私見・命婦専女神の形
私は今日まで、あえて稲荷神や他の神霊の知識、歴史や由来を知識として自分の中に入れなかったのはこの形が有ったからだと思います。
この形を信じていたからだと思います。
そしてこの領域における私の見方、考え方が、「余計な知識はかえってこの領域の修行の邪魔になる」、というのが根底に有ったからだと思います。
自分が信じる神霊だけを信じきって、その神霊が作った道通りに生きて、そして其処にはこの領域の知識など必要なく、只々、何処まで自分の信じる神霊に近づけるのか、その神霊の意図は何か、という事だけを考えて生きて来ました。
また幸い、私達は霊視の部分においても他のこの領域の方が観るものとは少し違う角度から観る事が出来る様に思いますので、他のこの領域の方の霊視を参考にさせて頂く事も無く、今日まで来る事が出来ました。
つい先日行った祈祷時にこの様な形が見えました。
ある時期からぷっつりと命婦専女神様のお姿が出なくなった所での、命婦専女神様のお姿を請う祈祷を行いました。
何故、命婦専女神様のお姿が出なくなったのかという理由は書きませんが、今回の祈祷次第では、私達にしても、もうこの方の所での祈祷はこれで終わりにしようという思いで臨みました。
段取りでは、一つ目の釜でこの家、この方達に影響を与えているものを消除をして、二つ目の釜で、この家の方々が考えておられる命婦専女神様への侘びの気持ちを釜を通してお伝え出来ればと思っていました。
二つ目の釜は、其処には私達の意思を入れずに、この方々が考えておられる気持ちを、この方々の方法で命婦専女神様にお届け出来れば良いと考えていました。
二つ目の釜に関しては、私達は、ただ、釜を鳴らすだけに徹しようと思って臨みました。
先ず、一つ目の釜で、
私、「地神さん、祓い消すもの、出してください」、と言いました。
妻、「逆三角形の・・・地神さんの榊立てのマークの真ん中の三角形の形が出てるわ・・・。三角形の向かって右端が少しピンと上がってるわ・・・。他は何も見えないわ・・・」、と言います。
私、「色は?」。
妻、「ただの線・・・」、と言います。
「あ・・・これは違うな・・・。祓うものではないな・・・」、と思いました。
神霊・・・地神様は偶にやります・・・此方の尋ねたものではないものを出して来る時が有ります・・・何故か?。
私を試しているのでしょう。
この逆三角形の意味を尋ねたり、また考えたりしましたが、これが何なのか?、結論は出ませんでした。
只、祓い消すものではない事だけは解ります。
何故か・・・このものが何なのか?・・・全く考える事が出来ませんでした。
「地神さん・・・もう解らん・・・任せます」、と伝えて釜を焚きました。
願文、表白は無しで、祝詞は「身滌大祓」(みそぎのおおはらい)だけを上げました。
釜は大きな音で鳴りましたが・・・。
釜が鳴っている間も、全く何も考える事が出来ませんでした・・・というより、考える気力が湧いて来ませんでした。
私、「どや?。逆三角形・・・どうなった?。消えたか?」、と尋ねました。
妻、「消えない・・・そのまま・・・」、と言います。
私、「そやろな・・・」、と思いました。
私、「どや?。釜から何か出たか?」。
妻、「・・・気がつかなかった・・・」、と言います。
私、「そやろな・・・出るわけないわな・・・」、と思いました。
この後、地神様にこの逆三角形の事を根掘り葉掘り聞いたのですが、地神様は最初からボ〜ッとしたお姿しか出ず、私としても全くお手上げの状態でした。
何を聞いても反応が有りませんでした。
私、「地神さん、全く解らん。こんな事をずっとしていてもしょうがないので二つ目の釜を焚きます」、と伝えました。
二つ目の釜の準備を終えて、
私、「どや?。出てるか?。逆三角形は・・・」。
妻、「出てる・・・,ず〜っと出てる」、と言います。
私、「出ていてくれるだけでも、まだええわな・・・」、と思いました。
二つ目の釜は、前々から思っていた様に表白、願文は無しに、祝詞は、「身滌大祓」、「大元造化三神報恩之祈詞」、「稲荷大神秘文」を、何の考えも無く、只々、命婦専女神様を思いながら上げさせて頂きました。
