に向かって生きていることがよく分かります。

神の道具として最も大切なのは、思想(*)の内容を踏まえた上で、『シルバーバーチの霊訓』を中心に神の御心を深く理解できるよう探究していくことです。

(*)思想1~3の内容は、スピリチュアリストが『シルバーバーチの霊訓』を正しく理解するためには必要です。
昨年11・12月に神と摂理については学習済です。今月より思想1から重要事項を学びます。



『霊性進化の道しるべ』 からの学び

●「第1章 死ぬことは悲劇ではありません」P34 BL4~ P37 L3

■霊的知識の受容と霊性レベル

霊的真理や叡智は、進化した魂のみが理解できるもの、高度な叡智の受け入れ準備が整った者でなければ理解できないものもあります。たとえ真理を受け入れた者同士であっても、その理解度がまちまちなのは霊性レベルが異なるからです。だからこそ、半歩進んでいる者は寛容心や洞察力を発揮することがとても大切なのです。


■知識は本来人間を謙虚にするもの

真理を深く理解すると、すなわち頭での理解ではなく日常の体験の中で真理の本質(真髄)を理解するようになると、人間は必ず謙虚になっていくものです。なぜなら真理は知れば知るほど、知識も叡智も自分の知ることはほんのわずかであり、その先にはまだまだ知らない世界が無限に広がっていることを悟るようになるからです。


 参加者の感想

■今まで膨大な霊訓の知識を都合の良い部分の拾い読みをしておりました。自分が救われたいという思いからなのでポイントしか学んでいません。
しかしこの真理を学び理解するにつれ、自分が救われた教えを誰かに伝えたい思いがでてきましたが、所詮、つまみ食いの生噛りの霊訓。 この程度の理解では説得力が無く又自信もなく、時期尚早であると感じました。
今後真理の基本的概念を学び整理して理解を深めなければと思われました。
この純粋なる霊訓の理解を深め、その時が訪れるまでの準備をしておきたいと考えた新年初の読書会でした。


■スピリチュアリズムとは何か?と問われたら何て答えるだろう?と改めて考えました。
まだこの言葉を知って浅い私としては、世間一般的には、宗教、怪しい、スピリチュアル等のワードと一緒の扱いになっている事も知っています。
全く知らず、まだ興味のない方へ伝えるには単純な言葉を使って、怪しさもなくと考えると、今どきの言葉を使い、現実的な言葉で、説明しなければ難しいだろうと考えます。
かと言ってどう伝えたら良いか?
まだ答えは出てません。


■人が霊的知識・霊的真理を知った(又は、受け取った)時、自分が優れていると思い見込み自分は特別だと勘違いしてしまう人と、今迄自分はなんて無知なんだろうと思い謙虚になる人の二通りがいるということを知りました。
本当に霊的真理を勉強し追及している人ほど謙虚であるということ、また無知な人ほど傲慢で自分の受け取ったインスピレーション(啓示)をすべてであるかのように思い込み歪曲し、だんだんと真理から遠ざかってしまう。
そんな怖さを知り尚更、日々謙虚に霊的真理と向き合い内省することだと思いました。


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