「ごんぎつね」を学習した感想です。一気に書いて,特に手直しもしていないので,十分文章は
練れていませんが,4年生としては,大変深い読みをしているのではないかと思います。とにか
く文章にこだわる子どもたちでした。

児童の感想(「ごんぎつね」を勉強して)

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感想1

 ごんは,毎日のようにいたずらをしています。でもそれは,さびしくて,村の人に相手にしてほしいからです。兵十だって,ごんを撃ったけど悪い人ではありません。でも,最後にはごんが死ぬことになりました。
 私は,もっと兵十がごんの気持ちをわかってあげればよかったのにと思います。兵十は,おっかあが死んだことで頭がいっぱいだったのでしょうか。ごんがくりやまつたけを持って行ったときだって,兵十は神様だと思ってしまいます。私は,ごんがかわいそうでたまりませんでした。
 それでも,ごんは次の日もくりを兵十の家へ持っていきます。その時のごんは,つらくて,悲しくてたまらなかっただろうと思います。でも,兵十だって,くりやまつたけを持ってきてくれる人に感謝していたと思います。兵十は,貧乏でその日その日の生活がやっとだったからです。それに,兵十にとっては,おっかあは大事な人物だったと思います。兵十は,貧乏だったけどおっかあがいたからその日その日の生活が何とか楽しくやっていけたんだと思います。だから,おっかあが死んだときの兵十の苦しみは大きかったのだと思います。そんな兵十の苦しみが分かっていたから,ごんは,あれだけのつぐないができたのだと思います。
 そんなごんをひなわじゅうで撃ってしまった兵十の苦しみは,おっかあが死んだときよりも大きかったのではないかと思います。でも,ごんは,撃たれてほほえみながら死んでいったと思います。「よかった。やっと分かってくれた。つぐないがやっと終わったんだ。」
でも,そう思ったときには,もうおそかったんです。兵十とごんの気持ちのずれでごんが死ぬことになってしまったと思うと,悲しくなりました。
 私は,「できるだけ身の回りにいる人の気持ちを考えながら毎日の生活をおくっていこう。」と思いました。


