2021年 7月 学習内容
2021年7月4日、梅雨空のもとで新潟シルバーバーチ読書会を開催いたしました。
読書会会場では、これまで換気扇や窓とドアを少し開けるなどしてコロナ対策をしてきましたが、今月より空気清浄機が部屋に設置されており、お部屋を貸してくださる会社の皆さまのお心遣いに感謝の思いが湧きました。本当に有難いことだと感じています。部屋の二酸化炭素濃度も終始正常値内でした。
今月の学びは、スピリチュアリズムの説く「霊的幸福観」についてです。
地上人の多くは、できれば苦難や苦労をせずに幸福になりたいと願っています。また地上人は肉体を持つがゆえに、物質的・本能的な喜びは容易に実感できますが、霊的な喜びはなかなか実感することができません。そのため、モノやお金を沢山手に入れることが幸福への道だと考えるのです。
しかし、物質的・本能的な幸福は健康や周りの環境に左右されやすく、重篤な病気になれば幸福感は一瞬で失われてしまいます。
一方、スピリチュアリストが求める霊的喜び・霊的幸福は、自らの霊的成長に伴う喜びであり、一度その幸福感を味わったなら二度と忘れることはありません。なぜなら、霊的成長によって私たちは神へと近づくことになり、地上にあっても神の愛を少しずつ実感できるようになるからです(ただし、霊界人が享受している真の霊的幸福感を味わえるのは、霊界に帰ってからとなりますが・・)。
私たちスピリチュアリストは、「霊的成長」に最大の価値を置く生き方をすることが重要です。そうした一人一人の“魂の革命”は、自らが霊的喜びを手にするだけでなく、全人類の幸福を実現する道になっています。一人一人が霊的成長する生き方を実践し、霊的喜びを実感できるよう努力してまいります。
学習はニューズレター43号「スピリチュアリズムの天使論―1」と、「シルバーバーチの霊訓の画期的な幸福観」について、霊訓『シルバーバーチの教え・下』から学びました。
霊訓に入る前の学び
●ニューズレター第43号「スピリチュアリズムの天使論―1」P12~15
●「シルバーバーチの霊訓の画期的な幸福観」
《地上人の幸福観とは?》
・「物的価値観」に立った生き方(モノやお金を多く手にすること)が幸福への道。
「物的幸福観」に基づく生き方は霊的成長を阻害する。摂理に反する生き方は償いとしての苦しみをもたらす。
《スピリチュアリズムの幸福観とは?》
・「霊的価値観」に立った生き方(霊的成長に価値を置く生き方)が幸福への道。
“物欲・肉欲”に流されず「霊」を中心とした生き方をすることが真の幸福に至る道である。
《シルバーバーチの幸福観の特徴とは?》
・霊的成長こそが幸福の本質であり、霊的成長と幸福は一体不可分の関係。
・霊的成長至上主義。
・人間の霊的成長は、霊優位の状態でなされる。
・地上人にとって肉体を維持するための最低限の条件を欠くことは不幸。
・全人類の幸福は一人一人の“霊的覚醒”と“魂の革命”が達成されてこそ実現する。
・人類全体の真の幸福は、スピリチュアリズム運動によって実現する。
『シルバーバーチの教え・下』 からの学び
●「第21章 青年牧師との論争」P141 L6 ~ P143終わり
■スピリチュアリストの奉仕とは?
シルバーバーチは、人のためになることなら何でも良いと言う一方で、「大切なのは真理を広めるという責任です。これは人類全体にとって測り知れない恩恵をもたらすことになるからです(最後の啓示/166)」と述べています。物質的な奉仕(肉体を救う物的ボランティア)は誰にでもできますが、真理を手渡すことによる永遠の救いは私たちはスピリチュアリストにしかできません。スピリチュアリストは魂の救い、霊界に行っても通じる救いを優先すべきです。
参加者の感想
■ 久しぶりに読書会を参加させて頂き不安でしたが、日常の生活からかけ離れ読書会という特別の空間に包まれて神聖な気持ちになりました。
当初読書会に参加した自分は、初めて聞く「利他愛の実践」は自分には到底無理だと思っていましたが、でも今は「利他愛の実践」を少しは理解できるようになり実践する気持ちを少しでも持つように努めたいという気持ちになりました。
とてつもなく長い道のりで今生では達成出来なくても、少しでも前に進めたらと気持ちを持てた事は読書会に参加し有意義の時間を過ごしたからだと思います。
■今回の読書会で「人間関係を重要視していては、神・霊界との繋がりは難しい」と学びました。
日常生活においてはそこそこに付き合いをしているつもりですが、ふと気づくと他人の評価を気にしている自分があります。
そんな時はすでに霊的視点で物事を解釈できなくなっている自分である事を反省する思いです。
時として霊界の事を忘れている事があり、自分の事(利己愛)や他人の評価を気にしている時は物的欲望に囚われている自分である事を自覚し、
心配事、不安、他人の目等に囚われていると気付いたら、その都度霊性レベルが落ちている状態である事を自覚し、
次元の低い思考から霊的視点への切り替えていかねばと思われました。
■真理を知った今でも人間関係や物への執着を取りさるのはとても難しいと感じます。しかしそれは霊的幸福感をまだ実感できていない(自分の努力が足らない)からだと学びました。
周りを変えるのではなく、自分の行いが常に神の摂理に沿っているかを振り返り、神の愛(霊的幸福感)を感じられるようになりたいと思います。
■自分の価値観、人生観というものが、これまで生きてきた人間社会の中で染め上げられた地上的な常識の中にあるために、その限界から脱することが容易ではないという実感がある。
霊界に赴いてから初めて実感されるという真の幸福に関しても、現時点では、想像するしかない内容であるものの、高級霊の言わんとすることの全体が、いかにも説得力があるだけに、その言葉を信じて、少しずつ、自分に染みついている地上的な常識というものを脱色して、新しい霊的な価値観に向けて努力していくしかないと思う。