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ミンネゼンガー

 

 1950

1950 Heinrich Frauenlob   Miniaturaus dem Codex Manesse
Universitatsbiblioothek Heidelberg Edition Braus, heidelberg  
2002・5・9入手   
アンサンブル

 

 

のカデンツ

カードコレクターの先輩 A からの ドイツ土産だった ↑ このカードは

調べてみると中世の音楽図として たいへん貴重なものでした。

 一段高いところに腰掛けている白服の男性が 

中世・世俗音楽界の歴史的重要人物なのです。

皆川達夫著 『中世・ルネサンスの音楽』 講談社現代新書によると

中世音楽はキリスト教一辺倒の時代と考えがちだが、

民衆の間では、各種の民謡、舞踊、あるいはジョングルールという

遊芸の芸人達が活躍していた。

楽譜ももたない即興での音楽

恋物語や武勇物語の朗誦 動物使いまであった。

そして中世の世俗音楽は、騎士階級のための歌曲として結晶した。

十字軍の遠征などで11Cから12Cには

フランスドイツを中心にアマチュア歌人による世俗歌曲が栄えた。

南フランスのトルバドゥール歌曲が

12C中頃には北フランスのトゥルヴェールとして開花

さらに13C-14Cにはドイツでミンネゼンガーとなる。

(タンホイザーもミンネゼンガーのひとり。 ミンネとは愛)

原則として彼らは詩を作り作曲をした。

それを実際 歌うのは彼らの従者である職業芸人ジョングルールの役目。

歌曲の題材は主として愛、また道徳や政治に関したもの

十字軍や英雄の武勲をたたえるもの、などであった。

 

とあります。

実は このミンネゼンガーの代表格が ↑ カードの白服の人物です。

ヴァルター・ザルメン 『音楽家 409人の肖像画  古代後期から1600年まで』 音楽の友社

詳しく このカードの解説がのっていました。

 

ハインリヒ・フラウエンローブ(貴婦人への賛美)こと 

ハインリヒ・フォン・マイセン (↑白服の人物) 

貴族の音楽と中流階級の音楽 との仲介者

そしてマインツのマイスタージンガー(職匠歌)組合の伝説的創始者

として その名を残している。

彼は神学の深い教養によって当時の歌人達の中で際立った存在だった。

彼を非常に尊敬していたマイスタージンガーたちは彼を神学博士と呼んだほど。

この絵は1315年くらいの頃

チューリッヒで作成された<マネッセ>写本ともよばれる 

大ハイデルベルク歌謡写本の細密画

(ハイデルベルク大学図書館蔵 Cod. Pal.Germ 848, fol.399recto,35.5x25cm) 

下級の楽人達の上に君臨して

命令を下したり裁いたりしている楽人の王として彼を目立たせている。

彼は調べに付した数多くの格言詩を残しており

『私は時代にその調べと言葉を与える』 という歌詞は

彼の誇らしげな自意識を言い表している。

 

上尾信也著 『歴史としての音  ヨーロッパ中近世の音のコスモロジー 』  柏書房

一冊まるごと とても興味深い本なのですが

このカードの頃の 時代背景や 白服男性に関するところだけ 

抜粋させていただきますと

 