この家の方には、「今から釜を焚かせて頂きますが、只々、貴方達が考えている事を命婦専女神様にお伝えしてください」、と伝えて釜を焚きました。
釜は普通の音で鳴り出し・・・やがて音が消えて行きました。
私、「どや?」。
妻、「・・・何が?」。
私、「釜が鳴ってる間に、何か変化が有ったか?」。
妻、「・・・何もない・・・」。
私、「その・・・逆三角形の形は?・・・」。
妻、「そのまま出てる・・・」、と言います。
「やっぱり・・・」、と思いました。
「やっはり・・・この方々は・・・まだ・・・解っておられないな・・・」、と思いました。
「しかし・・・いや・・・やっぱり・・・ちょっと・・・動かんとあかんな・・・私らが・・・」、と思いました。
声に出さず、少しきつい事を言わせて頂きました。
そうしないと、もう永遠に縁が切れてしまうと思い、言わせて頂きました。
私、「地神さん、ちょっと、この逆三角形の形の存在に通してください」、と伝えました。
私、「逆三角形の形を取っておられる神霊様、今日は有難う御座いました。まあ・・・貴女がどちらの方かは横に置いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それがどういう意味なのか、全く解っておられないというか、解る事が出来ない方々だと思います。・・・・・・・・・・(内容を省略します)・・・・・・・・・・貴女も大変立腹されて・・・同時に私の方の地神様も怒られてその姿がぼやけたが・・・(決定的な内容は省略します)・・・・・・・・・・・・どうかこの方らに、もう一度・・・最後のチャンスを与えてやってください。・・・・・」、とお伝えしました。
妻、「・・・逆三角形の中に目の様なものが出て来やわ・・・」、と言います。
私、「あっ・・・そうか・・・やっぱり・・・」、と思いました。
声に出して、
私、「どんな目や?。稲荷の目か?」。
妻、「稲荷さんの目ではないわ・・・」、と言います。
私、「やっぱり・・・」、と思いました。
私、「その目は・・・奥深いものがあるか?」、と尋ねました。
妻、「・・・???・・・」。
私、「目の色は?」。
妻、「・・・黒ではないわ・・・緑?・・・も入ってる・・・」。
私、「目の形は?。・・・切れ長の目か?」。
妻、「・・・???・・・半眼?の・・・」、と言います。
声に出さず、
私、「命婦専女神様と観ます。そうなら目を閉じてください」、とお伝えしました。
妻、「パチッとではなく・・・薄っすらと目を閉じてあったわ・・・」、と言います。
私、「やっぱり・・・」、と思いました。
妻、「・・・そんな?・・・此方の言う事にハイハイと答えてくれる様な感じの目と違うよ・・・鋭〜く・・・怖〜いわ・・・。冷た〜く・・・・冷静〜な感じやわ・・・」、と言います。
私、「そらそうやろな・・・」、と思いました。
私の方の地神様の姿もまだぼやけています。
最後のチャンスを与えて頂いたと取って、一応、今日の祈祷は終わりにしました。
しかし私に取って、命婦専女神様がこの様な形を取って出て来られた事に大変感激を覚えました。
何故、今回、命婦専女神様がこの様な形で出て来られたかは横に置いて、私はこの形を信じて来たのです。
私は全ての神霊の大元はこの形だと信じています。
全ての神霊の行き着く所はこの形だと思います。
龍です。
龍神です。
龍の鱗の中に目を出す形でその存在を示しています。
相当の怒りと冷静さを持った目で存在を示しています。
相当前、命婦専女神様にわがままを言ってこの形になって頂いた事が有ります。(白狐様のお知らせ)
稲荷山は龍神信仰の山とい事が裏付ける貴重なものを見せて頂きました。
尚、龍神という神霊に関しては、この領域の方、また、いろんな方面、角度から研究をされている方が想像も出来な様なものを見せて頂いて、それを絵にして置いています。
