編集後記


Last Update: 03/03/2009

 

編集後記(パリティ2009年2月号)

 LHCは9月10日に動きはじめましたが、すぐに修理が必要になりました。こういった故障は新しい実験にはよくあることとは言え、ガッカリしていた10月はじめ、大ニュースが飛びこんできました。南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏のノーベル物理学賞のニュースです。この分野の人間にとっては、「ついに」とか「待ちに待った」という言葉がぴったりです。また今回のノーベル賞は、類を見ないとても「贅沢なノーベル賞」です。本来なら、ある年に南部氏が受賞されて、ほかの年に小林・益川氏が受賞、となっていても不思議ではありません。ところが、ノーベル財団は、やや異なる業績2つをあえて組みあわせて授与としました。つまり、二年分のノーベル賞が凝縮されたノーベル賞なのです。贅沢なノーベル賞と書いたのはこの意味です。もっとも、このため小林・益川氏と同時受賞でもおかしくなかったカビボが、残念ながら選から漏れることになってしまいました。なお、「パリティ」では12月号でノーベル賞特集を組みましたが、第二弾として近日中に増刊号も予定しており、現在執筆者の皆様ならびに編集部には急ピッチで頑張っていただいています。

 

編集後記(パリティ臨時増刊号)

 2008年のノーベル物理学賞は「対称性の破れ」への貢献から、南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏が受賞されました。「パリティ」に携わっている多くの人にかわって、お祝い申し上げます。この機会に素粒子物理に興味を持たれた方も多いと思い、本増刊号を出版することになりました。「パリティ」ではやや専門的な記事をあつかうこともありますが、今回は幅広い層の読者を考え、なるべく初歩的な点から解説することにしました。

 本増刊号編集で一つ気にかけた点は、「歴史的な連続性」とでも呼ぶべきものです。今回の受賞について、マスコミでは何十年も前の業績だという点がくり返し述べられました。しかし、だからと言って、今となってはカビの生えたテーマというわけではありません。また、三先生の業績にこれまでの「伝統」が果たした役割も大きいと思われます。この意味でも、やはり歴史的な連続性があるように思います。

 まず、過去から今回の業績への流れをみてみましょう。そもそも、これまで「日本人」が受賞したノーベル物理学賞7人のうち、6人が素粒子物理についての功績です(湯川・朝永・小柴・南部・小林・益川)。素粒子物理が特異的と言っていい立場にあることが見てとれますが、これはけっして偶然ではなく、湯川秀樹以来の伝統と考えることができます。

 湯川のはじめての共同研究者が、坂田昌一でした。坂田は湯川の中間子理論の発展に尽くし、また名古屋大学の坂田グループからはさまざまな顕著な業績が出ました [1]。小林・益川両氏は、この坂田グループに進学して強い影響を受けたようです(インタビューおよび荒船氏、大貫氏の記事を参照)。坂田グループの業績の一例として、たとえば牧-中川-坂田の研究があります(新名古屋模型、4元模型)。これはニュートリノ振動を提案したものですが、この現象は近年神岡鉱山をはじめとする実験で注目を集めました。さらに、この研究は4つめのクォークへの着想につながりました。この流れからいって、小林・益川両氏が4クォークに限界を感じたとき、6クォークに進んだのも自然でしょう。さまざまな顕著な業績にもかかわらず、これまで坂田グループはノーベル賞に縁がありませんでした。しかし、その流れを受け継いだ小林・益川両氏のノーベル賞は、坂田グループの方々にとっても我が事のようにうれしいことだと想像します。

 一方、南部氏の場合、直接湯川・朝永・坂田のもとで育ったわけではありません。しかし、これらの先生方からやはり強い影響を受けたと回想されていますし、南部氏がアメリカに渡ったのも朝永の推薦でした [2]。また、東大時代の南部氏に大きな影響を与えたのは、同室の木庭二郎とのことです。朝永は量子電磁気学の業績でノーベル賞を受賞しましたが、木庭はいわば朝永の片腕となって、この理論の発展につくしました。このように、ノーベル賞を受賞された先生方には、人としてのつながりや学問としてのつながりがあるようです。

 つぎに、今回の業績から現在への流れをみてみましょう。どちらの業績も、ずっと以前に提唱されたものですし、標準模型確立に大きな役割を果たしました。しかし、小林-益川理論の実験的な検証は、この数年ようやく確立したものです。このため、「パリティ」でも多く取りあげてきており、とくにBelle実験については毎年のように記事がありました。そこで、小林-益川理論が実験でどう検証されていったのか、これまでの記事からいくつかを選んで、本増刊号で再録しました。あらためて読み返してみると、実験にあたった方々の当時の興奮が伝わってきます。