12c〜13cのトルバドゥール・トルヴェールの時代には

ヨーロッパは壮大な文化伝播の舞台であり

教会と都市と宮廷という 文化の三大ネットワークが確立した時代。

王侯貴族の複雑な閨閥関係の 総元締めたる

アリエノール・ダキテーメが そのヒロイン。

全ての宮廷文化はアリエノールに通ずるといわれる。

この時代はまた 婚姻という文化の連絡手段を媒介として

フランス・ドイツ・イタリア・イングランド・キリスト教スペインに至る

一大文化圏が生じた。

ミンネゼンガーが活躍する14c には、

北イタリアも含めた神聖ローマ帝国の諸宮廷と都市は不可分のものとなり、

都市の文化ネットワークの背景には

宮廷の文化ネットワークが色濃く介在するようになる。

従来は教会音楽と世俗音楽と分けて考えがちであった音楽の歴史であるが

その実態は教会・宮廷・都市にはりめぐらされたネットワークとして絡み合い

想像以上に、相互にそして地域的に交流をもっていたといえる。

それは歌人・楽士・芸人たちの人的ネットワークでもあった。

 ・・・・・・・・

ドイツ語圏の宮廷歌人ミンネジンガーの詩歌ミンネリートがたくさん残されている。

なかでも、フラウエンロープと呼ばれた

ハインリヒ・フォン・マイセン ( ↑白服の人物のこと) は楽師王 

いわゆるジョングルールの王としても知られており

これも「芸態」としてのミンネジンガーという解釈の証左になるだろう。

この図にはフィドル・ショームなどさまざまな楽器の演奏が描かれている。

 

 

↓ このカードも 

ミンストレル (中世の吟遊楽人 諸国を遍歴して楽器にあわせて詩や歌を吟じる)

ちょっと漫画チックで 可愛いカードですよね。

これは ベルリンの美術館でみつけました。

5713

5713 Middeleeuwse miniatuur met minstreel begelleid door lier en fluit
Stelt de dichter ’Kanzler’ voor uit Manessische Handschrift  Zurich  ca 1340
2009・1・30入手  アンサンブル

 

 


 

 

<追記>

2014年 ハイデルベルクの街を訪れた   

大発見することになりました。

  『マネッセ写本』 です。

冒頭の 1950 のカードも  5713 のカードも  このマネッセ写本のもの。

  はい、上述の 『音楽家409人の肖像画』 から  

↓ この部分を 引用したのにもかかわらず・・・

 

この絵は1315年くらいの頃チューリッヒで作成された<マネッセ>写本

ともよばれる 大ハイデルベルク歌謡写本の細密画

(ハイデルベルク大学図書館蔵 Cod. Pal.Germ 848, fol.399recto,35.5x25cm) 

 

 肝心の この大切な出自を スルーしていました。

お恥ずかしい限りです。

 

ハイデルベルクの街の本屋さんのワゴンや ハイデルベルク城のショップなどで

 この一連の ちょっと漫画チックなカードを  やたら見かけました。

楽器ありカードも 楽器なしカードも さまざまでしたが

どうして この街に この手のポップなカードが たくさん あるのかしら? と

不思議に思いつつも カードが増えたのが嬉しくて 

緑豊かな ハイデルベルクの街は よりいっそう好感度アップ。

 

本屋さんで ↓ このカードを見つけた時は

 たしか こんなカード すでにファイルしていた気もするけど・・・

でも ちょっと どこかニュアンスが違うような気もして

 念のため 買い求めました。

 

7604

 

7604 Herr Geltar    Grobe Heidelberger Liederhandschrift(Codex Manesse)
Universitatsbiblithek Heidelberg, cod. Pal.germ. 848, BL. 320v zZurich, um 1305 bis 1340
2014・5・29入手 
つの笛
 

 

↑↓  やっぱり別物でした。  買ってきて よかったぁ〜!

↓ このカードは 冒頭のカードと一緒に カードコレクターの先輩 A から もらったもの。

その時 もう少し注意深く カード情報に 着目していれば・・・

白服ミンネゼンガーと この狩りの 

2枚のカードの関連性(キーワード Codex Manesse)に 

気付いたはずなのに・・・

残念ながら 当時は コレクション歴も浅く まだまだ未熟だったのです。 

 

1951

1951 Der von Suneck   Miniatur asu dem Codex Manesse UniversitatsbibliothekHeidelberg
Edition Brraus, Heidelberg   
2002・5・9入手 つの笛

 

 

 

そして ハイデルベルク城ショップで見つけた ↓ このカードのおかげで

マネッセ写本 というものを しっかり認識することになりました。

有名どころ14人が登場している いわば ミンネゼンガー・アラカルト・カード。

それぞれ 名前が添えられています。

楽器があるのは 一番 右下の  冒頭でご紹介したカードだけですが

  Heinrich Frauenlob  

  そう ハインリヒ・フラウエンローブ(貴婦人への賛美) 白服の人物 です。

↓ この アラカルトカードを手に入れたことで 

そして この中に ハインリヒ・フラウエンローブのカードが あったことで 

ん? この im Codex Manesse とは 何ぞや? 

