古都を堪能せよ! (後編)


孔子廟にて ビートルズの「アビーロード」のような写真

裏路地をごちゃごちゃ歩いていくと、お祭りでもあるんかい?と思うような提灯ストリートに出た。
でもって提灯をたどっていくと、次の目的地、天壇へ到着。

「天壇」は正式には「台湾首廟天壇」と呼ばれるそうで、主神は道教最高位の玉皇上帝(天国の統治者)。
俗に「天后廟」と呼ばれており、玉皇大帝の他にもたくさんの神様が祀られているので、願い事のほとんどすべてに対応できるそうです。
台南人は人生の途上で困難に打ちあたると天壇に来て、神様に指示を求めたり、開運の祈願をするんだとか。

ピッキー:開運、厄除け?どこかで聞いたような・・・
Pi-子隊長:・・・うん、ありがち。


すごいパワースポット!・・・と聞いてたんだけど、近所のおじさん同士が話しをしていたりして、まったりな雰囲気。
廟の前にバイク置き場があったり、お店があったりしたせいか、街中のちょっとした神社という感じでパワーはあんまり感じられませんでした。
いや、分かる人には分かるのかもしれないけど。

天壇まで続く提灯天壇正面

天壇近くにある青年路、公園路・中山路・青年路・開山路・南門路・中正路・民生路の7つの道が交差するロータリーには日本統治統治時代の建物がいくつも残されています。

ロータリーの中央にある、現在の湯徳章記念公園(民生緑園とも呼ばれる)という公園はもともと「大正公園」という日本統治時代に作られたもので、現在は孫文の像と、湯徳章律師の銅像が建てられていますが、当時は第4代台湾総督・児玉源太郎の像が建てられていたそうです。
ちなみに当時は公園路=花園町、中山路=大正町、青年路=清水町、開山路=開山町、南門路=幸町、中正路=末広町、民生路=錦町通りでした。

 旧林百貨店 1923年築。戦前の台湾で最大だった百貨店。
 現在は修復中?
 旧台南地方法院庁舎 1912年築。博物館化に伴う修復中
 ですが、2001年まで裁判所として活躍をしていました。

 旧台南合同庁舎 1938年築。戦前は消防と警察の機関を
 同居させた合同庁舎でした。現在は現役の消防署です。
  天壇裏の解体予定(?)の家屋。瓦屋根だったので
  日本の家屋のようですが何なのか不明。

ピッキー:腹減った〜
Pi-子隊長:大丈夫、次は昼食だから。


昼食は台南を代表するお店と言っても過言ではない「度小月」へ。
さほど広くないお店は13:00を過ぎていても満員で、外のテーブルでもいいか、と聞かれ了承したのでした。

るむ:ここの名物は「担仔麺」なんでしょ。
Pi-子隊長:そうそう。
ピッキー:メニューに日本語が書いてあってうれしいな。しかし、店名の「度小月(どしょうがつ)」ってどういう意味だ?
Pi-子隊長:「度小月(ドゥシャオユエ)」は「稼ぎの少ない月を過ごす」って意味で、もともと創業者は漁師で、台風なんかの時化が続く漁に出られない時期には、 天秤棒(中国語で「担仔」)を担ぎ、この麺を売って生計を立てていたんだって。コシのある麺に、新鮮なエビから作ったスープ、秘伝の肉味噌は評判となり、 言わば「行列のできる」お店になったんだって。
るむ:よく知ってるね〜。
Pi-子隊長:まぁね。

だって、ガイドブックに書いてあったもん。

3人とも「担仔麺」をオーダー。
トッピングに滷蛋(味玉)をチョイス。

オーダーしてすぐに、ゆでたての担仔麺と、トッピングの味玉が運ばれてきました。
ピッキー:なんか小さいんだな。
Pi-子隊長:夜食やおやつ代わりにも食べられるって書いてあったからこんなもんかと思ったけどね。何かサイドメニュー頼む?
ピッキー:とりあえずいいや。他にもいろいろ食べてみたいし。


