大阪地裁は平成25年11月25日に、地方公務員災害補償法に定められた遺族年金の配偶者に対する支給要件において、男性のみに年齢要件を課しているのは法の下の平等を定めた憲法14条に違反するという判決を下しました。これに対し12月6日に被告の地方公務員災害補償基金は控訴したようです。この遺族年金における配偶者の男女の年齢要件の差の問題を考えてみます。本当にこの判決は妥当なのでしょうか。私は正しいかどうかはともかくとして、実際上、非常に厄介な問題を引き起こす判決であり、基金の控訴は当然と考えます。公的年金における遺族年金の制度についても解説します。
一般の人に関わる公的年金における主な遺族年金には次のものがあります。
死亡の原因が業務上災害の場合は遺族補償年金、通勤災害の場合は遺族年金となります
公務員あるいはそれに準ずる人の場合は、(2)が遺族共済年金となり、(3)は国家公務員災害補償法による遺族補償年金や今回裁判になった地方公務員災害補償法による遺族補償年金となります。平成27年10月から共済年金は厚生年金に統合されます。また公務員の災害補償法については私自身があまり知らないこと、また今回問題になった年齢要件の差については他の年金も同じであること等から、本稿ではこの3つの遺族年金についてのみ対象にします。
法律の改正に伴う経過措置により、受給権がいつ発生したかにより要件が異なる場合があります。本稿では今後受給権が発生する場合についてのみ記述します。
次のうちいずれかの場合です
受給資格期間やこの後出てくる保険料納付済期間、保険料免除期間については「年金受給資格期間を10年に短縮するのは間違っている」を参照下さい。 ただし、老齢基礎年金、老齢厚生年金においてカラ期間とされた20歳未満及び60歳以上の厚生年金被保険者期間は、遺族年金(障害年金も)においては保険料納付済の被保険者期間となります。なお平成27年10月1日に老齢基礎年金の受給資格期間が現在の25年から10年に短縮される予定ですが、遺族基礎年金(障害基礎年金も)に関して、老齢基礎年金の受給資格期間を満たしているかどうかの基準は25年のままとなります。
ただし、1番目、2番目の場合は次の保険料納付要件を満たしていなければなりません。
例えば50歳と一月で亡くなったときは20歳から前々月までの30年間の被保険者期間がありますから、20年間は保険料を納めるか免除が認められていなければならないことになります。これを死亡日の前日において判断することにより、死亡してから遺族があわてて遡って納付して要件を満たすというようなことができないようにしています。
ただし、65歳未満の死亡に限って平成38年4月1日までは次の特例を満たせば良いことになっています。
この保険料納付要件は障害基礎年金、障害厚生年金においても全く同じです(死亡日を初診日と読み替える)。受給資格期間が10年に短縮されることにより、10年で保険料納付を止める人が多く出た場合、障害年金、遺族年金を受給できない人が増えるという心配があります。
次のうちいずれかの場合です
1番目、2番目の場合は遺族基礎年金の場合とまったく同じ保険料納付要件が必要です。この場合、国民年金の被保険者期間により判断されます。65歳未満の場合の特例も同様に適用されます。また受給資格期間が10年に短縮した後も、遺族厚生年金(及び障害厚生年金)に関しては25年以上必要なのは遺族基礎年金と同じです。
労働者が業務上で死亡した場合または通勤により死亡した場合に対象になります。パート、アルバイト、日雇労働者、外国人であっても対象となります。個人の事業主は労働者ではありませんので対象になりません。法人の取締役等の場合は実態によります。
労災保険はすべての労働者が対象になります。例外は公務員等の他の制度で保障される場合、及び小規模な農林水産業の場合のみです。事業主が手続きを怠っていた、あるいは保険料を滞納していたとしても支給されます(事業主から費用の全部あるいは一部が徴収されます)。
遺族基礎年金の場合、受給できる遺族は次の場合に限られます。