という疑問が 湧き起ったのですから

大感謝のカードになりました。

 

 

7603
7603 Die Grossen Deutschen Minnesanger imCodex Manesse  2014・5・29入手 アンサンブル

 

 

 

↓ これは そのハイデルベルクからパリへ到着した翌日 

カード屋さんで見つけました。 

ハイデルベルクで見かけたカードと 同じ仲間があるなんて

 さすがパリだわ! と 無邪気に 大喜び。

 

7624

7624 Codex Manesse Von Buchheim (c) WKC  La Banque de l'Image
2014・5.31入手  プサルテリウム

 

 

そして この旅から帰ると  

さっそく Codex Manesse と打ち込んで 検索してみました。

マネッセ写本 ハイデルベルク大学図書館蔵

 140人のミンネゼンガー(宮廷詩人) の詩歌を収録した コデックス彩飾写本。

ああ、そうだったのか!

それで ハイデルベルクの街には 

 このタイプのカードが たくさんあったのかと 深く納得。

近年とみに充実してきた画像検索も 試みたところ

あります、あります、たくさんのマネッセ写本の細密画が ヒットしました。

2002年に はじめて おみやげカードとして出会ってから  なんと12年! 

ようやく マネッセ写本の全貌を知っただなんて・・・ お粗末この上ない話ですが

 そうと知ってさえいれば 

哲学者の道で ハイデルベルクの美しい景色に うっとり浸ったりせず

真っ先に ハイデルベルク大学図書館を 訪れたのに。

こんな   がやっている ポストカード音楽会 ですから 

その歩みは カメよりも のろいのです(涙)  

 


 

 

その後

 ハイデルベルク大学図書館のウェブサイトで

なんと  マネッセ写本が デジタル版で 丸ごと 公開されていることも 知りました。

すごいですねぇ・・・ネットって!!

もちろん  全848ページ  すべて閲覧しちゃいましたとも!

この膨大なページ数をクリックしていくのだけでも たいへんな作業でしたが

12年ごしに正体を知った マネッセ写本へのアクセスですから 

それは もう ワクワク感で いっぱい。

5〜10ページおきの間隔で あの漫画チックな細密画が つぎつぎ登場します。

状態の良いものは 金の彩色が とても美しく豪華。

あちこちクリックしていたら

 その全848ページが  スクロールするだけで一覧できるページも発見 

(さすがドイツ!)

お目当ての 楽器の入った彩色細密画は 

無彩色のものを含め全138枚中 20枚と確認できました♪

  そのうち コレクションできているのは たったの5枚。

ああ この世に マネッセ写本ポストカードブック なんてものは 

存在しないのでしょうか?

それも 楽器の入ったものだけの なんですけど。

 


 

 

さて

ここからは  別タイプの ミンネゼンガーのカードをご紹介しましょう。

南ドイツの ノイシュヴァンシュタイン城でゲットした 

10枚綴りのマイスタージンガーシリーズのなかの一枚。

日本語の解説が添えられています。

これはミンネゼンガーの歌合戦の様子。 タンホイザーも出場したんですよね。

 

