薬師堂(おやくっさん)
 兵庫県加古川市上荘町小野、下所(したじょ)(下の地域)から山所(やまじょ)(山の地域)へ通じる中間の位置に、その地域の人が呼ぶ、おやくっさん、というお堂が在ります。

 このお堂には、地蔵菩薩、大日如来、愛宕さん、金毘羅さん、妙見さん等が祀られていますが、真ん中には薬師如来が祀られています。

 田舎には、各々その村、その地域に在る神様です。

 その村、その地域を守ってくれる神様です。




 私はその上荘町小野という所で生まれ、二十歳過ぎまでこの地域で育ちました。

 祖母は毎朝、おやくっさんにお参りしていました。

 さい銭の変わりに、米をひとつまみ、さい銭入れの中に入れていました。

 小さい頃、祖母と一緒にお参りした事を覚えています。

 朝、おやくっさんの方を向いて大きく叫ぶと、山彦が返って来ます。

 おやくっさんの杉の古木に、ふくろうがとまっていたのを思い出します。

 おやくっさんの境内では「とんど」を」したり、地区の相撲大会があったり、時には修験者が大護摩を焚いたりして、昔は結構人々が集う場所でもありました。

 私の中では、私自身に神様が入るまでは、私の絶対の信仰対象で信頼出来る神様でした。

 私は小さい頃から、何か有ると、直におやくっさんにお参りしていました。

 冬の夕方、北西の風の中、人の気配のない境内に入り、一箇所だけある裸電球の傘がカタカタ音をたてるのを聞いてお参りするのは、結構勇気が要った事を思い出します。

 今から思えばたわいない願いも、この神様は聞いてくれました。

 飼い犬が病気で弱っている時、落ち葉がたまった境内の手洗い桶を綺麗に掃除をしてお願いすると、あくる日には治っていたりしたものです。

 この地を離れて生活していても、困った時は、おやくっさんの方を向いて、手を合わせたものです。

 
 9月28日(月)、加古川の河原で妻とグライダーを飛ばした後、おやくっさんにお参りしました。

 急に思いつきました。

 近くまでは行きますが、もう何年もお参りした事はありませんでした。

 私の、もう一つ頼れるものが在ったのを忘れていました。

 正確には、忘れていたわけではありませんが、思い出す余裕が有りませんでした。

 妻の体調の事を聞きたいと思いました。

 先ず此方の巳神様を出し、各神様の前に立ちました。

 他の神様の前では何も見えませんが、中央にお祀りしある薬師如来様の前に立ち、「おやくっさんの神様、どうかお姿をお見せください」、と言いますと、金色に輝く菱形を丸くした様なものが出て来ました。

 上荘町小野、おやくっさんの薬師如来様と取ります。

 子供の時からお守りくださいまして、有難う御座います、下所の高橋克明です。

 私は今縁有って、人の為になればと思い、本業の他に釜を焚く生活をしています。

 しかし薬師如来様も御承知の如く、この領域の者には、真面目に深くやればやるほど、思いもかけぬ障碍が降りかかるのが常です。

 仏様の慈悲の方便と解釈し、又感謝の言葉を力とし、修法に励んでいます。

 私、そして此処に居る私の妻も、相談者の因果を被る事も多々有りますが、全て巳神様の助け(引き受け)の上に、何ら禍いも残さず、この道に精進しております。

 しかし最近、妻の体に実母の霊が入り、動悸が激しく、喘息症状もきつく、大変厳しい状況です。

 薬師如来様、妻の体、守ってください、と頼みました。

 ピンク、赤、紫色の輝く斜めの線が出ました。

 守ってやる、と取ります。

 薬師如来様、私達は病で苦しむ方の、病気平癒の依頼も大変多いのですが、以後、祈祷時に薬師如来様を御呼びしても宜しいですか、と聞きました。

 此方の巳神様にも、祈祷時に薬師如来様を御呼びしても宜しいですかと尋ねると、良しと言われます。

 輝く斜めの線の横に、屋根の様な形が出ました。

 薬師如来様のお答えで、良し、と取ります。

 10月12日(月)、再度、おやくっさんにお参りしました。

 他の神様の前に立っても、何も見えませんが、薬師如来様の前に立ち、前回と同じ様に、御姿をお見せくださいと頼むと、今日は細部までとは言えませんが、かなりはっきりとした形で見えて来ました。

