ある奇特な経営者の事
 この方は、「御祈祷札、御守りについて・・・2」、「鳴釜神事による、ある地神様(巳神様)勧請の始終」、で紹介させて頂いた方です。

 歳は私と同じですが、普段私が日常お付き合いさせて頂いている様な方とはある部分の度量が違います。

 この前にお伺いさせて頂いたのは、去年の2月と記憶しています。

 京都の祇園やその周辺で沢山の料理屋さんをお持ちでしたが、やはりこの様な時代ですので、祇園にある一店舗を止める事となりました。

 200人は入れるという料理屋さんです。

 30年近い年月は、柱や土間、壁や天井、調理場に染み付いた料理の匂いや、其処で働いていた人間の事情の念など、歴史のかもし出すものが漂い、閉店になる事情を思いつつ一歩店内に足を踏み入れると悲しくなってきます。

 そして私が何故この方の事を書こうと思ったのは、この廃業する店には井戸があります。

 この井戸には白く綺麗な水神様(巳神様)が一体居られます。

 殆んどの方は、今から撤退する井戸の神様の事より、先ず自分の将来の安泰を考えます。

 もうこの土地とは関係が無くなりますので、業者が井戸を埋めようが、次に入る方がどの様な事をしょうが関係の無い事です。

 しかしこの方は私に、「30年近く世話になった神様をこのまま見捨てて出て行く事は出来ない。先生、私がこの祇園でもう一回店を出すまで、其方で預かってもらえないか、そして店を出した暁には私の元でもう一度お祀りしたい」、と言われます。

 変わった人です。

 私も二つ返事に、「良いですよ」、と言ったものの、さて・・・、この分野は私の得意中の得意ですが、今まで、神様を御招き(降臨)する事や撥遣に関しては、この領域の殆んどの方よりは精通している自負がありました。

 しかし一時的にも預かるというのは・・?・・・、何処に預かるのか・・?・・、まあ、聞いてみたら見せてくれるやろ、という安心感はありましたので、早速聞いてみました。

 私、「地神さん、〜さんが、八坂新地富永町○○○の〜さんの店の井戸の神さん、一時的に預かって欲しいと言われてますが、可能ですか」。

 妻、「白い綺麗な巳さんが・・・、何か・・、全体が青い背景で・・・、何か・・その一部が開いた様な所へ・・・・入って行ったよ」

 私、「何か分からんから、書いて」。



 此方の巳神様が見せてくれたもので、〜さんが頼まれた事も可能と分かりました。

 早速この事を〜さんに伝え、祈祷の日にちを決めました。

 この祈祷時に起こった予期せぬ事は最後に搭載するとして、去年の2月、この方の所で祈祷を行った後も、この方の事は気になりましたので、此方から状態を観ていました。

 何故なら、この方は正直で義理堅い方ですので、一回こうすると決めた事は絶対その様にされるのですが、私と縁が出来る前のこの領域の付き合いもされていますので、その事も気になっていました。

 平成22年4月4日、この方がどれ位の誠意で、事務所で祀られている伏見稲荷から縁をつけられた地神様の世話をされているかを観て見ました。

 私、「地神さん、白狐様が縁をつけてくださった〜さんの事務所の巳神様を御呼びください」。

 妻、「何か、顔が出て来たよ、菩薩様みたい」

 私、「地神さん、もう少し大きく見せてください」。

 妻、「見えて来たわ、菩薩様が腕を前に出しているわ。その腕に〜さんの所の巳神さんが同化してるわ。菩薩さんの頭に巳さんの頭が乗っているというか、同化している様に見えるわ。菩薩さんの手に何か見えるけど」

 私、「いや、巳神様が何かくわえてるんや」、「宝珠やろ・・?」

 私、「本地は文殊菩薩やからな・・・・・」。



 私、「チビ、あんた、菩薩様に挨拶しておいで」。

 妻、「チビの下に、花や緑の草があって、其処から菩薩さん方に行ってるわ。腕をつたって上がって菩薩さんの顔の所に行って、何か言ってるわ」

 私、「稲荷大明神の本地は文殊菩薩様と観ます。文殊菩薩様が御姿を見せるという事は、〜さんがしっかりとお祀りしていると取りますどうかこれからも〜さんの事業繁栄に力をお貸しください」、「私の言う事が正しければ、本来の巳神の姿を取ってください」

