ローエングリン王
2373
2373 Caricature
Ludwig Uas Lohengrin Wood engraving from "Der Floh"
Vienna , 1885
TASCHEN 2002・11・24入手
ハープ
のカデンツ
ちょっとあやしげなこの髭の男性は
かなりあやしげなバイエルンの王ルートヴィッヒU世 です。
NHKの番組 『城ー王たちの物語』 で
この ルードリヒ2世 を取り上げていました。
なにしろ美輪明宏さんが、あのあやしさで
『そう、ルードリヒ。 あなたは ワグナーの美の奴隷!』
なんて具合に語ってくれるんですから たまりません。
2014年のNHK朝ドラ 『花子とアン』 でも
味のあるナレーションを担当された三輪明宏さんですが
『城ー王たちの物語』 を見たときから
いち早くその力量を見抜いていた です(笑)
ではこの番組に沿って・・・
あ、とても感動したものですから 少々長くなりますが あしからず。
ノイシュヴァンシュタイン城の居間に飾られた ↓ 一枚の絵。
中世の騎士・ローエングリンが愛する女性を救うため、
正義と純潔のシンボルである白鳥の ひく舟に乗って 登場する場面が描かれている。
この絵は ルードリヒが少年のころ
父の城でいつも目にしていた 英雄・ローエングリンの姿。
TV画像
2014年 は 念願のノイシュヴァンシュタイン城を 訪れました。
このお城は
楽器の絵で埋め尽くされている ポストカード音楽会にとって聖地のような場所だと
ずーっと思っていたのですが
そのわりには これまで ノイシュヴァンシュタイン城を訪れた知人たちが
一枚も楽器カードを調達してきてくれないなぁ とも思っていました。
自分で行ってみて その謎が解けました。
城内は撮影禁止で 必ずガイド付きで見学しなければならず
また出口付近にあった売店には
城内の絵画カードなど まったく置いてありませんでした。
せっかく聖地まできたのに・・・と
執念で 売店の隅から隅まで 何度も何度も探し回り
ついに 売店の外のショーウィンドウの隅っこに
城内の絵画を集めた10枚綴りの帯状のカードが
だらっ〜と吊り下がっているのを発見しました。
そのなかの何枚かに 楽器があります!
あれは 売り物ではないのかな・・・と不安でしたが
売店の男性を 外にひっぱっりだし ショーウィンドウの隅っこを指さして
あの10枚綴りのカードが欲しいんです と伝えました。
あ、あれね、と言いながら売店に引き返すと 奥の倉庫から
タンホイザーと ローエングリンの 2種類の10枚綴りの冊子を
出してきて くれました。
やった〜! でも こんな大切なものは
ちゃんとお店のメインの場所に 置いておかなくちゃ!
と思いましたが そこまでは 伝えられませんでした。
2冊(20枚)のうち 楽器カードは 全部で9枚ありました。
もちろん 2冊とも大人買い(笑)
その中の一枚が ↑ あの白鳥の騎士 の絵が飾ってある
↓ 白鳥の間 のカードです。
(絵は奥の方に。 一番有名な絵なのに、独立したカードになっていないなんて・・・)