 左の手に、何か持っています。

 右の手を少し上げているのが見えます。

 全体が輝いています。

 底辺部(床?)も輝いています。

 此方の巳神様は、薬師如来様の近くに行っています。

 前回と同じ様に、必要な時は、祈祷時にお呼びしますので、来てください、と頼みました。

 此方の巳神様は、薬師如来様の足元に行きました。

 良し、と取ります。




 恥ずかしい話ですが、私も妻も、薬師如来様の御姿を写真等で見たことはありますが、細部に渡り、正確に見たことはありませんでした。

 後日、書物やインターネットで見ると、おやくっさんの薬師如来様と同じです。

 強い味方が増えました。

 祈祷の幅が増えました。

 
 12月9日(水)、追記。

 12月7日(月)、妻の症状も落ち着いて来ましたので、御礼の意味も兼ね、、おやくっさんにお参りしました。

 薬師如来様の前で、前と同じ様に、御姿をお見せくださいと頼みましたが、今日は全く何も見えません。

 此方の巳神様をお呼びしましたが、此方も姿が見えません。

 何回か呼んでいますと、左上、遠くに、巳神様の姿が見えて来ました。

 鼻先に、丸いコンクリートの玉の様なものが見えます。

 次にその玉を鼻先で押し、私達の前に転がして来ました。




 コンクリートの玉の様なものは、薬師堂と私達が立つ空間、一メートル位の位置で、私の胸の高さ位に来ました。

 今日の巳神様の居る位置は、少し次元の違う所の様に思えます。

 妻が言います。

 今日は、此処には来たくなかった。

 何回もそう言ったけど、全く聞こえてなかったみたいと言います。

 耳鳴りが酷いと言います。

 気分が悪くなって来たと言います。

 やはり霊的なものが集まる場所と再確認しました。

 五輪塔の水輪とも取れます。

 仏様とも取れます。

 薬師堂の横には、古い墓が二基あり、その横には古い五輪塔の各部位が、沢山積んであります。

 この薬師堂の西300メートル位の位置に、たんのやまと呼ばれる、低い岩山が在ります。

 以前此方の巳神様に、薬師堂とたんのやまの間には、その昔何が在ったのかと聞いた事があります。

 三角形のものを見せてくれました。

 墓、寺院と取ります。

 私の先祖が関係していたと思われます。

 私に妻の声が聞こえていたら、今日は薬師堂には来なかったのですが、どうやら妻が私に何か言おうと思った瞬間、私の安全弁の回路が切れてしまうみたいです。


H22年10月22日(金)、追記

 10月12日(火)午後、久しぶりに、私の生れた育った地域に在る「おやくっさん」にお参りしました。

 おやくっさんには、妻の癌の回復を祈願していたのと、妻の背中の痛みを取って欲しい事も頼んでいました。

 その事の御礼と、この日の御前に、此方の巳神様に、妻の背中の痛みを消してもらった事の報告を兼ね、お参りさせて頂きました。

 本堂の横、向かって左に、大日如来様と地蔵菩薩様が祀られています。

 このお堂の前で手を合わし、今回の事の御礼を告げると、白い光で包まれた人の形が二つ出て来ました。

 この白い光に包まれた人の形は、後ろ向き、後ろ姿の形を取って出て来ました。

 向かって右側の人は、左の方よりは少し小さく見えます。

 話しかけてみましたが、反応は有りませんでした。

 本堂の薬師如来様の前に立ち、今回の御礼を述べ、私達の祈祷において、必要な時はお呼びさせて頂きます。その時は御力になって頂きたい旨を告げると、

 妻、「光る・・・、こんなものが出て来たわ」、と言って、手で形を作ります。

 私、「それは・・・・・?」。



 知識から入った人に取っては、何ら簡単に分かるのですが、私達の様に、一つ一つ経験して、初めて自分のものにして行く者に取っては・・・・・、情けない話です。

 薬壺の形は分かるのですが・・・。

 横を見ると灯篭が在ります。

 (上荘町小野、薬師堂の灯篭)



 その灯篭の頭を見ると、殆んど同じ様なものが乗せてあります。

 「あ、これや」、という次第です。

 祈祷の折には、力になると取ります。

 私達の様の者にでも、力になってくださるとは、嬉しく、有り難いものです。





 
鳴釜神事の実際と考察
ひとりごと・たまに・ふたりごと・・番外41(やっぱり私は・・アホかな?)