 妻、「巳さんになったわ。周りが赤い色に染まって、その中に白い巳さんが出てるわ」

 私、「〜さん、一生懸命に祀っているんやろ。良い事や」。

 この事から2週間後、〜さんの知り合いの方から連絡が有って、〜さんが窮地に立っていると言われます。ある取引に関し、〜さんが関わって良いかどうかを聞かれます。

 〜さんの事務所の巳神様を御呼びしました。

 私、「地神さん、〜さんの事務所の巳神様、御呼びください」。

 妻、「蛇が赤い口を大きく開けて出て来たよ」。

 私、「伏見からの巳神様なら、周囲を赤く染めてくれ」、と言いました。

 妻「赤く染まったわ」

 妻、「御社の中から手が出て来て、こっちに来いと指を動かしているわ」。

 私、「お前は○○山(〜さんが信仰している)の方から来た物ものか、そうならもっと手を前に出せ」。
 
 妻、「引っ込めてしまったわ」。

 妻、「上下の歯が出て来て、ガチガチと鳴っているわ」。



 どうりで最初から私の人差し指の付け根が痛かったはずです

 妻、「男の人が横を向いて手を合わせてるわ」

 私、「〜のお父さんや」。

 この様な事を見せて頂きましたが、この始終を伝えても、〜さんは御自分の思い通りに行動されるのが分かっていましたので、あえて伝えないでおきました。

 そして一年が経ち、今回の祈祷の依頼を受けました。

 今回のこの祈祷の主旨を受け、久しぶりに〜さんの巳神様を御呼びしました。

 私、「地神さん、八坂新地の巳神様を見せてください」。

 妻、「此方の地神さんと、富永町の巳神さんが顔をつけて楽しそうにしてるわ」

 私、「〜さんが富永町の巳さんを上に上げてしまわないという行為が、ものすごく嬉しいんやろ、こんな事する人居ないからな、神様も嬉しいんや」

 私、「地神様、〜さんの事務所の巳神様と家の巳神様も呼んでください」。

 妻、「大きな金色の巳さんが二体出て来たよ」、「でもどちらも白色やったはずやけど」

 私、「〜さん、それこそこの一年、一生懸命にお祀りした証拠やろ」

 妻、「一体はもの凄く大きくて、鱗もはっきりとして金色で、目も鋭く太いわ」、「もう一体も太いけど、やはり金色で迫力があるわ」

 私、「大きい方が、白狐様が縁をつけた、伏見から来た巳さんやろ、もう一つは家の巳さんやろ」



 どんな祀り方をされたのか・・・、一年前までは白い色の、まあ、普通の巳神様が金色の太い巳神様に成長したのか、私の経験では余り無い事です。

 ある意味、〜さんの純粋な祈りが通じたのでしょう。

 私が縁をつけさせてもらった巳神様が、こんなに立派になられたという事、又、〜さんが私の言う通りに祀られた事に嬉しくなります。

 祈祷の前日、再度、富永町の井戸の巳神様を御呼びしました。

 妻、「銀色の三角形が形を上下させて動き周っているわ」

 私、「井戸の神さん、嬉しいんやろ」。

 妻、「此方の地神さんと頭(鼻)をくっ付けて楽しそうにしてるわ」、「前見た時もそうやけど、この巳さんの周りは綺麗な水で、その中を動き周っている感じやわ、その水の中から外に出るのは無理みたいやわ」、と言います。



 私、「上に上げて、御帰り願う訳ではないので・・・・、分からんな・・・」。

 今回の祈祷は・・・、殆んど誰にも言ってなかったのですが、妻は5月11日の夜、二階に続く階段を二段程上がった時、前から来た力に押され、後ろに転びました。たった二段の高さですが、頭からの出血もあり、又足の付け根が痛いというので病院に行くと、大腿骨頚部骨折で即入院、手術となり、今現在(7月23日)も入院中(前の所での美容室を5月末で廃業して、家の方で美容室を開業する準備を、この時期全て一人で動いていましたので、ブログの更新が出来なかったわけです)です。