そして私達にしても、この神霊をお呼びして、もっといろんな事を聞いてみたいとは何時も思っていますが、日々のわずらわしい事に時間を取られてしまい、その機会を逃してしまっているのが現状です。
また、私達にしても、知らないい内に以前とは少し違ったものも体や精神に入っていると思いますので、いざ、この神霊様を以前の様にお呼び出来るのかと言う不安もある事は事実です。
只、以前、この神霊に見せて頂いた内容が、それを分析するには余りにもいろんな分野の知識が必要な様に思え、一歩前に踏み出せないでいるという事も事実です。
尚、妻は、龍神というものの形には全く興味が無く、只々、見えて来たものの形を描いているだけで、いろんな資料などで研究されて、龍神というものの形の理想的な概念が出来上がっている方にはどう映るのか?・・・。
「高天原に坐しまして天と地に御働を現し給う龍王は、大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て、萬物を御支配あらせ給う王神なれば、一二三四五六七八九十の十種の御寶を己がすがたと變じ給いて、自在自由に天界地界人界を治め給う。龍王神なるを尊み敬いて真の六根一筋に御仕え申すことの由を受引き給いて、愚かなる心の數々を戒め給いて、一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて、萬物の病災をも立所に祓い清め給い、萬世界も御祖のもとに治めせしめ給へと、祈願奉ることの由をきこしめして六根の内に念じ申す、大願を成就成さしめ給へと恐み恐み白す」
この「龍神祝詞」というものを何時の時代に、何方が創られたかは知りませんが、もし、創られた方が人間なら、創られているその瞬間は神ではなかっただろうかと思います。
何故なら、例えばこの祝詞だけに関しても数回に渡り、「高天原とは?」、「天とは?」、「地とは?」、「大宇宙根元とは?」、「御祖とは?」、「十種の御寶とは?」・・・・・・・・・・・・・と、「龍神祝詞」、の中のうたわれた詞の意味を聞いた時、私が聞いた全ての問いに対して明確なものを見せて頂きました。
しかしそれが哲学的であり、倫理的であり、数学的であり、科学的であり、宗教的であり、歴史的であり、余りにもいろんな分野の専門知識を持ってしなければ解明出来ない様に思い、今は沢山の霊視画の中に埋もれている状態です。
中でも、「大宇宙根元とは?」、と聞いた時に見せて頂いた場面に余りにも意味が有り過ぎ、その解釈、解明に、私の頭では少し無理があるのだろうと半ばあきらめてしまっている状態です。
また、この神霊に見せて頂いた内容は、「大元造化三神報恩之祈詞」の内容にも深くつながっている様に思えます。
「・・・始めも無く終わりも無く、常盤に堅磐に鎮まり座坐て・・・」・・・???。
この神霊に見せて頂いた内容を理解、解明するには、この領域の方よりも哲学者、数学者、科学者の方の様な知識をお持ちの方の方が正確な分析をされるのではないかと思っています。
龍を観た・・・龍が見える・・・と言いうだけではなく、この神霊が教えてくれる内容が大事だと思います。
今回の祈祷の方も、命婦専女神様が究極の形を取って出て来られたという事に何か重要な理由が有ると観ていますが、それを聞いてみて、この方の反応次第で私達の体に作用するものの重さ、そのものの私達の体に作用する時間の長さを考えてみると、これ以上深く問う事に躊躇しています。
私の方の地神様の怒り方、命婦専女神様の怒り方から観るに、もうこれ以上深くは入って行く考えは有りません。
尚、余分ですが、下の絵は、この家の御先祖様が二人?向かい合って?出て来たと観ましたが、余りはっきりとした出方ではありませんでした。
そして数珠でぐるぐる巻きにされた二人の手?が出て来ました。
これはこの方の実家の新興宗教に関係しています。
要するに、本来のこの家の宗旨の教えに反した、新興宗教の教えにがんじがらめに仏様が縛られているという事です。
この詳細は書いません。
追記、尚、この神霊(龍神)から教えて頂いたその内容は、多分に道徳的なものも沢山有った事をお知らせ致します。