障害の状態にある場合は20歳未満となります。また結婚していないことも条件になります。
つまり18歳年度末までの子か、そのような子と生計を同じくしている死亡者の配偶者です。平成26年3月までは「配偶者」が「妻」でした。つまり夫が遺族基礎年金をもらうことはありませんでした。妻にも夫にも年齢制限はありません。
ここで、”生計を維持する”とか”生計を同じくする”とかの表現がありますが、具体的条件は通達で定められています(平成23年年発0323第1号等)。”生計を同じくする”とは典型的には同一世帯である場合ですが、世帯を異にする場合でも実態上家計が同一とみなされる場合は認められる場合があります。
”生計を維持する”と認められるのは、"生計を同じくする"(生計同一要件)のに加えて、さらに収入が一定額未満であれば認められます(収入要件)。この一定額は年額850万円未満(又は所得が655.5万円未満)と定められていて、概ね5年以内に条件を満たす場合も含まれます。たとえば現在の収入が一千万円でも5年以内に退職し年収が下がるという場合は認められます。何故このように高いかというと、死亡した人の収入が主要な収入だったという場合に限らずに一家の生計の一部でも死亡者の収入によっていたなら、生計を維持していたとみなすという考え方によります。
この"生計同一"や"生計維持"の考え方は遺族厚生年金(同通達)でも、労災の遺族補償年金(昭和41年基発73号)でも同様です。つまり遺族年金は、遺族が高収入でない限り支給されます。
なお、子の無い妻に対しては寡婦年金や、厚生年金保険の中高齢寡婦加算等があります。
遺族厚生年金の場合は、子のある配偶者や子にしか出ない遺族基礎年金に対し、もっと広い対象者に支給されます。
受給権を得る順位はこの通りです。配偶者と子は同位です。
さらに支給は60歳からです。ただし平成26年4月1日からは遺族基礎年金の受給権を持つ夫に関しては60歳になっていなくても支給されるようになりました。(法65条の2)
裁判になったケースと同じく、夫は55歳以上という年齢要件がありますが、妻はありません。しかしこれは妻に対して夫が差別されているのではなく、他の遺族に対し妻のみが特別扱いされているということです。次に述べる労災でも同じです。
労災の遺族(補償)年金の場合、遺族厚生年金と似ていますが、さらに広くなっています。
失権と支給停止も重要なので説明します。失権とは受給権を失うこと、支給停止は受給権はあるが支給が止められることです。支給停止の場合は失権とは異なり、停止した理由が無くなれば支給が行われます。
主な失権の条件はどの年金も次の通りです。(労災法16条の4、国民年金法40条、厚生年金保険法63条)
これで全部ではありません。特に遺族厚生年金には30歳未満の妻の失権という本稿のテーマに関わる失権事由があります。これについてはあとから紹介します。
受給権者が失権した場合、労災の遺族補償年金では次の順位の受給資格者に権利が移りますが(転給)、遺族基礎年金、遺族厚生年金にはこのような制度は無く、年金は消滅します。
何と遺族共済年金には転給制度があります。この他、夫、父母、祖父母の55歳以上という制限もありません(60歳まで支給されないのは同じ)、この他厚生年金に比べ共済年金の方が有利になっている点が幾つかあります。年金一元化後は転給が無くなるのは確認していますが、他の有利な点がどうなるか(附則による経過措置などが取られるか)については調べきれていません
支給停止については行方不明になった場合等いろいろありますが、興味深いのは遺族基礎年金、遺族厚生年金にある次の支給停止でしょう(国民年金法41条、厚生年金保険法66条)。
平成26年3月までは、(1)の「配偶者」が「妻」であり、かつ、夫の受給権については次のようにされていました。
・子が受給権を有するとき、夫には支給停止
これは妻と夫のアンバランスな規定が是正された例です。