 胃潰瘍も治り(これは合わない薬を長期間飲まされ、その副作用で胃潰瘍を繰り返し、体にも痛みを出していました・・・医者も何処まで信用して良いやら・・・。病院を変えて薬が変わると、3日位で症状が改善しました。)、以前と比べて体調は良くなり、もう一週間で退院の予定です。

 妻を上から押した力というのは、その2日後に祈祷を予定していた所の不動明王の中に入っている念が、私達が行って祓われる事に抵抗をして来たわけです。

 このものの姿は、又の機会に絵に書いて発表するとして、今回の事故は、こんなものは此方の巳神様に取って祓い消してしますのは朝飯前ですが、あえてそうしなかった事、又私の頭の中でも、今回の妻の事故は、これはこれで良かった・・・、一回入院をして、長期間の胃潰瘍で弱ってしまった体や足のリハビリを受けさしたいと、以前から思っていました。

 思っていた事が、こういう形でなったわけですが・・・、複雑です。
 
 話が逸れました。

 今回の祈祷は一人で行いました。

 祈祷の当日、先ず〜さんの家に着き、御先祖様にお経を上げました。

 前と違い、ざわついたものは全くありません。

 向こうから(仏壇の方から)此方の方に向き、合わせた御先祖様の手が出て来ました。

 庭の地神様の御社の前に立ちます。

 やはり金色になった巳神様のお姿が出ます

 以前と比べれば、色も大きさ、太さも、全く違います

 短期間で、素人が、よくもこれだけ神霊を成長させたものだと、信じられないくらいです

 次に事務所で祀られている、伏見からの巳神様の御社の前に立ちます。

 此処はもっとすごい、金色で太く、鱗が一つ一つはっきりとして、背中には龍の尾びれの様なものも確認できます

 金色の目からは鋭い勢いが発せられ、、口の中が真っ赤で、恐いくらいです



 後ろでは、〜さん、〜さんの娘さんが立って聞いて居られますのと、この巳神様が、此方の問いにどの様な答えを出されるのか、〜さんに取って大事な時期ですので、言葉に出さずに聞いてみました

 私、「白狐様が縁をつけてくださった伏見の巳神様、言葉に出さずに聞きます、宜しければ、一回、良しと目を閉じてください」。

 巳神様が目を閉じられたので、言葉に出さずに聞いてみました。

 私、「〜さん、今窮地に立っています。確かに、地神様がこの地に来られて〜さんを守っておられますのは良く分かります。そして〜さんが窮地の立っているその原因というのも、地神様がこの地に来られる前に作られたものです。切羽詰まって、もう後が無いという時に地神様をお祀りさせて頂いたわけですが・・・・・・、〜さん、一回落ちるかも知れません。一回底まで落ちるかも知れませんが、その後の〜さんの先行きを見せてください」、と尋ねました。

 この質問を口に出しては言えませんでした。

 太い金色の巳神様の体が、一層金色に輝き、周りには金色(白っぽい)の光で一杯になりました。

 大丈夫、この人物はもう一回頂点に立つと取ります。

 次は今日のメインの祈祷です。

 上記したまでの霊視は落ち着いて行えば出来ますが、いざ祈祷に入って(私達の祈祷を見た方なら分かりますが)しまえば、ましてや一人で何もかもをこなしながらでは、細部までの霊視は先ず不可能です。

 妻は病院に入院していますが、個室ですし、体調も良いので薬を飲むわけでもなく、一日20分のリハビリが終われば、後は何もする事が有りません。

 私は妻と打ち合わせをし、祈祷の始まる少し前から妻が私の方を霊視し、その霊視が正しいものかどうか確認をしあっていました。

 妻の方から私が見えるか、祈祷のロケーションが見えて、それが正しいものか、確認しあっていました。

 勿論、妻も以前この料理屋さんのこの場所に立った事がありますので、妻の方からは的を得た答えが帰って来ていました。

 勿論この様な段取りは〜さんには話してはいませんでした。

 祈祷に入ります。

 料理屋さんの井戸の前に神事の舞台を作ります。

 井戸の上には、お酒、塩を置きます。

 野菜、卵、洗い米、水を置きます。

 井戸を埋めるわけではありませんので、清砂、青竹などの用意も要りませんので、それは楽なのですが、その後、思いもよらぬ事が起きて来ました。

 護身法を行います(私の中に入っている神霊は、この法は意味が無いと言いますが・・・)