感想2

 いたずらなきつねだな。これが私が1の場面を読んだいんしょうです。このごんは,どんな心をしているのか早く勉強したいとばかり思っていました。
 さて,第1日目の内容に入る日です。私は,まず,どうして兵十はごんを追いかけなかったんだろうと思いました。このことについては,いろいろ勉強して,「ごんを追いかけるよりも,その場に立ちすくんでしまいそうな気持ちだったから」ということがわかりました。
 「ごんは,どうしていたずらばかりするのかな。」と先生からの発問です。
 みんな考えて,「さびしい」「相手にしてほしい」などの意見が出されました。私も,やっぱり相手にしてほしかったんだと思いました。
 次に2の場面です。
 ごんは,「村に何かあるんだな」と思って,兵十の家まで来ると,大事なことを知ります。兵十の家の誰かが亡くなったということです。次に,ゴンが墓場に行った所にとても不思議な風景が書かれてあります。なぜ,こんな場面を書いたのかと思いました。
 向こうの方からそう列がやってきて,ごんはここで兵十のおっかあが死んだことを知ります。それで,ほらあなで,「自分がうなぎを取った。だから,兵十は,おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。」と考えます。
 3の場面では,ゴンが兵十につぐないをするところです。つぐないといっても,いわしをぬすんで兵十の家に投げ込むんだから,どろぼうといっしょです。そんなことをしたって,罪が重くなるだけです。次の日に,ごんがくりを持っていくと兵十がいわしのことでめいわくをうけたということを知って,ごんは,くりを投げ込まなくて置いて帰ります。この,「置く」には,おわびのつもりという気持ちが込められていることがわかりました。
 4の場面で,ごんはぶらぶら遊びに出かけます。兵十と加助の後をつけていって,きけんをおかしてまで話を聞こうとするのは,兵十がどう思っているのかを知りたかったからでしょう。お念仏の間,井戸のそばにしゃがんで「おっかあ,成仏してください。」と思っていたことでしょう。
 5の場面で,2人の後をつけていったとき,加助がくりなどを持ってきてくれているのは神様だと言います。ごんは,その加助の言葉を聞いて,「つまらない」「ひきあわないな」と思います。このときのごんの気持ちは,「さびしい」「かなしい」などの気持ちでしょう。自分が信じていた兵十までが,「神様だ」と言ったんですから。
 ごんは,どう思って兵十の家に来たでしょう。たぶん自分に何かが起こると予想していたでしょう。それでも,ごんは兵十の家にやってきます。兵十は,そんなことも知らずに,ごんを撃ってしまいます。どうして,こんなに2人の気持ちが通じ合わないのでしょう。この2人の気持ちが通じ合っていたら,こんなことにはならなかったでしょう。
 私は,この「ごんぎつね」を学んで,いろいろなことを知りました。どうして,こんなふうな結果になるのでしょう。この場面は,とても感動的なところです。「ごんぎつね」を勉強して本当によかったです。また,こんな勉強がしたいです。5年生になっても,この勉強のことを忘れないようにしたいです。
感想3
 私は,このごんは,はじめの場面の方ではとてもいたずら好きなきつねだなあと思ったぐらいです。だけど,ただいたずらをしているんじゃないと分かったとき,とてもかわいそうになりました。ただいたずらをしているんじゃなく,いたずらをすることによって,さみしさや悲しみ,そして,村人と友達になろうとしているごん。なのに,村の人たちは,引き合おうと思っていないし,ましてや,友達などとは思っていない。村の人たちは,「今度こそ」「今度こそ」と思っているのに,なぜいたずらをするのでしょう。
 でも,村人がこう思ってるって知っていても,さみしいという気持ちの方が大きいんじゃないんでしょうか。私でも,こんな時には,そうすると思います。びくの中のうなぎをとったのも,三日も穴の中にいてたまらない気持ちでいて,やっと出られた時だから,いたずらな気持ちが出てきたのではないでしょうか。
 十日ほどたって,そう列で兵十の顔がしおれているのを見て,とても心配したことでしょう。兵十のおっかあのことを考え,心から反省したことでしょう。この時のごんは,私たちから見たらかわいそうの一言で,ごんから見たら,とても切ない思い,胸が痛くなるほどの思いだと思います。でも兵十はごんの気持ちを分かってげられない。そこが,人間にとって悲しい所,自分のことしか考えられない,見られない。もし,この時,相手の心が見えていたらごんを殺すことはなかったでしょうね。 三の場面では,おっかあが死んだのは,自分のせいだと信じ込んでいて,一人になった兵十を見てとてもくやんでいるごんを見ると,なんて言うかこっちまでつらい気持ちになりごんを見守ってあげたくなります。それから,いわしをぬすみ,兵十の家へ投げ込むところは,決して盗みなんかはいけないけど,ごんはまだこぎつねなので,悪いとか良いとか考えずに,つぐないができればいいと思う気持ちでいっぱいだったと思います。だけど,その結果は,喜ばれるんじゃなくまた罪を重くすることになりました。このときのごんは,つらさで押しつぶされそうになっていたと思います。つぐないになると思ったことが罪になったのですから,一日も欠かさずくりを持っていったのだと思います。
 四の場面では,兵十が加助につぐないのことを話すことから始まります。そこの所は勉強したようにとても不思議な場面でした。お念仏がすんでから,加助が「神様だ。」と言い,それで,兵十が納得したときに,ごんはなんて言っていいか分からないほど残念な気持ちになったと思います。名前が出てこないかもしれないけど,やっぱり出てきてほしい思っているのに,兵十まで神様だと信じてしまったらとってもかわいそうです。苦しいと思います。だけど,その明くる日も兵十の家へくりを持っていくのは,心から兵十のおっかあのことをくいに思っているからだと思います。もし,引き合わないなあと思っていても,つみぶかく思っていると思います。
 六の場面の明くる日もくりを持っていくって所は,ごんは何か自分に危険が起きると知っていて,兵十の家へ行くということはとても勇気がいったことでしょう。そして,「ごん,おまえだったのか。」と言うところは,ごんに語りながらも自分の後悔を悲しみ,いかりと一度も見つからないような悲しみだったと思います。
 ごんがうなづくときには,「ありがとう」という気持ちもあり,「気づいてくれてありがとう」,「これまでつぐないをしてきて良かったよ」などの気持ちもあったと思います。火縄銃をばたりと取り落とした所は,「ごんに対してすまない」,「おっかあが死んだときより悲しいよ」という気持ちで,青いけむりは,ごんがつぐないをしているときのつらさと兵十の後悔のなみだがひとつに交ざったものだと思います。