伏見稲荷大社・白狐社・命婦専女神様
鳴釜神事による事業繁栄、商売繁盛、また一般の方の所願成就の祈祷時に命婦専女神様が来られるのも、もうこの会社、「箱籐商店」、一社になってしまいました。
私達にしてもその偉大さを解らずに、以前は何気ない普段の相談時においてもお呼びすると直ぐにそのお姿が出て来たものでした。
その様な訳でこの御神霊様は私達がお呼びすれば直ぐに来られて私達の聞く事に気軽に答えてくれる神霊と勘違いしていた時期もありました。
ある時、命婦専女神様をお呼びして長時間(一時間以上)に渡り次から次にお聞きしていますと、「白狐さんがもじもじしてるわ・・・」、と妻が言った後で、「(私を)呼ぶのは良いが、聞くのは一つだけにしてくれ」、と命婦専女神様が言われた事が有りました。
その後も、相談や祈祷時にお呼びすると、時には息を弾ませて、時には毛を乱せて、時には水に濡れて、時には自身の足や体の汚れを気にしながら、時には厳しい表情で私達の右上の稲荷山と観る緑の色を発する所からす〜っとお姿が出て近くへ来られたものでした。
この私達から見る、右上から命婦専女神様のお姿が出るというのは、最初、私が何も解らなかった時に何気なく、「白狐様は私達の見る場面の右側に出てください。そして、家の地神さんは私達から見て左側に出てください」、とお伝えした事を覚えています。
今にして思えば、よくもこんな勝手な事を、あの命婦専女神様に言ったものだと、言えたもんだと反省する事然りです。
そして年月が経ち、私達にしても鳴釜神事の経験を積んで行くに従って、ある分野の祈祷は命婦専女神様のお助けが必要だがある分野の祈祷は地神様だけの力で十分祈願は成就するという事が経験上解る様になって来ました。
そしてある時期から、祈祷時に命婦専女神様をお呼びしてもそのお姿が出ない事が多くなって来ました。
私の方の地神様の力だけで祈願が成就する時はそのお姿が出なくなりました。
もし仮に来られても、以前の様に命婦専女神様自身が動いて対峙する事はなく、只、黙って、威厳のあるお姿で私達のする事を黙って見ておられる事が多くなりました。
そして、どうしても伏見稲荷様の力が必要な内容の祈祷時には命婦専女神様の使者の稲荷様が来られる事もありました。
しかし今はそれも無くなった様に思います。
また私達にしても、命婦専女神様を知れば知る程そんなに気安くお呼び出来る存在ではないと解ってからは余りお呼びしない様に、また、地神様にしてみても、私達が気楽に命婦専女神様の方に連絡を取る事に大変な力を使っている事が解りますので、出来れば私の方の地神様だけで祈願が成就する事は地神様の力だけで行う様に祈祷の流れを変えて行きました。
今から思えば、どんな小さな普段の相談時にも私達の所に来られて長時間に渡り私達の質問に答えてくださったり、どんな種類の祈祷にも、お呼びすれば必ず来られて私達の祈祷を助けてくださったというのは、私達夫婦がこの領域で早く一人前になる様にという命婦専女神様の優しい気持ちだったのだと思います。
私にしても妻にしても、体調の悪い時には地神様に頼んで命婦専女神様に家に来て頂いたりした事が何回も有りました。
妻の場合、何も頼まないのに命婦専女神様が来られて見守ってくださった事は何回も有りました。
もう10年以上前、何も解らずに祓いの対象をバッサバッサと斬りまくって有頂天になっていた時期、そして妻が入退院を繰り返していた時、入院している妻にずっと命婦専女神様が付いていてくださった事が有ります。
病院のベットに横たわる妻の命を沢山の野狐が何日間にも渡り狙っていたのです。
ある晩、命婦専女神様の働きで沢山の野狐が妻の命という獲物に未練を残しながら去って行くその最後尾で、その集団の親分格の体の大きな一匹の野狐が妻の方を振り返り振り返り去って行った事が有りました。
