昨今、長年釜を焚いて来て思う事
 怒りで真っ赤に膨らんだ蛇が私にとびかかって来た夢で飛び起きた事が、それを祀る事に消極的だった私が正式な形で庭に地神様を祀り始めてから40年弱、阪神大震災の起こる数時間前の炎の霊視をきっかけに、これでもかこれでもか、まだその気ならんのか、とひらめきやいろんな予知の場面を見せつけて、病弱な妻の身体をも私にこの領域に入らせる為の一つの縁として上の世界で決めていたのであろうストーリーを受け入れて釜を焚く事になり30年弱、この頃つくづく考えてみるに、釜焚きの依頼には大まかに分けて三つのケースがある様に思います。

 一つ目は、私が現地に行って釜を焚き、様々な事情の元になっている根本を鎮め消除してそれで終わる場合。

 二つ目は、私が現地に行って釜を焚き、様々な事情の元になっている存在(神霊)を鎮め、その存在を其処で祀る形を取る場合と、その存在を消除する場合。

 三つ目は、このケースの場合、例外を除いて、殆どが事業や商売をされていたり、その昔、其処に祀る神霊の助けで財を築き、その御蔭(財力)で今は普通の生活をされている所が多いが、私が現地に行って釜を焚き、様々な事情の元になっている存在(神霊)を鎮め、その存在を守り神として祀り、其処へ商売や事業、その家族の安泰の必要性から新たな力の存在(神霊)を降ろして祀る形を取る場合。

 大まかに書きましたが、一つ目のケースは、釜焚きの後、其処にはこの領域の鎮めるものはもう何もない状態になります。

 二つ目のケースの場合、其処に祀る神霊は例外を除き一つ(一体)の場合が殆どです。そして其処に住む方の考え方として、今まで通り神霊をお祀りされる場合が殆どです。

 三つ目のケースの場合、一つ目のケースと二つ目のケースの事情も入り混じり、新しい古いを問わず、複雑なまま今日までに至った場合も多くあります。

 一つ目のケースの場合、例外を除いて、殆どが一回の釜焚きで私との縁が切れる場合が殆どです。

 一回の祈祷で完結する事になります。

 二つ目のケース場合、其処と関係のある存在(神霊)の今に至るまでの事情の複雑さ、深さ、年月の経過(長短)によっては少し時間のかかる場合もあります。

 しかし其処には一つ目のケースが複雑に入り混ざった場合も稀にあって、本来祀られて来た神霊が何らかの事情で神霊の価値がなくなってしまっている(邪)ケースがあったり、その場合、それを正統な神霊の形に戻したり、無理な場合は消除(撥遣)する祈祷を行ったりする事もあります。

 しかしそれは稀なケースであって、大概は今まで守って頂いた神霊を祀り続けておられる所が殆どです。

 三つ目のケースの場合、其処には、昔(先代)から祀らていて、過っては其処に繁栄をもたらして来た神霊が居られるが、何らかの理由で過っての様な状況ではなくっている場合、私がその原因の解明と対処の仕方を其処の神霊に聞いて、それを鎮める釜を焚き、必要な場合、其処へ新たな力を持った神霊を降ろす場合と、事業の最初から関わらせて頂いて、その事業に必要な神霊を其処に降ろし、必要な場合は高橋家の地神様を通して京都伏見稲荷大社、白狐社の命婦専女神様から其処の事業や当事者(事業主)に合った稲荷神と縁を付けてもらい、事業繁栄の釜(祈祷)を焚く場合があります。

 いずれにしても、三つ目のケースの場合を元の納得した形に導くのは大変な苦労があり、難しく、納得した形になっても(戻しても)、当事者が何故以前の様な形に戻ったのかという事を本当に理解しているのかどうかにかかって来ます。それが分からない場合、又軌道に乗った事業や家運が段々と衰退してしまう様な事はよく見る事です。

 実際、事業や商売をされている所は、どうしても同業他社、他所からの僻み(ひがみ)や妬み、妨害の念を受け易く、日々、其処で祀る神霊はその様な邪念から当事者を守っておられるので、私から観れば商売や事業をされている所の神霊は疲れ切っておられるのが分かります。

 良い状態が長年続いている所は当事者が上記した様な内容をよく分かっておられる所が殆どで、しかしそんな所は少なく、大概は神霊の助力の上に成り立っている事業や家運も、自分の力で成り立っていると勘違いしている所が多い様に思います。

 余分ですが、今現在、私が行かせて頂いている所は当事者の意識が高く、事業や家運は神霊に守られて順調な所が殆どです。

 昨今、長年釜を焚いて来て、その様な神霊の苦労を分かって(やって)欲しい、ご自分(人間)の力(実力)だけでは今の自分はないという事に気が付いて欲しいと特に思います。

 *余分ですが、立派な神霊をお祀りされているが、ご自分が思う様な方向に進まないという場合、神霊から観て、何か、その方が気づかない、許せないもの(嫌なもの)がその方にあるのだと観ます。立派な神霊ほどそれにこだわります。

 巳神(龍神)の場合は特にそう思います。

 ではそれが何かというのを聞くのが私の仕事の様にも思いますが、立派な神霊ほど何も教えてくれませんし、私にしてもその当事者の今までの人生の全て事が分かるわけではありませんので難しい場合もあります。

 




鳴釜神事の実際と考察
新 ひとりごと・たまに・ふたりごと  25
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