その昔、栄えた家に有りがちな現在の事情
(二回に分けて行った祈祷ですので長くなりますが読んでください)
大多数の方にとっては関係のない話だと思いますが、その昔、財を成して栄えた家の末裔(まつえい)が現在蒙る苦労も、この様な仕事を通して知る限りにおいて大変辛いものがある事はよく観る事です。
そして其処には、先祖がこの領域の力を頂いて財を成し得たという事実が往々としてあったという事が認められるケースを沢山観る事が出来ます。
そして現在、その子孫はというと、いろんな意味の安定とは少し離れたところで悩んでおられる方が多いのではないかとも思います。
今回登載させて頂く方も、「何か?・・・。何故か?・・・気にかかる・・・」、と思われて私の方に連絡をされて来られたのだと思います。
1年半ほど前、最初連絡を頂いた内容は、70〜80年程前に勧請されたらしい、祀り主が途中で二軒代わった事情を持つ伏見稲荷様を40年程前からお祀りさせてもらっています。少し前に親の会社を継ぎ、不安とイライラがつのる毎日だったと言われます。そんな時に私のブログを見て、家に祀る伏見稲荷様に詫びて手を合わせていると不安とイライラが無くなったと言われます。事業も順調で、特別相談する事もないが、家に祀る伏見稲荷様の祀り方や祀る心構えが参考になります、という内容でしたので、私も返信しなかった事を覚えています。
その1年後くらいに、京都の伏見稲荷大社にお参りするついでに片道700キロの距離を御夫婦でふらっと来られました。
事業は順調で家族に問題もないと言われますが、奥さんが此方へ来る道中、体が痛くなったりしたと言われます。
奥さんは普段でも体が痛い時がよくあると言われますが、何かが作用しているのが解ります。
その数か月後、伏見稲荷大社にお参るするついでにと言われ、また御夫婦で来られました。
ついでにと言われますが、京都の伏見稲荷大社から私の家までは片道110キロはあります。
関東から片道600キロ走って伏見に着いて、それからまだ110キロの距離を走って来られたのですから、ついでと言われますが、やはり何か?、気にかかる事が有ったと思われます。
御夫婦が帰られてから、この方の家の障りを聞いてみました。
「ひとりごと・たまに・ふたりごと・某月、某日、(315)」(読んでください)に登載させて頂いたものが出て来ましたが、この見せて頂いたもののこの時点での私の判断は、後からこの家の事情を聞いたところ少し間違っている部分が有ります。
この方のお父さんの実家は、以前は沢山の土地を持って栄えた地主さんでした。
沢山の事情をかかえた家の様でしたが、お父さんの兄弟姉妹は沢山居られましたが、実家の財産をもらった方は全て若死にされて、その子孫とも殆んど親戚付き合いはないし、聞くところによると余り幸せな方は居られないと言われます。
財を成した家によく聞く話です。
後日、その様な事を聞いたところから判断して、
一番上の絵・・・、この、つん・・・と横向いて出て来た稲荷様は、二軒ほど祀り主が代わって、40年程前からこの家でお祀りする様になった事情のある伏見稲荷様です。
女の稲荷様です。
左上の、緑色とピンクのメタリックに輝くものは、真ん中の絵の、刃物の先の様なものが?・・・べたっとした平面の様な?・・・薄いビニールの様なもの?・・・水の上に浮いてる様なもの?・・・を移動をして斬って行っているものです。
一番下の絵は・・・、男の人と思われる者が屋根の上で?、何か?、丸い物を木槌で割っています。
そして少し補足して、此の御夫婦の家には親の知り合いの拝み屋さんが過っては出入りしていて、20年?ほど前に家を建てた時、この御夫婦の土地の地神様(この時点で、私達が観るところ、この土地の地神様は出ませんでしたが・・・)を撥遣したと言われます。
その様な事をも参考にして、「某月、某日、(315)」に登載させて頂いた判断を少し訂正して、一番上の絵の稲荷様はこの御夫婦の家で祀る伏見稲荷様ですが、何かを知らせる為に姿を見せたのですが、今まで何回もこの家の安泰を願って家の方やこの家に出入りしていた拝み屋に意思表示をしたのですが誰も気がついてくれず、今回、私達も同じ様な反応をすると勘違いしてつんとして出て来たと思われます。