台南は担仔麺以外にも「棺材板(食パンを揚げて中をくり抜き、クリームシチューを入れたもの)」や「蝦捲(中華風エビのフリッター)」、「虱目魚(サバヒーという魚を使ったお粥)」、 「台南粽(ちまき)」、「牡蛎仔煎(カキと野菜の玉子焼き)」・・・など言うなれば「B級グルメ」の宝庫なのです。


担仔麺
度小月

まずは担仔麺のスープを一口。
ピッキー:まいう〜!意外とさっぱりしてるんだな。
さっぱりした醤油ベースに、おろしニンニクが効いているスープ。
具はもやしと海老、肉味噌(そぼろ)と、とてもシンプル。
細めの麺はやわらかめで程よいゆで加減(アルデンテ)。
トッピングの滷蛋(味玉)も中まで醤油がしみてて言うことなし。
確かに量が少ないけれど、これで50NT$(約180円)だし、足りなければもう一杯食べても、サイドメニューをオーダーしてもいいしね。

満腹にはならなかったが、満足して「度小月」を後にした。

その後は孔子廟へ向かう。
"孔子廟"は台湾各地にありますが、台南の孔子廟は台湾の中で最初に建てられたもので、台湾で最初の学校として学生たちが学問に励んだ場所なのです。
鄭成功の息子の鄭経によって1665年に創設されましたが、長い間には戦争や天災の被害に遭い、現在の孔子廟は日本統治時代の1917年に改修され、当時は兵舎、学校として使われていたのだそうです。

るむ:学校だったから、ここ運動場みたいなのかな?
Pi-子隊長:体育の授業なんかあったのかな?分からないけど。

実際、台南の孔子廟は清朝末までは台湾の省立の最高学府として多くの知識人を出してきたといわれています。

広い敷地内には大きいガジュマルの木が生い茂っていています。
孔子廟のシンボル的存在になっているというガジュマルの木。
存在感があって守り神のような雰囲気が漂ってます。
しかし、あの木の下で昼寝したらさぞ気持ちのいいことだろう・・・


運動場?どうやら公園のようです
ガジュマルの木

孔子を祀る「大成殿」 中には清朝歴代皇帝の額が中華民国歴代総統の額が
 飾られています

昔の校舎だった「明倫堂」イスが並んでいる大きな書の前で一休み

るむ:この辺に有名なかき氷屋さんがあるみたいだよ。
ピッキー:かき氷食いたい〜!
Pi-子隊長:うん、本当。12月とは思えない暑さだもんね。何てお店?
るむ:「莉莉水果店」だって。
Pi-子隊長:"水果(果物)"ってことはかき氷屋さんというよりは果物屋さんがかき氷もやってるんだろうね。
ピッキー:すぐそこじゃん。看板が見えるよ。

喉を乾きを感じた我々は、孔子廟の向かいにある「莉莉水果店」へ。

今日は土曜日なのでお店の中はいっぱい。
でも、運がよかったのか、日ごろの行いがいいからなのか、すぐに席につくことができました。

莉莉水果店店内

ピッキー:南国でかき氷と言えば、やっぱりマンゴーかな。
Pi-子隊長:マンゴー(芒果)ってメニュー見ると「マンゴーミルク(芒果牛奶冰)」なんだよね。 まぁ、牛乳というよりは練乳だと思うけど。
ピッキー:そうとは思うが、外国まで来てリスクをとりたくはないな。
(牛乳嫌い)"牛乳抜き"ってできるか、ちょっと聞いてみて。
Pi-子隊長:いいよ。


で、お店の人に聞いてみたところ
Pi-子隊長:今はマンゴー自体がないんだって。シーズンじゃないから。
マンゴーのシーズンは夏です。
ピッキー:そうか残念。じゃあ、何にしようかな。
るむ:お店に入ってじっとしていたら寒くなってきちゃった。やっぱりかき氷は止めて果物のジュースにしようかな。
Pi-子隊長:あ、「豆花」がある。これも台南の名物なんだよね。かき氷もいいけど、豆花にしようかな。