 また、南部氏の業績「自発的対称性の破れ」も、素粒子理論のフロンティアで大きな役割を果たしています。自発的対称性の破れとは、本来の物理法則にある対称性が、この宇宙ではたまたま破れているという考えです。破れているとは言うものの、どんな破れ方でもいいわけではなく、「自発的」に破れている必要があります。これが非常に特別な破れ方であるため、破れていない場合の理論的な利点も残っており、また破れにともなう一般的な現象もあります。

 この考えの意義はどこにあるのでしょうか? 対称性は物理で重要な考えで、素粒子でも大きな役割を果たしてきました。しかし、残っている対称性もそう多くはないことも明らかだったでしょう。明らかな対称性なら、とうの昔にみつかっているはずだからです。自発的対称性の破れの意義はここにあります。すなわち、この宇宙では隠れていて明らかではないものの、もっと多くの対称性が眠っているかもしれないという可能性をもたらしたのです。したがって、現在の素粒子理論で対称性を探すとなれば、自発的に破れた対称性がまず候補に挙げられます。長年にわたる発展の結果、行き詰まりつつあった対称性という考えに、新たな息吹を吹き込んだのです。

 南部氏の発見は大きな鉱脈をもたらしたと言えるでしょう。以後、素粒子理論ではパラダイムになったと言っても過言ではありません。このため、現在の素粒子論でも自発的対称性の破れは今なお活発な研究が続いているテーマでもあります(磯氏、坂井氏の記事を参照)。

 今回、日本で教育を受けた3人が同時にノーベル物理学賞を受賞されました。しかし、それはたまたまでもなければ、近年急に日本の科学力が発展したわけでもありません。これまでの伝統をしっかり受け継ぎ、そしてその伝統をあとに引き継いだ人々がいたからこそでしょう。

 さて、今回、小林・益川両氏と一対一で当時のくわしいお話を聞かせていただく大変貴重な機会に恵まれました。お二人とも超多忙なスケジュールのなか、予定の時間を大幅に超えても快くお付きあいして下さいました。「パリティ」のインタビューとしては長めの掲載になりましたが、それでもインタビュー全体の数分の一で、編集部も泣く泣く短縮せざるをえなかったようです。非専門家には難しい部分もあるかと思いますが、細かい点は気にせず全体の雰囲気を楽しんでいただければと思っています。

 益川さんと親しくお話しさせていただくのは、今回がはじめてでした。益川さんというと、そのユニークな発言がマスコミでも注目されました。私個人の印象はというと、一言で言って「お茶目な人」でした。益川さんのニコニコした表情で、いたずらっぽく話されると、ユニークな発言もまったく違和感がありません。「日本ではアイドルになっている」と報じた海外のメディアもあったようですが、ぴったりの表現に思います。私もすっかり益川ファンの一人になってしまいました。残念ながら、文章に起こすとそのニュアンスまでは伝わりづらいかもしれませんが、終始ニコニコしてお話しいただきました。なお益川さんは、パスポートでは「Masukawa」を使っているとのことでした。

 一方の小林さんは、はじめはたんたんと言葉少なく話をされていました。しかし、研究の話、とくに小林-益川理論の話ではがぜん活発なやりとりになり、これもとても興味深いインタビューでした。こちらも本文には入らなかった話を一つあげると、小林さんは「つくばエクスプレス」で通勤されているそうですが、秋葉原駅とつくば駅には、お祝いの大きな垂れ幕がしばらくかかっていました(もちろんKEKにもかかっていますし、益川さんの場合は京都産業大の一番目立つところにもかかっていました。)その印象について尋ねると、「どちらもあんまり使わないんでね。研究学園と北千住、そこにはなかったよ」といたずらっぽく、かわされてしまいました。

 また、インタビューは驚きの連続でもありました。お二人とも歴史的な流れについて大筋では同じですが、細かい点ではそれぞれ大きく異なる点に腰を抜かすほど驚きました。たとえば、

・どのような仕事が小林-益川理論成立に影響を与えたか
・4クォークで限界を感じたときの反応
・論文を書くときに気になった点

などです。話の先が読めず、うろたえることもしばしばでした。それも、ユニークな発言で知られる益川さんばかりか、小林さんの時も予期せぬ話がいろいろ飛び出してきました。これらの点は、ノーベル賞講演や既存のインタビュー等の記事をよく読むと確かに書いてあるのですが、見落としていて、お二方と実際にやりとりしてはじめて認識できました。ある程度歴史について知っていたつもりですし、またこの機会にあらたに少し調べものもしたのですが、当時の状況を真に把握するのは大変でした。あらためて、歴史の再構築、それも複数の観点での再構築は、難しくまた興味深い作業だと実感しました。

文献:

  1. 小川修三「坂田学派と素粒子模型の進展」『日本物理学会誌』 1996年2月号
  2. 南部陽一郎「素粒子論研究」『日本物理学会誌』1977年10月号
    南部陽一郎「素粒子物理の青春時代を回顧する」『日本物理学会誌』2002年1月号