社会保障制度における親族を考えよう

社会保障制度では家族、親族が大きな意味を持ちます。本人だけでなく、配偶者や子や世帯、あるいは親族、また被扶養者を保障対象としたり、それらの有無や人数により保障内容が変わったりします。生活保護や保険料の支払いでは親族や世帯に責任が発生することもあります。また、対象となる親族の範囲は制度によりいろいろです。制度の内容には、親族や家族、世帯あるいは配偶者について、一定の考え方が反映されています。その底にある考え方が自身の価値観と相容れない人たちにより制度への攻撃が行われることがあります。また対象親族の線引きの不明快さが不公平という不満も生むこともあります。
本稿では社会保障における親族ということについて考えてみたいと思います。考えるにあたっては、そもそも社会保障のあり方をどう考えるのかという点が避けられません。このため最初にそれについて書いてみたいと思います。その次にわが国の社会保険制度内で特徴的な親族の取扱の事例を説明し、それぞれについて考えます。

  1. 社会保障制度はどうあるべきか
  2. 社会保険における親族の取扱の事例
  3. おわりに

1.社会保障制度はどうあるべきか

最初にお断りしておきますが、この節の内容は私が社会保障制度を考える上での根本になっている考え方であり、制度や法令の解説ではありません。根拠になっているのは強いて言えば憲法25条です。またそれに基づく昭和25年の「社会保障制度に関する勧告」の前文で書かれている内容です。次の節からは実際の制度に沿った解説をするつもりです。

戦後のわが国における社会保障制度の出発点といえるのは社会保障制度審議会が昭和25年に発表した「社会保障制度に関する勧告」です。この前文に書かれている精神を無視した議論が横行しているように思いますので、まずそれを引用します。

日本国憲法第25条は,(1)「すべて国民は健康で文 化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(2)「国は,すべての生活部面について社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と,規定している。これは国民には生存権があり,国家には生活保障の義務があるという意である。これはわが国も世界の最も新しい民主主義の理念に立つことであって,これにより,旧憲法に比べて国家の責任は著しく重くなったといわねばならぬ。
いうまでもなく,日本も今までにいろいろの社会保険や社会事業の制度をもっている。しかしながら,そのうちには個々の場合の必要に応じて応急的に作られたものもあって,全体の制度を一貫する理念をもたない。その上長年にわたるインフレーションはこれらのどの制度をも財政難におとしいれその多くはいまや破綻の状態にある。しかも戦争は国民の生活を極度に圧迫して,いまや窮乏と病苦とに耐えないものが少くない。ことに家族制度の崩壊は彼等からその最後のかくれ場を奪った。
社会保障制度審議会は,この憲法の理念と,この社会的事実の要請に答えるためには,1日も早く統一ある社会保障制度を確立しなくてはならぬと考える。いわゆる社会保障制度とは,疾病,負傷,分娩,廃疾,死亡,老齢,失業,多子その他困窮の原因に対し,保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ,生活困窮に陥った者に対しては,国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに,公衆衛生及び社会福祉の向上を図り,もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである。
このような生活保障の責任は国家にある。国家はこれに対する総合的企画をたて,これを政府及び公共団体を通じて民主的能率的に実施しなければならない。この制度は,もちろん,すべての国民を対象とし,公平と機会均等とを原則としなくてはならぬ。またこれは健康と文化的な生活水準を維持する程度のものたらしめなければならない。そうして一方国家がこういう責任をとる以上は,他方国民もまたこれに応じ,社会連帯の精神に立って,それぞれの能力に応じてこの制度の維持と運用に必要な社会的義務を果さなければならない。
・・・以下略・・・・

具体的なわが国の制度がどうして今のようになっているかについては、歴史的経緯もあるでしょうし、制度の実施に当たっての現実的な判断もあったでしょう。また制度が作られたときの社会的状況や、そのときの社会的な価値観も影響しているものと思います。ある制度においてある範囲の人が対象で、ある範囲の人が対象でないということについて、今現在で誰でも納得できるような明快な説明ができない場合もあるかもわかりません。

ここで考えていただきたいのは社会保障は生活を保障しその向上をはかることが全てであり、最優先であるということです。その上で、実現性、効率性、公平性とかみ合わせ、最後は無理があっても制度である以上どこかで線引きをしなければならないということで妥協する必要があります。
さらに次の点が重要であると私は考えています。

(1)は”生活を保障することが最優先”ということを別の見方から言ったものです。この場合どうしても社会の現状にそったものになります。社会の現状が自分の主張と違うからといって、国民はこうあるべきという主張を盛り込んではいけないということです。