再度言いますが、一番上の左側の緑色とピンク色のメタリックに光るものは真ん中の絵の刃物の先の様なものが何かを斬って行くものと同じ存在の念です。
このものの意思で何かを斬って行っていますし、今も前に動いています。
前に動いているという事は、その意思が今でも継続していると取ります。
この存在が斬って行っているのは、この御夫婦の主人の方、要するに、ご主人の父方(地主)の人間の命を取って行っていると観ます。
沢山の方が若死にされたり、その子孫が決して幸せではない状態が理解出来ます。
そしてこの存在が何かというのは、この時点では解明出来ませんでした。
一番下の絵に関しては、拝み屋が何かを撥遣したというのは想像出来ますが、それがこの御夫婦の主人のお父さんの実家(地主)から来るものなのか、今住んでいる所から来るものなのかがこの時点では解りませんでした。
そして一番上の絵の、綺麗な手が出て私の手をつかんだ・・・というのは、私達に、「来てくれ」、と言う意味に取ります。
綺麗な手の持ち主はこの家の女の伏見稲荷様と取ります。
地神様が見せてくれたこの家の障りは只のこれだけでした。
私達にそれ以上のものを見せても解明出来ないので、これだけを見せたのでしょう。
この時点で解っている事は、この家の理由(わけ)ありの伏見稲荷様が、この家とこの家の本家(地主)の矛盾を正す為に来て欲しいという事だけでした。
確かに、この御夫婦の両親は高齢ですが、家には仏壇も無く、先祖供養などには興味がないと言われます。
この御夫婦は、この家の、事情があって二軒も祀り主が代わった伏見稲荷様の為に、また、その伏見稲荷様に守って頂いている事への感謝の為に、家に来て釜を焚いて欲しいと言われます。
此方の地神様に伺うと、「行け」、と言います。
「行け」、と言われますが、その瞬間、私や妻の体に入って来るものの念の重さは、これは決して、「はい行かせて頂きます」、と簡単に返事が出来るものではありませんでした。
そんな訳で即答は出来ませんでした。
地神様に、「祓うものを見せてください」、と聞いた時、緑とピンクのメタリックに光るものが出て来た訳ですが・・・、そしてそれは刃物の先だけを見せて何かを切り進んで行くものと取ったのですが・・・果たしてこれが消除する対象なのか?・・・という疑問が残りました。
何故なら、このものに気を向けても邪から発せられる独特なものは全くなく、只々重く・・・体の中に満タンの水が入った大きな水槽を埋め込まれた様な、重く、苦しい症状が出るだけでした。
勿論、体はしんどく、そこそこ高価なドリンクを飲んでも全く効果が無い状態でした。
「行かせて頂きます」、と返事はさせて頂きましたが、祈祷の的が絞れない状態でした。
表白も、それこそ、その時の展開に応じた、いろんな表白を考えて用意をしました。
地神様が何も教えてくれないので、この家は祈祷の途中にでも、考えていたその反対の流れになっても、即対応できるくらい霊視が効かないといけない祈祷になるだろうと思いました。
そして祈祷の二日前、要するに、家を出る一日前に、「あっ、そういう事か」、と気がつきました。
「これが・・・この家の伏見稲荷様が気がついて対処して欲しかった事か・・・」、「これを正さないとこの家の先が本家やその親戚と同じ様な事になるので、この家の伏見稲荷様がこの夫婦を通して解って欲しかった事か・・・」、と気がつきました。
地神様に、「祓うものを見せてください」、と聞いた時に出て来た緑とピンクのメタリックに光るもの、そして、それと思われる、刃物の先を出して何かを切る進んで行くものは、他者が買い取り、今は其処に工場が建つ本家(地主)の土地の地神様と観ます。
この地神様が居られたので本家が栄えたと観ます。
そして、男の人が木槌で丸い物を割ったという場面は、この御夫婦が今住んでる土地の地神様を拝み屋が撥遣したと思われるものではなく、本家(地主)の地神様をこの領域のものが撥遣した場面とも取れます。
木槌で壊した丸いものは瀬戸物で出来た巳神様のお姿とも取れます。
