2022年 11月 学習内容
2022年11月6日、今月は新しい同志をお迎えして、読書会を無事開催することができました。神聖な雰囲気の中で真理を学べましたことを神と霊界の皆さまに深く感謝申し上げます。
さて、日本全国で旅行支援が始まり、景勝地には多くの人々が訪れています。新潟までの道程では山並みが色づき、空の青色と合わさってとても美しい光景が広がっていました。
そうした自然が生み出す壮麗な姿に感動する人は多くいますが、自然界の中に神の無限の叡智や愛を実感し、神の姿を見出す人は稀です。
シルバーバーチは、「物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡智と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されるのを待ち受けているのです」と述べています。
人々が息をのむほどの色とりどりの紅葉は、すべて神の無限の愛と完璧な摂理によって創造され統制されているのであり、私たちが紅葉を見て美しいと感じるのも、人間が神から分霊、神性を授かっているからです。
スピリチュアリストには、そうした物的生活の背後に隠された霊的実在を教えてあげる重大な使命があるのです。
先に真理を手にした私たちこそ真理が永遠の自分の宝となるよう真っ先に実践し、これからも真剣に真理を学んでまいります。
学習はニューズレター第37号「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」(録音)、プリント「心の成長と霊的成長」、霊訓から学びました。
霊訓に入る前の学び
●プリント「心の成長と霊的成長」より
私たちの心を構成している“霊的意識の一部”と“本能的意識”の比率(顕在意識の大枠)は、生まれつき(前世までの霊的成長度とカルマによって)ある程度決まっています。とは言え固定したものではなく、特に霊的意識は一日の中で絶えず膨らんだりしぼんだりしています。
真理に沿った正しい努力をすることで徐々に魂の窓は開き、より多くの霊的エネルギーを取り入れることができるようになります。特に、利他愛を発露することは心を成長させると同時に、霊的成長を促します。
(大前提として)霊的真理を正しく理解すること
①霊主肉従の努力
②苦しみへの正しい対処
③利他愛の実践
④祈りと瞑想
『シルバーバーチの教え・下』 からの学び
●「第23章 さまざまな質問に答える」P187 ~ P191 L6
■宗教とは?
シルバーバーチは、「宗教とはサービス(利他愛の実践)です」と明解に述べています。利他愛と犠牲精神は不可分ですから、犠牲のない宗教組織は、まっとうな宗教ではありません。
■スピリチュアリストとしての使命
シルバーバーチは、大切なのはサービス(利他愛の実践)であり、真理を普及し人々に慰めと確信をもたらしてあげることだと述べています。
しかしもっと大切なことは、サービスを通じて「自分とは何か、何のためにこの地球に生をうけたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか、こうしたことについての正しい認識を得させてあげること」だと述べています。すなわち、真理を手にした一人一人が霊的存在として正しく地上人生を生きられるようになることなのです。
参加者の感想
■心の成長を願う地上人は多くいますが、ストレートに霊的成長を望める私たちは、地上にいながらも霊界人と同じ視野に立っています。肉体を持ちながらも霊的エネルギーを意識的に取り込めるようになるというのは、霊界人から見ても奇跡に思える事でしょう。地上への霊的エネルギーの通路となれるよう、世事の一つを霊的な学びや祈りの時間に置き換える工夫から行っていきます。
また、利他愛や霊主肉従の行為を、霊的エネルギーの循環の図を思い出し、目的意識を持ちながら行うことにも注意していきます。
神の完全性へ向けた無限の歩みなので、焦らず地道に、しかし堅実に進もうと思いました。
■心の成長と霊的成長について学び、利己的な思いは持っていなくても物質的なことに集中している時は魂の窓も開かず守護霊の導きも受け取れないのだと、日々の生活を振り返り感じました。
自分の努力次第で霊的意識を拡大し霊的成長できるという事は、自分で自分を救うということだと思います。このことを一人でも多くの方に知ってもらえるよう霊主の努力を怠らないように頑張ります。
■自分は何なのか?何のためにこの地上に生まれて死んでいくのか?
遠い昔はよく考えたものでしたが、大人になっていくにつれ日常生活と仕事に追われて悩んでいる暇がなく生きるのに必死でした。
しかし、身近な人の死や読書会に参加し学んでいくうち、自分は霊であることを地上人生で学びカルマを清算して霊界(幽界)へ帰る。その時は、手ぶらで帰るのではなく、地上人生の悲しみ苦しみの中で内なる霊性を少しでも磨き霊界へ行きたいと思います。
真理を生活の中に活かす事が難しいですが、そのためには日々の祈り、霊主肉従、利他愛の実践の努力をしたいと思いました。
■生活するために必要な肉体の維持という側面においては、なにほどか利己性は必要ではあるという意味では利己性は否定できませんが、問題は比率であり、利他性への努力を続けるしかないと考えています。
■始めて参加させて頂きました。あっという間の2時間でした。
1人で読んでいる時と違い、自分の中に落とし込むことが出来た気がします。参加して良かったです。
利他愛の先にある利己愛?!を感じ...。
客観的にみたら利他愛的な行動も実は、自分が落ち着くからとか安心するからとの思いで動いていることがあります。
これは結局、他人の為の行動でなく自分のため?利己愛なのか?
そういった気持ちを持たない行動でない限り、それは利他愛ではないのだろうか?
施しを与えた分だけ施しを与えられているという気持ちでいれば良いのだろうか?
そんなことを頭の中でグルグルさせてました。