振り返ってぎょろっと妻を見たその目の色は、黄色?、金色?に光っていたと妻が言います。
命婦専女神様の威力(いりき)によって阻止されて去って行ったのでしょう。
何と優しい稲荷様だと思いました。
この沢山の野狐にしては、当時の私の偏った、天狗になっていた祈祷の犠牲になった仲間の恨みを晴らす為にこの様な行為に出たのだと思います。
そして時が過ぎ、自分の祈祷の無力さに気づき、対峙する対象への思いやりの気持ちを持った時点位から、そして、「釜の修行は終わった」(「釜の修行は終わった」の意味する事とは」)と地神様が私に言った時点位から、命婦専女神様のお姿が出る頻度が少なくなって行った様に思います。
そしてその時期辺りから、家の地神様がこの様なお姿で出られる事を偶に見る事が有りました。
確かに、以前、私の方から地神様には興味本位で頼んで、というより、地神様の真の力を知りたい為に、というより、地神様の修行の程度を知りたい為に、頼んでこの様なお姿を取って頂く事が有りましたが、その時の形は上記したものとは違い、多分に不完全なものを感じたものでした。
そして今、 地神様が殆ど完全な形の稲荷の顔になられたという意味は、 巳は稲荷に通じ、稲荷は巳に通じる事を如実に示したものと受け止めています。
要するに、地神様は稲荷の分野の力も付けたられたと受け止めています。
その様な事もあってか、一応、地神様に頼み、命婦専女神様に通して頂いた内容に対しても命婦専女神様が来られずに地神様が答えてくださる事が殆どを占める様になりました。
そして、つい先日、京都の「箱籐商店」で行わせて頂いた商売繁盛の祈祷にしても、祈祷の二日ほど前まで、命婦専女神様をお呼びさせて頂く事に迷いに迷っていました。
この会社は祈祷毎に命婦専女神様が来られるのですが、この神様の偉大さを知れば知る程、お呼びする事に私が委縮してしまい迷っていました。
祈祷の二日前、地神様には、「箱籐の○○さん、大きな病気をされて大変やが、頑張っておられるので命婦専女神様には出来れば祈祷に同席して頂く様に頼んでください」、とお伝えだけはしていました。
しかしその時、地神様の返事は何も有りませんでした。
地神様の返事は有りませんでしたが、日頃の箱籐の社長の○○さんの心構えから観て、命婦専女神様が忌み嫌う様な考えの方ではありませんので、私には自信が有りました。
祈祷の当日、京都に向かう車の中で妻が何かを言っていたのですが、運転に集中していましたので妻の言う内容は聞いていませんでした。
「箱籐」、に着いて、鳴釜の準備を終えて、「稲荷大神秘文」、をもって命婦専女神様をお呼びしようとしていると、「此処へ来る途中でも・・・、此処に着いて用意をしている時にでも、赤い、朱色の柱の様な?・・・、幕の様な?ものがず〜っと見えてたけど・・・」、と妻が言います。
「あ・・・有り難いな・・・。命婦専女神様は朝から「箱籐」、に来られるつもりでおられたな・・・。有り難いな・・・」、と思いました。
私、「命婦専女神様、どうかお越しください」、とお伝えして、「稲荷大神秘文」、を上げました。
「わあ・・・やっぱり大きいわ・・・」、と妻が言います。
「そない(そんなに)大きいか?」、と尋ねると、「大きいわ・・・」、と妻が言います。
「命婦専女神様、高橋克明、幸子です。今日はお忙しいところを有難う御座いました」、とお伝えして、「「箱籐」、○○家の正一位伏見稲荷様、どうかお姿をお見せください」、とお伝えしました。
私、「どや?。此処の稲荷さん、出たか?」。
妻、「向こうの方・・・、後ろの方・・・に居るわ・・・。小さいわ・・・」、と言います。
私、「○○家の稲荷様、もっと前に来てください」、と伝えました。
妻、「いや・・・前には来ているけど・・・命婦専女神様が大き過ぎるからそう見えてるみたい・・・」、と言います。
