独り言17 h17/7/8 |
水泳指導 梅雨だというのに今年はなかなか本格的な雨が降らなくて農家の人は困っているのではないでしょうか。私の住んでいる地方は,おかげさまで最近になって雨が多くなってきました。 学校の方は,雨が少ないおかげで泳指導が順調に効果を上げています。子どもたちの歓声が職員室まで聞こえてきそうですが,泳力も確実に高まっています。学校の水泳は,プールや海水浴に行って水と遊ぶのとは,全く意味が違います。 低学年では,水に「慣れ親しむ」ことが大きな目標です。水が苦手だったり顔がつけられなかったりする子どもたちに潜ったり,浮いたりすることを教えていきます。 中学年では,「クロールと平泳ぎができるようになる」ことが,大きな目標です。四年生の夏が終わるまでには,クロールと平泳ぎで何とか二五メートルを泳ぎ切らせたいと思って,私達は指導します。 高学年では,「クロールと平泳ぎでできるだけ長く泳げるようにする」ことが目標です。全員25メートル泳ぎ切るように励ましながら,泳げる児童はさらに上をめざします。 水泳指導は,「命を守る」学習でもあります。「泳げる」「泳げない」は,もしもの時に命にかかわります。たとえ25メートル泳げなくても,できるだけ「泳ぐ」ということが全員できるようにしたいと私達は考えています。 もちろん,その学習を楽しくしたいと思っているのですが,子どもたちの中には,どうしても水に入りたがらなかったり,水泳カードを自分で書いて水泳をさけようしたりする子どもがいます。担任は水から逃げようとする子どもたちを,保護者と協力して水に入れさせようとします。そんなとき,保護者の方が「かわいそうだ」と子どもたちの要求に負けてしまっては担任はどうすることもできません。担任と連絡を取って,子どもたちに「命を守る学習」をがんばってさせましょう。子どもを励ましながら苦手なことにも挑戦させることが家庭教育だと思います。家庭と学校が連携するというのはそういうことだと思います。 最近では,水着も指定することがなかなか難しくなってきました。家庭の判断にゆだねることが多くなってきましたが,だぶだぶのレジャー用水着で体育の授業を受ける子どもたちも年々増えてきています。私の学校でも,「水泳学習にふさわしい水着」について文書を流しました。しかし,暑い日差しを浴びながら水泳指導している先生方の気持ちを考えると,こうしたことまで文書で書かなくてはならない保護者がたくさんいることに全く残念な思いがします。できるだけ水泳の勉強をするのにふさわしい格好で授業を受けさせてほしいものです。 |
独り言16 h17/5/24 |
子どもの要求は身勝手が多い あるクラスからこんな報告がありました。 学級懇談で,「子どもたちが静かに人の話を聞いたり,じっくり静かに何かの作業に取り組んだりする力が足りない。」という話をしたところ,家庭からの連絡帳に,「家でも,静かなのは,寝ている時と病気の時ぐらいで,いつも何かの声や音がしています。勉強している時でさえ,じっとしていることがない。・・・・今までは,低学年だからそうなのかなあと思っていました。・・・・自分が子どもの頃は,正座させられて一時間は説教されていたなあ。今,私は,あれほど根気よく叱ることができているだろうか。・・・・いそがしい社会のせいにするだけでなく,家庭で子どもとの接し方を考えてみようと思いました。」と書いてあったそうです。 学校では,子どもの成長のために,様々な取組をします。担任はそれぞれ自分の個性や知識,技術を駆使して自分なりの手立てをしていきます。それは,子どもたちにとって苦痛を伴うものであることも少なくありません。一年生でも,二年生でも,静かに人の話を聞く態度は必要ですし,宅習の時間や内容は,学年によって変わってきます。その指導のほとんどは,多くの子どもを見つめ指導してきた経験に裏打ちされたものです。 こうした指導が実を結び,効果を上げていくために,家庭の協力は欠かせません。このお便りのような保護者の温かい声は,担任だけでなく職員みんなにとって励みとなります。語りかけたことばをしっかり受け止めてもらえると,それだけでも勇気が出ますし,がんばろうという気力もわいてきます。 ところが,最近では,自分の子どもしか見ていないのに,担任に対してまるで専門家のような要求を平気でする保護者がいます。「1年生なんだから,やさしく指導して欲しい。」「宿題の量が多すぎる。塾に行っているので,減らして欲しい。」「先生のやり方でなく,普通にドリルをして欲しい。」「子どもが不満を言っている。やり方がおかしいのではないか。」と,子どもの要求のままに担任に要望してきます。 子どもに厳しい要求をすると,子どもは家庭で「不満」や「不平」を言います。その時の家庭の指導が大切なのです。一言,「先生が言うのだから,あなたの役に立ちます。言われたことぐらいしっかりやりなさい。」ぐらい言ってくださると,学校のがんばりも子どもに伝わるのですが,一部には,そうしたことのできない情けない保護者がいます。このお便りのように担任と保護者が協力していくと,子どもはよい方向に伸びていくのだと思います。もちろん,担任も保護者の願いを受け止め,その思いを共有することが大切ですが,なかなか思いが通じ合わない世の中だからこそ学校と家庭が協力していきたいですよね。 |
独り言15 h17/1/9 |