勿論国民は社会的義務を負うのは当然です。最たるものは勤労の義務(憲法26条)でしょう。社会保障制度はある範囲のもので働けるものは働くことが原則になっています。例えば国民年金法は20歳以上60歳未満の国民は働いて収入があるということが前提になっており、その上で働けないものや働いても収入が十分でないものに対し保険料の免除制度があります。また保険料に対しては世帯で責任を持たなければなりません。このような前提とすべき義務は社会に当然として受け入れられているものに限ります。国民はこうあるべきであるという一部の主張で社会保障の範囲を限定し、困窮するものを生み出してはいけません。

女性は勤労収入を得るべきであるという個人の主張から第3号被保険者制度廃止を論じたり、次の世代のために老人は身を切るべきであるという一つの価値観に過ぎないものから年金世代の年金額の減額を主張する等はしていけないということです。私の場合特に、社会で一定の地位を得ている女性が第3号被保険者制度の廃止を唱えたり、財産がある等で老後の生活の心配の無い人が老人の年金を減額すべきであると主張しているのをみると猛烈に腹が立つことが多いです。前者には、社会が変わっただのという理由を上げつつその裏に専業主婦を否定するという価値観の押し付けを感じる場合が多いからです。後者のような方には、あなたはたまたま運が良かったか、悪知恵が働いたかで老後困らないだけの収入を確保したかも分かりません、でも年金以外に頼る収入がない人をどのように考えるのですかと、訊いてみたいです。

(2)は、例えばAの人が適用で、Bの人が適用じゃないという制度が不公平な社会の実態になった場合、Bの人も適用にするという変更の仕方を原則とすべきということです。例外は勿論あり得ます。

2.社会保険における親族の取扱の事例

さて、わが国の社会保険制度で親族や世帯がどのように扱われているか、特徴的な事例で考えて見ます。 配偶者は他の親族よりも近い、それ以外は親等に従って近い関係であるということに異論のある人は少ないでしょう。したがってこの制度の適用は配偶者だけとか、何親等までとかとなっていると議論が簡単です。しかし実際の制度はそのようにはなっていません。

(1)妻と夫の取扱がちがう

同じ配偶者でも妻であるか、夫であるかで区別される場合があります。代表的なのは遺族基礎年金です。遺族基礎年金が受給できるのは次に限られます。

つまり夫がもらうことはありません。
遺族厚生年金の場合は夫でも受給することができますが、妻の場合年齢に関係なく受給できるのに対し夫は55歳以上であることが必要です(60歳までは支給停止)。労働者災害補償保険の遺族補償年金の場合も年齢についての要件は同じになっています。また、夫が第一号被保険者の場合、子の無い妻の場合は自分の老齢年金がもらえる65歳まで無年金ということになりますが、この場合60歳から65歳まで”寡婦年金”が受給できます。夫と妻の立場を入れ替えた寡夫年金というものは存在しません。

寡婦年金の場合、婚姻関係が10年以上継続していた。夫が障害基礎年金の受給権者でなかった等他の要件があります。また他の年金との併給はできません。このように本稿では議論の本筋に関係ない受給要件は書きませんので自分が受給できるかどうかについては別途年金事務所等でご確認ください。本稿中全て同じです。

夫がずっと厚生年金被保険者だった場合は、寡婦年金はもらえませんが、遺族厚生年金に65歳までは中高齢寡婦加算、65歳からは経過的寡婦加算(昭和31年4月1日以前生まれに限る)が加算されます。寡夫に対する加算はありません。

妻の収入で暮らしていて夫が主夫ということもある時代なのでこのように妻と夫が区別されるのは正直違和感があります。なかには経過的寡婦加算のように昭和61年まではサラリーマンの被扶養配偶者は国民年金には任意加入だったという過去の経緯を踏まえたものもあるものの、おおかたは女性は助けるが、男性は働くべきだ、という価値観に基づくように思えます。

しかし、ここで私が言いたいのは、ここで「必要なら女性も働き賃金を得るべきだ」として、遺族年金の受給要件を男性と同じにしてしまって良いかということです。現在、果たして、就職の容易さ、給料の額等男性と女性で差がないのでしょうか。それを無視してべき論だけで決めると実際に生活に困窮する家庭が増える恐れがあります。

平成19年の改正では30歳未満の子の無い妻の場合、遺族厚生年金は5年で打ち切られるようになりました。5年間は助けるので、その間に準備をして就職しなさいということでしょう。社会保障の場合、制度を変えるときもこのように慎重に進めていくことが必要です。