本家の土地の地神様にしたら、この家が繁栄したのは自分の守護が有ってこその繁栄だったのに、誰もそれに気づかず、誰からも感謝されず、また神霊にしても失礼な撥遣をされた怒りで、それを血がつながった誰かが気がつくまで子孫の不幸を通して知って欲しかった、気がついて欲しかったものとも取れます。
例えそれが神霊とて、知って欲しいが為ならやります。
この事を地神様に伝えましたが、殆ど反応は有りませんでした。
片道700キロの道中、妻は殆ど寝ていました。
いびきをかいています。
御先祖様の供養が強く必要な場合や辛い状態の神霊が祈祷先に居られる場合、この様な症状が出ます。
妻は圏央道の狭山くらいから目を開けて話をする様になりました。
夕方、ホテルに着いて、「地神さん・・・明日の祈祷の方向性・・・間違ってないですか?」、と尋ねると、「地神さんが上を向いて、綺麗な透き通った体で泳いでいるわ・・・」、と妻が言いました。
「よし、これで良し。明日の祈祷の段取りは間違ってない。これで行こう」、と安心しました。
御夫婦の家に着いて車を降りた瞬間、「あ・・・地面がグラグラ揺れるわ・・・」、と妻が言いました。
先ず御先祖様の供養に入る前に、この家の伏見稲荷様のお姿を請いますが全く出て来ませんでした。
紙の位牌を並べてこの家の御先祖様(本家の)にお経を上げ、御先祖様をお呼びしましたが全く何も変化はありませんでした。
何回もお呼びしていると、
妻、「もやもや〜とした・・・少し茶色いものが出て、その中に縦線が出てるわ・・・」、と言います。
この家の本家の御先祖様と観て話しかけると、向こうから此方に向かって合わせた両手が見えて来ました。
この両手に対しは、いろんな事を聞いてみました。
本家の先祖供養の仕方、子孫の先祖に対する供養の気持ち、今、御先祖様が置かれる窮地など、いろんな事を聞いてみました。
そして声に出さずに、
私、「○○家の御先祖様・・・、本家も、その子孫も、全く御先祖様に対する感謝の念も何もなく、只自分の事だけが良かったらそれで良いという勝手な方が多い子孫と観ます。本家がその様な状態なら、この家で御先祖様をお祀りさせて頂いて宜しいでしょうか?。宜しければ手を上げてください」、と伝えました。
妻、「もやもや〜としてものが消えて、縦線だけになったわ・・・」、と言います。
私、「それで・・・縦線の上に火はついてるか?」、と尋ねました。
妻、「・・・火・・・ついてるわ・・・」、と言います。
この方のお父さんの兄弟姉妹は沢山(7人)居られたが、今生きておられる方はこの方のお父さんとお父さんの妹さんだけだと言われます。
私の方から、この家にも○○家の仏壇を置かれたらどうでしょか。小さな、30センチ四方の卓上仏壇でも良いので置かれたらどうでしょうか?、とお伝えすると、仏壇をお祀りしますと言われます。
「やれやれ・・・」、と思いました。
「ひとつ・・・業が減った・・・」、と思いました。
その後、二つ釜を焚きました。
一つ目の釜は、この家に祀る、いろんな事情で祀り主が二軒も代わった伏見稲荷様と、本家の土地に居られて、今は刃物の先を出して斬る進んで行く形で出られる地神様に対し、只々、詫びの気持ちを伝える為に焚く事にしました。
先ず、祝詞を上げてお呼びしましたが、伏見稲荷様も本家の地神様のお姿も何も出ませんでした。
やっぱり、難儀な家だな・・・と思いましたが、釜を焚くとお姿が出ると思い、釜を焚きました。
私、「どや?。此処の稲荷さん、出たか?」。
妻、「・・・下を向いて出て来てあったわ・・・此処の稲荷さん・・・」、と言います。
私、「本家の地神さんは出たか?」。
妻、「出ない」、と言います。
何回もお呼びしていると、
妻、「・・・何か?、こんな形が出てるわ・・・。直ぐ消えたわ・・・」、と言います。
妻が描いた絵から観て、本家に居られた・・・今も居られると観る・・・地神様・・・と観ます。
「あ・・・これで・・・この後の釜で本家の地神様は出て来られる・・・」、と思いました。
この家の伏見稲荷様には、
私、「あんた・・・あんたが本家の地神様を何とかしよう・・・。このままではこの家にも影響が出るので何とかしよう・・・と思ったんか?。それで京都の命婦専女神様に頼んで・・・私らの方にこの話が来たわけやな?」、と尋ねてみました。