理解するための例として、夫が死亡し、妻が子供を連れて再婚し、また子供は新しい夫の養子になったというケースを考えます。この時妻は結婚したために失権します。子供は養子にはなりましたが直系姻族の養子になったので受給権は無くなりません。再婚するまでは妻が受給権を有しているので子供は支給停止になります。再婚後、子供は受給権はあるものの生計を同じくする父母があるので遺族基礎年金は支給停止となります。
年金額の決め方は複雑ですので、本稿では概要のみを述べます。
老齢基礎年金の満額と同じです。平成25年度に関しては10月以降778,500円です。妻が受給する場合子の数に応じ、子が受給する場合2人以上の子の数に応じ、加算があります。
夫の老齢厚生年金額の4分の3となりますが、【1】で述べた4つの支給要件のうち、最後の"老齢基礎年金の受給権者または受給資格期間を満たした者の死亡(長期要件と言います)"以外は(短期要件と言います)、被保険者期間を最低300カ月とみなします。つまり厚生年金保険に加入した直後に死亡した場合でも、300か月加入したとして計算されます。
また受給者が65歳以上で自分の老齢厚生年金の受給資格がある場合は額が増えることがあります。
またこの場合、自分の老齢厚生年金が優先されて支給されその額に相当する分遺族厚生年金は減額(支給停止)されます。
過去3か月の賃金の一日平均額(最低・最高限度額、賃金動向によるスライド有り)の何日分という決め方になります。何日分かは 受給権者と生計を同じくする受給資格者の数により異なります。一人の子供がいる妻の場合は201日分となります。
裁判で問題になったのは地方公務員災害補償法です。妻が年齢に関係なく受給資格があるのに対し、夫は60歳以上であることを要件とされていることが憲法14条の法の下の平等に違反するとされました。しかしこの法律を見ると、妻と夫に差があるのではなく、夫、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹すべてに年齢要件があり、妻のみに年齢要件がないのです。つまり60歳、55歳の違いはありますが、遺族厚生年金、労災の遺族補償年金の場合と同じく妻だけが特別扱いされているのです。
すると年齢の条件が無い妻の方が遺族年金のあるべき姿なのか、それとも年齢に制限のある妻以外の遺族の方があるべき姿なのでしょうか。「べき」かどうかはともかくとして、年齢の制限が無いというのは違和感があります。たとえば40歳の夫婦の子供が20歳で厚生年金に加入しすぐ亡くなったとしましょう。もし年齢制限が無ければ子供の遺族厚生年金が夫婦に支給されます。しかもそれは300か月みなしで計算されたある程度まとまった額になります。あるいは30歳で片親と一緒に生活していて、その親が亡くなったという場合子供にも遺族年金が支給されることになります。
個々のケースでは支給して良いのではないかという事情がある場合もあるでしょう。しかし一般にはどうでしょうか。年金の財政の点でも、あるいはモラルの面でも、遺族年金はそのような場合に支給するためにあるものではないように思います。すなわち年齢制限があるのは当然と思います。もし年齢制限に関わらず支給した方が良いようなケースがあるのであれば、それらを例外として、例外にあたるケースを法令に盛り込んでいくべきでしょう。
今回の判決に従って夫にも年齢に関わらず支給するということになれば配偶者を他の遺族に対し特別扱いすることになりますが、それは妥当でしょうか。なるほど家庭によっては妻の収入に依存した生活をしている夫が、妻が亡くなった後路頭に迷うという場合もあるでしょう。しかし、それは子供の収入に頼って生活を送っている親、親の収入に頼って生活している子供等でも同じはずです。もしそういう親や子に働くべきだというのであれば、配偶者も働くべきでしょう。配偶者を特別扱いする理由は私には思いつきません。
いや問題は、夫と妻で違うという”男女差別”にあるのだといわれるかもわかりません。判決文はまだ見つけていないのですが、 朝日新聞の記事によると