7561

7561  F・ピロティー作  ノイシュヴァンシュタイン城・食堂にある油絵
中世では 最も有名な詩人や歌人たちは ヴァルトブルクで会うことを約束しあっていた。
今日でもなお ヨーロッパの文化財に数えられている詩は 当時人前で披露されたものばかりである。
もちろん特に素晴らしい作品には ほうびが出された。
食堂の絵 (F・ピロティー作) にもみられるように ミネゼンガーたちは ヘルマン方伯から 沢山の褒美を賜ったのである。

2014・5・26入手  
リュート

 

 

 7556

7556 Eduard Ille  ノイシュヴァンシュタイン城 更衣室の大きな洗面台の上にかけられているイッレ作の油絵には
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデがバイエルンの領主ヴェルフ六世の宮廷で 『ドイツの風習に誉れを』
という詩を披露しているところである。   
2014・5・26入手  ヴァイオリン

 

 

 7557

7557 Eduard Ille  ノイシュヴァンシュタイン城  フォン・イッレ作のもう一枚の絵がある。
ドイツ・ミンネゼンガー(中世騎士恋愛詩人) の中でも 最も有名な ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデが
描かれている。彼は馬に乗り、ヴァイオリンを携えて 彼の詩を聞かせるため、城から城へとわたりあるいていたのである。

2014・5・26入手  
ヴァイオリン

 

 

ちなみに  ↑ 上の2枚(7556 7557) は 

最も有名なミンネゼンガー  ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ 

マネッセ写本では ↓ こんな姿で登場しています。

 ミンネゼンガー・アラカルトカードの 3段目の左から2番目。

雰囲気がぜんぜん 違いますね(笑)

 

 


 

 

<追・追記>

 

冒頭で 引用した ↓  トルバドゥール 

南フランスのトルバドゥール歌曲が

12C中頃には北フランスのトゥルヴェールとして開花

さらに13C-14Cにはドイツでミンネゼンガーとなる。

 

ヴェルディのオペラ 『イル・トロヴァトーレ』  は 

その名の通り  この吟遊詩人が主役です。 

先日 NHK プレミアムシアター ザルツブルク音楽祭・2014 で

ザルツブルク祝祭大劇場で行われた このオペラ公演を 

放映してくれました。

吟遊詩人マンリーコ役は フランチェスコ・メーリ 

彼を慕う レオノーラ役には 泣く子も黙る現代のディーヴァ  アンナ・ネトレプコ

そして舞台は 現代の美術館内 という斬新な演出で  

たくさんの絵画が登場しました。 

びっくりしたのは そこに飾られた 吟遊詩人の肖像画が  

見覚えのある ↓ こちらのカードだったこと!

あわてて ファイルから取り出し 所蔵美術館を確認したところ 

これは フランス・ストラスブール市立美術館 で購入したものでした。

 

 

4700

4700  CARIANI iovanni Busi, dit (Ne a Bergame, vers 1480 - Mort a Venise 1547)  Le Joueur de Luth 
  Huile sur toile   71 x 65 cm  Strasbourg, Musee des Beaux-Arts  2007・11・28入手  
リュート

 

 

TV画面より

 

 

 

 

16世紀に描かれた カリアーニ のこのカードの題名は  『リュート奏者』 ですが

オペラでは 美しい女官に恋する 吟遊詩人・トロヴァトーレ  として登場します。

あっ でも アルザス地方のストラスブールは  

古来から交通の要所として栄えた ドイツ国境近くにあり

 普仏戦争ではドイツ領に  第一次世界大戦ではフランス領に

第二次世界大戦では ナチス・ドイツに占領され 

戦後 再びフランスにもどった という

歴史の荒波に翻弄されてきた土地。

 北フランスのトゥルヴェールとして開花し さらにドイツで・・・ 

ということですから

交通の要だったストラスブールでも 

充分 トゥルヴェールが活躍していたと思われます。

そういえば ハイデルベルクからパリへ移動中の車窓から 

ストラスブールのピンク色の大聖堂が見えました。

あれは 中世の吟遊詩人を 逆走した旅だったんだ(笑)