 先ず、水神様には、今日までの御加護に対する感謝の言葉を述べ、已む無くこの地より撤退する事を侘び、鳴釜の神事をもって御許し願い、しばらくの内は本地に還帰し、又の勧請の時を待ち、再び降臨される事を畏れみもお願いします

 この井戸の水神様には真ん中に来て頂き、右上には伏見からの地神様、左上には家の地神様が御姿を見せます。

 祝詞を上げます。

 途端に、やっぱり・・・、来たか・・・

 これが何なのかは分かりましたが・・・、このまま何も言わずに進めてしまおうか・・・迷いましたが・・・。

 後ろに居る〜さんの娘さんが気になりましたので振り返ると・・・、やっぱり・・、娘さんにも入っています。

 右腕が肩から手指先まで痺れていると言われます

 この娘さんは多分に霊媒体質ですので、こうなるのも予想は出来たのですが・・・・、まあ、直抜けますので、このまま釜を焚く事にしました。

 少し引っかかったのですが・・・・。

 コンロに火を入れ、湯が沸騰して来て米を入れたのですが・・・、やっぱり・・・、小さい音しか出ません。

 直に線香を立て、この女の(最初は人間と観たのですが)仏さんに対し「仏説阿弥陀経」を上げました。

 「阿弥陀経」を上げましたが、まだ私の体(どの場所とは書きません。書きますと、気にし過ぎる方もありますので)には違和感が残ります。

 湯が沸騰して来て米を入れます。

 釜は大きな音では有りませんが鳴り出しました。

 この主旨の祈祷はこれで十分です

 祓い消す主旨の祈祷ではありませんので、これで十分です。

 井戸の水神様(巳神様)のお姿が隠れました。

 井戸の巳神様のお姿が隠れましたと簡単に書きましたが、私の中では次に起こる現象が伝わって来て、その事で頭の中が一杯です。

 神経も其方の方に取られてしまっています。

 今日は水神様の為の釜焚きでしたが、私の頭の中では、さて、これをどう対処しようか、このまま見捨てて行こうか、いや、やはり助ける事が出来るなら力になりたいという思いで迷っていました。

 釜が鳴り、井戸の水神様の始終は多分妻が霊視を続けていると思いましたので、私の中で霊視が切れてしまった事には何も後悔はありません。

 そうこうする内に、娘さんの方には複数の違う霊体が入って行き、背中まで痛く、寒いとい終われます。

 〜さんも、横っ腹らから心臓を強くつかまれたという始末です

 やはり京都の色町、歴史も古く、其処に生きた人間の思いや浮かばれない念が渦巻き、この様な神事をし出すと、助けて欲しいが為に集まって来るのでしょう。
 
 〜さんが言われます。

 そう言うと、従業員が上の階で住み込みでいた時、沢山の人が女の人の幽霊をみて、中には止めていった者も居たと言われます。

 やはりこの集まって来た沢山の霊体は、釜で成仏させてやろうと思った事が間違いの始まりで、さあ、米を洗いなおして、コンロに火をつけ、湯が沸騰してきたところで米を入れます。