昨年8月に成立した「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」により国民年金法が改正され平成26年4月1日からは、遺族基礎年金についてのみ夫婦の扱いが平等になります。夫と妻を区別することは漸次解消されていくのでしょうか。それこそ時代の流れでしょうが、年齢要件がどうなるかに注目していく必要があります。

(2)兄弟姉妹の取扱の不思議

兄弟姉妹は民法上、祖父母と同様に2親等です。しかしながら祖父母は遺族厚生年金の受給権者になりえるのに対し、兄弟姉妹が遺族厚生年金を受給することはありません。労災の遺族(補償)年金の場合は兄弟姉妹も受給権者になり得ます。この差は何なのでしょうか。兄・姉と弟・妹が区別される場合もあります。健康保険の被扶養者です。弟妹の場合、生計維持要件だけで被扶養者になることができますが、兄姉の場合はさらに同一世帯に属することが必要になります。これらの”線引き”は何となく分かるところがあるにしても、絶対にこうすべきだという説明は困難に思えます。何か経緯があったにしろ、今となっては、どこかで線を引かなければならないからとしか理解できません。

平成28年10月1日からは健康保険者の被扶養者に関し、兄姉も弟妹と同様生計維持要件だけでよくなる事になったようです。

(3)介護対象として認められる範囲

制度上、親族の介護が認められる場合があります。次のような場合です。

これらの場合、介護対象と認められるのは、いずれも次の通りとなっています。

配偶者の父母が入っているのが特徴的です。批判的な見方をすると、妻は夫の両親の介護をするべきだという考え方が背景にあり、在宅介護を推進しようとという思惑がある、ということになるかも分かりません。でも社会保障ではそのような考え方をすべきではないと思います。実態に合わせること、実際に困る人を助けることが基本なのです。また配偶者の兄弟の介護や、伯父、伯母の介護だって実際にはあるという不満もあるかも分かりません。しかしどこかで線を引かなければなりません。実態との乖離が問題にすべきほど大きくなった時に線引きを変えれば良いのです。

(4)年齢要件、障害要件

わが国の社会保険制度上子供の存在が関係するのは次のようなものです。

これらにおいて子と認められるのは、18歳以降の最初の3月31日までです。ただし一定の障害状態にある子については遺族(補償)年金以外は20歳未満となります。20歳で打ち切られるのは、20歳からは本人が障害基礎年金をもらえるからと思われます。

この”20歳前傷病による障害に基づく障害基礎年金”(国民年金法30条の4)は、本人が被保険者であったわけではないので、完全な福祉的な年金(無拠出制の年金)になります。国民年金にはそのようなものもあるのです。

遺族(補償)年金の場合、一定の障害状態にある場合年齢要件はありません。

遺族厚生年金の場合、夫については被保険者の死亡時に55歳以上であること、60歳までは支給停止であることを前述しましたが、父母、祖父母の場合も同じです。障害要件はありません。ただし平成8年4月1日以前に死亡した者については、夫、父母、祖父母が一定の障害状態にあるときは年齢に関係なく受給資格者となります(昭和60年附則72条)。これには歴史的経緯が想像されます。障害厚生年金の場合、配偶者加給年金額の加算がある場合がありますが、この時の年齢要件は65歳未満です。遺族(補償)年金の場合、夫、父母、祖父母について死亡時に55歳以上であること、60歳まで支給停止であることは同じです。兄弟姉妹の場合18歳の年度末までにあることまたは55歳以上であることがが必要です。一方一定の障害状態にある場合は年齢に関係なく受給資格者になり、60歳までの支給停止もありません。

健康保険の被扶養者に対しては年齢要件も障害要件もないのはご承知の通りです。年齢要件、障害要件に対しては共済年金の場合、厚生年金と比較して有利になっておりこれは明らかに問題ですが、被用者年金一元化法が昨年8月に成立し、平成27年10月から施行され厚生年金に揃えられる事になっているので触れません。

年齢要件には、18歳から60歳までは自分で働きなさいという考え方が背景にあるようです。でも例えば父が早く亡くなり、母一人子一人で子の収入で生活していて、その子が事故で亡くなったというような場合、遺族厚生年金で妻の場合は年齢要件を問われないのに、何故母は問われるのかという疑問をもつ方もおられるでしょう。いろいろ考えられると思いますが、この場合母は父の遺族厚生年金をもらえるはずとも考えられます。内縁も社会保険制度においては一般に認められます。でも未婚の母の場合は、とか、父が年金保険料を滞納していた場合はとか、漏れてしまう場合がいろいろ考えられます。遺族厚生年金に父母、祖父母の障害要件が無いのも疑問です。しかし全てのケースに対応するわけには行かないのというのも現実でしょう。どこかで線を引かなければならず、その他は他の制度で救うよう考えていくしかないと思います。最後の砦は生活保護でしょう。