子どもは勉強が仕事 一年生や二年生の宅習には、まだまだ、保護者の手助けが必要です。中学年、高学年でも勉強をみてあげると喜びます。家庭の仕事の合間に、子どもの宅習を少しでもみてあげるようにして欲しいと私は思います。「忙しいのに、手のかかることをする暇はない」と怒られそうですが、特に低学年での親のがんばりは、子どもの学力向上に大きな力になると思います。事実、「おかあさん」が、毎日子どもについて指導して、入学当時は、ひらがなも書けなかった子どもがめきめき学力を付けている事実もあります。かけ算九九も、この時期に保護者が応援してはじめて完全に唱えられるようになるのです。 信じられない話ですが,「明らかに保護者がやった宿題」が提出されるという事実があります。1年生や2年生の宿題を保護者がしてあげているのです。担任が指摘して,保護者に指導しても「しらを切る」のですからあきれてものが言えません。こういう人は,最後には「うちにはうちのやり方があります」と啖呵を切るのでしょう。 子どもにとって,勉強は仕事です。苦労して理解したり,泣きながら家で宅習をやったりするのは,成長のための大切な糧になるのです。かわいそうだからと,すぐに答えだけ教えたり、答えを書いてやったりするのは、決して子どもの力になりません。子どもが宅習が分からないと言ってきた時には、面倒がらずに一緒に考えてやるような心のゆとりが欲しいですね。 毎日のように学力低下の問題が報道されています。何とか,家庭と学校が協力して子どもの学力を高めていきたいものです。 |
独り言14 h17/1/5 |
喫煙防止教育 中学校、小学校高学年の喫煙が増加しています。東京での話ではありません。私の住んでいる町での話です。低学年でも喫煙で指導される児童がいます。今、生徒指導担当者を悩ませているのは、携帯電話とタバコです。 私の学校では、六年生を対象に禁煙教育を実施しています。成長期の喫煙や妊娠中の喫煙がどんなに恐ろしいか、あらためてここで紹介するまでもありません。子どもの心や体をむしばんでいきます。 現在、校舎内は禁煙です。喫煙できる場所も敷地内に二ヶ所程度しかありません。子どもの前では「吸わない」ことが当たり前の時代になりました。今年の4月からは、敷地内が全て禁煙になりそうです。喫煙者には、大変住みづらい時代になりました。 ところが、保護者の中には、児童の喫煙に対して危機感のない方が多いようです。先日、PTAバザーがあったのですが、わたりろうかや中庭で数人のお母さんが固まって座り込んで、喫煙されていました。ちょうど,コンビニの前で地べたに座り込んでタバコを吸ったり,おしゃべりしたりしている若者と同じ雰囲気です。 「参観日」「学校の中」「お母さん」「座り込んで」「喫煙」,私には信じられない光景です。こういう保護者が,子どもを育てているのですから,やっぱり学校は大変ですよね。 当然,PTA役員や学校関係者から注意を受けていましたが,保護者の母親意識も二極化が進んでいるようです。 家庭が、児童喫煙の温床になっている事実に目を向けなければいけません。「子どもの手の届くところにはタバコを置かない」「子どもの前では、喫煙しない」という意識を強く持って頂きたいですね。せっかくの禁煙教育も、実を結ばないのでは、学校の努力は悲しい徒労に終わってしまいます。 |
独り言13 h16/11/14 |
あいさつ・返事は社会生活の基本 私の学校の子どもたちは,とてもよいあいさつをします。 「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」 元気よく,明るいあいさつは,相手を気持ちよくさせてくれます。私も元気よくあいさつを返すように心がけています。あいさつは社会生活の基本であり,家庭教育で最も基本的なしつけだと思います。 ところが,最近あいさつができない大人や中高生が目に付きます。レストランやお店,病院でも「こんにちは」とか,「よろしくお願いします」とか「ごちそうさまでした」と言えないのです。ましてや,病院で名前を呼ばれても「返事」をしません。看護士さんが「○○さん」と呼んでも,ほとんど返事をしません。私の学校でも,参観日に来られても,残念ながらあいさつをされない保護者の方がいらっしゃいます。 先日,中学生の息子を病院に連れて行ったのですが,看護士さんが名前を呼んでいるのに返事をせずにのそっと立っていこうとしました。私は,その場で失礼な態度であることを指摘し,しかりとばしました。「あいさつもできないような子どもが,何を学んでも意味はない。」「人が名前を呼んでいるのに返事もできないとはなさけない。親の恥だ。すぐ謝罪しなさい。」 それ以後は,私のいるところではどこでもきちんとあいさつをしています。 新入生を対象にした就学時健診では,「番号や名前を呼ばれたら返事をしなさい」とか,「検査を待っている時は静かにしてくださいね」と注意をして回りました。ところが,注意された親は,「静かにしないと先生に怒られるよ」「ほら,先生に怒られるよ」と子どもに言っているのです。 これではしつけになりません。しつけは,保護者の責任でするものです。しつけの責任を他人に押しつけてはいけません。「静かにしなさい。静かにしないとみんなの迷惑になります」「あなたは○○番よ。呼ばれたら,元気よく返事をしなさい。」と子どもに言うべきです。しつけは自分の責任で子どもに教え指導するべきです。社会人としての良識は,親が責任を持って育てるべきものなのです。それは,幼児であろうが,中高生であろうが,同じ事だと思います。 |