妻、「うなづいたわ」、と言います。
私、「そうか・・・有難う。よう言うて来てくれたな・・・。有難う・・・」、とこの家の伏見稲荷様に伝えました。
二つ目の釜は、本家の土地の地神様を正式にこの家に勧請させて頂く事に使おうと思いましたが、それをも含めて、やはりこの家は正さないといけないものが沢山ありますので、他の祈願の表白も読んで釜を焚きました。
釜は極普通の音で鳴り出しました。
大きくも小さくも無い音です。
当然の音だと思いました。
音が止んで、
私、「どや?。出たか?」。
妻、「・・・三角形が出てるけど・・・それだけ」、と言います。
私、「本家の土地の地神様、どうかお姿を見せてください」、と言いました。
妻、「三角形に横に、二体の巳さんが出てるわ・・・」、と言います。
私、「あんたら、本家の土地の地神さんか?。そうならうなづいてみ」、と聞いてみました。
妻、「そうらしいわ・・・うなづいたわ」、」と言います。
この本家の地神様に声に出さずに、
私、「あんたら・・・本家の人間に怒ってるんか?。あんたが居ったから本家が大きくなったという事を誰も解らんと、気がつかんと、何か?失礼な事もあんたらにしたらしいな?。本家の人間の考えや振舞い・・・あんた、辛抱出来ん事が沢山有るんやな?。それで・・・それを気づかせる為に、本家の人間の命を取ったり子孫の生活や健康面を不安定にさせて来たんやな?。そうやな?」、と聞いてみました。
妻、「巳さん・・・うなづいてるわ・・・」、と言います。
私、「そうか・・・そうやったんやな・・・。まあ・・・確かに、○○さんから聞いた限りでは・・・本家の人間はあんまりええ人間は居らんかったみたいやな・・・。まあ・・・腹が立つのもしょうがないとこも有るわな・・・。そいでや・・・今回・・・まあ・・・此処の伏見稲荷様がこのままやったら誰も気がつかんとえらい事になるんで・・・まあ・・・こんな場を設けてくれた訳やが・・・、どや?・・・あんたらも、もうここらで許したってくれへんか?。なあ・・・あんたらも、いつまでもこんな事しとったって今度はあんたが上から怒られるで・・・辛い修行が待っとるで・・・なあ・・・もう許したってくれへんか?」、と尋ねてみました。
私、「どや?。巳さん・・・うなづいたか?」。
妻、「どっちもがうなづいてるわ・・・」、と言います。
声に出して、
私、「そうか・・・すまんな・・・許したってな・・・」。
声を出さずに、
私、「そいでや、あんたら・・・聞くが・・・、どや?・・・この家であんたらをお祀りするという事に賛成するか?。私も巳・・・あんたらも巳・・・正直に言うてくれ」、と聞いてみました。
声に出して、
私、「どや・。うなづいてるか?・・・」。
妻、「うなづいてるわ・・・」、と言います。
声に出して、
私、「そうか・・・有難う御座います。その方がええ・・・それがええ・・・頼むな・・・」、と伝えました。
妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。
この事をこの家の方に説明させて頂くと、お祀りさせて頂きます、と言われます。
私、「どや?、あんたら・・・。やっぱり・・・お姿を置いて、正式に祀って欲しいな?」、と聞いてみました。
妻、「祀って欲しいと言ってるわ・・・」、と言います。
この後、本家の地神様で、今日この家の地神様になられた巳神様にはいろんな事を沢山聞きましたが、全て良い返事を頂きました。
家族も守る。
事業も守る。
そしてこの地神様は、この御夫婦の奥さんの方を特に気にかけて守ると言います。(その理由は書きません)
心強い話です。
この家で長年お祀りした神霊ならまだしも、中々、こんな守護は頂けません。
後日、お姿を置いて正式に家の中でお祀りする事を約束して、「今日は有難う御座いました。どうかお姿を隠してください」、とお伝えましたが、
妻、「巳さんは消えたけど・・・三角形だけは残ってるわ・・・」、と言います。
この家の方がお祀りすると言われた事に余程嬉しかったと観ます。
