/ポストカード音楽会 /DETAIL編

 

 

これは どんな場面? 

Scene6 バジールのアトリエ

 

 

2124

2124 FREDERIC BAZILLE  L'Atelier de la rue La Condamine (detail)  1869/70
Musee d'Orsay, Paris  Editions Hazan, Paris 1994   2002・7・15入手  
ピアノ 

 

 

のカデンツ

 

えっと

この男性は ひとり 自室で ピアノの練習をしているところでしょうか?

↑ 2124 のカードを入手した時の感想です。

その後 画集で

これはある画家のアトリエの一部分だということを 知りました。

が、その全体図の絵のカードを入手するチャンスには なかなか恵まれませんでした。

さて、いつも見逃すことの多かった NHKの 日曜美術館を

自動録画するようにしてから、飛躍的に美術展情報を入手できるようになりました。

画家たちの楽園〜パリ・オルセー美術館の至宝展〜という放送 (2007年2月11日放送)で

やった! ついにこのアトリエの絵が日本にやって来た!  という具合です。

パリのオルセー美術館には もう行ったし、印象派には楽器の絵が少ないし、と

行かないつもりの展覧会でしたが 番組で、この絵をとても詳しく取り上げていたので

このぶんなら もしや、カードになっているかも と思い直し 出かけてみることにしました。

その勘 はあたって、ついに ↓このカードを めでたくゲット。

本家本元のオルセー美術館では カードになっていなくても、日本に来るとカードにしてくれる。

これも 新たな発見でした。

 

4284

4284 フレデリック・バジール  バジールのアトリエ、ラ・コンダミヌ通り  1870年 photo RMN
Paradis d'artistes au XIXene Siecle  Collections du Musee d’Orsay  2007・2・15入手   
ピアノ

 

 

では、番組に感謝しながら その内容を再現いたしましょう。

まずナレーションです。

1870年パリ

バジールのアトリエには いつものとおり印象派の画家たちが集まっています。

(ちなみに左から ルノワール 階段のゾラ モネ マネ、背の高いバジール

そして ピアノを弾いているのは エドモン・メートルさんです)

バジール  『意見を聞かせてくれないか。

どうも人物と風景がしっくり来ないんだ』

マネ   『そうだな、人のタッチはスムーズなのに

水や草のタッチが細かすぎる。 構図もまとまりがない』

って、肝心の絵は バジールさんの影になって 見えないのですが・・・

モネ   『ここを出て やっぱり外で描きあげるべきだよ。

自然の光じゃないと色が違うし 感じたままの印象も 描けないじゃないか』

ルノワール  『世間じゃ僕たち 出来損ないの画家といわれているんだ。

サロンからも締め出され このままじゃ飢え死にだ』

新しい美の世界を開く若者たちのめざす印象派は

まだまだ世に知られていない頃でした。

 

 ナレーション終わり。 

そしてゲストの 美術史家の 高橋明也氏が お話をされます。

 

『 バジールはサロンに出品したものの、見事に落選

兄貴分であるマネに自分の絵を批評してもらっているところです。

どんなに努力しても サロンから認めてもらえない もどかしさを抱えています。

これまでの西洋の絵は 陰影を強く意識したもので 空間のとらえかたも深く

光と影 明るい部分と暗い部分で 立体感を出していた。

この印象派の平面的でフラットな描き方は

(たとえば床とか椅子とか部屋全体の奥行きに深さがない 等)

なんて へたなんだ!という評価しか得られなかったことは 

容易に想像がつきますよね。』

 

印象派が 水面の輝きのような 綺麗なイメージの印象派でありえたのは 

1870年代のほんの数年くらいの たいへん短いものだった

ともおっしゃってました。

それを壊して 新たな楽園をめざして旅立っていったのは

ゴッホであり、ゴーギャンであり、セザンヌだったと。

 

 


 

 

<追記> 

 

