毛皮反対・・・言われる事

その産業の人達が困る。あなたが責任を取ってくれるのか?

「毛皮反対」を口にすると、「その産業の人達が困る。あなたが責任を取ってくれるのか?」と仰る方がいます。
当然のことですが、私にはその産業に従事した人を救う事はできません。
「責任を取れるのか」と言う人に疑問を感じます。
なぜ、私が責任を取らなくてはいけないのでしょうか?

(毛皮業界が)廃れたり、無くなったら、責任を取らないといけないというのなら、 政策や、流行でなくなってしまったり、つぶれてしまった産業の責任をとった人はいたのでしょうか?

ファッションという欲を満たすものではなく、本当は必要だった物が時代の流れで 無くなってしまった事もあります。
時代の流れを作った人は責任をとったでしょうか?

「責任を取れ」というのは、そういう言葉です。
あまりにも無責任にその言葉を投げつけていませんか?
毛皮を反対しますと言う人に対して、敵意をむき出しにする人たちが多くいます。

私(T.Tae)は、毛皮を買う前に必要かどうかを考えて欲しいと伝えているので毛皮賛成の人と争う気はありません。
ただ、毛皮を知った人には、買わない選択をして欲しいと願っています。
(毛皮を着ている人にいきなり酷い言葉を投げつける毛皮反対論者がいますが、一緒にしないでくださいネ)


「毛皮はエコロジー」は嘘です

毛皮業界は以前は風前の灯という時代がありました。
現在の毛皮ブームは、業界の努力の賜物と起死回生のアイデアの結果です。
その業界が今の地位を捨てようと考えるのは難しいと思います。
毛皮業界は、チーム-6%に参加し、毛皮がいかにエコであるかを伝えていた時期があります。
しかし、業界がいう「毛皮はエコロジー」は嘘です。

飼育動物の大量に垂れ流される糞尿で発生するガスや土壌・河川の汚染。
毛皮をはぎとった後の生肉の焼却処理。
簡単に考えても残酷でエコノミーでしかない毛皮はエコロジーではありません。
業界が伝えるエコロジーの根拠がないのです。
毛皮業界が命の大量な無駄遣いを一日でも早く無駄遣いだと気づいて変わってくれることを願っています。


イヌイットはどうするのだ?少数民族を迫害するつもりか?

「イヌイットはどうするのだ?彼らの生活をどうするのだ?迫害する気か」という人がいます。
これは、怒りにまかせた筋違いの悪意以外にありません。
私は、本当のイヌイットの生活やその生態系下、環境下をよく知るわけではありません。
しかし、私が以前TVで見たイヌイットの生活は「必要な量」を頂くという範囲を超えていませんでした。

もし、イヌイットの人たちがそれ以上にむやみに殺すならば、それは産業であると思いますが
この毛皮も求める人がいなければ産業として成り立ちません。
最近ではアザラシが増えて魚を食いつくすため、漁業関係者に影響が出ていると言われています。
年間30万頭以上のアザラシが殺されて生態系が崩れることはないのでしょうか?
しかし、毛皮反対=イヌイット迫害ではありません。
アザラシの毛皮が欲しいか・欲しくないかもやはり個々の選択でしかありません。


毛皮とジャパンファッション

日本で私たちが伝えている事は「この日本で毛皮を着ないと死んでしまいますか?」ということです。
毛皮をファッションとして必要かということを考えて欲しいということす。
かぶらないフードに毛皮が必要でしょうか?
バッグに毛皮が必要でしょうか?バックを保温する理由は何でしょうか?
ミュールに毛皮を使用するのは?
キャミソールに毛皮のキャップ。ノースリーブにファーベスト。
ファーソックス・ファーストラップ。なぜ、毛皮なのでしょうか?

ここにあげたものは、全てフェイクファーを使用してもファッションとして成り立つ物だと思います。
2、3年しか使わないものにどうして命を奪って使わなくてはいけないのでしょうか?

「残酷な殺し方をしてても関係ない。私は毛皮がすきだから。」と言う人に、それ以上伝えることはありません。
使う・使わないを判断するのは、一人一人の判断です。
「もう買わないけど、この毛皮は親から伝えられたものだから大事にしたい」
という人に「毛皮を着ないで」とは言えません。
大事に着る・後に伝えるということは大事だと思います。
個人的な気持ちでは大事に着ることで命をないがしろにしてるとは思えないでいます。

「毛皮を着ないか・着るか、どうしたらいいか」と問いかけてくる人もいます。
素敵に大事に着て欲しい気持ちはあります。
でも、それで毛皮を求める人が増えるのは個人的な心情として困るので私では判断できません。
私も判断に迷うところです。

悩んでいる人はうんと悩んで自分自身が納得のいく選択をして欲しいと思います。
そこには正解はないのです。
でも、どちらの選択をするにしても、「毛皮着るから毛皮反対って言わない、伝えない」とか
「毛皮着るなら毛皮反対って言うなよ」とか考えるのはやめてくださいネ。

今、大事なのは、知ってもらうこと、選択してもらうことです。

願うことは毛皮を使用することがむやみに増えて欲しくないということです。
産業としてゼロにすることは難しいと思いますが、無駄に流通することをやめることは意識で変わると思います。

「毛皮反対」を伝えると偏狭な啓蒙家と思う方もいますが、私は啓蒙家ではありません。
毛皮賛成という人と争うつもりはありません。

ただ、毛皮を見て辛くなる人がいるということを知って欲しいと思います。
「毛皮反対とか言う人って鬱陶しい」と思う前に、ほんの少しでもいいから考えて欲しいのです。

伝えたい事は、少数では変わらないことです。
NO FURを伝えてくれる人が一人でも増えることを強く願っています。


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