これで今回の祈祷は終わって、その日は八王寺のホテルに泊まりました。
ホテルで、
私、「地神さん、○○さんとこ・・・良かったです。○○さんが気がつかなかったら○○家もややこしい事になる所でした。まあ・・・此方も良い経験をさせてもらいました。後は巳神様のお姿を置いたら其処に入って行かれるやろし・・・、小さい仏壇でも置いたらそれで良いし・・・まあ・・・地神さん・・・これで良かった・・・」、と伝えました。
妻、「地神さんが首に赤いものを結んで、嬉しそうにしてるわ・・・」、と言います。
「女の神さんやな・・・」、とつくづく思いました。
祈祷の後、直ぐに巳神様のお姿を買われて家にお祀りした写真が届きました。
完璧な祀り方です。
それからしばらくして、小さな卓上仏壇を買ってお祀りしていますというメールと写真が届きましたが、仏壇のサイズからして中央の掛軸のサイズが大き過ぎる事や、脇役の掛軸が無い事に気がつき、その間違いは指摘させて頂きました。
それと、観る限り、お正念が入っていない空の仏壇だという事が直ぐに解りましたが・・・そしてこの家(分家)は諸事情により、お寺さんと付き合いがない事が分っていましたので、私が開眼供養の事をちゃんとお伝えしなかったのがいけなかったのですが、また私がそんな事を言い出すと困ってしまわれると思い黙っていました。
素人の方でも、一生懸命にお祀りすればお正念は入ります。
こんな事を言うと叱られますが、その反対の、本職(僧侶)が開眼した仏壇でも空の仏壇は沢山在ります。
そういう訳で、気にしながらも黙っていたのですが、ある日の朝、何時もの様に地神様をお祀りしていた時、何処かの稲荷様が来られているのが解りました。
妻が起きて来るのを待って、
私、「何処の稲荷さんや?。出てみ」、と聞いてみました。
妻、「下向いた・・・大人しそうな稲荷さんが来てるわ・・・」、と言います。
「あ・・・○○さんの家の伏見稲荷さんやな・・・そういう事やねんな・・・それで来たんやな・・・」、と直ぐに解りました。
私、「解った。○○さんに言うから、心配せんと帰り」、と伝えました。
妻、「何か?・・・大人しいわ・・・この稲荷さん・・・」、と言います。
○○家の伏見稲荷様が、「仏壇にお正念が入ってない」、と知らせに来られたのです。
それと妻が、
妻、「うす緑のもや〜としたものの中に、白いものが地面からニュ〜と出てるわ・・・」、と言います。
大体の見当はつきますが・・・前回の祈祷では、呼んでも出て来なかったので・・・もしかしたら・・・と思いました。
この家の方にはこの地面から出ているものの事はお伝えせずに、○○家でお祀りする伏見稲荷様が来られましたが、多分、仏壇の事で来られたと思います、という事だけをお伝えしました。
○○さんは仏壇には開眼供養が必要な事は知らなかったし、それと前回の祈祷の折にお伝えするのを忘れていた事が有りますと言われます。
それは、この家を建てる際に、拝み屋さんが土地にお札を埋めた事、家の四隅の見えない場所に木のお札を張り付けている事を私達に言わなかったと言われます。
これは大変重要な事なのですが、神霊(地神様)は解っているとしても私の方が把握していない場合、私の方にその情報が入っていない場合、そして釜を焚く前の表白にその祓いの項目が抜けている場合、やはり本来祓い消すものの作用が残る場合も偶にあります。
しかし、私は前回の祈祷の大分前に拝み屋が土地に埋めたお札の件は聞いていたと記憶していますが、家の四隅の見えない所にお札を張り付けているというのは聞いた事はありませんでした。
後日、仏壇の開眼供養に行かせて頂く事になりましたので、この家の伏見稲荷様と地神様を呼びしましたが全くお姿は出ませんでした。
祈祷までの期間、祈祷に行く道中、確かに、私達を拒否する念は絶えず私達に働いていました。
体の重み、お腹の張(ガス)、痛み(刺される様な)、そして妻の頻尿がひどい状態でした。
祈祷の朝、ホテルで、
私、「地神さん、○○家での仏壇の開眼、宜しくお願いします」、と言いました。
妻、「奥の方・・・に、男の人が座ってるわ・・・」、と言います。
私、「○○家の御先祖様と観ます。本日の仏壇開眼供養、宜しくお願いします」、と伝えました。