(5)第3号被保険者制度−制度の背景について

第3号被保険者について別稿では主婦(あるいは主夫)優遇制度ではないことを金銭面から説明しました。それでも納得しない方がいるかも分かりません。そのような方は金銭面の損得よりも、夫婦のあり方のような背後に見える考え方に違和感をもっているのではないかと想像します。ここでは、制度の背景について私の分かる範囲で説明します。

第3号被保険者制度が導入されたのは昭和60年改正においてです。随分前になりますので当時の資料で参照可能なものがみつかりません。次善として一次資料に当たっていると思われる次の2つを参考にしたいと思います。

昭和60年以前は、サラリーマンの妻は国民年金に任意加入することができました。一方厚生年金は世帯単位の給付設計がなされ、夫と妻の二人が生活できる水準とされていました([1][2])。しかし妻の任意加入は昭和60年において7割に達し([2])、それと共に次のような問題が予測されるようになりました([1][2])。

このため、妻も第3号被保険者として国民年金に強制加入することとし、そのための費用は被用者年金制度全体で負担することにしました。この際に、厚生年金の給付水準については、夫一人分の年金に妻の基礎年金を含めた二人分の水準で設定することにしました([1])。つまり夫一人分の厚生年金の水準は引き下げられたことになります。実際には昭和60年改正において厚生年金の報酬比例部分は25%引き下げられ、定額部分も大幅に引き下げられています。つまり夫の年金支給額を引き下げ、その代わり妻の基礎年金を支給することにしたともみる事ができます。

60年改正前から今に至るまで、世帯単位つまり夫婦二人分の年金給付額で設計されていることが分かります。つまり子供が独立し夫婦2人の世帯としてずっと生活するということが少なくともモデルになっている訳です。このモデルのもとで、夫が先に亡くなる場合、夫の厚生年金の報酬比例部分は減額され遺族厚生年金として妻に支給され、合理的な体系となっています。

説明上、夫、妻という表現を使っていますが夫と妻の立場が逆転している場合についても成り立ちます。

この辺りが気に食わない方々が、第3号被保険者制度不公平論を述べている場合、いくら金銭的に不公平でないことを説明しても、納得できないということになっているのだと思います。妻が夫に付属すると見られているような気がするのでしょう。しかし実際に専業主婦はたくさんおり、これからの世代でも当分はなくならないと思われます。社会保障を考えるにあたっては現実に困ったり、不利になる人を出さないことが目標であり、それを自分の価値観や思想、ましてや感情で揺るがしてはいけません。現在の制度は代替案が見あたらず、合理的で公平な良い制度だと私は考えます。

昭和60年改正だけでは離婚した場合夫は基礎年金+報酬比例部分、妻は基礎年金だけということになります。これについては平成16年改正で、平成19年4月1日以降の離婚については報酬比例部分を分割できるようになりました。このように実際に生じる問題は具体的に考えて対応していけば良いのです。これからもパートの厚生年金加入や2分2乗案等が議論されることになるのでしょう。

3.おわりに

社会保障制度で、社会体制の現状や価値観を最も反映しているように見えることの一つが、夫婦、家族、親族の取扱でしょう。現状の社会の価値観に不満を持つ人、改革すべきと考えている人は、それをもって社会保障制度の改革を主張します。本稿では社会保障制度においてはそのような姿勢は間違っている。社会保障は必要な人に必要な形で保障がいきわたることが目的なのであり、特定の価値観に基づく「べき論」は不要ということを、実例を説明しながら主張したつもりです。
本稿で説明した必ずしもすっきりしない制度の実例について、それでやむを得ないから変えるべきではないと言いたかったのではありません。単に変だという理由で即廃止とか即変更とかいうのは社会保障においてはあるべきではないと言いたかっただけです。より良い制度があれば、あるいは現制度で具体的な問題が生じれば変更すれば良いと思います。

社会保障制度改革については、経済学者が経済的観点から、またいろんな人がそれぞれの価値観に基づく「べき論」からいろんな提案や意見が為されています。しかしながら社会保障制度というものは、それらを考慮しつつも、それよりも一つ高い視点から検討されるべきものであると思います。

初稿2013/5/18
改訂2013/6/6
●平成26年からの改正内容追加