冊子のカードの裏の説明は
ドイツ語 英語 フランス語 日本語 の4か国語で 書かれています。
他のカードは こちらでも ご紹介していますのでご覧ください → 展示室 ミンネゼンガー
7553
7553 A.
von Heckel 王の居間に飾られている絵画や彫刻をほどこした化粧板飾りの壁画
天井の丸型の みぞに見られる 盾形紋地などは すべて 中世の詩 ローエングリーン と関連づけられている。
シュヴァーネンヴィッターのこの伝説は リヒャルト・ワーグナーによっても またオペラの題材につかわれている。
暖炉の白鳥の上の大きな油絵は A.フォン・ヘッケル作で ローエングリーンが アントワープに到着したところが描かれている。
この部屋にある他の油絵は すべて W.ハウシルト作である。
2014・5・26入手 つの笛
番組に戻ります。
この中世の騎士ローエングリンに 命を与えたものがいた。
リヒャルト・ワグナーである。
ルードリヒは、16歳のとき宮廷劇場で 初めてワグナーの歌劇に出会う。
その衝撃は、思春期の青年の心をつかんで離さなかった。
18歳で即位、王になって最初に出した命令は 側近たちを驚かせた。
それは ワグナーの招聘である。
宮廷音楽家だったワグナーは 市民革命に加わり、当時 祖国を追放されていたのだ。
王国にとって 警戒すべき芸術家だったのである。
しかしルードリヒは 50歳を過ぎたワグナーを手厚く迎え入れた。
彼の借金をすべて返済し、屋敷と充分な生活費を用意した。
↓ ワグナーへの手紙
『私が多感な少年のころより、あなたは ただひとつの 喜びの泉でした。
ただ一人、私の心に語りかけてくれる友人でした』
↓ 侍従の証言
『殿下が初めてタンホイザーの舞台をご覧になられたとき
ビーナスの洞窟の場面で 突然 体を震わせられたのです。』
ルードリッヒのワグナーへの傾倒ぶりは、周囲の反感をかうことになる。
1869年にノイシュヴァンシュタイン城建築に着手
その設計をワグナーの舞台芸術家にまかせた。
しかし 新しい歌劇の製作に没頭していたワグナー自身は
一度もこの城を訪れることはなかった。
『歌人の間』 は13世紀 吟遊詩人たちの歌合戦に使われた広間を再現、
その壁は、ワグナーの歌劇の あらゆる名場面を描いた絵で飾られた。
『書斎の間』 は中世の吟遊詩人タンホイザー物語の絵で埋め尽くされている。
禁断の場所・ビーナスの洞窟 で快楽と官能の日々を過ごすタンホイザー。
だが 信仰との狭間で苦悩したタンホイザーは
洞窟を出て 故郷の歌合戦に出場する。
しかし その城の姫への純潔の愛の歌 を競う場で、
なんと タンホイザーは
ビーナスとの官能の喜びこそ真実の愛 と歌ってしまう。
追放されたタンホイザーは、巡礼の末、
ローマ法王に神の許しを請うが許されず
絶望してふたたび洞窟に戻るしかなかった。
歌劇タンホイザーでは 最後に 姫の死によって救われるのだが
ノイシュヴァンシュタイン城に その部分の絵は描かれていない。
その代わり、ルードリヒは 自分だけのビーナスの洞窟を作ってしまったのだ。
1869年、ノイシュヴァンシュタイン城と同じ年に
リンダーホフ城の建築にも着手
こちらは 100年前の仏・ブルボン王朝時代の様式を取り入れた。
そして 庭園の高い岩山に、思い描いたとおりの 人工の洞窟 を作る。
洞窟の中には 池や滝をつくり、タンホイザーの壁画を飾った。
そして今の高級車2台分もの費用で 貝のかたちをした白鳥のひく小舟をつくらせ
滝でさざ波をたてた池に浮かばせ、原色の照明装置で照らし出した。
↓召使の証言
『恋人(俳優や従者など つぎからつぎに) をのせた小舟が洞窟を進むにつれ、
さざ波が立ち照明が王を照らす。 まるで夢のような世界でした。』
↓三輪氏の朗読
『あなたには秘密がある。絶対に知られてはならない秘密が』
バイエルン公爵の娘ソフィーと婚約したルードリヒでしたが
再三延期した末、けっきょく 結婚話は消滅した。
そして生涯 妃も世継ぎも 作らなかった。
謎の死をとげたルードリヒ没後50年たって
1000部だけの王の日記の写本が出版された。
それは 彼の24歳から死の直前までの日記の抜粋。
『許されるのは精神的な愛だけ、肉欲は厳しく破門宣告しよう
神の力と王の力によって やめさせるのだ』
と書いてみたり
『恋人を洞窟に迎えて 朝までの かけがえのない素晴らしいひととき』
と書いてみたり。
ルードリッヒは 宗教的葛藤と 法を犯す罪悪感 の両方で苦しんでいたのだ。
『おごそかに誓う。 あらゆる誘惑に断固として戦い
ふるまいにおいて 想像のなかでさえ かかる誘惑に決して負けないことを。
本性に こびりついている悪徳と汚辱を清め、
神から授かった王冠にふさわしい身であることを誓う』
↓三輪氏の朗読
『あなたは、本当は白鳥の騎士になりたかったんでしょうね。
愛するものと民衆を救うローエングリンのような人に。