妻、「パッと光ったわ・・・。消えてあったわ・・・」、と言います。
「あ・・・待っとってやな・・・」、と思いました。
家に着いて、鳴釜による仏壇開眼供養の前に、家を建てる際に拝み屋が埋めたお札と、家の四隅に隠して貼られているお札に、
私、「拝み屋が埋めたお札と四隅に貼られたお札に入っとるもの、出てみ」、と言いました。
妻、「うす緑のもや〜っとしたものから白いものがニュ〜ッと出てるわ・・・。下は土やわ・・・」、、と言います。
妻、「これ・・・前からず〜っと見えてたよ・・・」、と言います。
そうこうしていると、この家の奥さんが、「昨夜変な夢を見て目が覚めました。忘れない内に絵に描きました」、と言われます。
田んぼの中の小さな祠の神様が、「中に入れない」、と言っている。
それを見ている沢山の人が何とかしろと訴えている。
要するに、神様と言われるものを祠に入れろ・・・祀れ・・・という事を夢で見せたのでしょう。
私達が来る前の晩にこの様な夢を見せたという事は、私達に対して、またこの家の方に対しても、この家の土地に埋めたお札には神様が居るので祀る様に、この家の奥さんを通して、この家の奥さんに夢を見させて訴えたものと観ます。
しかし・・・夢を見てから背中脇腹が刺された様に痛くなったというところが面白い話しです。
話は前後しますが、二回目の祈祷の日にちが決まった直ぐ後、この家の方は交通事故を起こしたと言われます。
軽い追突事故ですが、大変慎重な方が何故そんなミスを犯したのか解らないと言われます。
余程、私達に来られてはまずい念が働いたのでしょう。
鳴釜による仏壇の開眼供養に入りますが、その前に、この家の伏見稲荷様、地神様をお呼びしてみました。
私、「○○家の伏見稲荷様、○○家の地神様、どうかお姿をお見せください」。
妻、「うん…直ぐに出て来てあったわ・・・」、と言います。
正直・・・ほっとしました。
出て来られなかったらどうしょうかと思いました。
私、「○○家の伏見稲荷様・・・有難う御座いました。あんた・・・よう知らせてくれたな・・・有難う。ちゃんと仏壇の開眼、させてもらうからな・・・有難う。○○家の地神様・・・御免な・・・なあ・・・まだ汚いのが残ってたな・・・綺麗にしますので・・・御免な・・・気がつかんと・・・」、と伝えました。
妻、「まだうす緑のもや〜っとしている中に白いものがニュ〜ッと出てるけど・・・」、と言います。
声に出さず、
私、「地神さん・・・これ・・・ほかしとっても宜しいですか?」、と聞いてみました。
声に出して、
「ほかしとけ、という事や」、と妻に伝えました。
仏壇開眼供養の表白を上げます。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
釜は極普通の音で、少し上下の波を伴なって鳴り出しました。
やがて音が止んで行きました。
私、「どや?。入ったか?」。
妻、「・・・珍しいわ・・・。釜が鳴ったら、周囲から真ん中に向かってシューと光が入って行ったわ・・・」、と言います。
「おい・・・これ・・・ほんまに一軒一軒違う表情を見せてくれるな・・・ここ最近・・・どないなっとるんや?・・・」、と思いました。
私、「地神さん・・・これで宜しいですか?」、と尋ねました。
妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。
この後、○○家の御先祖様をお呼びしましたが、、何も見えて来るものは有りませんでした。
「当然やな・・・」、と思いました。
開眼供養を依頼された方が喜ばれるので私もこの様な事を頼む時がありますが、この様な事はする必要はないのかな・・・とも思いました。
二つ目の釜は、拝み屋がこの家の土地に埋めた六角棒というお札と、この家の四隅に隠して置いたお札の消除を行います。
この家の伏見稲荷様と地神様のお姿は出て、此方を向いています。
私、「この家を建てる時、拝み屋が置いて行ったもの出てみ。此処は地神さんが居ってやから、あんたらに居ってもったら困るんや。なあ・・・出てみ」、と言いました。