台南では「安平豆花」というお店の「豆花」が有名です。
(豆花とはスイーツ仕様の冷奴で、黒蜜などをかけて食べます。最近では日本のスーパー、コンビニでも見るようになりました。)

レジ横にオーダーシートが置いてあるので、それに書き込んで注文します。
オーダーシートは中国語で書かれてるけど、だいたい漢字のニュアンスで分かるから中国語ができなくても大丈夫・・・だと思う。

バナナミルク(るむ)
緑豆豆花(Pi-子)、ハチミツレモンかき氷(ピッキー)
追加オーダーしたフルーツの盛り合わせ


莉莉水果店を出て延平郡王祠へ向かいます。
延平郡王祠とは台湾人にとっての英雄である鄭成功を祀る祠・・・と、その前に台湾編でよくその名前が出てくるけど、誰?という人の為に

鄭成功は中国人商人・鄭芝竜と日本人女性(武士の娘)・田川マツの間に生まれた、言わば中国と日本のハーフ。
幼い頃は長崎県の平戸で過ごすが、7歳の時に父の国である中国福建省へ渡ります。


鄭成功像
当時、新興勢力の"清"が台頭しており、明は清のまえに弱体化していました。
そこで明政府は軍力のある鄭成功の父、鄭芝竜を軍職につけ、福建省の港の管理をまかせました。
当時は商人といっても、海賊みたいなもんで、強力な武力と莫大な資金をもっていたそうです。

鄭芝竜は鄭成功を連れ、隆武帝(朱聿鍵)に謁見、その時、鄭成功を気に入った隆武帝は「朕に公主(娘)がいないのが残念である。」と述べ、明皇帝の姓である"朱"姓を賜ったので「国姓爺」と呼ばれることになります。
しかし、鄭成功いかにも畏れ多いと、朱姓を使おうとはせず、"鄭"成功と名乗ったそうですが。
ちなみに中国語で「爺」は「老人」という意味ではなく、「旦那」といった意味です。

1646年、清軍が福州を攻撃すると、隆武帝は軍によって捕らえられると絶食して命を絶ちました。
清は鄭芝竜に対しては、官職と引き換えに降伏を促します。
鄭成功は反対しますが、鄭芝竜はこれに応じ、清に投降します。

鄭成功は、父の勢力圏を受け継ぎ、厦門(アモイ)、金門島を根拠地に福建沿岸を荒らしまわり、抵抗運動を開始。
1658年には、鎮江を陥落させ、南京までせまりますが、大敗してしまいます。

1661年、抗清復明と大陸反攻の新たな基地を求めて、オランダが植民していた台湾を攻略。
台南に政府を作りますが、志を遂げられぬままに病死します。

鄭成功は台湾と関連していた時期は約1年ぐらいと短かいのですが、オランダ人を追い払い、台湾独自の政権を打ち立てた、ということが英雄視されているのでしょう。

ちなみに母の国である日本(徳川幕府)にも度々援助を求めていましたが得られなかったのだそうです。
しかし、近松門左衛門の浄瑠璃「国姓爺合戦」に描かれ、日本でも人気者になりました。

鄭成功死後、台湾は清朝が司ることになりますが、首都は台南に置かれ、1661年から1885年までの224年の間、台南が台湾の首府であり、政治、文化の中心であったのです。
るむ:古都だと聞いてたけど、けっこう長い間首都になっていたんだね。

鄭成功が亡くなった1662年に彼を慕う人々によって廟が建てられ、開山王廟と名づけられます。
日本が台湾を統治していた時代にも祭祀は鄭成功のまま、開山神社と改称した時期もあったようですが、終戦後、中華民国政府によって以前の祠が取り壊され、新しい様式の建物に建て替えられたそうです。

NT$50払って延平郡王祠へ中に入ると、色鮮やかな祠が目に入ってくる。
確かに完全に中華風だね。日本の神社だった時はどんなんだったんだろ?
・・・とか思って歩いていくと・・・ん?なんだ、アレ?

