平成28年年金改正法案の内容
〜実質は年金給付額の引き下げ

平成28年3月に通常国会(第190回)に提出され、現在開催されている臨時国会(192回)で継続審議されており野党より年金引下げ法案と批判されている年金制度の改正法案、「公的年金制度の持続可能性の向上を図るための国民年金法等の一部を改正する法律案」について内容を説明します。例によってマスコミでは誤りが流布されています。年金給付額の改定ルールという一番説明が難しいところに関わる改定案ですが、できるだけわかりやすく正確に解説してみようと思います。
年金をあの手この手の小手先の手法で引き下げようとする、年金に対する不安を煽るような改悪であり、野党には潰すべく頑張ってほしいし、マスコミも内容を正しく伝えてほしいと思います。

目次

  1. 改正法案の概要
  2. 年金給付額の改定方法の変更
  3. マクロ経済スライドの仕組みの変更
  4. その他

補足1:朝日新聞の伝える改正法案の内容〜誤解を招く記述

補足2:改正案成立

1.改正法案の概要

今回の改正法案の主要な内容は次の通りです。

この中では給付額の改定方法の変更とマクロ経済スライドの仕組みの変更が、大きなものであり、国会審議やマスコミでも大きく取り上げられているようです。しかし例えば厚労省が社会保障審議会で示した資料ホームページに掲載されている法律案の概要では他の項目と比較し目立たないようにしようとしているかのように思えるのは勘ぐり過ぎでしょうか。

なお、年金受給資格期間を10年に短縮する法案については第192回臨時国会に「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律の一部を改正する法律案」として別途提出されています。

2.年金給付額の改定方法の変更

基本的事項

老齢基礎年金の場合、現在の年金額(満額)は780,900円に改定率が掛けられたものとなります。改定率は平成16年度を1とし毎年度改定されます。改定率を改定する率を改定率の改定率と呼ぶことにします。毎年度の改定率の改定率の決め方については国民年金法27条の2と27条の3で決められています。物価変動率と名目手取り賃金変動率という2つの値で決定されます。それぞれの意味は次の通りです。

ここで

名目手取り賃金変動率というのがすごく分かりにくい指数ですが、簡単に言うと4年前から2年前までの物価変動に対する賃金変動の傾向を使って昨年の物価変動率から予想した昨年度の賃金変動率に、厚生年金保険料の増加による手取り収入の減少率を掛けたものということになります。従って前年度の賃金変動率そのものとは全く関係なく、4年前から2年前の物価変動率と賃金変動率の関係の傾向を示す値ということになります。

老齢厚生年金の場合は、やや面倒になるので詳細な説明は避けますが、基本的には老齢基礎年金と同様にほぼ改定率に比例して額が変わると考えて良いです。

現在の改定方法

改定率の改定率は67歳まで(新規裁定者)と68歳以降(既裁定者)で本来異なります。新規裁定者は名目手取り賃金変動率で、既裁定者は物価変動率を採用するのが本来です。これは物価変動率も名目手取り賃金変動率も年々上昇し、しかも名目手取り賃金変動率が物価変動率を上回って上昇するという前提にたった考え方によります。その前提がなり立っていない場合には別の決め方になります。結局改定率の改定率は次のようになることになっています。

注意深く見ると、名目手取り賃金変動率が一より大きい場合の新規裁定者について常に名目手取り賃金変動率を採用する、および物価変動率が名目手取り賃金変動率を下回る場合既裁定者で常に物価変動率を採用するというルールを別にして、両方とも1を超える場合は低い方、両方とも1を下回るときは高い方、賃金のみが下回るときは据え置き、ということになっているのが分かります。

今回の改正案の改定方法

次のように提案されています。

つまり、物価も賃金も下がるときは高い方をとる、賃金のみが下がるときは据え置きという年金給付額の引き下げを緩和する例外措置をすべて取り除いたものになっています。当然年金給付額の下がり方は大きくなります。