 ↑ ここまで書いた数日後  

なんとまた NHK BS 迷宮美術館 でも 

『出張 オルセー美術館展』 と題した番組が放映され

この バジールのアトリエ が 再び 取り上げられました。

あっちこっちの番組で東京都美術館から中継するなんて

NHKさん 力 はいってますね。 

 つまり いかに日本人は印象派がお好き ってことでしょうか。 

おかげさまで 集中講義を受け とても勉強になりました。

こちらの迷宮美術館では バジールその人をクローズアップ。

またぜんぜん違う切り口だったので 面白かったです。 

 

フレデリック・バジール(1841-1870年)

南フランス(モンペリエ)の裕福なブドウ栽培家の家に生まれ、医者をめざしてパリに来る。

しかし かねてからの夢だった画家への道を めざしはじめる。

モネや ルノワールとは 同じ画塾の仲間で

彼らは そこで学ぶサロン入選をめざす古典絵画手法に うんざりしていた。

そんな彼らに衝撃を与えた人物は

1863年 オランピア を発表して 時代の権威にまっこうから挑戦していた マネ。

これまでタブーとされていた 現実の風物や人間の欲望を 

大胆に描くマネを 彼らは尊敬し 師と仰いでいた。

新しい絵画運動を模索しているバジールの仲間たちは、みな まだ無名で貧乏

モネ、 ルノワールは バジールのアトリエに居候を決め込んだのですが

裕福なバジールはそんな仲間を暖かく支え、彼らのリーター的存在になっていました。

マネのそばに と慕う若者たちが集まっていた 

バティニョールのアトリエが、居候もいて 手狭になったため

バジールは ラ・コンダミヌ通りの この広いアトリエに 引っ越してきます。

そしてバジールは

このアトリエから新しい絵画が誕生するのだ  と高らかに宣言するかのように

この絵に 自分や仲間たちを たくさん描きこんだのです

 

↓ それでは、あまり知られていないバジールの作品を。 

こんな絵を描いていたんですね。

 

 

これは アトリエの 階段の横の壁にあります (TV画像)

 

 

これは アトリエの 窓際の白ソファーの背後にあります (TV画像)

 

 

そして マネに批評してもらっていたバジールの絵も ちゃんと判明しました。

故郷の両親にあて パリの日々の暮らしを詳細に綴った

バジールの書簡集が残っているそうです。

 はい 見えなくて 謎だった絵は ↓ こちら です。

 

 (TV画像)

 

 

 

この絵は バジールがめざしていた 

外光(自然光)のもとでの 光と影の絶妙なバランスで描かれ

モネやルノワールも絶賛してくれた 彼の自信作。

ではなぜ 背の高いバジール自身が 

わざわざこの絵を隠すように立っているのでしょう?

これは 番組でクイズにもなっていたのですが 

それはマネの仕業。

マネは外光のなかで人物を描くことはなく

マネの求めていたものと バジールらのめざす絵画は くい違ってきていたのです。

この 『村の眺め』 をあたかも感心したように見ている自分の姿が描かれているのが

 マネは気に入りませんでした。

プライドを傷つけられたマネは 『村の眺め』 を隠すように 

わざと その前に バジールの姿を 描きこんだのだそうです。

尊敬するマネが思わず筆をとったんですから

バジールも しぶしぶ従わざるをえなかったのだとか。 

 

バジールとその仲間たちは すでにマネの手を離れ 

新たなる絵画運動の実験のなかに いました。

自分たちを受け入れてくれない 政府主催のサロンなど相手にせず

自分たちの力(自分の資金力)で 独自の展覧会を開催すればいい

とバジールは構想します。

そんな時 プロイセンとの普仏戦争(1870−71年)が勃発、

ルノワールと戦地に赴いたバジールは 29歳の若さで 戦死してしまいました。

彼の死後4年たった 1874年

バジールの意志をついだ 彼ら独自の 第一回展覧会 が開催され

モネの出品作 『印象 日の出』 で  ここにようやく 印象派 の誕生をみたのでした。

印象派をめざし しかし印象派になれなかった画家 バジール!

 

↓  そのバジールを描いた モネとルノワールの作品

 

(TV画像) 後ろに立つ背の高い男性

 

(TV画像)

 

 


   /これは どんな場面 SCENE 7 


/ポストカード音楽会  /DETAIL編  楽器ジャンル  画家索引 参考文献一覧