妻、「何か?・・・、毛の先?が光ってるみたいに見えるけど・・・」、と言います。
やはり、それだけの威厳があるという事なのでしょう。
やはり、それだけ修行を積まれた御神霊様なのでしょう。
私、「命婦専女神様、何時も「箱籐」の生業、守って頂きまして有難う御座います」、とお伝えしました。
妻、「「うん」、とうなづいてあったわ」、と言います。
私、「どや?。どんな表情してこっちを見ておられるんや?」。
妻、「どしっと・・・ぎゅっと・・・見とってやわ」、と言います。
私、「迫力・・・有るか?」。
妻、「やっぱり違うわ・・・普通の稲荷さんとはぜんぜん違うわ・・・」、と言います。
私、「「箱籐」の稲荷さんは?」。
妻、「何か?・・・小さくなって下を向いてるわ・・・」、と言います。
私、「そうか・・・下向いてるか・・・。此処の稲荷さんはまだぎゅっと力の有る雰囲気の稲荷さんやが・・・あかんか?・・・下向いてるか・・・」。
妻、「下向いてる・・・」、と言います。
やはり、命婦専女神様は普通の正一位の稲荷様とは大分違う雰囲気を持っておられるという事なのでしょう。
以前なら、此処で命婦専女神様にはいろんな事を聞いたのですが、私にしても、早く釜を焚いて、早くお帰り願う事ばかりが頭に在りましたので、早速釜を焚く事にしました。
釜の詳細は省きますが、兎に角、箱籐商店の社長の「有難う御座います」、の感謝の気持ちだけをお伝えして釜を焚きました。
釜の音が止んで、「○○さん(社長)、命婦専女神様に何か頼む事は有りますか?」、と尋ねましたが、「只々、有難う御座います。それだけです」、と社長が言われます。
「あ・・・これやから・・・命婦専女神様が来られるんやな・・・・」、と思いました。
現に今、「箱籐商店」、は大変忙しい状況にあります。
そして命婦専女神様には何時までもこの処に居て頂く訳には行きませんので今日の御礼を述べ、「稲荷祝詞」、をもって帰って頂きました。
私、「どや?。どんな帰り方をされたんや?。命婦専女神様は・・・」。
妻、「・・・シュッと余韻を残して・・・・まあ・・・消えてあったわ・・・」、と言います。
・・・余り解りませんが・・・まあ・・・その様な帰り方・・・消え方だったのでしょう。
「箱籐商店」での祈祷は、久しぶりに気持ちの良い形で終わりました。
家に帰って、
私、「地神さん・・・今日は気持ちの良い祈祷でした。命婦専女神様も来られて・・・。そして、命婦専女神様が来られるというのは○○さんの神霊に対する姿勢、考えが間違っていないという事と、私達の心構え、祈祷も間違っていないという事ですね?」、と尋ねてみました。
妻、「地神さん・・・うなづいてるわ・・・」、と言います。
兎に角、「箱籐商店」、は異常に忙しい状況にあります。
これは 命婦専女神様(稲荷神)のお試しと観ています。
社長は、「これは神様(稲荷様、地神様)がくださったビッグチャンスです。先祖から受け継いだ「箱籐」の伝統、質を落とさずに頑張ります」、という連絡を頂きました。
「箱籐商店」、のこの先は、今回のチャンスを踏み台にして飛躍して行くと観ています。
尚、「ひとりごと・たまに・ふたりごと(某月、某日(323)」、にも登載させて頂きましたが、H29年2月21日(火)、私達夫婦が白狐社の前に立ち、命婦専女神様をお呼びさせて頂きましたがそのお姿は出ませんでした。
H29年2月27日(月)、朝、地神様に、「この前、命婦専女神様のお姿が出なかったのは、観光化され過ぎた伏見稲荷大社の環境では、神様が出て来られるには難が有る。その為に御隠れになられていると取って宜しいですか?」、と聞いてみましたが、地神様の返事は有りませんでした。
私見になりますが、神様(命婦専女神様)は奥の方に御隠れになられていると観ます。
只、此方からの意思は通じます。
お参りさせて頂いたら良いと思います。