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2021年 5月 学習内容

2021年5月2日、新潟シルバーバーチ読書会を開催いたしました。

今回は東京や大阪などに3度目の緊急事態宣言が発令される中での開催となりました。
地上界は一年以上に及ぶコロナ禍で疲弊し、今も多くの人々が苦しみと不安と恐怖の中に置かれています。が、このコロナ禍は神の摂理が数学的機械さをもって働いた結果であり、その原因は私たち人類の物質主義・利己主義・拝金主義の生き方にあります。
人類全体で作ったカルマは、先に真理を手にした者から自らの生き方を「全体への奉仕と利他愛」という摂理に適ったものにし、悪因を善因へと変えていかなければなりません。
そのため私たちは毎月真理を学び、一人一人が自分の生活を霊的にコントロールしようと懸命に努めております。
ただ、地上人は肉体を持つがゆえ、置かれた状況を明確に判断することも、自分の動機についても自信が持てないのが現状です。
そこで、今回は先月に引き続き「自由意志」の学びから、困難への対処と私たち地上人の宿命的な立場について学びました。
一人一人の真理への理解度に応じて、自分は今何を優先するべきかを真剣に考え、コロナ禍の根本原因を取り除くためにこれからも精一杯努力してまいりたいと思います。

学習はニューズレター48号「健康とカルマの法則の関係」と、先回に引き続き「自由意志」について学びました。

霊訓に入る前の学び

ニューズレター第48号「健康とカルマの法則の関係」P30~33
病気に対する霊的見方と正しい心構えについて学びました。

●自由意志と困難と宿命(資料より)

・困難に遭遇したときにどう対処するか?
一個の荷が背負わされた時、それをどう扱うかで自由意志が働きます。
イヤイヤ対処すれば荷は重く感じますが、“よし!担ぎ通してみせるぞ。これは自分の荷物なのだ”と思えば軽く感じられます。
なぜなら、摂理に沿った捉え方ができれば、それだけ魂が成長するからです。
よって、困難には真っ正直に勇気をもって望むことが大切です。

・困難と宿命の関係とは?
困難の最中にあるとき人間は、
(1)自分の置かれた状況について明確な判断ができない
(2)動機について明確な自信が持てない
(3)興奮と衝突と不協和音の状態にあるときは冷静な反省ができない
という状態にあります。そのうえ地上人には全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれています。
そこで大切なのは、「良心の命ずるままに行動する」ということです。

一人静かな環境に身を置き、冷静さを取り戻すことです。そして、人生の目的は霊的成長にあること、完璧な摂理への絶対信仰を持つこと、地上界は訓練場であることを心に留めることです。ここを押さえると、冷静に対処できるようになります。



『シルバーバーチの教え・下』 からの学び

●「第21章 青年牧師との論争」P130 BL3 ~ P135 L6

■カルマの清算とは?

カルマ(摂理違反)は苦しみをもって自ら償わないかぎり、消えることはありません。 何かが起きたということは、それに先立つ原因があったということです。神の摂理は完璧なのですから、摂理を信頼し困難には勇気をもって真っ正直に取り組むことが大切なのです。

 参加者の感想

■自由意志で最善を選択したとしても、自分の意識が低い状態(嫌々、仕方なく行う)でするのと、些細なことも神への感謝の意識で行うのとでは、成長の度合いに違いがあると学び、何事も神へ感謝して行うことの大切さを思い知りました。
最善のその先の最善を選ぶ努力をしていきたいと思います。


■自由意志は己のその地点においての魂の進化した程度による事を知りました。
その為にはより多くの霊的知識を増やし理解を深める事が重要と自覚しながら、今後の人生を歩む事となりました。
又過去の反省として困難の気配を感じると予期不安に囚われていましたが、与えられた困難に対し「これは霊的成長のチャンスなのだ!」と捉えて正面から挑むという勇気を得つつあります。
とにかく知識の習得はや理解は量よりも理解度合いと判断し、深く理解することが今の私には先決問題であると痛切に感じました。


■本日は、病気の本質というものが、神の摂理にそむいた行動、心のあり方に原因する、ということを学びました。
人間に自由意志が存在することにより、時に、神の摂理からの逸脱というものが生じますが、利己性の強い意識においては、神の摂理に従おうとする人間に本来備わっている直観的な能力そのものが、麻痺していると言える。
反省心は、苦しみをもたらしていますが、反省もまた無ければ、さらに苦しい病苦が悪化してもたらされてくるのではないでしょうか。
いかに苦しくとも、自分の自由意志にもとづいて選んだその行動パターンが、利己性にもとづいた自己中心的なものでなかったかということを、強く、自分に問いかけていく意志が必要になるということだと思います。


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