 米を入れますが、全く鳴りません。

 ウンともスンとも鳴りません。

 さあ、そうこうしていると、井戸の斜め上の天井で、ド〜ン、バチ、ザー、ガラガラ、ガチャ〜ン、運動会が始まりました。

 あ〜、来たな・・・・、情けをかけたのが・・・間違いだったのか・・・・・

 その内何も分からない〜さんが、隣のビルが工事をしているんだろうと、一回見てくると外へ出られました。

 隣のビルが工事をしても、此方もビルですので響くわけでもなく、ましてや直上の音です。

 再度米を洗いなおし試してみますが、全く釜は鳴りません

 天井の音は、ガチャ〜ン、ド〜ンと遠慮なく鳴り続いています

 「ええ加減にしとけや、このボケが」、と思いましたが、釜で成仏させてあげようと思った私の責任です

 情けをかけるのも、難しいものです

 これを4回繰り返し、私の中で、今度の五回目で最後にしようと思った途端、音が鳴り止みました

 案の定、五回目も、釜は全く鳴りません。

 今回の祈祷の余計に、私がこの様なものに気を向けたのが間違いでした。

 しかし、又同じ様な事に出会うと、同じ事をすると思います

 この様な多数の霊体には、やはり、ついでにではなく、これだけに没頭しないと駄目なのでしょう。

 〜さんの体からは霊体は離れましたが、娘さんの体にはまだ残っています。

 こんなのはその場から離れればその内離れて行きます。

 九字を切っても切らなくても関係有りません。

 現にこの場を離れて、八坂神社の角を曲がった辺で離れて行きました。

 先ず、最初に釜を焚こうとした時、私の体に作用し、可哀想なので「阿弥陀経」でも上げて成仏させてさろうと情けをかけたが、一向に離れなかった霊体は、着物を着て、ダラ〜と口を開けた雌狐です。

 色は真っ白とはいかないまでも茶色ではありません。

 だらしなく口を開けて目は閉じています

 耳は立ってなく、後頭部からは、長い髪と思われる様なものも見えます



 時代は分かりませんが、多分、この霊体は元は人間と思われます

 長い年月の間に、この人間の霊体に狐霊が憑いたのか、この人間が生前、稲荷と関係があった故に、死後この様な形で見えるのか・・・?

 どちらにしても、首吊り自殺です

 そして、ド〜ン、バチ、ガラガラと音をだしたものは、沢山の浮かばれない人間の霊体です。

 目、鼻、口、黒くぽっかりと開いています

 体ははっきりとは見えませんが、それらしき物を揺らしています。

 沢山出て来ました。

 この場では詳しい話はしなかったのですが、中々きつく重いものがありました。

 祇園という花街だけではなく、京都は何処を掘っても人骨が出ると言われますので、この様な神事をすると、我も我もと集まって来るのでしょう

 そして鳴釜による今回の井戸の巳神様の祈祷の始終は、私が余分なものを引き込んでしまい、途中でぷっつりと切れてしまいましたが、妻が病室で観て絵に書いておいてくれましたので、その説明をさせて頂きます

 先ず、釜が鳴り出すと、直角に曲がった線が見え、その後何処からとなく民芸的な麦わらで作られた様な馬に近い動物が現れたと言います。

 そして次の瞬間、今まで出ていた巳神様の姿が消え、麦わらで作られた様な動物の姿が白い馬の様な動物(動きは馬の様に力強くなく、どちらかと言えば高貴な稲荷様の様な上品な動きで)になっていたと言います。



 後ろ(遥か向こう)には、大きな、青く(水色)綺麗な目(蛇の目の様だったと妻は言います)が出現し、
光源とも取れる様な存在だったと言います。(以前、神龍様に見せて頂いた「高天原」に似ていると、私は思うのですが)

 そのものからは、涼しいと表現した方が合っている様なものが放たれ、
その目に引き寄せられる様に上がって消えて行ったと言います。



 妻が、「貴方は巳神様が姿を変えたものか」、と尋ねると、顔だけが出て、「そうだ」、と首を下にしたと言います。

 私は現地で邪霊と対していましたので、この様な始終は想像がつきませんでした。

 妻も、この様な観方をするのは今回が初めてですので、やはり出てくる(見えて来る)量も少なく、質も少し荒い様に感じたと言います。

 祈祷の当日の夜、病院に行き、此方の巳神様には、再度今日の祈祷の始終を見せてくれる様に頼みましたが、妻に見せ通りで、それで十分で何も落度は無いと言われます

 それを聞いて安心しましたが、
祈祷というものは、やはり、審神者(さにわ)と神主、二者がそろっていないと完璧な祈祷は出来ないものと再確認しました。


 今回の祈祷の依頼主は、一回底に落ちます。

 落ちますが、今回助けた井戸の水神様、自宅の巳神様、伏見から来られた巳神様の御助け(伏見稲荷大社からは命婦専女神様が観ています)で、再び頂点に伸し上がる事は確かです。

 頂点に上がるのには、そんなに時間はかかりません。
 
 
神様に助けられる方は沢山居られますが、神様(水神様)を助ける方は珍しいです。
 

 
(祈祷時に展開された予想外の始終)
鳴釜神事の実際と考察
ひとりごと・ふたりごと