現行の法律に、緩和措置が設けられた理由については「平成16年財政再計算結果」102ページでは 「既裁定の年金額が新規裁定の年金額を上回るのは不適切だが、既裁定の年金を実質価値を割り込んで名目額を引き下げるのは不適切なので」あるいは「既裁定の年金額が新規裁定の年金額より高くなるのは不適切だが、名目額を割り込んで既裁定を新規裁定に合わせるのは不適切なので」と説明しています。つまり物価が下がった場合に”既裁定者の年金額を物価以上に下げることは不適切”(従って新規裁定者も物価変動率で改定)、物価が上がった場合は”既裁定者の年金額を名目以下に下げることは不適切”(従って新規裁定者も既裁定者も据え置き)という考え方によります。その考え方を捨てたようです。すなわちいままで避けていた、

を許容する方針に舵を切ったということになります。共に憲法の認める財産権の立場から許されることかどうか問題があると思いますが腹をくくったということでしょう。

問題はそれだけではありません。「賃金変動が物価変動を下回る場合に賃金変動に合わせて年金額を改定する考え方を徹底」という厚労省の一聴もっともらしい言い分にはごまかしがあります。例えばある年に物価変動率が−1%、名目手取り賃金変動率が−2%となった時は、年金給付額は現行法では−1%となり、改正案では−2%となります。それが次の年に物価変動率が1%、名目手取り賃金変動率が2%となったとしましょう。そのとき物価も名目手取り賃金も元に戻ります。ところが改正案によると既裁定者の年金は物価変動率でしか上昇しませんから1%しか上がらず2年間の差引−1%になります。つまり下げる率と上げる率に対する考え方が一致していないため経済が変動し続けるとまるでポンプのように年金給付額を吸い取り、下げていく効果があるのです。

このような年金給付額の吸い取り機能は現行の改定率の決め方にもあります。物価変動率が名目手取り賃金変動率を上回りかつ共に1より大きいときは新規裁定者、既裁定者ともに名目手取り賃金変動率で改定されますが、反対に両方とも1より小さく、物価変動率が名目手取り賃金変動率を下回った時は既裁定者は物価変動率で改定されます。この性質は改正案でも同じです。すなわち両方の吸い取り機能で物価や名目手取り賃金が上下することで既裁定者の年金給付額はどんどん下がっていくことになります。

そこまでして、少しでも支給額を下げようという小手先でしかない改正をし、年金不安を煽ることが良いこととはとても思えません。
「持続可能性の向上を図るため」にこんな案しか提示できない無策ぶりに情けなくなります。

3.マクロ経済スライドの仕組みの変更

マクロ経済スライドについては「マクロ経済スライドとは何か〜しくみ、効果、見通し、問題点〜」に詳しく書きましたので、その考え方や現行の仕組みについてはここでは繰り返しません。

マクロ経済スライドは今後100年の年金財政の均衡が保てないと予想されるときに、第2節で述べた本来の改定率の改定率にさらに調整率という係数をかけて年金額を改定し、年金の支給額を減らす仕組みです。現在、マクロ経済スライドが発動されています(調整期間にある)。 マクロ経済スライドでは一定の式で計算される調整率に対し、次のルールがあることを前掲稿で述べました。

今回の改正案ではこれが次のように提案されています(第27条の4、第27条の5)

調整率にさらに特別調整率(既裁定者については基準年度以後特別調整率)を掛けたもので改定する。すなわち、


 改定率の改定率=本来の改定率の改定率×調整率×特別調整率


この値が1を下回るときは1とする。また本来の改定率の改定率が1を下回るときは調整率、特別調整率は適用しない。という特例は今までどおりです。一方特別調整率は特例なしに適用された場合と特例により実際に適用された値の比(あるいは差)で毎年改定されていきます。

これはどういうことかというと、例えば本来の改定率の改定率が−2%、調整率が−1%の場合その年度については調整率、特別調整率が適用されない。しかし適用されなかった−1%が特別調整率に加わる。そして次の年、本来の改定率の改定率が2%、調整率が−1%の場合、2%に調整率−1%と特別調整率から−1%が適用され改定率の改定率は0%つまり据え置きになるということです。つまりデフレが続いて何年か調整率が適用されなかった状態が続き、その後、物価、賃金上昇に経済が転じても負の遺産が解消されるまでしばらくは年金給付額が上がらないということです。