妻、「黒〜い・・・小さいものが沢山出て来たわ・・・」、と言います。
私、「定番やな・・・・。あんたらと違うんや。もっと・・・その元が居るやろ?。そのあんたに出て来て欲しいんや。出てみ」。
妻、「出て来ない」、と言います。
何回か繰り返して呼んでいると、
妻、「目?だけ・・・出て来たけど・・・エイやカレイが砂から目だけ出している様なものが出て来たわ・・・」、と言います。
私、「あんた・・・拝み屋がこの家に残して行ったものやな?。なああんた・・・此処は地神さんが居ってやねん。解るやろ?。あんた・・・此処に居られへんねん。そいであんた・・・あんた・・・目だけ出してるが、あんた・・・神霊やな?。そうやな?。解るねん、わし。あんた・・・此処に居ても良い事ないで。何にも無いで。どや?。あんたな・・・この釜であんたを元の姿に戻して・・・いや、戻させてもらって・・・大元の所へ送るから、もう一回修行して、またこっちへ降りて来て人を助けたらどないや?。修行し直すか?。そうなら、一回、そうや・・・と言うて目を閉じてみ」、」と伝えました。
妻、「目・・・閉じたわ・・・」、と言います。
案外素直やな・・・と思いました。
私、「そうか・・・そうするか・・・有難う。しかし・・・あんた・・・知ってると思うが・・・きつい修行が待っとるで。それは解るな?。それでも修行、し直すか」、と尋ねました。
妻、「目を閉じたわ」、と言います。
私、「そうか・・・有難う。綺麗になって・・・また、降りて来たらええがな。有難う御座います」、」と伝えました。
表白、祝詞の詳細は書きません。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
米を入れます。
釜は少しの淀みと響きを伴って鳴り出しました。
やがて音が止んで行きました。
私、「どやった?。どんな消え方した?。目・・・だけ出しとるの」、と聞いてみました。
妻、「釜が鳴る前に・・・観音経を上げだしたら、もう消えていたわ・・・」、と言います。
私、「そうか?・・・。自分で上がったな・・・。悪いという事が重々解ってたんやろ・・・」。
私、「黒〜い、チョロチョロしたものは?」。
妻、「・・・お経を上げだす前に消えてたけど・・・」、と言います。
私、「地神さん・・・これで宜しいですか?。まだ残ってるものは無いですか?」、と尋ねました。
妻、「うなづいてるわ」、と言います。
私、「○○家の伏見稲荷様、○○家の地神様、あんたらから観て、もう祓い消すものは無いですか?」、と尋ねました。
妻、「何も無い、と言ってるわ」、と言います。
祈祷は二回になってしまいましたが、二回に分けて行わなければならない(成就しない)ものが有ったのでしょう。
この後、この家の伏見稲荷様と地神様には、いろんな事を聞いたり頼んだりしましたが、全て良い返事を頂きました。
尚、最初から妻が観ていた、薄緑のもや〜っとした中に、白いものがニュ〜と出ていたものは、一回目の祈祷で、私達が気がついていない所で地神様が祓い消そうとしたが、少し無理があって残った拝み屋が残して行った念だったのです。
一つの釜で余り沢山の祈願を併用するというのは無理が有るし、余りするべきではないという事なのでしょう。
これでこの方の家(分家)のこの先も順調に、商売も繁盛して行くと思われます。
この方の家(分家)は其処に伏見稲荷様が居られらのでまだ幸運な方で、世間ではその昔栄えた家が衰退して子孫が苦労をされている状況をよく見聞きする事があります。
その殆どが身内による金銭問題が端を発している様に思います。
・・・と言いながら、恥ずかしいかな私の様な水飲み百姓の出の貧乏な家でも、気がついたら全てが兄の名義に書き換えられていて、その20年後にはそれが全て他人の名義になっていたという、それも村一番の貧しい家の名義に変わったという、厳しい現実というか先祖のお仕置きを目の前で経験した者に取って、お金というものに固執すれば、その裏で問題という種に培養液を与えている様に思えるのは私のひがみ根性からなのでしょうか。
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