もしかしてコスプレーヤー有明(コミケ)でも秋葉でもないのにねぇ・・・

Pi-子隊長:コスプレーヤーかな?
ピッキー:コスプレーヤーでしょ、街中であんな格好の人いないし。写真撮っておこう。
(パシャ)
台湾でもコミケが行われるようになったのは知ってるけど・・・ここって普通に歴史的建物なんですけど?
写真撮影の許可を取ってるのか、無許可なのか・・・どちらにせよ台湾の懐の広さを感じずにはいられない。


コスプレーヤーに鄭成功もびっくり?
日本式の鳥居

ピッキー:この後、どこか行くの?ぼちぼちいい時間だよ。台北まで向かうんだし。
現在の時刻は15:30
Pi-子隊長:あと一箇所。ここから駅に向かう途中にあるから寄っていこうよ。

台南最後の観光地は台湾府城隍廟。
1669年に創建された台湾最古の城隍廟で、城隍神(道教の神さまのひとつで都市の守り神)を祀る廟です。
中国で"城"とは城壁で囲まれた町全体のことを指すので、外敵をはね返す頼もしい城壁を人格化して神様にした・・・と思えば理解し易いかも。
しかし、城隍神は司法神である・・・司法といえば人を裁く事。
でもって神様に裁かれるというと・・・アレですよ!死後の人間の行き先を決めるという、閻魔大王的な権限を持っているんですね。

Pi-子隊長:ここには城隍神が人を裁くときに使われる巨大なそろばんがあるんだって。
ピッキー:そろばん?笏とかじゃないんだ。

そろばんってところが商才に長けた中国人っぽい!?

るむ:それってここ?
Pi-子隊長:・・・距離的にここ・・・地図見てもたぶんそう・・・
ピッキー:なんか思ってたのと違うな。なんかスタジオのセットみたいになってるぞ。


台湾府城隍廟・・・工事中なのかハリボテ?そろばん 意外と小さい

例のそろばんは廟の入り口の上、中に入って振り向いたところにあったけど・・・
Pi-子隊長:なんかそんなに巨大ってワケじゃないね。
戸口よりちょっと大きいぐらいだから、だいたい一間分(1.8182m)よりちょっと大きいぐらい?

とか思って、後で調べたら、奥の展示室に本当に巨大なそろばんが展示されていたらしい。
見損ねちゃった。残念。

中央には城隍神の像。
人の住む場所(城中)と外敵を隔てる門番的な役割だけど、善と悪を分ける者、または生と死を分ける者、それを決める神・・・と解釈すると納得。


城隍神の像
 巨大そろばんが見つからなかったので、ここで一番
 印象に残ったのはこの色鮮やかな「ほうき」でした

城隍廟は夜に入ってからはお参りしない習わしなんだって。
あの世に続いているからかな?理由はよく分からないけど。

その後は台南駅を目指して歩く。
駅近くまで来ると、電気街?なんだろうか?
電気のパーツショップやら、本屋(マンガメイン)、ゲーム屋、洋品店、メガネ屋・・・とごちゃごちゃとお店が集まっているところに出た。
パーツショップが多くて、コミックにゲーム・・・といえば、ここは台湾の秋葉原ってとこ?

日本橋?・・・という店名のゲーム屋さんコミックがずらり 日本と変わりませんね

秋葉とアメヨコを足して割ったような、ちょっと昭和な雰囲気すら感じられる。
もうちょっと時間あったら寄り道してみるのもよかったかもしれないけど、すでに時間は4時。
高鉄(台湾新幹線)に乗っちゃえば2時間としないけど、台南駅から高鉄台南駅まで行くのに1時間近くかかるし、そうなると台北まで合計3時間・・・到着時間7時ぐらいか。

しかし、高鉄台南駅遠いな・・・タダのバス出してもらってるから文句言えないのかもしれないけど。(-_-;
(とか書いていたら、2011年1月より高鉄と在来線を結ぶ鉄道"沙崙線"が完成したとのニュースを発見!しかし、在来線の台南駅まで行くわけでなく、逆に無料のシャトルバスが廃線になったとのことなのでいいのか悪いのか・・・)

(Pi-子)