このように年金受給者に大きな痛みを伴うように変更しても、実際に将来の受給者への恩恵はごくわずかであることは「マクロ経済スライドとは何か〜しくみ、効果、見通し、問題点〜」で説明したことと変わりません。少しでも年金給付額を引き下げようという小手先の改革であることはこれも同じです。

4.その他

短時間労働者への被用者保険の適用拡大

現行法ではいわゆる4分の3条件を満たさないときに、週所定労働時間20時間以上、月賃金8万8千円以上、一年以上の雇用見込、学生でないことの4つを満たしと時に社会保険適用になる規定(健康保険法3条、厚生年金保険法12条)は当分の間500人以下の事業所には適用除外されています(平成24年改正法附則17条、46条)。

これを、500人を超えない場合でも、過半数労働組合または、労働者の2分の一以上かつ対象者の過半数の同意、またはそれを代表する者の同意があれば適用除外をしないことができるとします(平成24年改正法附則17条、46条の改正)。

国民年金第一号被保険者の産前産後期間の保険料免除

国民年金第一号被保険者について、出産予定月(出産予定日の属する月)の前月(多胎妊娠の場合は3か月前)から、出産予定月の翌々月までは保険料を免除する(国民年金法88条の2の新設)。この財源として実施予定の平成31年度以降の国民年金保険料が100円引き上げになります(国民年金法87条の改正)。

申出の方法や、2年以上前の場合はどうなるのか等実際の手続きの詳細は不明です。

補足1:朝日新聞の伝える改正法案の内容〜誤解を招く記述

毎度のことでうんざりしますが、また朝日新聞が改正法案の内容について問題のある記事を書いています(2016年11月2日付朝刊「年金抑制案、与野党攻防 新減額ルール、衆院審議入り」井上充昌)。

何点かありますが、特に悪質な内容の記述は

こうした新たな減額ルールを定めるのは、今の年金水準が相対的に高くなっているためだ。14年度の財政検証では、現役世代の平均賃金に対する年金額の割合(所得代替率)が62・7%となり、政府が下限とする50%を大きく上回った。

のところです。平成16年、平成21年に比べて所得代替率が高くなっているのは事実だが、所得代替率の適正値が示されたことはありません。「政府が下限とする50%を大きく上回った。」などと書くと、50%が基準でありそれを大きく上回ることは悪いかのように読めてしまいます。50%というのはマクロ経済スライドに歯止めをかけるための最低条件であす。それを基準に現在の所得代替率を論じるのは間違っています。このような記事を書くとそれなりに影響は大きいと思います。「今の年金が高すぎるから下げて当たりまえ」という半可通がネット上に氾濫することになるでしょう。政府のスポークスマンのような記事は止めてほしい。自分に知識が無いなら政府だけを取材するのではなく、批判的なあるいは公正な立場の専門家にも取材して書いてほしいと思います。

補足2:改正案成立

やっぱりというか、改正案はそのまま成立してしまいました(平成28年12月14日)。数の力に頼った与党の暴挙、それに対する野党の無力さは、憤りを感じますが、特に、マスコミのダメさに暗澹たる思いです。問題点を正確に指摘できず、政府の説明を垂れ流すだけで、世論を形成することができませんでした(私が大マスコミの中では年金についての見識が高いと思っている毎日新聞の記事については今回チェックしていません)。カジノ法案の問題が出てくればそちらばかりを取り上げ、年金改正問題は隅に追いやってしまう始末でした。
今回の引き下げだけではマクロ経済スライドの維持を確保するのは不十分です。次にどのような引き下げの仕組みを導入するか厚労省官僚は策を練っている所ではないでしょうか。

初稿2016/10/21
補足1追加2016/11/3
補足2追加2016/12/15