それが小さいころからの あなたの夢。
でもあなたはいつも悩み苦しんでいた。
神に見放された あの男のように。
洞窟から抜け出せないタンホイザーのように』
7559
7559 J. Aigner作 ノイシュヴァンシュタイン城 書斎の絵 伝説によると 愛の女神ヴィーナスは
チューリンゲンにあるヘルゼルベルグの洞窟に住み 通りがかりの男たちを 罪深い恋に誘惑するのであった。
ハインリヒ・オフターディンゲン すなわち タンホイザーもまた 通りすがりに ヴィーナスの魅力に屈服してしまったのである。
2014・5・26入手 ハープ
一方 ワグナーはといえば、この悩めるルードリヒ王の支援を受け続けて
つぎつぎと新しい歌劇を上演、ヨーロッパ中の話題をさらっていた。
しかし 19世紀、時代は 王国のたそがれを迎えていた。
プロイセンのビスマルクは
ドイツ統一をめざし、反するフランス軍を圧倒的な軍事力で倒すと
ヨーロッパ最古の名門 ビッテルスバッハ家のバイエルン王ルードリヒ に対し
ビスマルクを ドイツ皇帝と認めるよう署名を求めた。
そして 1871年ドイツ帝国誕生。
名ばかりの王となり みかえりにビスマルクから報奨金を受け取ったルードリヒは、
そのすべてをつぎ込んで
1873年 第三にして最も贅を尽くした城、ヘレンキームゼー城の建築に着手する。
絶対王朝の国家のありかたを示した ルイ14世のベルサイユ宮殿を
孤島に造ろうとしたのだ。
政治にも儀式にも使われない ルードリヒ一人だけのためのベルサイユを。
しかし財のすべてをつぎ込んだこの城は 未完成のまま、
1886年、突然 ルードリヒは 診断なしの精神鑑定書により
王権を剥奪され 夏の離宮ベルク城に幽閉さてしまう。
そして その二日後の6月13日 それを書いた精神科医とともに謎の死をとげた。
↓ 三輪氏の朗読
『なぜあなたは、心が病んでいるとか、メルヘンの王様とか 言われるのか?
おそらくあなたの予想していたことが
人間の想像をはるかに超えていたからなのでしょう。
そして あなたの夢は あなた自身を滅ぼしてしまった』
しかし 手工芸や職人技を高く評価し それを贅沢に取り入れた
ルードリヒ王のこだわりの城は
今では観光客により バイエルンの懐をあたためてくれている。
また、彼がいなかったらワグナーの楽劇 および
それに影響された数多くの作品も生まれえなかった。
TV画像
腰に角笛をつけているんですよね、ローエングリンって!
オペラの中でも
金の角笛をつけて白鳥にのってあらわれた・・・と歌われますし
その角笛と剣と指輪を 王となる人に託してほしい という場面もあります。
冒頭で は
ちょっとあやしげなこの髭の男性は
かなりあやしげなバイエルンの王ルートヴィッヒU世
と ちゃかして書きましたが このルードリヒ王の深層心理を知ると
騎士ローエングリンの姿になぞられた 冒頭のカリカチュアのカードを
笑ってはいられなくなります。
そして 少年ルードリヒが心震わせたワグナーの楽曲が リフレインするのです。
最後に
ハンス・クリストフ・ヴォルブス著 『19世紀の音楽カリカチュア』 音楽之友社 から
このカリカチュアの解説です。
〜DER FLOH ウィーン 1885年〜
1864年5月に即位した、まだ19歳になったばかりのフリードリヒ2世の中に
ワグナーは熱望していた王侯の姿をみることになった。
ローエングリンの秘蹟がおこったのである。
まるで童話かなにかのように ワグナーの運命は一夜にしてかわってしまった。
生活の不安から開放されたワグナーは、いまや王の意に従って
自らの芸術的使命に生きるべき人となったのである。
国王ルードリヒ2世はワグナーの舞台作品のイメージ世界に刺激をうけて
ノイシュヴァンシュタイン城 (中世ドイツの騎士城の正統的様式) を建設し
リンダーホーフ城の庭に 『ヴェーヌスの洞窟』 などというものを作ったのだが
この国王は 夢見るように多感な15歳のころ すでに
『ローエングリン』 につよい影響を受けていたのだ。
やがてワグナーは 政治に首をつっこみはじめ 口出しをしたりするが
国王はあらゆる批判をものともせず、ワグナーの味方であり続けた。
1865年にミュンヘンで、ハンス・フォン・ビューローの指揮によって
『トリスタンとイゾルデ』 が初演にこぎつけた。
その一年後 ワグナーは ミュンヘンで騒ぎをおこし
逃れてルツェルン郊外に居をうつす。
それでも その後もこの国王の援助が続かなければ
バイロイト祝祭劇場の建設ひとつとっても 頓挫したであろう。
1886年6月13日、ワグナーにとって
光輝く白鳥の騎士であった国王ルートリヒ2世は
精神の病に冒されたすえ、シュタルンベルク湖で溺れ死んでしまう。
このカリカチュアが公にされたのは、その一年ばかり前のことであった。
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