だとすれば 絵画の 『リュート奏者』 も 正真正銘の トゥルヴェールかも。

オペラ4幕で 母親アズチェーナ役の マリー・ルミューが 息子に語りかける歌詞が 

この絵画の 『リュート奏者』 に捧げられているような気もして 妙に 心に残りました。

 

故郷の山に 帰ろう

そして 昔のように 平和に暮らすんだ

お前はリュートに合わせて 歌っておくれ

 


 

 

<追・追・追記>

 

2015年9月初め 北イタリアへの旅 に参加しました。

ドロミテ街道は コルティナ・ダンベッツオから ボルツァーノへ。

景観を楽しみつつも ポストカードの収穫はさっぱりで 

ちょっと気落ちしていた時でした。

ボルツァーノの大聖堂がある広場に 弦楽器を持った銅像を み〜っけ!

やった〜〜! ボルツァーノの町の絵葉書には

どれにも必ず この楽器を持った銅像が 入っています。

 さっそく お土産屋さんや 本屋さんのスタンドで 

この銅像の入った ボルツァーノの絵葉書を買い漁りました。

代表して その中の一枚をご紹介しましょう。

 

8366   

8366   Bozen/Bolzano  2015・9・4入手  リュート

 

 

ドロミテ街道は ドイツ・オーストリアとイタリアの間にある アルプス山岳地帯。

カードにも ドイツ語とイタリア語の両方で ボルツァーノと書かれていますが

町でも 両方の言語が使われていました。

この銅像は 町の中心のヴァルター広場にあり 

銅像の正面には ゴシック様式の大聖堂

その美しい屋根瓦の模様は ウィーンのシュテファン教会を 彷彿させます。

絵葉書を見つけた本屋さんのレジの人が やさしそうな青年でしたので

「あの〜〜この楽器は ヴァイオリンですか?」

と  カードを指さし 質問してみました。

ドロミテで採れる良質の木材は 

あのストラディヴァリウスにも使われた と聞いたからです。

 「いいえ これはリュートですよ。 %:?::*%*?$%#:: ポエム+**%」

 ポエム という単語だけは しっかり 聴こえたので

「えーー!? じゃ もしかして ミンネゼンガー?」

と 思わず日本語で (ミンネゼンガーはドイツ語だけど) 叫んだら

「そう それ! その通り!」 と 

青年は 指を鳴らして  にっこり笑ってくれました。

ああ、ボルツァーノ!!  なんて素敵な町でしょう。

しかも 宿泊ホテルが ヴァルター広場に面していて 

部屋の窓から  このミンネゼンガーの銅像が 真正面に見えたのです!

  その晩は ちょうど週末で 

ヴァルター広場では ドイツ風ビール祭りのイベントが開催され

 午前2時過ぎまで 飲めや歌えや の大騒ぎが続いていたのですが

このミンネゼンガーと一緒ですから 全く気になりませんでした。

 

 

 2015・9・4撮影

 

 

ウィキペディアから

ヴァルター広場  Piazza Walther

広場は 街の上品なサロンとも呼ばれ 

1808年バイエルン王マクシミリアンの意向によってつくれらた。

1901年には 中世で偉大なドイツの吟遊詩人の一人 

ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170〜1230)の名で

呼ばれるようになった。

第一次大戦でイタリアに併合されると 

広場は ヴィットリーオ・エマヌエール3世の名前がつけられ

第二次世界大戦後 

再び ドイツの詩人ヴァルターの名で呼ばれるようになった。

ヴァルター像は 1889年 ネオロマネスク様式で

彫刻家ハインリッヒ・ナッターが白大理石を彫って作った。

1935年にはファシストの勢力が ヴァルター像を町はずれに移動させ 

1985年 元のヴァルター広場に戻された。

 

チロル地方というのは こういった複雑な歴史が あちこちにあるんです。

そして 

あのヴァルター広場の銅像も こちらの方だったなんて またまた びっくり。

 

 

 


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