私は来訪者や祈祷先で、よくこの様な質問をされます。
「高橋さんの所には、さぞかし立派な御社が在るのでしょうね」、と。
「テレビ等に出て来る人は、立派な仏像や、御社の前で拝んでいるのをよく見かけますが」。
この様な質問をされると、どう答えて良いいものか、困ってしまいます。
何故なら、地神様や御不動様を例に取るなら、
私の家に在る地神様の御社や御不動様より、私が祈祷に出かけた先にお祀りされている御社や御不動様の仏像の方が、殆んど立派なものが多いからです。
私の家の狭い庭に在る地神様の御社は、御社の台として、私が近所のホームセンターで買ってきたコンクリートブロックを、ただ積んでいるだけですし、御社は、加古川で作っている所が有りますので、少し負けて貰って安く買って来ました。
御社は、もう20数年経っていますので、扉は壊れたままですし、雀は図々しく御姿の奥まで入って行きます。
榊立ては、10年ほど前に、氷がはった時に壊れたものを、ボンドでくっつけて使っています。
各種の器は、百金の商品です。
画面では見難いと思いますが、容器は二つずつ置いています。
普通は一つずつで良いのですが、少し前に、お伺いを立てている途中で、巳神が20分間ほど姿を消された事が有りました。初めての事でしたので心配になり、巳神を呼びますと、小さな白い蛇が姿を見せました。生まれたての白蛇です。そうこうする内に、此方の巳神が、何時もと同じ様に、何も無かったかの様に姿を見せました。私はこの小さな蛇の事を聞きましたが、そんなに気にしないで、特別な事をする必要はない、只置いてやってくれ、という事でした。
此方の巳神に、この赤ちゃんの蛇は何なのかを尋ねますと、巳神の尻尾がくるくると何回も巻きます。
伏見稲荷、白狐様に、この小さい蛇は何なのかを聞きますと、図の様なものを見せます。
巳神です。神様の蛇です。
この小さな蛇は、こんな言い方をすると叱られますが、面白いです。動き、仕草、最高に面白いです。
この小さな神様は、姿を見せる時は、前から居る巳神の尻尾付近に姿を見せますが、定位置は、私の右腕です。私の腕や手の平で遊んでいます。しかし、時にはうろうろと、彼方此方と動いています。
この様な事を書くと、信じない方も沢山おられると思いますが、当然です。私も何がどうなっているのか、まだ分かりませんし、此方の巳神に聞きますが、何も答えてはくれません。
そしてこの小さい神様は、私の日々の相談の中で、時には怖い様なものが出て来ますが、その様な内容に対しては、この小さな神様も怖いらしく、私の体の後ろに隠れて、時には怖い物見たさに、頭を上げて覗き見をしています。人間の子供と同じです。
しかしこの頃は、この小さな神様も仕事をする事が有ります。
先日の井戸撥遣の時に、私が、「小さな神さん、この井戸の中に何が有るか見ておいで、大丈夫やから、怖い時は助けてあげるから、見ておいで」、と言うと、私の右腕から離れたのですが、迷っています。私が、「地神さんに聞いてみ、行って良いか、聞いてみ」、と言うと、この小さな神様は、地神様の方に行って聞いています。地神様が行って良いと言われたのか、意を決して井戸の中に入って行きました。そして何も無かったかの様な顔で出て来ました。
小さい神様の初仕事です。
私も巳神も、この井戸には何も無いと分かっていましたので、この小さい神様に頼んだのです。
その様な訳で、容器は二つずつで、小さい方が、小さい神様用です。
本題に戻りますが、
御社や諸々は粗末です。
しかしそれに対し、神様は何も不足は言われません。
何時も機嫌良く居られます。
もっと大きな御社を作れとか、もっと立派な御姿や仏像を置けとかの不足は、何も言われません。
●先日の祈祷の帰り、新幹線の中の夫婦の会話です。勿論関西弁です。
私、「地神さんの御社やけど、大分時間が経つし、無理してでも新しいのに変えなあかんな」。
私、「痛た,痛た」。
途端に、私の左の手の中指の第一関節に痛みが出ます。
妻、「どうしたん」。
私、「地神さん、新しい御社は、要らん言うてるわ」。
妻、「要らんのん」。
私、「要らんねんて、変わっとるわ、地神さん」、「新しい方が、ええと思うけどな」。
妻、「そんな神さんと、違うねん」、「純粋やねん」。
私、「純粋すぎるんや」、「この前も〜さんとこ、何も貰うな、行け、と言うたやろ、地神さんは良いかも知れんけど、生きとる人間は、たまったもんやないわ、お客さんには、怒られるし、美容院を潰すつもりかいな」。
私、「痛い」。
妻、「そんな事、言うたらあかんわ、地神さんも、一生懸命なんやから」。
私、「地神さんの力が付いて行くほど、お金と縁が無くなって行くな」、・・・・・「初めから無いけど」。
私、「何とかしてくれるやろ」。
妻、「任せといたら、良いねん」。
何の会話か分からなくなりました。
正統な神様や仏様は、器に興味が有りません。
しかし最低限の舞台設備は必要です。
只の棒切れと仏像を置けば、仏像の方に入って行かれるだろうし、仏にしても、蒲鉾の板と位牌を置けば、当然、位牌の方に入って行かれます。
依代(よりしろ)は必要ですが、立派なものは要りません。
人によっては、器で判断する人も多いですが、それはそれで結構です。