判決は、この規定について、1967年の制定時とは異なり、90年代には女性の社会進出が進んで共働き世帯が専業主婦世帯を上回ったことや、男性の非正規雇用が増加しているという社会情勢の変化に言及。「配偶者の性別により、受給権の有無が異なる取り扱いはもはや合理性がない」と認め、「規定は差別的で違憲だ」と結論付けた。
というのが判決の趣旨だそうです。社会情勢の変化により、性別により異なる取り扱いは差別的で違憲だということのようです。男女差別が問題だというのであれば、夫の年齢制限を撤廃するのではなく、妻にも他の遺族と同じように年齢制限を課すべきであるように思います。「女性の社会進出が進んで共働き世帯が上回った」ということに照らしてもそちらがあるべき姿でしょう。
べき論としては前節でのべたように妻の特別扱いを止め他の遺族と同じ年齢制限を課すべきでしょう。しかし、「共働き世帯が専業主婦世帯を上回った」としても専業主婦世帯は依然として多く存在しています。どちらが多いかという問題ではなく、困る世帯が実際に多数発生してしまうことが心配されます。
社会保障関係法令の中に夫と妻の取り扱いの差があるのは当然です。男女差のある社会であったことを反映しているのです。もし社会の男女差が無くなっていきつつあるのであれば、それに従って後追いの形で制度を変えていくべきです。
実際に、平成26年度からは遺族基礎年金の支給要件、支給停止条件の夫と妻の差が無くなったことは第1節で説明しました。年齢要件に関しては、遺族厚生年金の場合、平成19年4月1日からは30歳未満の子の無い妻の場合5年で打ち切り(失権)になるという改正が行われました。5年は年金を支給するので、その間に次の生活の準備をするようにということでしょう。
このように法令は現実的な問題が生じないようにゆっくりと男女差の解消を進めているように思われます。社会の男女差が縮小した段階に応じて、妻の年齢制限も夫や他の遺族と同じに近づけて行くというのが現実的な方策でしょう。
それなのに、早急に制度の対応を迫り、しかも夫の年齢制限を撤廃せよというあるべき方向とは真逆の圧力をかけるのが今回の判決です。夫にも支払えという形で訴訟が提起されたのでしょうからこのような方向の判決となるのは分かりますが、いずれにしろ困った判決です。確定すれば、国民年金、厚生年金、労災保険にも影響が及ぶでしょう。今後のことだけでなく、もし遡って対象者に支払わなければならないとすると財政への負担、事務の手間等とんでもないものになると思われます。また夫の年齢制限のみ撤廃するのは、他の遺族を考えるといびつな制度になります。控訴は当然です。
選挙違憲無効の判決さえ影響の大きさゆえなかなか出さない、高裁、最高裁です。このような問題こそ、方向は示しつつ、行政の裁量を認めるべきであると思います。被告側もしっかり対応して頂きたいと考えます。
補足:どうしても男女差別が問題というのであれば、妻、夫に関わらず、配偶者に原則的に年齢要件を課し、被扶養配偶者であるときのみ年齢制限が無いとする方法もある気もするのですが、死亡した人が第一号被保険者あるいは退職した受給権者である場合等問題が無いか考えきれていません。
平成27年6月19日に大阪高裁で控訴審判決がありました。一審判決を取消し地方公務員災害補償法の規定を合憲としました。判旨はまだ調べていませんが、とりあえずは良かったと思います。
平成29年3月21日に最高裁は男性の上告を棄却し、訴えていた男性の敗訴が確定しました。5人の裁判官全員一致の決定です。「男女間における生産年齢人口に占める労働力人口の割合の違い,平均的な賃金額の格差及び一般的な雇用形態の違い等からうかがえる妻の置かれている社会的状況に鑑み,妻について一定の年齢に達していることを受給の要件としないことは,上告人に対する不支給処分が行われた当時においても合理的な理由を欠くものということはできない。」としています。
初稿 | 2013/12/11 |
修正 | 2014/8/30 |
●平成26年法改正に従い修正 | |
補足追加 | 2015/6/23 |
修正 | 2015/10/8 |
●支給停止の例の記述抜け | |
補足追加 | 2018/11/21 |