何故、妻には女の地神様の御姿が観えて私には見えないのか
 今までの経験から得た自論になります.

 先ず、霊視(観える)というものはその者に観るお役があるので神が見せる訳で、観たいと願い修業して観えて来るものの中には、多分に自我の根底にある霊的な考え方が影響を与えて本質とはずれたものが観えて来る可能性が大いにあります。

中々無我の境地には到達出来ずに居る方が多いのではないかと思います。

さて、私の妻の話になりますが、彼女は何の修業もしていません。

 これだけ長く私と一緒に種々の祈祷の場を踏んでいても、龍神祝詞や観音経の暗記はおろか、龍神祝詞を上げる時も途中からたどたどしくなる時があります。

 過って、男の地神様が妻に「死なん程度に健康を食べた」と言った事があります。

 今でもそうですが、妻は幼少の時分から体が大変弱かったと聞いています。

 そして神としては、私との夫婦の縁もその時から決めていたと思います。

 私と一緒にさせて、この領域のお役をさせる事を決めていたのだと思います。

 この領域の仕事にしても、私が力と感情で押し切ってしまう傾向があるのを、体の弱い妻をブレーキの役目として其処に置いて、正確な仕事が出来る様にしたのだと思います。

 霊能力というものは、体の丈夫な方が修業をして無我の境地に到達した時点で神との道が開けて得られるものと、体が弱く何の修業をする事もなく、気が付けば普通の方が観えないものが見えたり、聞こえたり、感じたりする様になっていたという方の方が断然に多いのではないかと思います。

 勿論、
両者とも正当な神霊の下にその様な展開になったという事が絶対前提となります

 何故、健常な方と比べて体の弱い者がその様な霊媒体質になるのかというのは、健常な方は正当な神からの弱いお知らせに気が付かず、跳ね返してしまうのだと思います。

 正当な神霊からのお知らせは邪神のそれとは大違いで、大変弱く作用します

 その繊細なお知らせに気づくには、気づく方もそれなりの状態でないと微妙なお知らせには気づく事が出来ないのではないかと思います。

 誰でもが経験するという訳ではありませんが、一般的に霊媒体質の方の体力が弱っいる状態の時は健常な状態な時と比べ、何かと、いろんなお知らせが入り易くなるものです。

 話を本題に戻して、「何故、妻には女の地神様の御姿が見えて私には見えないのか」という事ですが、先ず、何故、私が女の地神様を御祀りする様になったのかというのは、55〜6年ほど前、今それを思い出してもぞっとする様な方法で白蛇を殺し、ガソリンをかけて焼き殺してしまいました。

 そして真っ黒に焼け焦げた地神様を見て怖くなり加古川の河原に捨てに行きました。

 その日から丁度一年後、高校3年生?の時、急に高熱が出て学校を休み、近所の医院の往診を受けました。

 そして、何故、急にその日に高熱が出たのかという訳を知ったのは後々の事でした。

 私のホームページにも書いていますが、「俺の人生、どないなっとるや、体の調子は悪いわ、事故に遭うわ、やる事成す事裏目ばっかりで、同級生を見ると、皆、旨い事行っとるやないか、ガスや水道代の集金が来たら居留守をつかわなあかんやないか、5円、10円のお金にも困っとるやないか、実家からもらってきた白菜ばっかり食べとるやないか、俺、何か悪い事をしたんか?」という様な日々が長年続きました。

 確かに、何故私の人生がこの様に裏目ばかりに出るのか、その原因は白蛇を殺した事に起因する事は薄っすらとは気が付いてはいました。そして、いつか、自分が家を建てた時に御祀りしようとは考えていたのですが、ある夜眠っている(半覚醒状態)と、真っ赤に怒った蛇が私に飛びかかって来ました。

 それが何を意味するのかが解っていましたので、その数年後、家を建てて直ぐに地神様を御祀りしたのですが、その時点では、妻の今の様な能力はまだ眠らされていたと思います

 私に関しては、地神様を御祀りする様になってから3〜4年目位から、巷で言う「よく当たる」という部類の予知も含めて、大きな事故、災害の予知など、ちょっと部類の違う様なものの予見が顕著になった時期がありました。

 そうこうしていると、地神様が、「人を助け・・・一緒に人助けをしょう」とこの領域の私の先生を通して言って来ました。

 勿論、それまでには男の地神様からの同じ意味のお知らせは頂いてはいました。

 元々、霊媒体質だった妻の霊能力が顕著に出だしたのはその時期位からだと思われます

 妻の霊能力が出だしたら、徐々に
私の観える部分の能力は隠れて(隠されて)行きました

 それが何故なのかというのが、「何故、妻には女の地神様の御姿が観えて、私には見えないのか」という事につながっていきます

 確かに本音を言えば、この領域の観えるという能力は無い方が楽です

 観えない方が気持ちが良い

 観えて来るものの中で綺麗なものはほんの一握りで、後は汚いものばかりです

 妻が時々、「描きたくない」と言うのも良く分かります。

 ある晩、妻が眠れず(不眠症です)に横になっていると男の地神様が出て来ていろいろと話を聞かせて(一方的に)くれたのですが、その中で男の地神様が言った言葉があります

 
「女の地神様が此奴(私)に自分の姿を見せないのは、自分(女の地神様)の姿を此奴(私)に見せようとすると、真っ黒に焦げた姿しか見せられないので此奴には自分の姿を見せられない」と男の地神様が妻に言った言います。

 妻が観る地神様の御姿は、「女の地神様は真っ白で綺麗な巳さんやわ・・・」とよく言います。

 私は女の地神様にガソリンをかけて殺す前の姿を見て知っていますが、本当に真っ白で細身の綺麗な白蛇だったのを今でも忘れる事が出来ません。

 女の地神様の生きている時の綺麗な御姿を私は知っているだけに、女の地神様としては私にその黒く焼け焦げた姿は見せたくないし、私にはそれを封印したのでしょう。

 そしてその当時の事を何も知らない妻には本来の御姿を見せているのでしょう。(注:一度だけ妻が「地神さんが真っ黒な色で渦巻いているわ・・・」と言った事がありますが、その時の状況はまた・・・)

 要するに、神霊はその者に見せる必要がある時は見せるという事です

 もう昔の話ですが、私も残酷な事をしたものです。

 しかし、私が地神様を殺生したのも、これも上の方で仕組まれたものだと思います。

 

 

 


 








 

 

 

鳴釜神事の実際と考察